フリーダム    2023年

今日は朝早くから夫はゴルフに行きました。三日間連続してゲストが来て、今日はお休みだからのんびり出来ると喜んでいましたが、昼前にスマホが鳴り、夫かしらと呼び掛けると何と七月に来るはずのゲストが一か月間違えて予約してしまって、今日これから一時に行っていいかと聞くのです。「えーっ」と思ったけれど、若いドイツの夫婦だから大丈夫だろうとOKして玄関のチェーンを外して支度を始めようとしたら、夫が暑いので早めにゴルフから帰ってきました。

それから十分遅れで到着したのは190㎝のマイクと小柄でブロンドヘアのエイリーンで32歳と28歳、二か月のハネムーンの途中だそうで、英語は得意ではないと言いながら一生懸命話してくれて、ドイツ人は真面目で熱いハートを持っているといつも思うのです。マイクは栃の和歌と書かれた相撲の浴衣を選び、短いので裸足で下駄にして、奥様はひで也工房の花模様の浴衣を着て、とてもよく似合います。風が吹いてマイクは足元が涼しいとご機嫌だし、日傘を差した奥様はたおやかで美しいのだけれど、くしゃみを絶え間なくしていて、お茶を点ててもらった時も華やかなネイルをした手がアレルギーのように所々赤いのが気になりました。

平日で空いている帝釈天では、持参のニコンのカメラで彼がたくさん写真を撮り、彫刻版のコーナーではさすがドイツ人、熱心に宗教について話ができたし、阿吽も説明できました。私のたどたどしい英語と、彼らもあまり達者でない英語で語り合っていると、かえって言いたいことがわかる時があり、熱心なクリスチャンではない二人が危惧しているのは子供たちが宗教自体を馬鹿にしている傾向があるのと、トルコ人ロシア人シリア人などがたくさん移民として暮らしていて、道の名前などドイツではないのもある、ここはドイツだというのにと眉をひそめています。この前来た日本で勉強しているドイツの男の子は両親が離婚して母親はトルコ人と再婚し、弟は異父弟だと無表情に言っていました。彼の好きな作家はヘッセ、私も暗いけれど彼も暗い資質を持っている、だから日本で勉強しているのかもしれないのです。

帰りに駅前のお店でジンジャエールを飲みながら焼鳥やフライドポテト、チュロスを食べて、奥様が一年前の結婚式の写真や二人で建てたという大きなプールや芝生のあるおうちの写真を見せてくれ、広いトイレやリビング、キッチンなど規模が違うなと思いながら、「あなたほど幸せな人はいない、美貌と財力と知性とすべてを持っているのだから」と私とは桁違いの彼女に言うと、彼女は実は腎臓の病があり長いこと入院していて、表では明るく楽しく過ごしているように見せているけれど、大変なことも多いのだそうです。詳しくはわからないままお店を出て、駅のホームを歩きながら、私は今が自分の人生で一番充実していて楽しい、なぜならたくさんの外国人からいろいろな力や光を見せてもらえるからだと言いかけて、胸が詰まって泣いてしまいました。彼女が背中をトントン叩いて慰めてくれたのだけれど、年を取って涙もろくなったのと、あとどれだけ生きられるかわからないけれど、私の心を差し出し、受け取ってもらえる相手が次々現れ続けてくれる有難さに、どうしても感動してしまうのです。

 最後にカラオケハウスの前を通ってうちに帰る時、あなただったらここで何の歌を歌うか、何の歌が好きかと聞いたら、ベルリンの壁が崩壊した時に歌われた「フリーダム」だと言われ、本当にドイツ人は真面目だなと改めてびっくりしました。前にフランスから日本語の堪能な女の子が来た時、帰りに指輪を忘れたので翌日上野で会って渡して、ヤギのミルクのアイスをデパートの屋上で食べながら沢山の旅行の写真やクリスマスなど家族のイベントの風景を見せてくれて、今度はコルシカへ行きたいと言っていたのだけれど、イギリス人のパパとカメルーン生まれのママは離婚し、前の職場では思い出すのも嫌なくらいの仕打ちを上司から受けていたという話もしてくれました。

 この仕事をするようになって、沢山のゲストと私はたどたどしい英語で様々な話をするのだけれど、辛いことやマイナス面はあまり言わないで、華やかなことばかり話すことが多くても、実際はつらい経験も多いということをあらかじめ考えて、その上で私は体験を組み立てています。綺麗な着物を着て素晴らしいスポットでたくさん写真を撮り、お寺や庭園や彫刻を見ながらいろんな話をしていて、仏教彫刻が意味するもの、自分達の宗教、生き方、仕事への姿勢など、話の中で鋭く深く感じるゲストもいる、あとからもらうレビューで、そんなことを考えていたのかと驚くこともあるし、最後まで心を解放しないタイプの若いゲスト達もいました。みんな一人で戦っているのかもしれない。

日本人は責任感が強く、失敗を恥じる傾向があり、人生はそんなにうまくいかないものなのに、みんないつも100点満点であろうとします。大事なのはこれらのリスクを回避することではなく、『逆境を乗り越える力』を持つことで、失敗を生まないことが重要ではなく、失敗と向き合い乗り越える力がないと、成功を手にすることができない。失敗する準備ができていない人は、成功する準備ができていないことなのです。

特にコロナ前は、みんなと同じように良い学校に行き、良い仕事をし、善き結婚をして家庭を作ることが最高の人生だと思われ、それに外れれば失敗だと考えられがちでした。でもコロナ禍の中でいろいろな価値観が変化し、AIが台頭してくる中で、人間は何のために生きているのか、そういうことを考えている若い外国の男の子たちが一人で私のところへ来るようになりました。「人生どこに行くべきかを決めるためには、自分が何処から来ているかわからないと難しい」

もっといろんなことに全力で挑戦して、失敗し、過去にどれだけ胸が痛む出来事があっても、それを乗り越えた自分がいることを誇りに思い、その先にようやく『私自身』が見えて、それから自分のために、人生を楽しむべきだと思うし、自分で考え、乗り越え、世の中の出来事について感じる違和感に対して自分の意見を持ち、失敗を恐れずに挑戦し続け、なりたい自分に向って、日々考えを深めて失敗し傷つきながらも、突き進んでいくしかないのでしょう。 周りからすぐに理解されなくても、自分自身が納得できることや使命感を感じることには、何かしら意味があるということ。もしかしたら一生誰にも理解してもらえないかもしれないけれど、それでもいいという強さこそが、これからの混迷の時代を生き抜く上での成熟に繋がります。人のためとか人から褒められたくてではなく、自分の夢のために生きたい、生きようと思う。「コロナはネガティブな出来事だけど、だから私はメンタルヘルスこそ重要だと気づいた。これからは、その自分の気持ちに正直に、シンプルに、楽しい、うれしいと思える働き方、生き方をしていきたい。そう考えています。我慢が美徳でなくて、自分らしく気持ちのいいことをする。それを大事にしています。」

ひたすら強く、ひたすら純粋に、夢や愛を求め続けている沢山のゲスト達がやってきて、四時間過ごし、そして去っていきます。だんだん記憶力が衰えてきて名前と顔が一致しなくなるのだけれど、このうちに来て、お抹茶を飲んで、ギフトの着物を持って、それぞれの国へ帰っていきます。

清々しい風が吹いてきました。 ああそうか、これがフリーダムなのでした。

膝の痛み

 夫が娘婿とゴルフに行く日に、私はなかなか治らない膝を見てもらいに、新しく出来た近くの整形に行こうかと思っていました。最近会う人々は私より若くても膝が痛いと嘆くので、どうやったらよくなるのかいろいろ聞いていて、注射も薬も嫌だけれど、何とかしないとと考えながらスーパーへ行った帰り、偶然息子が少年野球をやっていた時の監督夫人に会いました。彼女に膝が痛いと言ったら、突然自転車を降りて私を近くの壁の前に立たせ、いろいろ体を触って調べ出し、簡単な施術をはじめました。そういえば気功をやっていらして、ずいぶん前に見てもらったことがあって、夫がゴルフに行く日に家へ来てくれることになり、私がよく声を掛けてくれたとそのタイミングに驚いているのです。

 私は身長が高いのでどうしても背中が丸くなり背骨も曲がっているのと、三十代で子宮頸がんになり子宮や卵巣、リンパも取ったのでそのひずみもあり、若い時は何とか誤魔化して過ごせていたけれど、年を取るとなかなかそうもいかずそのひずみが痛みとなるとのこと、ベッドに寝ている私の体中を正常な形にして、いかにそれを持続できるかということが課題だそうです。彼女の子供たちが骨折したりけがをした時に義父や夫にとても世話になったから、お礼の気持ちで施術をしてあげると言ってくれるのを有難く思いながら、十年前にピラティスに通って体の歪みを整えてもらったのだけれど、それからコロナウィルスや介護や看取りなどに翻弄されているうちに、今度は自分が皆に面倒をかけてしまう年齢になったことを痛感しています。

 彼女が帰った後、身体が格段に楽になっていることに感謝しながら、身体の歪み、精神の歪み、環境の歪み、世界のゆがみが恐ろしいくらいに大きく蔓延っていることに愕然としているのだけれど、正しい方向性さえあればなんとか生き永らえて仕事もできると希望も持てたことに感謝しています。髪の毛を紫と赤に染めた台湾のファンキーな女の子に好きな本は?と聞いたら、ジョージオーウェルの「1984」だと教えてくれたので、メルカリで買って読んでいるのだけれど、あまりに暗くて陰湿で閉口して、途中で結末を読んだり解説をめくったりルール違反をしながらやっと読み進めています。とても有名な本なのだけれど、実は完読した人が一番少ないそうで、皆途中で辟易してしまうのも無理はない。でもあの台湾の女の子は何かを抱え、それだからこの本を読んでいるのです。明るく別れを告げた彼女をハグして抱きしめたら、胸が詰まって泣きそうになり、手で顔を仰いで必死で涙をこらえて立ち去った姿を見送りながら、抱えているしこりや歪みを感じていました。一生懸命1984を読んでいるうち、もしかして物凄く大事なことがこの中にかかれている気がしてきました。今日は風が強く吹いています。何かが起きているようです。

 

瞬間移動    2023年12月

 二日間京都に行ってきました。ジパング倶楽部や株主優待の宿泊券を使って、割引や特典がいろいろ付き、得している感も強いけれど、フィリピン旅行がかなりゴージャスだったので、京都という土地柄もあり閉塞感を感じながら、ホテルのベッドで天井を見上げ妙な気持ちになっていました。

今回の旅行を決めたのは、最近来るゲストが京都へ旅行に行った次の日に私の体験に来るケースが増えて来て、カップルで着物を着て撮った写真を見せてもらうと、私はどう太刀打ちしていいのか全く分からなくなってしまうからで、京都の着物事情や着ている人々の雰囲気、お寺や仏像、仏教に対してどんなスタンスでいるのかを知りたかったからです。どこへ行っても外国人は多いから、英語で話す機会も多いだろうと期待して、京都に着いてから東寺に出掛けました。とても天気が良く、修学旅行生が多いのに驚きながら短い距離だけれどタクシーに乗り、若い運転手さんにおすすめのお寺を聞くと「六波羅蜜寺が良い」と言ってくれたのを心に留めました。広い境内の東寺、五重の塔、紅葉は終わって枝だけになった枝垂れ桜や柳を見上げ、思ったより人が少なく、外国人は皆無なのにちょっとがっかりしてしまいました。あまり何事も期待しすぎるといけないと思いながら、静かに大きな講堂の扉を押して中に入ると、沢山の仏さま達が光背を背に、横向きに並んでいるのが見えます。この前来た時はどこかの仏像展に出張中の方もいらして、すべてそろった立体曼荼羅を見るのは初めてです。大きい、みんな大きい、大きい講堂に大きい仏像がたくさん並んでいるなんて、何と凄い光景でしょう。

 京都に行く前に、これまで仏教について書いてきたブログを読みかえしてみて、聖徳太子についての4年前の文章に、それまであった神道という自然信仰、アルカイムズという単純性だけでは日本人の持っている洗練さ、複雑さ、深さが十分に表現できない、ゆえに聖徳太子は日本人のために共同宗教の神道を基礎に、人間の個人の領域の思想、仏教を取り入れることを選択したとあるのです。人が悟りというものによって、他人にはわからぬ個人の苦しみを癒す方法を得られるよう道を開き、そこから表現が深い芸術の段階に達するようになった、でも仏像曼荼羅の中央に位置している大日如来様は、自然信仰の象徴のような存在であるとも書いてあり、そこまでいって御前に佇んだ時、私は素朴な深い慈愛に包まれその大きさに圧倒されました。

 悩んで辛くてめげて、でも前を向かなくてはいけないと言う葛藤を、仏教は救うことができるか、私はまさに義母との軋轢と苦しみから逃れるために仏教会に入り法華経を唱えて道場に通いました。でもそれで救われたわけではなかった。生きていくのが辛くてたまらない、私は孤独だと大粒の涙を流したゲストがいました。彼女の部屋には、オークションで買ったという大きめの原始仏教のような仏様が置いてあり、その写メを見せてもらった時、私は「ああ大丈夫だ」と感じたのです。自分を救うのは自分でしかない。その自分を強くする手立てが、仏像なのかもしれません。講堂を出て金堂に入った時、そこにいらした阿弥陀如来様を見て、私は衝撃を受けました。こんなにも大きい御姿を作れる人がいるのだ。芸術は救いになる。他人にはわからない個人の領域の思想、それが聖徳太子の考えた仏教なのか、表現が深い芸術の段階、それは仏像なのでしょうか。

 苦しんで砂嵐の渦に巻き込まれて、這いつくばって耐えて抜け出さないといけない、そんなつらい目にあいたくないのだけれど、そうやってやっと抜け出した時に、そこに大きな仏様の優しい顔があったらどんなに救われることでしょう。接骨院をしていた時沢山の若い方が働いていて、世話をしていたのだけれど、気性の難しい男性がいて、独立してからも盆暮れに欠かさずお酒を持って挨拶しに来てくれていました。でもしばらく休業していると風の便りに聞いて、そして最近自死してしまったのです。彼はこの世に生を受けてから、ずっと生きづらかった。生きるのが難しかった、生きられなかった。星野源さんが、小さい頃から自分の話すことや意識が他の人と違っていて、いつも孤独だったと言っていたけれど、それを自分のスキルである音楽に落とし込んで昇華させ、沢山のファンを惹きつけて活動しています。何とか砂嵐の中をくぐり抜ける胆力を持たなければなりません。それはすべての人間が今持たなければならないものなのかもしれません。世界は砂嵐の入り口に入ろうとしている。

 夕方のニュースで、災害救助隊の方の訓練の様子が報道されていて、何があってもどんなに大変でも、救助することを諦めません。そのために体を鍛えて頑張っている、自分が頑張れば人が救えるという言葉を聞いていて、結局人は人のためにしか生きられない、そして仏様はいつも見守っている、あんなに大きくあんなに深く存在しているのです。東寺の仏像の中に男女の人間を踏みつけにしているものが在り、踏まれている人は幸せそうな顔をしているのだそうです。何でなのでしょう。常不軽菩薩のようにどんなに乱暴されても迫害されてもそれすら自分の糧になると思うのでしょうか。人間が苦しい時救われる道は人のためにつくすこと、人を救える何かを産み出すこと、それは仏像もそうなのでしょう。

 次の日の朝8時に六波羅蜜寺へ行き、空也上人の像を初めて見ました。痩せこけていて悲しい虚ろな目をして、それでも口から南無阿弥陀仏の像が出ている。六波羅蜜、人がこの彼岸に至れるよう6つの徳目を理解し、日常生活の中で実践することが大切である。

見返りを求めず、応分の施しをすること。自らを強く戒めること。いかなる辱めを受けようとも耐え忍ぶこと。普段の努力を続けること。冷静に自分自身を見つめること。仏様から戴いた生きるための能力。

これが6つの徳でした。

京都へ来て良かった。東寺と六波羅蜜寺を訪れることができた。大きな強い磁力を感じています。進める。また柴又で歩むことが出来ます。小さな東京のはずれの小さなお寺の帝釈天だけれど、いつでも京都の大きな仏様のもとへ瞬間移動して、仏教彫刻の細かいあれこれを見返すことが出来るし、言いたい事を膨らますことが出来ます。

 

 人間の深い部分、不可解な自己を見出し、それをいかに意識できるか、日本人の精神がより強く、深く表現されている興福寺の阿修羅像、東大寺の仏像彫刻などは、人間の意識などと言う生半可な像ではもはやなくなっています。聖徳太子の時代だろうが、現代だろうが、私たちは何のために生れてきたのか、何のために生きていくのか、その解答を求めてもがいている気がします。生老病死、苦しみ、戦い、良いことも悪いこともたくさんある中で、何で生きているのか、たとえ死に直面しても残る「本当に大事なこと」は、「私はこのために生れてきた」と言えるものが在ることです。なさねばならない目的、生きる目的が鮮明であること。仏教とは自分を作る教えであり、自分を作りつつ他人を救っていく教えであるから、自分自身で心に灯をともして、自分自身を照らしていくことが大切なのです。

 

若い頃、イスラエルの哲学者マルティンブーバーにとても心を惹かれ、その本を熱心に読んだことがあります。

「聴く力とは単に言葉を聞きとることだけでなく、感覚を研ぎ澄まし、心を開き相手の立場を察して理解すること」 これが、私が目指している体験です。自分の生き様もさらけ出しながらゲストと触れ合う。マルティンブーバーの「我と汝」という関係は、私が、私が何かをするというのではなく、あなたと言う対象物がいて、それに関わる自分がいるだけ。私は透明になって相手の中に入り込むためにあらゆる努力をします。それは言語だけでなく、表情なり気配なり呼吸までも感じつくしたいからです。自分が存在し何かを表現したいならば、そのためにはより強い磁場を持つ相手を自分の中に投影したい。それは逃げでもなく模倣でもなく、自分から遠ざかることによって相手が自分の中に入って来る。

 私の体験は、そこに着物や仏教や茶道がかかわります。私のちっぽけな思惟など吹き飛ばすようなインパクトのある日本の文化の前に、ゲスト達は時として言葉を失うのです。京都で得た仏さま達が自分の後ろにいらして守って下さる感覚、うしろ向きに走って行って、そのまま倒れ込める感覚、平知盛が最後にうしろ向きに海に飛び込める胆力、違うものなのでしょうが、なぜかしっくり感じられるこれらを、しっかり考えていきたいと思っています。

ハリソン・フォード    2023年8月

毎日何でこんなに暑いんでしょう。今日来る予定だったパブロ君が、胃が痛くて治らないので、キャンセルすると連絡してきました。とても楽しみにしている彼だったから、可哀そうに思いながら、あと二人来る予定の40代の女性たちは大丈夫かしらと心配していると、お土産の袋をいくつか下げたブラックビューティーさんがドレッドヘアで華々しく登場、やはり女性は強いのです。

同じ職場で働く二人はボストンに住み、今日は浅草で日本人形やカップを買ってきて、十日間の休みを東京で過ごし、明日は富士山へ行き旅行終了、ショッピング三昧の日々だったそうです。独り者のジャスミンにまず振袖を羽織ってもらい、次に青い訪問着に白い帯を締めたら、170㎝以上あるすらっとした彼女はとても素敵で、でも時々妙な声を上げる面白いキャラクターです。

 ちょっと小柄なシェリルは初めとてもクールで、37歳、子供は女の子が三人で13歳が一番上のしっかりしたママで、やはりブルーの訪問着を着ていろいろ写真を撮るうちだんだんはじけてきました。お茶には興味がないようだけれど一応飲んでもらい、ジャスミンは顔をしかめて拒否したけれど、シェリルは作法のレジュメの紙を写メしていました。

 浴衣に着替えて外に出るとムッと暑く、汗を拭きふきお寺へ行くと、シェリルはそこらじゅうで写真を撮りまくって居ます。ジャスミンより肌の黒さが濃いので、私はなるべく明るい所で彼女を撮るように努力しましたが、帰り道アイスを食べながら歩いていると、子供用の浴衣はどこで買えるか聞いてきました。一応浅草と答えたら、何時まで営業しているか気にしていて、三枚買うことが使命のようです。三人の大きさを知りたくて、家族写真を見せてもらったら、旦那さんはハリソン・フォードのような方で、私はびっくりしてしまいました。彼女が23歳の時12歳年上の旦那様とバーで知り合ったそうです。

 うちに着くと、子供用の浴衣や着物が入っているボックスを見てもらい、赤いキティちゃんの浴衣、ピンクの長襦袢、そしてしっかりした青い着物を選んで帰りました。これだけのものをお店で買うのは大変だし不可能です。最近はメルカリに今どきの可愛い浴衣が出品されていて、今年の夏は子供連れのゲストが多かったから、こまめにチェックして何枚か買いました。おばあちゃんが孫のために成長に合わせて作った紺地のしっかりした浴衣は、今の東京ではどうしても暑くて、「松田聖子」ブランドの浴衣をついゲストの女の子に着せてしまう私ですが、今回シェリルがたくさん子供用の着物が入ったボックスを開けていろいろ取り出し、迷うことなく選択した姿を見て、お母さんの愛情を感じたし、未使用の子供用の長襦袢を可愛いと子供に着せた時どんな感じになるのかわからないけれど、今どきのファッションセンスの上を行くモノになるのかもしれません。

 

 ずっと前にノルウェーから来た中国人のママが最後まで無表情でいたのが、プレゼントのコーナーで好きな着物を持って行ってといった時、目が輝いて家にいる娘さんのために赤いウールの着物を選んで、それを持って私に抱き着いてきた時のことを思い出しました。やっぱり、着物は、日本の文化の本質は、 “愛”なのです。

 

 後日談 

  シェリルは家に帰ってから、三人のお嬢さんたちに着物を着せて、日傘をさしてポーズを取っている写真を送ってくれました。お姉ちゃんが左前に着ていて気になったけれど、まあいいかと思って「素晴らしい!」とメッセージを送りました。

 それからかなりたったある日シェリルからまたメールが来て、お姉ちゃんが学校で日本クラブ?みたいなものに所属していて、文化祭の時に日本についていろいろ調べて展示し、ブルーの着物を着ていろいろ説明している写真が添付されていました。あの母にしてこの子あり。シェリルの人間性というか考え方は凄いなと思うのです。だから旦那さんは好きになったんでしょう。今回は着物の着方の説明を書き、住所を知らせてくれればいろいろ日本グッズを送ると添えたけれど、Gメールはなかなか読まれることがないので返事は来ません。でもいつか偶然読んでくれたら嬉しいな、本当に面白いつながりができました。

ニューヨーク    2023年10月

 最近は夫が出かける日は雨が強く降り、成田でのゴルフは横殴りの雨の中でやったし、義母の弟妹達が集まる会に呼ばれて行く15日もしっかり雨が降っています。今日はニューヨークから30代の夫婦がやってくるのですが、なかなか雨が止まず、柴又へ行けるか心配してずっと外を見ていると、一時ちょうどにレインコートを着たさらさらのロングヘアの美女と、白いキャップを被った目のくりくりした男性が現れました。「時間ぴったり!」と私が感心して言うと、旦那さんのエヴァンは私の目をじっと見て、人懐っこく握手をしてくれ、奥様のエイミーはクールに微笑んで赤い折り畳み傘を畳んでいます。

これまでは旦那さんがクールで奥様がエモーショナルなカップルが多かったので、感情過多のエヴァンにちょっと戸惑いつつレインコートを拭いてハンガーにかけ、中に入ってもらいお茶を出しました。今日は彼らだけの一本勝負、まず身辺調査を始め、苗字がポラックで私は映画監督のシドニーポラックのことを思い出し、確か彼はユダヤ系だった気がして、エヴァンにポラックと同じ苗字だねと言ったら、ペンシルベニア生まれニューヨークで保険の会社を経営していて、ユダヤ系アメリカ人、ユダヤ教徒だそうで、エイミーとは大学時代の同級生、結婚して4年で昨日が結婚記念日、エヴァンは4人兄妹、エイミーは一人っ子でベニーという犬を可愛がっているというところまでわかりました。

 冗談を言いながら話すエヴァンとクールなエイミーの落差が気になりながら、着物の色は紫が好きと言われ、おとといメキシコのナンシーが着たちりめんの紫の振袖を出したら気に入り、エヴァンと帯や小物を選んで、さらさらの髪は何とか私が結い上げ髪飾りを付けて、綺麗な振袖姿が出来上がりました。メキシコさんは体格が良かったので私サイズの大きい長襦袢を着せたのだけれど、エイミーは細いから普通サイズを着せたら衿が均等にそろわず、髪もあまりうまくいかずに痛恨の着付けとなったのだけど、素晴らしい着物姿になり、久しぶりに出した男物の袷をエヴァンに着せ、雨が止んだので急いで柴又へ向かいました。

 クールなエイミーも変身した自分の姿が気に入り喜びながら、中にはいた黒の細身のジーンズが下がってくるのをあげたり、おくれ毛が顔にかかるのをかき上げたり、草履で歩くのに苦戦もしています。その前の日は二人のゲストが仲良くしゃべりっぱなしだったので私は聞いていただけなのだけれど、今日は4時間全く気が抜けず、会話を繋ぎエヴァンのツッコミを返し、エイミーの表情を見ながらいつものコースを辿りました。ユダヤ教だから、仏教彫刻もアメイジングなアートとして説明し、バイオリンを弾くというエイミーはサルバトーレ・ダリが好きで、エヴァンはサックスを吹くと言います。

 おととい日本に来て次の日はエアビーのゴーカート体験をし、明日は刀体験をする体験尽くしの東京滞在の中の私の着物体験は予定コースを回り、駅に近づいたところで電車が行ってしまい、待ち時間15分という厳しいシチュエーションを迎えました。駅のホームで寅さん映画のポスターがあり、美女30人に囲まれた寅さんを見ながらエヴァンにどの女性が好き?と聞いたら「浅丘ルリ子」を指さすので、感じはエイミーに似ているとおかしくなりながら、15分トークを始めました。ニューヨークの文化は何?と聞くと「busy」と言われ、日本の文化は「kind」とエイミーが答えるのを聞いて、私は文化というと芸術的な演劇や美術、音楽を連想するけれど、彼らの中では社会の中で生活する時の自分の感覚なんだと知り、その頃からエイミーが真っ直ぐ私の目を見て話をしてきました。ホームレスはなぜアメリカに多いのか、エヴァンは家賃が高いと言い、政府がシェルターを作っている話をして、テレビで見たニューヨークでのイスラエルとハマスの戦争に関する抗議デモも大丈夫、危険ではないというのです。

ネイティブアメリカンのハーフのジャネットの話をして、三人の子供がいて経済的にも成功しているけれど、両親にも愛されず、誰からも愛されないで孤独だと泣かれ、私は何も言えずただ抱きしめていたというと、それはいつの事だというので最近だと言いながら、今までのゲストと話したことのない話題だと、単語がわからないし文章が作れないのです。初期の頃、カナダの学生夫婦と宗教の話をずっとしていて、言いたいことがたくさんあるのに上手く伝えられなかったジレンマを思い出しました。最後には黙って歩いて帰ってきたのだけれど、翌日の朝、お礼の気持ちだと言ってメープルキャンディーを玄関に置いたというメールをもらった時、私は心が通じるために何が必要なのか考えたのでした。今回もそうです。ちゃんと伝えきれていない、エヴァンはなんで初めて来たゲストがそこまで打ち明けるのか疑問に思っている、エイミーも腑に落ちないのはわかるのですが、私はどうしてもエイミーの中に深い孤独感を感じ、だからジャネットの話をしたのです。

優しくて温かい夫、仕事も順調、きれいでスタイルも良くて、人目を惹く着物姿でエヴァンとラブラブのポーズを撮った写真は、彼女の本質的な優しさを映し出しています。心から幸せを感じているゲストの顔は神々しいくらい綺麗です。でも、ふっと素に帰った時見せる冷たい気持ち、相反する心を彼女はずっと持っている。一人っ子で両親に愛され、優れた教育を受け同質の夫を持ち、仕事の合間に世界各地を旅行して美味しい料理を食べる。でも、それを良しとする世界はもう終わっています。

 星野源さんの「仲間はずれ」という歌を聞きました。

生まれ 初めの 数秒  自由はそこまでと言うの  椅子取り 繰り返すと 血の染みる足元

長く椅子に座れぬ 同じ場所じゃ 壊れる   移ろう 人は置いていく 常識は老いていく

君の舵を取れ 誰かの視線に 唾を撒け   未開の闇に舵を切る 独りになる そこは座れる

仲間はずれありがとう 切り捨てられ 気づくと 自由を手にしている 出会う掛け替えない 個

上をめざす鬼ども 宝島はしょぼいもの 幸福は2秒前の温もりに隠れる

生活の波間で 輝く羨みに 背(せな)をむけ  心の愛の舵を取れ 自分の視線に唾を吐け

未開の闇に舵を切る  独りになる  そこに座る

灯りとなる

 

腹をくくってここまで言っているのです。生まれて物心ついてからずっと、周りの人々と違和感を感じ続け、誰ともつるめず幼稚園の園庭で一人で踊っていた星野さん。椅子取りを繰り返せというけれど、いつの間にか足元は血に染まっている。

みんなと同じ場所にずっと座っていられない、こわれてしまう、だったら移ればいいのだ  自分の舵を取る、未開の舵を取る、そこはひとりになれ、そこは座れる。その力を自分で持つしかない。

切り捨てられ、仲間はずれにされると、そこには自由があった かけがえのない個があった

心の愛の舵を取る。未開の闇に舵を切る。一人になる。そこに座る。灯りとなる。

 

ああそうかと思います。これでいいんだ、これしかない、この混迷の世の中を生き抜く指針は、自分で作り出すしかない、それを核にして繭を紡ぎ、大事に育て、そして光る努力をし続け、ただ灯りとなればいいのです。

いろいろな人生があります。独身のゲスト、シングルマザーのゲスト、沢山子供がいるゲスト、子供がいない夫婦のゲスト、一人きりで旅行しているゲスト、紛争の絶えない国から来たゲスト、残虐な政権に身内を虐殺されたというゲスト、私の英語力には限界があって、聞き取ることも話せない話題のこともたくさんあります。でもやっとわかってきた。それらをみんな引き出しに入れて行けばいい。

別れ際、エヴァンは凄い力でハグしてきた。エイミーのハグは軽くて硬かった。いつかまた彼らと会いたいなと思います。エイミーの孤独感も全部含めてエヴァンは愛そうとしている。愛している。でもエイミーは孤独な影をずっと持っている。

 でも、私も孤独です。一人きりでいます。すべてから自由になっている今、かけがえのない個であり続ければ、灯りとなることができるなら、ただ光る努力をすればいいのでしょう。

インドの孫  2023年6月

世の中にはいろいろな人がいます。いつも行く柴又の参道のお店の方もいろいろな境遇の方々がいて、独身の家系の方、離婚したおじさま、子供がいない夫婦、七人の孫が宝だという方、それぞれです。私は3人の子供がいるけれど、孫はいない、息子は悪い血は絶やすと言っていたけれど、否定できないところもあるのです。私がずいぶん苦しんで大きくなり、今だ大変な思いをしているので、同じ思いをしてもらいたくない気もする、そして世界の情勢は日ごとに悪化し、ウクライナでは川の堤防が破壊されて大変な被害が起き、人々は避難しているけれど農作物の被害も甚大で、世界中の食糧事情がもっと悪化すると報じられています。

 今度ミサイルを発射する時は予告をしないと北朝鮮は言い放ち、異常気象で海の状態が変わり魚たちも右往左往している、美食だグルメだ旅行だと言っている暇はなく、アカウントもハッキングされる事態に陥るなら今のうちにペーパーに今までのブログを留めて置く必要があると感じています。事態は刻々と変わっている。これから恐ろしい暑さが襲ってくるだろうし、カナダ東部の山火事の影響でニューヨークの大気汚染は最悪とか、聞こえてくるワールドニュースはだんだん恐ろしくなってきています。

今日ゲストで来たインド人夫婦はシンガポールに住み、パパは銀行員、ママはヨガインストラクターでお見合いで結婚したそうで、真面目な旦那様と綺麗な奥様と3歳の活発な男の子でした。シバ君は中に入るや否や刀で遊び始め、メルカリで買った甚平さんを着て七五三の雪駄を履き、楽しそうにお寺でも駆け回り、だんだん私に馴れて来て手をつないだり抱きついてきたり激しさをましてきます。亀が好きで、電車が好きで、パパが空腹で入った蕎麦屋さんでも食べ散らかすし呆れながらも、私は孫には責任が無いから可愛いという皆様の気持ちがわかって面白かったのです。

息子が生まれた時心から可愛がる私の姿を見て、よく義父に甘やかすなと叱られていたのですが、でも子供に対しても今うちに来るゲストに対しても強い愛情を覚えることが罪悪なのか不思議なのだけれど、一期一会の四時間の付き合いのインドの男の子に別れる時首にしがみつかれて、これが孫なんだと納得しました。自分の子供を可愛がることをセーブされたことは今でも心に残っているのだけれど、その反動で一期一会の外国人たちに四時間思いっきり愛情を注いでいます。

「人生とは、今生きている、この瞬間のこと」 初めて日本に来て、着物を着て、お茶を作法通り飲んで、お茶を点てて、飲んでもらってああおいしいと言ってもらうって、日本人だってそうある経験ではないのかもしれません。ほんの15分ぐらいの短い時間なのですが、自分の心の中に平安があって、時間を超越した美しくシンプルな場所で、幸せだと思える時を味わってもらえれば私はうれしいでのす。感情をコントロールし、エネルギーの方向を定め、技術を尽くして仕事をしていきたいと思っています。
 

図書館で茶席の禅語ハンドブックというのを借りてきて、パッと開いたら「柳は緑花は紅」という有名な言葉がでていました。

 すべてはあるがままにある。そのあるがままのものが、あるがままに見えてくるまでには、苦しい道程を経なければならない。一度徹底的に疑い、否定し、模索して見なければならない。当たり前のことが当たり前でないから、人間界のさまざまな苦しみがある。

 

 年を取ってきてやっと見えてきたものを、大事にしていきます。

加山又造    2023年9月

フィリピン旅行を挟んで、8月はとても忙しく、そして暑かったのだけれど、9月になると週末が暇で余り予約が入らないのは何でだろうと思っていました。日曜日に来た中国人のゲスト、小柄な27歳のジャーナリストと大柄な23歳の従妹の女の子たちは前日、門前仲町に住む方の街案内ツアーに行ってきたそうで、歴史がよくわかったと言っていました。まずい、私はあまり年号とか話さないと思って、翌日そのサイトを調べようとエアビーの東京の体験というページを調べると、その方のサイトも私のサイトも見つかりません。えっカットされているのだ、だから予約が入らないと納得、それにしても若い方々の体験が増えていて、これらを根付かせるためには、古いのは抑えておきたくなるのもわからないではありません。あらためて考えると、私の体験は異常です。やり過ぎかと自分でも思うけれど、やることがあり、与えられるものがあるのなら、先の見えない今、できる限りのことをやり、次はもっとレベルを上げてとことん前へ進みたいと思うのです。

 フィリピン旅行の体験は私にとってとても大きく、ハイクラスのレベルの旅行ができて、一期一会の出会いやすばらしい風景、裏の村の佇まい、喧騒の街中など、義母の甥っ子さんがプログラミングして下さったこの旅は、一般の旅行会社のものとは根本的に違います。どれだけのものを私は得ることができたかを振り返った時、私の体験も同じように考えられないようなものをゲストに感じてもらえたかが勝負だと思っています。

 ジャーナリストの女の子は頭の回転が良く、良い時代に勉強できたそうで、そして「客家」だとのこと、今調べて見て、これは重要なことだと気がつき、フィリピン旅行でお世話になった中国人の社長に伺うと、おそらく福建省の方で台湾に近い所に住んでいて、海外に移住する伝統があり、華僑がたくさんいる素晴らしい民族だという返事が返ってきました。

 現在の中国でジャーナリストとして働くことは大変困難で、いろいろなアクシデントがあるようですが、彼女は頑張っていて、ロンドンでも勉強したのだけれど、以前は素晴らしいとところだったのに、今現在はとてもダークに淀んでいる、政府の言うことは正しくなく歪められた報道が蔓延して、圧迫も統制も世界中にはびこっている中で、どうやって生きていくかということを彼女たちは本能的に模索し、優れた能力で進もうとしています。日本の着物生地で作られた素敵なデザインの彼女のチャイナドレスのような洋服は、リメイクしたあまりかっこよくない日本の着物生地の洋服とは根本的に違っているのです。

 従妹さんは私と同じ体型で、もっさりしていて黒いパンツに黒いTシャツを着て、英語が話せないので無表情に佇んでいます。私はこのタイプは大好きで、とことん構いながら話をして翻訳してもらうと、美術大学の学生で繊細な優れた作品を作り出し、好きな画家は日本人の「加山又造」だというので驚きながら、彼女の好きそうな着物を探しました。この前バングラデシュ人のタイファが着た黒留袖がいいというのだけれど、上半身が黒でどう考えても地味なので、芸術家の彼女にふさわしい、大黒振袖を着せました。百花繚乱の手描きの模様が書かれた重厚なこの着物は、大柄で黒髪の彼女にぴったりで、派手な赤い長襦袢、その上に黒い振袖、袋帯に総絞りの赤い帯揚げ、あやさんの形見の帯締めを締めて、豪華な振袖姿が出来上がりました。ダークな色のものしか身に付けないという彼女なのに一番高価な赤や金の小物を選び、赤い花模様の長襦袢は着物の下に着るもので、長い袂からほんの少ししか見えないけれど、それも奥の深いもの文化の一つのだということを、彼女は徐々に理解してきているようです。

 髪飾りを付けてはじめは扇子やバッグを持って恥ずかし気にポーズを撮っていたのが、刀を持たせると豹変して、凄みのある目をしながらカメラに収まり、時々アップのアングルまで要求してきます。この子はこの着物の価値をわかっている、加山又造さんの桜や鶴の絵が頭の中をよぎります。ジャーナリストの女の子は雄弁で色々なことを話してれ、IT関係の記事を書いて日経新聞にも寄稿しているのだけれど、ちょっとおっちょこちょいでお茶のお点前は上手くなく、帰りも和装バッグの中にカメラレンズの蓋を入れて忘れ、取りに戻ってきました。無口で表情が無かった従妹さんは馴染んできて、私が撮ったセルフィにも素敵な笑顔を残してくれました。将来は大学で美術を教えたい、日本文化も着物も大好きになったそうです。良かった

Taste of China 2023年7月

35度を超える暑い日曜日にやってきたのはコネティカット州で「Taste of China」というレストランを経営しているパパとママと、バレーボールのコーチをしている26歳のジョイスと15歳のジョアンナの四人でした。早々やってきたファミリーは近くのコーヒーショップで涼んでから一時ちょうどにやってきたのですが、少し前に去年七五三の着付けをしたなるき君がおじいちゃんおばあちゃんと家の前を通りかかり、私を見つけて入ってきて、刀で遊びたい、二階や屋上へ行きたいとリクエストしてきたのです。

 七五三の着物を着たがらないので何とか説得するため、刀で遊んだり屋上で戦ったりいろいろ手を尽くしたことをまだ覚えていてくれたんだと私は嬉しくなりましたが、もうすぐゲスト達が来るから今度ねと言っていたら、外に四人の人影が見え、私は仕事モードに突入し、なるき君にさよならも言わないで別れてしまったのだけれど、きっと彼はあっけにとられたことでしょう。パパは英語はわからないけれどジョイスは何回も日本へ来ていて、日本語も上手で、少し涼んでから立派な体格のパパにはお相撲さんの浴衣を着せ、女性陣は髪の毛が多くて硬いので苦戦しつつ何とかアップにまとめてかんざしや花飾りをつけ、それぞれ浴衣を選んできてもらうと、清々しい家族の肖像が出来上がりました。 

 それぞれ写真を撮り、夫婦のツーショット、姉妹、父娘と、うちわを持ったり刀を持ったり、肩を組んだり目を見かわしたり、様々なポーズをとる皆さんは嬉しくて、とても幸せそうでした。柴又へ行くのは諦めて、ゆっくりティーセレモニーをして、四人にお茶を点ててもらい動画を撮り、二階で神棚や仏壇、たたみ、障子、鎧を見て、最後は枝豆に日本酒、ビールで乾杯しながらいろんな話をしました。中国政府の政治に不満を持つチャイニーズアメリカンは多いのですが、彼らもアメリカに渡り、レストランで仕事をしながら子供を育て、暮らしているのです。美味しいのは麻婆豆腐だそうで、そんな話をしながら今日はどこへも行かないうちだけの体験を終え、ママとパパには長襦袢やウールの着物、娘さんたちには桜の髪飾りをプレゼントして、みんなは楽しそうに帰って行きました。

 

 柴又へ行っても仏教彫刻には興味がなかったかもしれないし、今日はこれで良かったと思いながら家族四人で浴衣を着て掛軸の前で撮った写真を見ていて、あっと思いました。日本の家族でもこうやって浴衣を着て写真を撮ることなどあまりない、ましてみんなで抹茶を点てて飲み合うなんてこともない、でもこの文化というものが、民族は違えど人の心に染み入るものなのでした。パパの嬉しそうな顔、アップにした髪が素敵なママや娘さんたち、初めての浴衣を着て、涼しい日本の家の中で穏やかに四時間過ごしたことが、結局日本文化の本質なのかもしれません。

スカンジナビア半島は良くない?   2023年10月

このところ、出身地と今働いているところが違う国というゲストが増えてきました。昨日はノルウェーとデンマークから来るというので、早めに昼ご飯を食べて12時過ぎに玄関のチェーンを全部開けていると、もう向こうから外国人の小柄な女の子が歩いてきます。黒のショートパンツにTatooをたくさんした白い足がのぞき、これはノルウェーから来たメリッサだとわかり、声を掛けると「早すぎちゃって」と小さな声で言うので、大丈夫と中へ入れました。まだ抹茶も漉していないし、支度しきれてないけれどまあいいかと思い、お茶を出して話していると、Tatooをたくさんしているけれど参加してもいいか?という質問を予約する前にしてきた女の子には思えないほど静かで温和なのです。話す言語は英語とイタリア語とプロフィールにあったので、ノルウェー人ではないとわかっていたし、職業はバーテンダーとあるのでプロフィールの写真のようにパンクっぽいタイプだと思っていた私は拍子抜けしたのですが、ローマの近くの町で生まれ育った彼女は、イタリアは経済も悪いし好きでないから高収入が得られるノルウェーを選んだけれど、怒ったように聞こえるノルウェー語は嫌いだし、有名な食べ物はポテトとサーモンしかない、職場とスーパーと家は近くて面白くないようです。趣味はお化粧、好きな色はピンクと言いながら、水色とピンクの花が咲き乱れている振袖を選んでいると、次のゲストが定刻に現れました。

長い黒髪の大柄な美女は、スペイン語で予約サイトに返事をして来たから、どこの国の方かと聞いたらアルゼンチンと答えたのだけれど、お父さんはクロアチア人、お母さんはイタリア人で自分は2年前からデンマークのコペンハーゲンで料理や映画などのアートディレクターをして働いているとのこと、日本には一か月前からいて京都、奈良、金沢、広島など各地を回っていて四日後に帰るそうです。名だたる観光地を回り、楽しんできた彼女は柴又で満足できるか不安になったし、32歳でイタリア人好みの薄いブルーの訪問着を選んだものの、かなり大きいヒップなのでちゃんと着られるか、このまま電車に乗って柴又へ行けるか心配になりました。

先に着付けたメリッサは丁寧に化粧を始め、簡単にアップにした髪もずっと直しています。このタイプは自分のテリトリーのヘアメイクとメイクアップにずっと捉われているから、着つけに対してはあまり関心がないのはこれまで来たゲストで経験しています。ただ絽の長襦袢や伊達締めなど使ってきちんと振袖を着せたから、さぞ暑いでしょう。アルゼンチンのヤネットは長い髪をアップにして沢山髪飾りを付け、着物もちゃんと着ることができ、ティーセレモニーも終わって無事柴又へ出かけました。暑い?と聞いたらそんなでもないと言いながら、振袖のメリッサは扇子で煽ぎ続け、工事の保安員のおじさん方に「綺麗だね」と声を掛けられつつ駅に着くと、イタリアのヤンキーの彼女はだんだん地が出て来て、スマホの中のスイカのアプリをヤネットに教えたり、ヤネットの知らないゴスロリの話や、パンティーマンと言うハレンチなドラマの話をしたりしてけらけら喜んでいます。どう考えても前に来たノルウェーの20代前半でしきたりのように結婚する意志もなく同棲しているカップルの静かな性格とは全く違うから、ノルウェーよりイタリアにいたほうがいいのにと思うのです。ローマは観光にはいいよねとヤネットは言うけれど、経済も雇用状態も政治も悪い、ノルウェーは経済も賃金もいいけれど税金や物価が高い、日本はまだいろいろ安くていい国だと二人は口をそろえて言います。

偶然ですが、この日の夜にノルウェー人で世界各地を回った後日本に行きつき、今もずっと住んでいる女性のインタビュー番組があり、日本はあいまいでファジーで、変に重苦しくないところが暮らしやすいとのことです。お父さんは宇宙開発の研究者でイタリア育ちのイギリス系ノルウェー人、お母さんはノルウェー人のキャビンアテンダント、スウェーデンで知り合い結婚、ストックホルムで生まれた彼女は生後2週間でローマへ行き、その後フランスで暮らし、幼少時多くのヨーロッパの国で過ごしたおかげでペンタリンガル(五か国語を話せる人)になったのだけれど、いろいろな国で育ったので自分のアイデンティティに悩むようになったのです。母国語は三つ、ノルウェー人のお母さんとはノルウェー語、イタリアで働くお父さんとはイタリア語、イギリス人のおばあちゃんやベビーシッターさんとは英語で会話しながら、いつも周りがどんな言葉を話すのか注意していました。日本との出会いは4歳の時おばあちゃんからもらった日本人形がきっかけで、人形が大好きで沢山の人形で遊んでいた彼女は、綺麗だけれど壊れやすい日本人形は棚の上に飾って、憧れを持ちながら眺めていたのです。

うちにあった市松人形を持って行ったインド人のゲストから、ベッドルームに飾ってある人形の写真が送られてきました。民泊ホストをしている方のお母様の作品の木目込み市松人形はしっかり自分の居場所としてインドの国のおうちで暮らすことができると私は安心しています。人形にもアイデンティティがあるのです。

高校までフランスで過ごしたヴィックスさんは、大学はお母さんの故郷のノルウェーを選び進学しました。家ではノルウェー語を話していたのだけれど、ノルウェー政府は方言を混ぜた新しい共通語としてのノルウェー語を作り、敬語も禁止で、古い言葉を覚えているヴィックスさんは皆から何をしゃべっても笑われ次第に無口になり、自分が何者かわからなくなって悩むようになりました。日本ではみんな英語をしゃべりたいから、学校で英語を早くから教えようという動きがあるけれど、何処の国の英語か、言葉の本来の意味まで考えるのならその言語の歴史や文化まで考えなくてはならない、ノルウェーのように政府が言語体系を変えてしまうこともあるのだということを知り、日本古来の歴史も文化も知らないまま外国語を話そうとするのは危険だと、今私は痛切に感じています。スペイン語しか話せないチリのゲスト、ドイツ語しか話せないウィーンのゲスト、四苦八苦しながら手真似でコミュニケーションを取り、最後には日本語を覚えてもらったこともあったけれど、最終的に私が提示するものは着物の質感、羽織った温かさ、そして初めて着物を着た自分の姿の美しさであり、柴又のお寺の日本庭園、仏教彫刻の素晴らしさなのです。それらが私の原風景であり、私のアイデンティティはこうやって作られたということ、そしてエアビーの仕事を初めてそれを異国人たちにいかに伝えるかと考えている私は、たとえ世界中の言語が話せたとしてもできないことがあると思うのです。

私は前にタクシーで華々しくやってきたけれど、最後に孤独だと泣くネイティブアメリカンのジャネットに、何の言葉もかけられなかったけれど、その時に何の言葉も必要ないと思っていました。私が69年生きて来て辛かったこと、悲しかったこと、惨めだったこと、それとみんな同じ感情なのだから、それを認めて大事にしてあげて、それからまた前へ進めばいい、解答なんてないのだから、ただ自分が自分として誇りを持って立っていればいい、年の功とはこういうことなのか思うけれど、影響を受けた文学、音楽、美術、すべてが助けてくれるし、すべてが支えてくれる、だから私は泣くジャネットを心からただ抱きしめることができる。

 昨日のゲストは若くて生き生きしていました。何でもできる時代になり、何処へでも行けるけれど、沢山の人が殺され続けている時代でもあります。今笑っている自分達の運命が明日どうなるか、わかりません。でも、訪れてくれる外国人がいて、考える材料があり、手段も、磨けばいい技術もあることはありがたいことです。

それにしてもスカンジナビア半島は良くないと話す二人の会話を聞いていると、やっぱり唖然としてしまう狭い島国の私です。

ジョーカー   2023年8月

今日はフランス人の女の子とマダガスカル出身の彼氏がゲストとしてやってくる日で、マダガスカルという地名は私にとって魅力的に響き、とても楽しみにしていたのだけれど、急にキャンセルの知らせが入りました。いろいろ事情があるだろうし、彼にはサプライズだと書いてあったから、着物よりもっと興味のあるものがあると言われたのかしらからなどと思いながら、あと二人のフランス人のゲストを迎える支度をしていました。ゲストの人数が四人と二人では、各段に私の疲労度が違うのだけれど、ゲスト同士の会話がない分余計頑張らなくてはならないし、フランスから来ると言ってもアジア人の場合もあるので、自分の気持ちは決めず十分遅れのゲストを迎えました。

180㎝のニコラは、髪をサムライスタイルに結んだイケメンくん、カミちゃんは黒髪のロングヘアのフランス人ぽいフランス人で、二コルは4回目の日本だそうで日本語も少し話します。オタクでシャイな二コルは今までは一人で来ていて、今回は4年前にオンラインで知り合ったフランス語の先生のカミちゃんと一緒なのだけれど、最近の傾向で、二人でいてもラブラブで幸せというオーラはあまりなくて、二コルは時々深い目をしてじっと私を見つめてきて、この子たちは何かを探しに私の体験に来ていると気が付きました。フランス人だなと思ったのは、彼女のどんなとこが好きか聞くと、シニカルで「嘲笑主義者」なところとスマホで翻訳して見せてくれて、彼女はジョーカーだというのです。そして私のサイトのコメントが、sensitiveだからこの体験を選んだと言われ、最近はそこがポイントなんだなと思う、アシュレイもアジア系の若い男の子たちも、ロン毛を後ろに結んだアメリカ人のベンも、同じことを言っていて、その感覚がなんだか知りたくてわざわざここへ来るのです。

 着物を着てたくさん写真を撮るためにきているわけでもない、私はとりあえずカミちゃんと遊ぶことにして、714日の革命記念日には花火がたくさん上がるという話を聞いて二人で「ラ・マルセイエーズ」を電車の中で歌ったり、自撮りして楽しみました。彼らの住むストラスブールはドイツの国境が近く、イタリア人とのハーフの二コルとユダヤ人のカミちゃんのカップルは独特のオーラを持ち、暑い中お寺へ行って彫刻エリアに入ると、イラストデザイナーのニコラは熱心に見ているので、彼の作品をスマホで見せてもらうと、指輪物語の素晴らしいイラストがありました。私にはわからないけれどゲームなどいろいろなバージョンがあり、感性豊かな彼はいろいろ複雑な思いもあるようで、だからここにいるのでしょう。それにしてもコロナ前は女の子が着物を着たくて彼氏はお供で写真を撮っていたのだけれど、今は私が何を提示するかが見たくて彼女を連れてくるのだから、世の中は急速に変化しているのです。

 山崎ハコや梶芽衣子や杏里の歌が好きな彼と、読書が好きで村上春樹はもちろん読んでいる彼女に日本の作家の誰がいいか聞かれて私は吉本ばななを勧めたけれど、彫刻版の前でいろんな話をしていて、宗教はない彼とユダヤ教の彼女と仏教や神道のしきたりを守る私が話をするうち、かなり突っ込んだゾーンに入りました。ジョーカーの彼女は、私が見せている日本の文化というものはかなりハードだと言います。ちょうどお盆で、仏壇もいろいろ飾りつけ、しっかり神棚を拝礼し仏壇に線香を上げ、ティーセレモニーで型を重んじた所作で抹茶を点てて、何も考えずにそれをすぐやってもらうと、きちんとできるのにいつも私は感心するのです。

 反対にフランスの文化とは何かと聞いてみると、夕食を長い時間かけて食べること、バターや生クリームを使った胃に重たい料理を食べること、ストライキが好きなことと言い、これが文化なのかしらと驚くのだけれど彼らは真面目です。乳製品アレルギーで私が出したお菓子もセレクトしながら食べていた彼女は日本料理は素晴らしいと言い、枝豆や豆腐やおにぎり、そして酒も大好きなのです。

 フランスは多国籍な民族が集まっている国ですが、今はアメリカ文化が我が物顔にのさばっている、アラブの力もつよいと、この前来たドイツのカップルと同じようなことを言って彼らは嘆いています。自分の国、自分の民族、自分の文化、自分の美意識、自分の価値観、自分の大切なもの。私は69年かかってやっとそれを見つけ、そのことについて多くの外国人と話すことが、より一層自分の中の大切なものの存在をはっきりさせ、それが救いになっていくことにも気がついています。ニコラの深い目は、何かを探して、何かを拠り所にしようとしている。お釈迦様の言葉が蘇ります。他のものにたよるな。自分を拠り所として、ただサイの角ように歩めと。

 すべてはサークルである。阿吽のごとく。そして今彼を支えているのは、ユダヤ人のジョーカーのカミちゃんなのです。彼は着物が着たいので来たわけではない、でも帰り際日本語で「また来てもいいですか?」と言ってきた、その気持ちは、私たちが背負っている文化というくくりの中に、大事なキーポイントがあり、それを知ることで自分の生き方だったり仕事だったり、意識の持ち方が格段に楽になるということを感じているからではないかと思います。

 

 若い子たちがいろいろ模索しています。こうすることが一番いいと思われていたことが、ことごとく崩れ、コロナ禍の沈黙の中で、すべての価値観を再確認しなければならないことに気がついた。でもその時何を考えればいいのか、何を心の支えにすればいいのか。

「今自分が伝えたいのは何なのか」ということ、全く真っ白な所で自分が何をやりたいのかを明らかにする、毎日毎日いろんなことがあるけれど、最終的には向き合うべきものは自分だということ、そこから一歩抜け出せた時の感動や喜びは、他の人もどこかで絶対に体験している。表現することはただ一つ、人間という存在について。本質が何処にあって、それをどう理解していくかということ。

個人の時代になればなるほど、家族が共有するものをどう作っていくかというのが一つ、大きな問題になります。自分はいったい何者なのかと考えた時、伝統や文化をなぞり、家族の文化を辿ってみたとき、新たな価値観を見つけることができ、意味が解る、そういう文化や精神を大事にしなければならないのです。自分が生きていく上での基本をしっかり作り、何処に軸足を置いて、価値判断の基準を作り、アイデンティをどこに持って行くかを考える、フランス人、ドイツ人、イタリア人、いろんな国のゲストが次々やってきます。

ゲリラ豪雨の中で  2023年8月

 お盆前の最後のゲストは台湾からの家族で39歳のパパ、40歳のママ、8歳と5歳の女の子、メールで細かい問い合わせがたくさんあり、暑いから子供を連れて外へ行くのは大丈夫だろうかとママが心配しているとありました。今日は着物や浴衣を着てうちの中で遊ばせようかと思っていると、お昼の12時に玄関のベルが鳴り、もう家族4人が到着していて、支度がまだの私は焦りましたが、パパに話を聞くと、軽井沢から到着したところでスーツケース2つを先に置かしてくれとのこと、それからみんなは駅前にお昼ご飯を食べに行きました。

 うちの体験をした後は浦安のエアビーに泊まってデズニーシーを楽しむスケジュールだそうですが、どうも今日は空模様が怪しく、時々猛烈な雨が降ります。昼ご飯を食べて帰ってきた家族に浴衣を着せ、写真を撮ってから今度はその上に七五三の晴れ着やママには黒振りを羽織ってもらい、パパは黒い紋付きの着物に袴を付けて刀を持ってもらうと、戦国時代のサムライに変身、彼は豊臣秀吉が好きだそうで、「怖い顔をして」と私が言うと、精一杯の顔をしてくれました。二階に上がり鎧の兜をかぶり、床の間の前に正座して家族写真を撮り、下に降りて全員でティーセレモニーをしました。

 この旅を計画して仕切っているパパが、みんながお茶を飲んでいる間少しつまらなそうになっているのを見た私は、ママが最後に飲んでから「お茶を私のために点てて下さい」とパパに頼みました。面白かったのがパパの顔つきが一変して、緊張と焦りとちゃんと見てなかったという後悔とで頭がごちゃ混ぜになってしまったようでした。とにかく私の横に座ってもらって、手を取りながら作法を教え、全く何も考えられない無の状態で、パパは綺麗にお茶を点てて、どうぞと言って私の前に茶碗を差し出してくれました。いつも思うのですが、アジア系の男性は初見で上手にお茶を点てることができるのです。何も考えず、無心にただお茶を点て、そして飲むという一期一会の精神を、戦国時代が好きだというパパは無意識に理解しているのかもしれません。

 この時点でまだ三時、家の中ですることは尽きたので、パパと相談して近くの天祖神社まで行き、鳥居の前で一礼、二つ並んだ獅子の口が開いているのと閉じているのを見せて「阿吽」を説明し、本殿のまえで「二礼二拍一礼」をみんなでして、隣の公園でブランコやシーソーをして遊び、コンビニでアイスクリームを買って帰ろうとした時、ゲリラ豪雨が襲ってきました。傘は2本持っていたものの、役に立たず、信号のそばの軒先で雨宿りしながら、私はゲスト達をどう守ろうと思い、パパは家族をどう守ろうか考えている、濡れたパパの着物の肩に手をかけながら、台湾もこれからどうなるかわからない難しい政局を迎えている時に、子供を育て、自分達で考え自分達で前の進んで行かなくてはならないというパパは強い意志をもっていると感じていました。私の体験を選ぶことが家族にとって正解かどうか、パパはずいぶん悩んだと思います。でも、純粋な日本文化を少しでも味わい、それがとても新鮮だったと後で送ってくれたレビューにありましたが、子供たちの心にもあの豪雨の記憶と共に残ったかもしれません。時々子供にとってティーセレモニーはとても良い経験だったというゲストがいるのですが、こうやって彼らが、文化は心地よいという感覚を持ってくれたということが何より有難い事でした。文化こそが世界をいずれ救うキーワードのような気がします。

クロエ   2023年8月

昨日来たフランス人の男の子からの予約のメールに、「前の彼女と4年前に着物体験をした」と書いてあって、お茶を点てている自分の写真が添えられていました。その横顔を見ていてもどうしても思い出せず、ギヴアップだと返事をしようとして、不意に思い出したのは、彼女が紺地に朝顔の描かれた京都のひで也工房の浴衣を着ていて、この浴衣を着た女の子の特集のファイルを作って、来たゲスト達に見本として見せていたことです。彼女のそばにいる大きい男の子、メデリックが違う彼女とまた来る、彼のプロフィールの写真を見ると、今度は髭を生やし、随分大人っぽくなっています。

なんだか最近私はゲストたちの親戚の叔母さん化してきて、外国人の甥っ子や姪っ子が遊びに来る感覚で、この前とは違うもてなし方をしなくてはと思っていると、突然凄い雨が降ってきて、すぐ止んだものの若い二人はどこで濡れている事やらと心配していました。少し遅れるとメールがあり、ほどなく濡れた傘を持って現れた190㎝のメデリックはドラえもんのTシャツを着てスニーカーはビショビショ、160㎝の可愛い色の白いクリエは丸い眼鏡をかけ、サンダルだから足を拭くだけで上がってもらいました。

 前の彼女はしっかりした強いタイプだったけれど、今度の彼女は可愛くてふわふわっとした感じの女の子です。彼のお兄さんの奥さんの妹さんだそうで、でもお姉さんとはずいぶん年が離れていて、どうもお母さんは再婚してクロエちゃんが生まれたようです。ハネムーンのゲストが最近多いので、一応結婚したのか聞いたけれど、これは余計なお世話で、ノルウェーやスウェーデンは若くして同棲するけれど、決して結婚するわけではないし、フランスも籍を入れないで一緒にいるケースも多いそうで、全く彼氏がいないグループ、男の子は必要ないという女の子、盛大な結婚式の写真を見せてくれるけれど、この二人上手くいくのかしらというカップルもいたりして、ほんとうに様々です

 振袖を着てたくさん写真を撮り、着替えて紫の模様の付いた浴衣を着た彼女は、紫のひで也工房の浴衣の彼と柴又へいき、暑いのでクーラーの効いたお店でアイスを食べ、一通りお寺のコースを回りました。英語があまり得意でない彼女の代わりに彼はよくしゃべり、この前来たとき以上に雄弁で、思わずよくしゃべるねと言ってしまった私は、本当に親戚のおばさんです。わりと静か目に体験が終わり、最後に梅酒を飲んでプレゼントをして、帰ろうとしたら彼の靴がびちょびちょで、ああタオルを入れて乾かしてあげればよかったと反省しながら、新しい足袋ソックスを履いてもらって、彼らは帰りました。

 

 二回も来てくれたメデリックだけれど、新しい女の子との三回目はダメよ。今更私が言うことではないのだけれど、フランスは離婚が多いというし、他の国にしても離婚、再婚、また離婚と目まぐるしい変遷をたどっているゲスト達の話を聞いていると、生き方にしろ恋愛にしろ、どんな結末が待っていようと、自分の考えるように、感じるように進むしかないのだろうなと思うのです。自分の中の闇に敏感で、小さい頃から皆と同じことができないことに気がつき、どうしたらいいのか悩む過程で、自分の中ある光を大事に育て、それを紡ぎ続ける努力をし続けていくアーティストやアスリートの会話を聞いていて、先が見えない世界に進むということは可能性があるということだし、ハーメルンの笛吹きの話のように悪意を持って笛を吹き続ける男の後を何も考えずについていったら、みんな海の中に飛びこんでしまうこともあり得るのです。自分の好きな音楽や芸術に対する感性を大事にし、それが周りと違っていてもためらわず前に進む努力をし続けることが、最終的に道を開き、共感する人々と巡り合うこともできる。私は、自分の子供たち、そして私のところへ来てくれたたくさんのゲスト達に言いたい。今こそ真剣に自分のできることを考え、生き延びるためのどんな努力をしたらいいか、それをするための相棒、パートナーがいればベストだけれど、たとえ一人でも、それを支え励ましてくれる沢山の魂たちがあるということを信じていくことが、今一番必要なのです。

再び  宙船

 膝がいまだ不調で、布団から起き上がるのに難儀しているので、おとといから二階の義母の電動ベットで寝ています。いたるところに手すりもあり、電灯もリモコンで消せるし、高齢者にとってありがたい事ばかりなことにやっと気がつき、二階でやることを増やしていたら、いつの間にか家庭内別居になってしまいました。ワイド―ショーが大好きな夫が、毎日同じ話題を繰り返すコメンテーターの顔を食い入るように見ているのが嫌だった私は、だんだん食事も別になってくると静かな時間が増えて、二階のベッドの上でまったりとした時間を過ごしています。でも三階の音はいろいろ聞こえて来て、二世帯住宅とはいえ、ここで子供たちが育って行くのは互いに大変だったことが多いし、余計な感情も持たなければならなかったのです。今私は義母のべットに寝て、素晴らしい床柱や天井板や壁や障子を見て凄いなあ、高級旅館並みだなあと感心していて、そして今朝気が付いたのは、ここには神棚があるということです。私は神様に見守られながら寝ていた…何ということかと思います。そういえばこのところ見る夢の内容が妙にリアルなのです。恋をしている夢、研究室で勉強している夢、知り合いの葬儀に出席している夢。

 何が幸せで何が不幸かわからない世界、でも愛のない世界を破壊して、愛のある場所を創造していこうとしているゲストがいました。愛のない空間、愛のない組織、愛のない関係性は容赦なく滅ぼされてしまうけれど、たとえ周りの世界がどうであれ、自分自身が愛を能動的に創造していけばいい、誰かに愛を与えること、自分自身に愛を与えることを彼女は目指している気がします。

 

 混乱に満ちた世界から抜け出すには、これまで誰も語ったことのない言葉で、自分が心から信じられる物語を作っていくことしかない、人々の行き場のない怒りとか苦悩とかそういうものを何か表現で肩代わり出来て、自分の幸せではないかもしれないものが巡り巡って自分の幸せになるという感覚、自分ではない誰かの感情をすくい上げ取り込んでいくことが一番の救いになっていく、そんなことを私は彼女を見ていて思ったのです。コロナ以後、こころの方向を見つけようとしている海外の若いゲストたちは、どう進んで行けばいいのか、大学で勉強してもそれが本当に自分の本意なのかと考えながら、私のところへ来ていました。自分が日本に来た意味をはっきりさせることはできたのか、そんなに突き詰めて考えることではないかもしれないけれど、文学とか美術とかスポーツとかあらゆるジャンルを超えた、今切実に求められている個人個人のエートスは、自分のやり方で考え抜いて、そして進んで行くことでしか得られないと思うのです。

  人間の人生は、沢山の選択の連続です。自分のやりたい事とやらなければならない事の選択に悩むとき、そんな時役に立つのが、傍から見ると何をやって来たかと思われるような日々の積み重ねで、無意味だったり無駄だと思われるような過去の努力が意味を持つことがあります。選択の是非は、失敗してもまた失敗しに行くという究極の腹のくくり方をしていかないとわからない、わからなくてもいい。今を選ぶ難しさ、でもその時々の意味だけは考え続けなければならないし、それが一番の救いになるのでしょう。しばしば人生では逆境であればあるほど得るものが多く、思い通りになっているときほど落とし穴があるという人生訓は、シェークスピア文学などにあらわされているけれど、私達高齢者がこういう教養とか哲学、倫理に対してあまりに無知のまま年を重ね、成熟しないで落果しようとしているつけが、世界中の害毒を作り出している気がするのです。

 そんな危険な時代にいる私達が希望を持ち、光を求めて前に進むには、何より文化や教養や知識や美意識や哲学を身にまとわなければなりません。教養という財産をもち、精神を浄化するために必要な文学や芸術、音楽、美術、宗教観を味わう力を持ち、逆境を耐え忍ぶ胆力を持っていないと、いつか自分の爪に仕込まれた毒で自分の皮膚を刺してしまう日が来ます。シェークスピアはマクベスにこう語らせています。「悪いことをすると自分にはね返ってくる。そして眠れなくなる。」「ひとたび悪事に手を付けたら、最後の仕上げも悪の手に委ねることだ。悪の退治をするためには、人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶことを知らなければならない。」

 マクベスのような激しい文学を読み追体験することで、不安や怒りなどの心の汚れや罪の意識などを取り除いて精神を正しい状態に戻す、カタルシス、精神の浄化、違う自分になる、風のようにもう一つの人生を生きて見ることにしよう。こういう体験を精神的に繰り返していると、人間の幅が広がり、物に動じなくなり、何かを思うようになる。それによって自分の力で自分の精神を浄化し、自分の内側にこそ世界を変えるパワーがあることに気づき、どんなに頑張っても報われないことからも学び、もがき苦しむ生き様もさらけ出し、今度は風のように、違う人生を歩もうとしていることを、1600年代にシェークスピアは示していたのです。

 

 どんなシチュエーションであっても、その人が人間として持っているものを社会の中で活かせるようにするには、今までどう学んできたか、どう生きてきたかがとても大切なのだと思っています。自分というものを見出して磨くことができればブレずに歩け、人生は豊かにできる、自分自身をよく理解し「自分の中心軸」「心の芯」「生き方の美学」自分にとって大切なものが何かを知っていると、決断する時の道標になります。人生はいつかは終わる、いつかは終わるのだったら、今できることの最善を全部尽くしていこう、一人一人の個人的資質の誠実さを大事にすること。 

 私たちはみんな何かを背負って生きています。でもそれを背負うのでなく、受け入れればいい。自分が表現したりイメージをちゃんと伝えられる技術とボキャブラリーを増やさないといけない、人の気持ちの余白、思いの余白、見る人の気持ちの動きに委ねるところまでを含めて自分の表現を考えて、見る人の想像力を大きく膨らませられる何かを発信していきたい、大渦巻きに飲まれそうになった時見上げた空に、煌々と光る美しい月の存在があれば、それによって力を得られることを私達は忘れてはいけないのです。

 

  「自分がわかったということがすべてだ、それが悟りだとわかった」仏陀の本を読んでいた時、出てきた衝撃的な言葉でした。個人個人の思惟、苦闘、開眼、結局人一人の思いの深さしかないのだとしたら、私は4時間ゲストと一緒にいてこの寺町を歩くことが仏教そのものだということを感じてほしいのだと思っています。

 

宙船   そらふね  12日 8月 2022

  隣家の取り壊しが終わって更地になったら、私たちが住んでいる家が丸見えになり、あらためてその全景を眺めながら近所の方に「窓がたくさんあるけど、あれはどこの窓?」と聞かれて、私はそこに住んでいるのにわからなくなって、一生懸命考えて答える始末です。でも今あらためて外から見ていると、これは家ではない気がしてきました。

 息子が生まれ、跡継ぎができたと喜んだ義父は、同居するため家を建て直し、長い杭をたくさん打ちこんだ頑丈な建物を作り、一階は仕事場、二階は食堂、風呂場と義父母の部屋、三階は私たち五人家族が仲良く住むはずでした。義父の夢は限りなく膨らんで居たと思うと、今は申し訳ないと思うのですが、楽しいこともたくさんあったのだけれど、やはりつらい思い出がよみがえります。

 若い従業員が何人かいたし、彼らの世話や仕事場で受付をするのも、みんなのご飯を作るのも、活気があってどんなに忙しくても楽しかった。辛かったのは義母の価値観で、五歳のおとなしめの息子が同居してまず言われたのが「悪いことをしたら二階の真ん中にある風呂場の外にある四角いスペースに閉じ込めて、鍵をかけて寒い中一晩おくからね」という言葉でした。そんな虐待記事が新聞に載るけれど、私たちにはどう考えてもそういう言葉を言おうという発想はないのに、外見は華やかな義母の心象風景は、いつも荒涼としているのにだんだん気付いてきました。

 そんなこんなでいろいろあり、私は精神的に追い詰められ屋上から下へ飛び降りようと思ったりしたこともあった、でも下を歩く人を巻添えにしたら大変と辞めたけれど、ストレスは重なり、病気して入院しまいましたが、三週間家から離れ、心が縛られなくなったた時から少しずつ解放されていき、息子は従業員の若者たちに可愛がられて楽しそうだったし、保育園も学校も少年野球ものびのびやっていた、でも不器用な長女は義母に疎まれ嫌われ、私の入院中もかなりつらかったのです。今夫と二人でこの家に住んで思うことは、義母はこの立派な家に住んでいてちっとも幸せでなかったということです。認知症になって施設で暮らして、スタッフの方に聞くと、記憶は結婚する前の実家に住んでいた頃で止まっているとのこと、義母も私たちと住んでいることに何の喜びも楽しみも見いだせなかったのでした。

 

 昨日テレビの歌番組で、中島みゆきの「宙船」という歌が人々にインパクトを与えてきたというコメントを何気なく聞いていたら、突然字幕の歌詞が目に飛び込んできました。

「その船を漕いでゆけ お前の手で漕いゆけ お前が消えて喜ぶ者に お前のオールをまかせるな」

「その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか  その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか

流されまいと逆らいながら 船は傷み すべての水夫が恐れをなして逃げ出そうともしていた

その船を漕いでいけ お前の手で漕いでいけ お前が消えて喜ぶ者に お前のオールをまかせるな」

 出演していた優しそうな髭面のシンガーソングライターが、「お前が消えて喜ぶ者に」というフレーズが実感できないとコメントしていて、自分の中にその意識がなければ歌詞として書くことはないと言っていたけれど、中島みゆきさんの中にはそう思われてきた実感があるのでしょう、何回も何回も戦闘的に繰り返すこの言葉たちは、彼女と同い年の私に痛烈に突き刺さります。私たちが消えて喜ぶ者に、私たちのオールを任せることは一ミリたりとも必要でなかった。

 私たちは、これからの世の中の荒波を、自分のオールを持って自分の意志と力と気力と体力で漕いでいかなければならないのです。何十年もうじうじ悩みながら過ごしてきた圧迫の生活の記憶を、一言で消してくれたこの言葉たちは、今ウクライナなど世界各地で紛争を続けている国家間の問題に目を向けてさせ、何でこんなことを続けていかなければならないのかを必死で考えなければならないことを示してくれます。鬼滅の刃で、死闘を繰り広げていた煉獄さんが最後に鬼のアカザに言った言葉は「私とお前は価値観が違う」でしたが、狭い一軒の家でも生きていく上での価値観が違うことは心がボロボロになるくらい苦しかった、それが国家間のことになったらどんなに大変なことか。価値観の違いだけで、こんなに多くの殺戮が行われているのです。相手を殺すことをいとわない者に、相手が消えていくことを喜ぶ者に、どうして自分の国を任せることができるでしょうか、オールを任せてはいけない。だから戦っているのです。

 義母が去って、こうやって佇んでいるこのいえを外から見ていた時、これは宙船 そらふね なのかも知れないと思います。

「その船は 自らを宙船(そらふね)と忘れているのか その船は舞い上がるその時を 忘れているのか  地平の果て 水平の果て そこが船の離陸地点 すべての港が灯りを消して黙り込んでも  その船を漕いでいけ お前の手で漕いでいけ お前が消えて喜ぶ者に お前のオールを まかせるな」決して自分を甘やかしてはいけない、多大な犠牲を払ってこの家にいた義母が去ったいま、この家を灯りの灯る何らかの形の宙船にするために、努力し続けなければならないと思います。エアビーが繋がっている限り、外国人のゲストはまた来てくれるかもしれないし、いろいろな形で新しいコミュニケーションがとっていけるし、日本人のお客様の求めていることもだんだんわかってきました。わたしは、このうちが心から喜べるようなことをしていきたい、それがどういうことだかまだよくわからないけれど、このいえは生きている、呼吸している、何かを望んでいる。人々の心が空っぽになったり、ボロボロにならないように、自分の価値や心を大事にして暮らしていくことを感じていけるように努力していきたい。これまで苦しんできたことは決して無駄ではなかった。そしてこのうちは、私たちの苦しむ様をずっとみていてくれたのでした。

 何ができるのか、何をしてほしいのか、このモスグリーンの宙船と共に、考えていこうと思います。

エジンバラとシアトルから

 四月のはじめから腫れてしまった右膝をかばいながら仕事をしていると、どうしてもいろいろなところに負担がかかり、疲労度も大きいのだけれど、予約があまり入っていないのが有難く、久しぶりの10日にスコットランドのエジンバラから来た40歳の大学の友人同士という女性を二人迎えました。エジンバラはスコットランドの首都で、丘陵地にあるコンパクトな都市です。中世の面影を残す旧市街と、エレガントな新市街からなり、庭園や城など見どころの多い壮麗な城塞都市だそうで、そこに住む教師で民泊ホストのパメラは親しみやすい明るい小柄な女性で、親友のカロリーヌは反対に大柄なブロンドのショートカットで、困ったのが二人とも全くヘアメイクができないことでした。直前にエジンバラを旅しているYouTubeを見ていて、石畳ばかりで歩くのが大変だなとか、みやげもの店がないとか、城が大きすぎるなどと勝手な感想を持った私は、その真逆の柴又を着物を着て散策し、親しみやすいお店を見て回ろうと思っていました。二人とも独身で、アニメや日本文化は全く分からないと言い、質実剛健なスコットランド人というイメージ、桜模様の小紋と菊の花の濃紺の訪問着を着て、桜が満開の柴又を楽しんでくれました。

 翌日急に予約してきたシアトルの母子は、15歳の長女さんは180㎝、ママは170㎝、8歳の次女さんもいて、いったい何を着せたら良いか悩むところですが、振袖に七五三の着物に、ママは訪問着で良いだろうと思って、まず可愛い次女さんに黄色い着物を着せ始めました。膝が痛いので、長椅子の上に立たせて着物を着せ、帯を締めようとすると、彼女は突然おいおい泣き出し、ママの胸にすがって大粒の涙を流しています。これまで日本の女の子や外国の女の子20人近くに着物を着せてきたけれど、こんなことは初めてで、すべての紐や帯など締めるものはみんな嫌だというので、着物だけをゆるゆるに着せて、赤い三尺を軽く締めておしまいにしました。小さい可愛い草履も初めは喜んで履いていたけれど、すぐ痛いと言っておとな物を選び、外へ出ると履いていた黒いブーツがいいと言い出して私は取にりに走りました。裾を引きずりながら歩き、写真を撮ろうとすると物凄いポーズをとるので、これはそういうサイトを見ているのだろうと思いながら、着物が汚れるのが可哀想だとひたすら嘆いていると、そばを歩くお姉ちゃんが「ごめんなさい」と日本語で謝ってきました。妹は何かあるとすぐ泣いて主張を通すと言い、肩をすくめながら謝る彼女は、初めて着た振袖に興奮しています。180㎝あってもスリムなので着映えがする彼女は、ママの妹さんの子供だそうで、道理で姉妹の年齢が離れているのでした。多分いろいろなことがあったのでしょう。忍耐強く、思いやりがあり、褐色の肌にダークの赤い振袖がとてもよく似合うのです。

 明るいママには明るい青の着物を着せて柴又へ行くと、通りがかりの人から、賞賛の声がずいぶんかけられました。ママとお姉ちゃんはきちんと着物を着ているからいいけれど、引きずる着物を着ている妹はどう考えてもきれいでないと私は内心思っていたけれど、真っ赤な口紅を付けた可愛い彼女は褒められていることが嬉しいらしく、得意げにポーズを決めまくって居ます。義父がよく「器量のいい女は得だ」とそうでない私に面と向かって言っていたのだけど、最近は着物というものは着る人の品格や人間性が試されるものだと思うし、着せている私がびっくりするくらい綺麗だと思うのは、家族や友人や周りの人達を思いやる心を持っているゲスト達の慈悲深い笑顔なのです。そして優れた着物は、そんな人たちを温かく包み、高い次元の空間に引き上げてくれる力を持っている。今日の三人の母子の中で、一番高い精神性を持っているのは180㎝のお姉ちゃんで、そのオーラが道行く人々の視線を惹きつけるのです。

 ティーセレモニー体験を楽しみにしていたというので、私がまず点てて自服してから、着物を脱いだ妹さんに点ててもらうと、すらすら綺麗に点て、飲み干す姿にびっくりし、きっとサイトか何かで見て、その何かがこの女の子の琴線に引っかかったのだと思いました。でも日本人でも外国人でも、小さい子が初見なのに綺麗にお茶を点ててくれることがあり、これは何なのだろうかと不思議になりますが、お姉ちゃんよりもママよりも、妹さんは上手でした。

 もう一回涙を流したあと、正直わがままな妹さんは後も振り返らず帰り、ママとお姉ちゃんは着物を脱ぐとき淋しがって、これでさよならねと名残惜しそうに着物に別れを告げていました。複雑な家族のようだけれど、でもみんな前を向いて進んでいます。頑張れ!疲れ果てた私は足を引きずりながら夫の夕食を買いに外へ出ました。終わった!だけれど、やっぱり得るものは沢山ありました。また前へ進みます。

Worth every penny  2023年12月8日

 水曜日に来たリトアニア生まれの24歳のキャロルから、レビューが来ました。男の子だし、面倒くさくてレビューなど書かないタイプだと思っていたから、夜の十時に届いたそれを見て、なんだかおかしくて、笑ってしまいました。両親とロンドンに住む一人っ子の彼は女友達とモロッコや日本を旅している子供っぽい男の子で、かまいやすいタイプですが、文章の出だしが“Worth every penny”(とても価値のある)で、そんな言い回しがあるのだと私は驚きました。

おばあちゃんはポーランド人で、おじいちゃんはリトアニアなのでしょうか、バルト三国のエストニア、ラトビア、リトアニアは寒そうな国です。前にリトアニア出身で今はUSAに住み、ハワイ生まれの日系ハーフの恵ちゃんと結婚した2mの身長の看護師の無口な男の子にお茶の点て方を教えると、あまりにすらすらできるので、茶箱をプレゼントしたことがありますが、リトアニアは寒くて暗くて、人々はアルコールを好むけれど産業はあまり発展しないと読んだことがあります。

私は日本語で文章を綴るけれど、ゲスト達は自分の国の言葉、自分が住んでいる国の言葉でレビューを書いてくれる。500以上のレビューをもらって読んでいて、このWorth every penny という言葉は初めて見ました。ペニーとは英国の補助通貨単位で、1ペニーは1ポンドの100分の1で、複数形はpenceです。月と6ペンスと言うモームの小説がありましたっけ。ユーロ導入以前は、アイルランドの補助貨幣通過でもありました。USAでは1セント硬貨ですが、最近の通貨事情はどうも複雑でわかりにくいのです。月と6ペンスにはゴーギャンらしき画家も現れていますが、サイトを見ていたらゴーギャンの有名な絵の下に「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」とあって、この言葉はキャロルに当てはまるような気がしてきました。自分のオリジンは何でしょうか。どこから来て、何処へ行くのか。どこへも行けるキャロル。世の中には2種類の人間がいる。様々な選択肢を持っている人と、一つの生き方しか許されない人。

世界の民族入門、宗教入門を読んでいるけれど、今の若者はそういう範疇にくくられていないで生きている気がします。水曜日に来た三人は、台湾生まれでニュージャージーに住むリーダー格のレベッカと、韓国人でシャネル?に身を固めた31歳のメル、それにキャロルなのですが、旅先で知り合って、今回一緒に体験に来てくれたのです。食事に行っても三人とも違うものを食べるのだと笑っていたけれど、微妙な空気感もあって、男女込みの旅というものはある意味難しい。三人並べて私が写真を撮ると、女っぽいメルがペタッとキャロルに体を寄せてくるし、着物を着て街を歩くのは恥ずかしいと言いながら、電車に乗って座ると足を組むので着物がはだけて前の座席の乗客が目を背けてしまいました。東京観光の写メを見せてもらっていると、大人のおもちゃのお店の商品が並んでいるのをわざわざ見せてくれて、なんだかよくわからないのが韓国人の特徴のような気がします。

女性陣が途中で着物の選択を変えてしまったことを、レベッカは悪いと思ってレビューで謝っていたけれど、長考のゲストは多かったし、あまりに沢山ある着物を見ていると迷うのもよくわかります。なんにせよ、何を着てもゲストは綺麗なのです。私はそれを見ているだけで満足し嬉しいのだけれど、レベッカはそんな風に気を使って見ていたことに驚きました。小児まひで体が小さいママは教師、パパは牧師さんで彼女はオーナーと言っていたけれど、ソニーのカメラでたくさん写真を撮っていた時は元気で張り切っていたのに、途中でカメラのバッテリーが切れて写真が撮れなくなってからはテンションが下がり、でもそれからはスマホの写真を色々見せて、いろんな話をしてくれ、最後のプレゼントで着物と帯とママに着物ショールをあげることが出来てよかったのでした。キャロルには頂き物の林檎を3つプレゼントすると、流しで洗ってすぐ丸かじりしている姿が可愛くて、私はまたかまってしまうのだけれど、レビューに今度は一人で来て私とおしゃべりしたいとあり、でも残念ながら彼の英語はかなり聞き取りにくかったのです。

夏にメキシコの女の子と、中国とアメリカのハーフの女の子が来た時、レビューに「go above and beyond」―求められている以上の働きをする―とあり、ものの見方が外国人はとても面白いと思うのだけれど、私がやっていることや気を使うことが、わかって理解して感謝してくれているのが意外なのです。

 

メキシコ人のカップルに教えてもらった地元のお寿司屋さんのひれ酒や穴子をまた食べたくて、土曜日の夕方に夫と行って見ると、あとから来た常連さんのお父様が義父の知り合いで、話が盛り上がり楽しい時を過ごしました。20年前に東ヨーロッパを旅したことを懐かしく話して下さり、音楽も大好きでピアノ、サックス、クラリネットを演奏し、好きな作曲家はバッハとクープランで、楽譜も自分で書いているのを見せてもらいました。英語がダメでハンガリー人に習ったドイツ語を話し、スロバキアやオーストリアへ行った話など面白く聞いていました。

相手は日本人の方で、日本語で話しているけれど、私はゲストと一緒にいる時と同じスタンスで相手の目をずっと見ながら、この方の中に今ひと時だけ入りこみ、彼の心象風景や描く物を想像していきます。20年前の話だから、現代と違うところもあるけれど、ヴィヴィッドに語られるヨーロッパの話を聞きながら、いろいろな巡り合わせがあるものだと感慨にふけってしまいました。

あのメキシコのカップルがこのお店に来なかったら、私たちは知ることがなかったこのお寿司屋さんは、海外へ通じる異空間でした。ハーモニカをバッグから取り出し、酔いに任せて吹いてくださったのが、アニーローリー、埴生の宿、そしてダニーボーイでした。星野源さんがキースジャレットのダニーボーイが大好きで、そのピアノのコード進行に随分影響を受けたと語っているのを聞いてから、私もユーチューブで良く聞くようになり、共演していた松重豊さんが、歌手のリアンラハヴァスが好きだと言って見せてくれた彼女の映像がチャーミングでそこから、彼女が歌うゴッホの映画「星月夜」の曲を聞いたのです。ちょっとしたきっかけでどんどん世界が広がっていくスピードが最近とみに増してきたのは、ゲストと話していて会話のスピートや語彙についていけないことが多くて、そんな時いかに自分の過去の経験や知識から糸口を拾って、想像し会話をつなげていくかという訓練を積み重ねていくからだろうと思っています。

これからエアビーのサイトの内容を代えようとしています。今までの思いや言葉を全て伝えたいのではないのだけれど、その時々の感情や言葉は実は多くの人達が共有しているもので、何かを伝えるというのは、表現方法や日常の捉え方を変え、自分の方法で、絶対的な一つの答えを持って、すべての疑問を説いていく覚悟が必要なのかと思います。いくら待っていても、いくら我慢しても、助けは来ないのです。自分で探し、自分で見つけ、自分で前に進むしかない。

I am so happy that we chose this session over the others because you can tell how much care and sincerity, she puts into it.  

 レベッカのレビューはこんな言葉で締めくくられていました。 

I LOVE YOU 2023年 9月28日

 私の体験に来て下さるゲストは、特殊なスピリットを持っているタイプが多いと最近特に感じているのですが、昨日タクシーで新宿からやってきたジャネットは、今までで一番強烈なキャラクターでした。渋滞でうちに着いたのもかなり遅かったのですが、ロングヘアで長いつけまつげ、タイで買ったという緑の着物風ショートガウンにライトグリーンのふわふわのサンダルといういでたちでタクシーから降りた彼女を出迎えながら、「すごーい!」とまず思い、タクシー代が11000円なのに驚き、カードで払うのに手間取っている間に近所の方々が通りかかって唖然としている姿を見ながら、そうだろうな、でも私はこれから4時間弱の体験を組み立てていかなければと考えていました。

英語をゆっくりしゃべってくれるのはありがたいのですが、どうもお酒臭く、お腹は空いているらしいけれど、食べ物にこだわりがあるようで、タイ土産のクッキーは美味しいと言って食べ、お米も好きだというので昼ご飯の残りの太巻きや干ぴょう巻きを出し、ペットボトルのお茶をよく飲んでくれました。柴又へ電車で行くタイプではないからうちの中で着物を二枚着せてティーセレモニー体験をしようと決めて、明るい色が好きだとメールにあったのでなるべくカラフルな大きい着物を出して置いたら、私たちの年代に流行った緑の絞りの振袖や、赤の豪華な振袖が気に入ったので、まず赤の方から始めることにしました。緑のタイのガウンを脱いでもらったら、下には小さいバタフライ?のようなTバックの下着だけで、自分でもお腹の肉はないけれどヒップが巨大と言うように、かなりあるので、何も履いていないようにしか見えないのです。この格好でタイではゾウと戯れ、世界各地を旅行しているというジャネットは、着物を着ながら核心の話をだんだんし始めました。ネイティブアメリカンとアイリッシュのハーフで、お父さんはかなり高齢、両親に愛されたことが無くて、別の家庭で育てられ、20歳で長女を生み、今は女の子三人の母だけれど、夫はいない、会社を持っていて、年の離れた兄弟がいるけれど、自分はいつも限りなく孤独だという。

 ああこれは、エアビーの仕事をする前に来たカンボジアとオーストラリアのハーフの20歳の女の子と同じ嘆きだ、あの時は物凄い早口で何を言っているのか全く聞き取れず、辛うじてカンボジアのおばさんたちはポルポト政権に殺されたこと、両親は離婚してオーストラリア人のお父さんが再婚したのはオーストラリアの女性で、弟ができたけれど自分はいつも一人で、孤独で心の持って行き場がないというようなことを嘆いているのがわかりました。でも私には返す言葉がなかったのです。何を言ったらいいのかわからない、暗澹たる気持ちに落ち込み、唯一並んで抹茶を飲んだ時和やかな顔をしてくれたのが救いでした。あれから5年以上たち、パンデミックの3年間を挟んで、エアビーから1000人以上のゲストがやってきました。一番心に引っかかっているのは日本の大学で勉強して日本語の堪能な綺麗なユタ州から来た女の子が帰り際に告げた「私はネイティブアメリカンです」という言葉と孤独な目の色でした。日本語でも返す言葉がなかった、何も言えなかった、でも今でもその声を覚えています。

LGBTQのカップルや一人で来て女の子の着物を着たいと言った男の子、ボーイッシュな女の子だけれど、静かに男物の着物を選んですっきり着こなし、通りがかりの外国人に絶賛されていた子。カップルで来て幸せそうに手を繋ぎ写真を撮るゲスト、子供連れの賑やかなファミリー、いろんなパターンのゲストが来て、帰って行った、私の心の引き出しには彼らの言葉や表情がたくさん入っている。

綺麗に着物を着て沢山髪飾りを付け、扇子や刀を持ってインスタ用に様々なポーズを取りながら陽気にはしゃぐ彼女に、二枚目の水色にピンクの振袖を着せていると、そばにある絞りの緑の振袖は幾らかと聞いてきました。私と同じ年の近所の方に戴いた古いもので、このタイプをゲスト達はなかなか選ばず、初めてのご指名をいただいてさぞ着物も嬉しいだろうと思いながら、「プレゼントするよ」と言ったら、彼女は物凄い怖い顔をして、「ノー!」と言いながら黙り込んでしまいました。

 ピンクと水色の淡い可愛い振袖もジャネットには似合って、ちょうどビヨンセの音楽をかけていたのでそれに合わせて振袖で踊り出した姿を動画で撮ったり、ティーセレモニーもきちんとやってうまく飲めたし抹茶も点てられ、最後に二階に連れて行き、神棚を拝み、鎧と写真を撮り、仏壇にお線香をあげて鉦を鳴らし、長火鉢でお酒を燗する真似をしたりして、いろいろなものにとても興味があるようで、聞いてみるとオークションで仏像を買って自分の部屋においているというのです。神は自然界の中に宿っているというネイティブアメリカンの本を読んだことがあるのですが、不純物は体に入れない、コロナワクチンも受けず、薬草などでつくったものしか使わないからクスリは飲んだことがない、食べ物にも気を付ける、とアメリカ人とは全く違う生き方をしている反動で、アルコール(彼女は朝からテキーラを飲んでいました)はたくさん飲み、タバコも吸い、精神的に不安定なところも多い、足首にキティちゃんの可愛いTatooをして胸の谷間にも花の入れ墨があり、凄く痛かったとのこと、ピュアなところと現実の厳しさや私には想像もつかない屈辱や差別を受け、でも逞しく生きている彼女は、着物を脱いでほっとしているところで静かに本音を語りだしました。あとからあとから言葉が出てくる、私はすべてを理解することはできない、これが日本語だったとしても、わからないことはわからないのです。

 目に涙がたまってきて、孤独だ、いつも孤独だと言葉を紡ぐ彼女に、私はどうしたらのいいか。こんな辺鄙なところまでタクシーを飛ばしてきてくれたジャネットは、何かを聞いてもらいたい、苦しみを吐き出す場所を探している、あの時のカンボジアの少女と同じなのです。あの時から5年たち、フィリピン旅行をして新しい感覚も持つことができた、なんで生きているかわからないと言ってヘッセを読みふけっていたドイツの男の子に、禅の十牛図を読んでと言ったこと、私は今やっと自分の言えることがわかってきています。彼女のところへ行き、強く抱きしめて、「わたしも孤独だよ。ずっと孤独だよ。だから私はあなたのことを愛しているよ」と言って、二人で泣きながらしばらく時を過ごしました。長いつけまつげの下から涙があふれて、ティッシュペーパーを渡しながら、何回も抱きしめました。「孤独というものは、周りに誰もいないことからなるのではない。自分が大切だと思うことを他人と共有できないこと、他人と共有できないと感じることなのだ」ユングの言葉です。ジャネットやアシュレイやタイファが大切だと思っていることに、私は心から同感し、その気持ちを共有することができます。日本人と話しているよりも、ネイティブアメリカンのジャネットの言っていることに心から納得できるのです。

フィリピンへ行った時、旅行することもぜいたくすることもなく、淡々と暮らして穏やかに年を取っている村のおばあちゃんにスマホを向けると、屈託なく笑ってくれました。ジャネットは世界中を旅している写真を見せてくれ、フランスから一人で来た、カメルーンとフランスのハーフで日本語の堪能な女の子も世界中を旅して、家族でクリスマスを楽しむ写真などたくさん見せてくれたけれど、本当は両親は離婚していて、職場で彼女はひどくいじめられ、体にも障害があって、孤独だった、だから私のところに来るのでしょう。

孤独は必要です。孤独をしっかり認めた時、人は孤独ではなくなる。その感覚があるから、私はジャネットを抱きしめたいのです。お土産に、三人の子供の着物と彼女の振袖を風呂敷に包んで持たせて、ジャネットはウーバーでタクシーを呼んで帰って行きました。またお酒をたくさん飲むのでしょう。でも最後に彼女の部屋と飾られている大きな仏像の写メを見せてもらって、私はほっとしています。大丈夫、守ってもらえる。しきりに心の拠り所を探していると言っていた彼女に二階の神棚や仏壇を見せてよかった、お茶の作法も教えてよかった、こういう文化の本質を彼女はしっかり理解しているけれど、こころが限りなく不安定なのです。ハーフというのは大変なことだなと改めて思います。

おじさんは宝石商   2023年7月

旅行のスケジュールを代えたので、予約の日にちを早めたいというアメリカの40代の一人旅の女性からリクエストがあり、一日早い火曜日に予約をセッティングして待っていると「これから行きます」というメールが入りました。ところが今どこにいるのかしらと思って見たスマホに、「ごめんなさい、私のミステークです。今京都にいます。明日行きます!」とあって、あれあれこういうのは初めてのケースだけれど、明日二人来るゲストと一緒に体験をする方がいいかと思ってクーラーを切り、ゴロゴロテレビを見てその日は休みました。

 夫は京都にいるのなら明日は来ないよと言っていたのですが、翌日の12時半にそっとドアを開けて入ってきたのはストローハットをかぶってデニムの洋服を着たSandiqで、京都からちゃんと帰って来られたのでした。22歳の娘さんがいて、アラブの血を引く彼女はシングルマザー、時々話す英語が理解できず苦戦しましたが、浴衣を選んでから頭に沢山髪飾りを付けている時に、もう二人のゲスト、小柄なカップルがやってきました。ドミニカ共和国がオリジンのJordanは入ってくるなり熱く握手して日本語で話し始め、秋葉原のホテルに宿泊している今どきのオタクっぽい26歳のハンサムな若者です。指輪を5つ、ネックレス、Tatooもたくさんあって、彼女の22歳のコロンビア人の二コルは鼻ピアスもたくさんしていて、あとで聞いた話ではおじさんが宝石商でいろいろいただくとか、地味なんだか派手なんだかわからないけれど紫の浴衣を選びピンクの大きなリボンを付けて、可愛らしい浴衣姿が出来上がりました。

 みんなで良く話をして旅行情報を交換しているのが有難く、いつも通り写真をたくさん撮ってからティーセレモニーをして、全員お腹が空いているので頂き物の資生堂のゼリーを出し、一人ずつお茶も点てて前半のコースを終了し、昨日よりは少し涼しい風が吹く中を柴又へ出かけました。京都では自転車に乗ってたくさんのお寺を回ったそうですが自分の写真は撮れなかったので、私はSandiqの写真をたくさん撮り、ジョーダンはポラロイドカメラも使ってモデルのようなポーズをとる二コルの写真を連写しています。

 落ち着いた二コルは22歳、Sandiqの娘さんと同い年なのに、なんだかSandiqの友達みたいな感覚でいろいろ話していて、三人ともUSAに住んではいるけれど、それぞれのオリジンの国の気質が強く現れ、二コルは臨床心理学を勉強しているけれど芸術家気質が強く、落ち着いて人懐っこい、コロンビア人です。ちょっと軽くて明るいジョーダンはカリブの若者、私のサイトに書かれている内容は正直わからないと言われたけれど、アニメやゲームや歌やいろいろ大好きで、柴又のお店にある仏壇に供える茶器をママのお土産に欲しがったのでそれはやめてもらって、うちにあった頂き物の九谷焼の蓋つきの湯呑茶碗をプレゼントしました。

 かき氷やアイス草団子やお団子、今川焼を御馳走し、帰ってからは駄菓子をつまみにビールや日本酒で乾杯、女性陣には着物と帯と帯締めをプレゼント、本当に娘や孫がはるばる遠くから遊びに来ている気持ちで、四時間私はいつも過ごします。そして彼らの中にあるものを見たくて、いろいろなアプローチをしたり質問をしたり写真を撮ったり、そしていつもその着物姿の美しさにほれぼれしながら、帰り道また頑張ってお話をします。夫も私もSandiqの言葉が聞き取れないことが何回かあって、聞き直してもわからない、なんでだろうと思っていたら、彼女はアラビア語でお祈りができるとスマホ翻訳で教えてくれ、私が知っているアラビア語「インシャラー」を言ったら喜んでくれました。

 一緒にいる時はあまり感じなかったけれど、着物や帯の選択にしても迷いが結構あり、あとで撮った写真を見てもアイデンティティが薄い感じがあり、気持ちがさまよっている気がするのです。若い二人はじゃらじゃらアクセサリーを付け、指輪を沢山はめてTatooもカラフルにあちこちしている。お茶のお点前もうまかった、南米の男の子はことのほかお茶のお点前をすることを喜ぶ傾向があるのです。

 最近外国人と結婚して海外に住む日本人女性のユーチューブをよく見るのだけれど、食事にしても文化にしても、例えばアメリカには何もない気がします。それに比べて、日本に来て着物を着てその品質や模様の謂れ、歴史、仏教や神道の意味、売られているお守りや達磨の意味、どれだけ意味のあることが含まれているのか、計り知れないものがあることに皆驚くのです。

 私はもっと頑張って、もっといろいろなことを伝えたい、私たちが生きている意味、大事にしなければならない感情、文化と文明の違い、私たちの心を何が満たしてくれるかということ。

 1020人のゲストの感情を、思いを、未来をどうやって広げていけばいいのでしょう。この世のあらゆるものは、未知なる世界への挑戦だし、今まで誰も教えてくれなかったことを、答えを知らないことを、追い求めて行けばいいのです。暑いさなか東京のはずれのこの町まで汗をかきながら来てくれるゲスト達に、私はこれまで生きてきて何をしたかったのか、何の夢を叶えたかったのか、伝えようとしています。着物や伝統や文化や宗教や、美しさや楽しさや歴史の意味や人が生きていく上で大事にしなければならないことをギフトとして差し出したいのです。

 ビールで乾杯して、冷たい日本酒をおちょこでみんなで飲んでいい気持ちになると、どんな英語で話しているか考えず言いたい事を言いたいように言っていることに気がつくし、最後に私たちのために歌ってくれるゲスト達の歌声を聞いていて、泣いてしまうのも、これまで69年間もがきながら前へ進もうと努力してきたことを思い出すからなのです。

 アメリカに帰ったアシュレイが、突然生き甲斐とは何かとメールで質問してきたけれど、明日がどうなるか、世界がどうなるかわからない中で、私の前に現れてくれる人たちに、最善を尽くして私を差し出すことが生き甲斐だと、答えようと思います。アシュレイは少女時代に虐待されてきた馬を救い出し、立派に育て上げた。そういう努力ができることが私たちのアイデンティティになるのです。最後の最後まで、自分の物語を紡ぎ続けましょう。

 

 

76歳のセイラ 2023年10月

コロナ前にカナダから来た60代と70代の姉妹が、桜の咲き乱れる江戸川の土手でうしろ向きに写っている写真を、私はよくゲストに見せます。着物はこんなにも着ている人を若く見せる!というアピールなのだけれど、フィンランドから40代の女性と70代の叔母さんが予約してきた時、普通に着物を着せられると気軽に考えていました。定刻少し前に現れたブロンドのショートカットのミンナと花模様のワンピースのセイラと挨拶をした時、76歳だというセイラの背中が少し丸くて、髪もちょっとぼさぼさ、旦那さんが亡くなって一人暮らしであまり笑わず、フィンランド語しか話さない、ミンナが通訳してくれているけれど、私とは直接コミュニケーションは撮れない、難しいケースだと気が付きました。まだ気候は涼しくならないから、袷を着て柴又を歩くことができるかミンナに聞いても、すべてが初めての事だから見当がつかないと言われ、それはそうだと思って、とにかく着物選びを始めました。

 セイラは青い花の咲き乱れる付け下げに、ピンクに白地の蝶の袋帯を選び、ミンナは真っ赤な小紋に白地の袋帯、短めのセイラの髪を何とかアップにして華やかなかんざしや髪飾りを付け、口紅も付けたら、まあとても素敵な着物姿になりました。鏡で自分の姿を見て喜んでいるセイラを横目で見ながら、ミンナに赤の小紋を着せ、こちらはカチューシャをして赤い花をつけ、とても可愛らしく、とにかく赤と青の着物のコントラストが見事なのです。

 青はフィンランドの国旗、赤は日本の国旗を表しているから選んだと言いながら喜んでいる二人を見ていて、このまま疲れないうちに柴又へ行ってしまおうと思って、履きやすい大きい草履を出して、二時過ぎに出かけました。紐をたくさん使い、帯も締めているから、セイラは大丈夫かといつも心配していたけれど、意外とスタスタ歩き、元気そうです。あまり笑わないタイプなので、写真も連続して何枚も撮り、初めちょっと怖い顔でいたのがふっと笑う瞬間を狙い、ずいぶん撮ったのだけれど、青い華やかな着物とアップにした髪のセイラはとても綺麗でした。私がお寺の説明をすると、ミンナはしっかり聞いてくれてそれをフィンランド語で翻訳してくれ、御朱印帳も買って墨で書いてもらい、帰り道の参道では漬物の店でいろいろ試食し、栗と紫芋のお団子を買って四時ごろ帰宅、様子を見ながらティーセレモニーをして終了、セイラはそんなに疲れなかったとのことでした。

 着物を脱がせてワンピースを着た時、セイラはああ楽になったというのかと思ったら、着物を着ている時のいろいろな支えとなるものがなくなって、心もとないみたいなことを言っていて、そういえばポーランドの女の子が、腰が痛かったのが帯を締めていると楽だったとレビューに書いていたことを思い出し、セイラもフィンランドで着物を簡単に着て帯を締めていたら、体がしゃんとするのかしらと私は考えます。セイラは読書が好きで、日本の作家では村上春樹を読むとミンナが教えてくれ、直接セイラと話ができたら良かったのにと思ったけれど、最後別れる時セイラは強くハグしてきて、私は楽しかったなと改めて感じていました。

 

 フィンランドのゲストはこれで20人位になります。質実剛健、寒い長い冬の中で暮らすから、耐え忍ぶ気質だというけれど、最近は外国人も多く移住してきているようで、イタリア人のガエタオもフィンランド人の奥さんと結婚して暮らしているのでした。みんな元気かしら。行って見たいけれど、フィンランドは広すぎます。

台湾の孫     2024年1月

 詐欺事件で頭がまだ混乱しているところに、カリフォルニアに住んでいる台湾人の27歳の男の子がゲストとしてやってきました。電車の中で寝過ごし、15分遅刻して急いでやって来た、眼鏡をかけた真面目そうな彼は、日本語を少し話し、一生懸命謝っています。前に来た日本人とフィリピン人のハーフの女の子の紹介でここまで来たそうで、日本は三回目、お姉さん夫婦と一週間滞在して明日帰国予定、昨日は富士山観光で河口湖をサイクリングして、とても寒かったと言います。男の子だから着替えも早いし、シャイで写真を撮られるのは好きでないし、仕事はしていなくて、漫画やジブリが好き、でも空手を6年習っているので、身体は絞れています。

台湾に住むおばあちゃんが日本びいきのようで、礼儀正しく話好きですが、二階を案内し柴又へ行って庭園や仏教彫刻を見せても、そんなに興味はない様で、庭園も鯉も褐色系で色鮮やかでないと言っています。今予約が入らないのも、冬枯れで風景があまりきれいでないこともあるのかもしれないと気がついた私は、とても寒いし、着物を着て外に出るのも大変だと考え込んでしまいます。今日は天気が急変すると言っていたけれど、外へ出ると意外と温かく、明日帰るというのでお土産も考えながら、漬物好きなお母さんのためにお店で試食してもらいました。どら焼きは好きだけれど団子はダメ、でも駄菓子屋さんでは可愛いお菓子やマグポットを購入、なんだか女子っぽい男の子です。

帰りの電車に乗ったら突然強く雨が降り出し、コンビニで傘を一本買って彼の腕につかまりながら帰る時に、これは完全に孫とおばあちゃんだなとなんだかおかしくなってしまいました。急いで帰って、ティーセレモニーをして、プレゼントに羽織を選んで4時半に終了、さすがに疲れたと言って玄関を出ようとするので呼び止めてガッツリハグすると、しっかり抱き着いてきて、ああ孫だと思いながら別れました。男の子だから洗濯も足袋だけだし、楽だけれどやはり私も疲れ、寒いのでカップラーメンを食べてすぐ布団に潜り込んでいると、七時ごろレビューが来て、おばあちゃんといろいろ歩き回った感覚だったとありました。

彼は若い男の子としては特殊なパターンでしょう。私のところに来るには変わった子が多いのは自覚しているけれど、外国人で言葉が通じにくいので、沢山話されるとわからず聞き流すだけになる、そして勝手にこちらも言いたい事を言うのは年寄りのパターンです。夫が詐欺にあったことをアシュレイに知らせて、貪瞋痴にまみれていることを嘆くと、ニュアンスの違う返事が返ってきたけれど、それはとても興味深いものでした。夫の詐欺事件以来、世の中はお金欲しさに簡単にできる悪事がたくさんあることがわかり、人を傷つけることが利益になるから、戦争や犯罪が起こり、それすら罰せられない、国のトップが相手を攻撃しろというのだからもう救いようがなく、そして静かに天の罰が下されて行きます。途轍もない暗闇の中にいるのに、それが認識できない。詐欺に引っかかった夫と私は愚かだったけれど、こうやって人をだまし悪事に走る人間は、やがて滅びてしまうということがわからないのでしょうか。

自分がこせこせと悪事を働いていると、天はその何倍もの罰を与えるのです。

 

ノアの箱舟。魂を削っても崇高な命の存在を記すこと、苦しんでいるひと、未だに冷たい雪の下、瓦礫の下に埋まっている人々の魂を、天に送り届ける崇高さと優しさを表し続けること。そのための歩みを止めないかぎり、明日はやって来る。明日があるかわからないけれど、今を全身全霊で向かって、自らの命を懸けて生きることの大切さ。でもワールドニュースでは悪化し続ける中東紛争が報じられ、いかにどこの国の兵器でどれだけ爆撃できたかと声高らかにアピールするトップのコメントが映し出されます。国が違う、民族が違う、思考が違う、宗教が違うということは、とても重要だと私は強く感じています。

2024年  さくら

 三月の末は何回も柴又に行ったのに、桜のつぼみは硬くてゲストに満開の桜を見せてあげることが出来ずに、私は残念な思いをしていました。四月に入って右膝が突然腫れ上がり正座はできないし歩くのも大変になり、7日にゲストが来るまでになんとか治してと夫に頼みながら、毎日湿布をして包帯で固定してもらいました。

 当日になってもまだ階段の上り下りもきつく、ティーセレモニーをしようにも正座できないと思いながら、一時少し前に鮮やかなオレンジのセーターを着た小柄な黒髪の47歳の女性を迎えると、昨日日本に着いて相模大野からやって来たサンドラはエンジニアで仕事がらみの初来日で、コロンビアで生まれベネズエラで育ち、今はヒューストンに住んでいて、二人の息子さんがいて、オンラインで知り合った55歳のパートナーと暮らしているようです。前の旦那さんはフランス人?英語フランス語スペイン語を話し、今のパートナーはオランダ系?で、彼の子供たちはオランダで暮らしていて、彼女の趣味はフィギュアスケート、全く贅肉が無くて引き締まった体型です。新橋にある会社で働いた後は、沖縄に行き「イキガイ」についてリサーチするみたいなのだけれど、昨年来たゲストで、一緒に歌舞伎に行ったアシュレイも「イキガイ」に興味を持っていたし、どうもこの言葉はキーワードになる気がしています。

 初めてづくしの日本体験で、温かい日本茶を口にして「difference」と一言、すべてが珍しい彼女に何を着せようか随分悩みました。桜模様の小紋など見せたけれどピンとこないようで、小柄だしいっそカラフルな振袖が似合うかと出してみると見事に似合い、帯もかなり迷った後で、着てきたセーターと同じ強いオレンジを選びました。彼女のシャネルの香水が強くて、あとで部屋に入って来た夫が「においがする!」と言ったのには笑ってしまったけれど、情熱的な南米の彼女はアップにした髪に夫の選んだかんざしや櫛を差し、写真をたくさん撮ってから柴又に向かいました。お天気が良くて汗ばむくらいなので長襦袢も薄手にして、ついこの間まではショールが必需品だったのにと思いながら柴又に着くと、まあまあ満開の桜があちこちで見られ、私は興奮してしまい、桜の下の彼女の写真を撮りまくりました。面白かったのが、アップで撮るとにするとクレームがつくことで、いろいろな構図の写真を撮るゲストのスマホを覗いて見ながら少しは成長しないといけないと思って工夫して見たことが今回は仇となりました。最近私の顔を見ると「ババアになった」と連呼する「ジジイ」の夫のことを思い出して、パートナーに若く美しい自分を見せたい女心をもっと考えなければならなかったと反省、それにしても桜がこんなにも綺麗だと思ったことがあったかと思いながら、美しい着物姿のサンドラと一緒にいられる幸せをひたすら感じていました。今日は特別な日で、お寺の奥まで参拝することが出来、鬼神たちを踏みつけている仏像たちや帝釈天、彫刻、御朱印帳などあらゆるものに深い興味を持つサンドラは本当にラッキーな女性で、うちに帰ってから、義母の祭壇を片付けてノーマルな状態になった二階の和室を夫が案内し、鎧の前で写真を撮り、二人はすっかり親密になったようで、ティーセレモニー体験をして最後別れる時、夫と何回もハグしていました。

 昨年フィリピン旅行から帰って来て、ゲストに愚痴をこぼすことが多くなった夫に戦力外通告を出してしまった不遜な私は、彼が年が明けてネット詐欺にあい自分の小遣いを全部取られたり、義母の看取り葬儀法事と多忙で神経を使う日々を過ごし、亡くなったと連絡しても来ない弟嫁のこと、二人の男の子のいる姪がコロナ前から鬱病で心身共にすぐれないことを葬儀の時アメリカから帰国した彼女の姉に初めて聞いてびっくりしながら、何が正しくて何がいけないのか全く分からない世の中、自分に出来る最善を尽くし、一人の人間が、昨日来たサンドラが幸せな気持ちになってくれたら、私達はどんなに嬉しい事か、そのためには自分の心身を整え、しっかり前を向いていかなければならないと改めて悟り、夫の存在がゲストにとってとても安らぎになるとわかったのです。

 どこまで行っても学ばなければならないことは沢山あります。私はサンドラの言った「イキガイ」という言葉が、とても心に残っています。

すずめの戸締り

 いつもテレビのチャンネルを握って離さない夫が、今夜は「すずめの戸締り」という新海誠監督の映画がノーカットで放映されると言い、少し見て「つまらない」そうで9時過ぎにもう寝るというので、私は11時半までじっくり見ることが出来ました。「君の名は。」「天気の子」そしてこの「すずめの戸締り」は若いゲスト達が時々好きなアニメだと教えてくれるのですが、私には今一つピンと来なかったのです。

 新海監督らしい超自然な描写や時空の変換がダイナミックに映し出され、宮崎アニメとは違うタッチの画面を、私も若いゲストと同じ気持ちになろうと努力しながら見ていたとき、すずめちゃんが自分が小さい時に描いた絵日記を見るシーンがあって、可愛い絵が続く頁をめっくていると、みんな黒く塗りつぶされた箇所に行き着きました。上の日にちの欄には「3.11」と記されています。ああそうか、鳥肌が立つ思いで、全部納得しました。すずめちゃんのお母さんはあの日に亡くなったんだ、一人ぼっちになった彼女は宮崎に住むおばさんに引き取られて、そして17歳になったのでした。

 これは日本各地の廃墟を舞台に、災いの元となる”扉”を閉めていく旅をする少女・すずめの解放と成長を描く冒険物語で、「10年間は、ずっと2011年のことを考えながら映画を作っていた」「場所を悼む物語を作りたかった」それであれば、人々の思いや記憶が眠る廃墟を悼む、鎮める物語はどうだろうかと考えた。2011年に起こったあの出来事は、実際に被害に遭われた方々の心はもちろん、日本という国の歴史までも大きく書き換えてしまった。世界が書きかわってしまった強烈な記憶。今、描かなければ遅くなってしまう、焦りのような気持ち。あれほど僕らにとって巨大な出来事だったのに、11年が経って、共通の体験として分かってもらえないようになっていて、あの日、多くの人がまざまざと感じた強い揺さぶりを、改めて共有するタイミングは、今でなくては遅くなるのではないかと思ったと新海監督はいいます。

 どこか知らない町に住んでいて、学校から帰ってくると、勉強する気にもなれず、テレビや読書にも興味が沸かなくて、漠然と将来に不安を抱きながら、何となく窓の外をぼんやりと眺めている、そういう若者が多くいる気がします。災害という悪意も善意もない、人間の力ではどうにもならない巨大な力をいつもおそれ、それに加えて理不尽に狭くて不自由な空間に閉じ込められていたという、コロナ禍での強い感覚があるのです。自分達が住んでいる国は優秀で、いろんな問題もうまく立ち回っていると思い込んでいたけれど、コロナを通じて、それが幻想だったと客観視出来てしまい、それへの対応を諸外国と比較することによって、日本が今でも未熟な国であることが明確になってしまった、でも私たちは住み続けている日本の風土や文化に深い愛着を持っていて、それはすごく不思議な感覚で、愛着を抱くと同時に、そこに縛られているような複雑な気持ちがします。

 日本にやって来る沢山の外国人たちは、他の国に比べて日本は安全で食べ物が美味しく、人々は礼儀正しくて親切だと口々に言います。私もそう思う。だけれど危険な事態に陥ったり、相手が自分を憎んで攻撃を仕掛ける、災害やコロナウィルスといったどうにもならない巨大な力が襲ってきた時、どうやって戦うか、どうやって他の人をも救おうとできるか、どうやって心を冷静に正常に保って前に進もうとできるか、それがわからない、そういう目に遭ったことが無かったのです。

 前作の「天気の子」では、天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄される少年と少女が自らの生き方を「選択」するストーリーで、社会のセオリーから外れても自らの選択を貫こうとしました。かつては穏やかに移ろう四季の情緒を楽しんでいたはずの気象の変化が、いつのまにか危機に備える必要がある激しいものとして、とらえ方がすっかり変わり、これからは、天気は楽しむだけのものではなくなってしまうだろうという、不安や怖さを実感しているのです。生きることの厳しさを知っているゲスト達は、楽しく四時間を過ごして帰る段になるとすっと無表情になり、淡々と別れを告げられるとはっとすることがあるのですが、レビューは思いがけなく優しかったりするのが意外でした。

 たとえ運命が恐ろしいものであったとしても、何かを選択することにより、その方向を変えようと努力することが出来ます。私たちはあの恐ろしい津波がすべてを飲み込む様を目の当たりにし、コロナ禍の中、誰もいない正月の柴又のお寺を見て、それを忘れてはいけないのです。それを心の中に強く思い出す、ミミズが廃墟の入り口から高く空に舞い上がり、人々を滅ぼそうとする、それを見たらその入り口を身をもって塞がなければならない。そのための体力とスキルと思惟を深め、咄嗟の選択がより良いものになるように鍛錬していきます。まずは膝の痛みと腫れが取れて、屈伸ができるようにしましょう。明日は久しぶりにゲストが来ます。静かに静かに動きます。

五次元世界からのゲスト26日 11月 2022

   I want to ask if non-Japanese people can actually buy a kimono either from you or from somewhere you recommend?”

 こんな問い合わせのメールをもらったのは11月の半ばでした。外国人向けの着物を売っているお店は浅草とかに沢山あるだろうし、骨董市もいろいろなものが安く売られているのはわかっているけれど、高身長高体重の外国人が着られるものはあまりないので、私の体験は最後に着物か浴衣か小物をプレゼントすると返事をしたら、早速彼氏と二人で予約してくれました。名前がとても難しい彼女はテキサスに住んでいて、二人とも18090キロ台の三十代、彼女の問い合わせやリクエストが理路整然としていて、とにかくプレゼントできるウールの着物や道中着のようなものをたくさん用意しました。世田谷のエアビーの民泊からやって来たググちゃんはタンザニア出身、同い年のクリストファーはなんとお母さんがピアニスト、本人も五歳でピアノを弾き始め、バッハとベートーベンと武満徹が好きでピアノでは食べていけないからIT関係の仕事をしているけれど、趣味はピアノを弾くことだそうで可愛い柴犬を飼っています。ビッグサイズの着物を着せたら盛り上がったお腹が邪魔してきつかったけれど何とか着せ、刀を持ってポーズしてもらったらシャイな人懐っこい笑顔を浮かべる可愛い男の子でした。

 ググちゃんはかなり着物の品質にこだわるタイプで、こうなったら伝家の宝刀を抜くしかないから超高価な黒振袖を着せたけれどまあ綺麗なこと、180㎝の長身に手描きの東京友禅の模様が映えて、通りすがりの方々にずいぶん褒められました。大柄な方にはとことん高品質なものを着せないとだめだということは身を持ってわかっているし、これまでのゲストにも頑張って着せてきましたが、100㌔を超すと無理で、その時振袖ドレスのようにするか羽織ってもらって写真を撮るだけにしてきました。ググちゃんは胸元は綺麗に行かないのですが、最高級の絹の肌触りや重み、そして染めの色の深さや手描きの百花繚乱の模様の素晴らしさを理解し、喜んで着てくれる、これは初めての事でした。アメリカ人では理解できない、タンザニアのオリジンを持つ彼女は日本の文化に対して貪欲に吸収しようといろいろな質問を重ね、私は必死で答えていました。初めてのティーセレモニーをした後も、なぜお茶椀を回すのか聞かれ、前に英語で茶道を伝えようという講習会に参加したことがあったのですが、英語は堪能でもお点前ができない方がいて、この前来たリトアニアの男の子のように、私のお点前を見て何のためらいもなくお茶を点て飲んだ姿は、結局を極めれば理屈や訳は後からついてくるということなのでしょう。

 理屈で攻めるググちゃんに対し、彼女のGood Friendのクリストファーくんは情緒で守りに入るタイプで、参道を歩いて居ても二人の関係は不思議がられていたけれど、ちょっと髪の毛が薄い彼がなぜググちゃんと一緒にいるのかわかるような気がしてきました。仏教彫刻もあまり関心を示さず、リクエストで絵馬を買って記帳したあと、空腹に耐えかねたクリストファーは刺身定食が食べたいと言い出し、お店に入って彼は鰻と刺身の定食を頼み、お付き合いで刺身定食を頼んだググちゃんとずっと話しながら、私は一体何をやっているんだろうという不思議な気持ちになってきました。

 ちょうど電車が行ってしまったので、ホームで15分待っている間、二人はいろいろ話込んだり、突然長いハグをしたり、二人の間に何かがあるのだけれどわからず、乗り込んだ電車の中で彼に好きな作家を聞いたら何と村上春樹だというので、二人で次々小説の題名を上げて盛り上がり、うちへ帰って焼き鳥を食べながら酒を飲んでいたら、今度は三島由紀夫の春の雪が大好きだと言い、川端康成、大江健三郎の名前まで上げ、映画は黒澤明の蜘蛛の巣城だというので私たちは絶句しながら、「あなたは変わり者でしょう?」と平気で言ってしまいました。私に好きなアメリカの作家を聞くので、サリンジャーと答えながら、これも村上春樹の訳だよねと言い合い、ちょっとつんぼ桟敷に置かれた感のあるググちゃんに好きな日本のアーティストを聞いたら、村上隆と草間彌生の名をあげ、ポップなアートが好きなようです。プレゼントは好きなだけ持って行っていいと言ったので、用意した黒いバッグに次々と羽織や長襦袢や道中着を入れていくググちゃんを見て、夫はちょっと眉をひそめていたけれど、初めの目的がこれであり、欲しいという気持ちすら持たない人もいたのだし、私はこれでいいと思っていました。

 私は今五次元の世界にいるような気がしています。初めて会った異国人に娘の振袖を着せ、町を歩き、電車の中で文学や美術の話を興奮して語り合い、よくわからないながら二人の感情を推し量り、夢をかなえ、見守る。村上春樹のあの感覚、バッハや武満徹の音楽、黒澤明のシェークスピアの世界を理解する、アメリカの男の子の心象風景。多分普通に結婚して家庭を持つことはしないのかもしれないけれど、彼の心の中の葛藤、五歳の時からピアノを弾いてきて、鍛錬して習練して何かのスキルをものにすることに没頭し夢中になり、自分の奥底にあるものを出したい、出さないと身が持たない、才能があるとかないとかいうことではなくて、それは人間が生きていく上で一番大事なことなのかもしれない。それで食べていくことは難しかったから、今は趣味がピアノだと言いきる彼は村上春樹や川端康成の感性、バッハや武満徹の透徹した響きに呼応して心を震わせている。

 見た目は気の弱そうな男の子なんだけれど、なんだか私たちは五次元の世界に来ている気がします。彼らの生きて来た道のりや葛藤は分からない、それはすべてのゲストにも言えることですが、人間の中には暗い闇と輝く光があり、それがぶつかった時心からのパフォーマンスが生まれるとしたら、それを止揚した物語を作り続けるしかないのでしょう。行き詰らないために日常の生活を大事にする。空虚で感情のない表情で自分で深く考えることをせず、心を組織(システムに)預けてしまった、ロボットのような人間だったら、大量殺人でも何でも命じられればできるのです。

 いろんな救いは、みんなの心を和らげてくれます。どう進んで行けばいいか悩むけど、今までやってきたことをもっともっと突き詰めていけばいいのでしょう。

ヴァン・ゴー

 二階のリビングには、前の電器屋さんから毎年いただくパナソニックの名画カレンダーがかけてあります。月が替わって、ルノアールの絵だった8月のカレンダーをめくったら、9月はゴッホの「黄色い家」でした。朝のテレビ体操をしながらその絵を眺めていて、今までうちに来たゲストのうち何人もがゴッホが好きだと言っていたことを考えていました。同性婚のチャイニーズアメリカンの旦那さんは、ゴッホの「星月夜」の絵を腕にTatooしていて、びっくりしたのだけれど、外国人はゴッホのことを「ヴァン・ゴー」というと彼は教えてくれました。

 私もゴッホが好きで、彼が弟のテオに宛てて書いた書簡集を若い頃図書館から借りて熟読し、抜き書きしていました。でもある時好きな画家はゴッホだと言ったら「若いねえ」と馬鹿にしたように言われたことがあり、年を重ねてMOMA展でエドワード・ホッパーの絵を見てからひどく惹かれて、最近はゲストに聞かれた時は彼の名前をあげています。知らないという人もいるし、ひどく興奮される時もありましたが、最近はワルシャワ大学の数学の教授がブリューゲルと言っていたのが心に残り、絵画も自分のアイデンティティとなるのだなと感じています。

 お寺の仏教彫刻を見ながら、途中で好きな画家を聞くのですが、あまり考えたことがないタイプはひどく悩んで、でも各国の若手の画家のことは私にはわからないし、結局自分が知っている事しか心に留まらない、でもそれでいいのかとも思うのです。クリムト、ダリ、と言われると「ああ、そうか」と相手の感性を感じるけれど、一番すごかったのが「加山又造」と日本語で答えた中国系の大柄な女の子で、スマホで見せてくれた彼女の作品は精緻で輝かしく、将来は美術大学で教えたいという具体的な目標があり、シャイで不愛想なタイプのこの子の頭の中には才能が渦巻いているのがわかったのです。

 きっかけとめぐり逢いと、自分の抱えている根っこみたいなものが一致する時、人は前へ進めるのだと思う、日本文化、海外の文化は、隠れたところにそっと存在していて、自分で見つける人もいれば、そこへ行く道筋を一緒に辿っていくと、私自身が新しい感覚に目覚めることもあるのです。直前の予約が入らなければ、久しぶりに一週間休みです。かかとが痛いので、昨日はゴロゴロしてユーチューブやサイトを見ていて、際限なく入ってくる情報やユーチューバーの生活の覗き見に一日費やしてしまって、それでもその場限りの快楽は得られる、だけれど次の瞬間に前の動画の事を忘れてしまいます。

 フィンランドのゲストが来たので、久しぶりに村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み返してみました。フィンランドが重要なキーワードとなる、十年前に書かれたこの小説を読んだ時は、あまりインパクトが無くて彼の小説にしては薄味で淡々としていて、主人公の心情がよくわからないと思っていました。でもコロナ禍を経て、そしてエアビーのゲスト達と接触して海外の状況が少し想像できるようになった今、春樹さんの引き出しの中にあったものは限りなく普遍的な意味合いを持ち、危機的な世界情勢の中で思考回路を混乱させているもろもろの邪悪さから逃れ出て、一歩前に進むことを思い出させてくれることに気がつきました。

 そして、もしかしたらこれを読み返している今はもうこれからは存在しないかもしれない、自分の命も、思惟も、すべてが異空間で漂っている感覚が強くなっています。本を読んで、絵画を見て受ける感覚は一期一会であるならば、それを今消化して自分の中に入れて、これから来るであろうゲストとの邂逅につなげていかなくてはならない。ゴッホの様々な絵が彼のどういう意志のもとに描かれたものか、どんな息遣いだったか、何を表現したかったのか。

 同性婚のチャイニーズアメリカンの旦那さんの腕に彫り込まれた「星月夜」の四角い絵画。それを支えに、それを根っこに、彼は少し年上の黒人の奥様を愛し続けています。

 「誰のために書くのか、どのように書くのか、そしてなぜ小説を書き続けるのか」

 春樹さんの言葉です。現在進行形で、様々な優れた人々が、自分の力だけで進んでいくこの時代、無駄に生きることはできないのです。

生きていることの矜持 11月12日

 土曜日のゲストは男性二人、恰幅のいいマルコと、くるんと髭にワックスを付けてカールさせたネストールは40代で、一緒に暮らす仲の良いカップルです。30分早くビールの缶を片手に現れた二人は、高砂駅向こうの松寿司で食事して日本酒飲んでから来たとのこと、日本に昨日着いたのでまだ疲れと時差が残っています。メキシコ人でカリフォルニアに住む二人は初めての日本文化にわくわくしていると言い、マルコには義父の紬のアンサンブルを着せ、小柄なネストールには喪服を男物に仕立て直した黒紋付を眠狂四郎のように着てもらい、二階で鎧や掛軸の前で写真を撮ってから柴又へ向かいました。

 

 何処から見てもカッコイイ!話好きで温和な彼らは、柴又の庭園も彫刻コーナーもすべてに興味津々でした。でも疲れも見えて来て、酒好きのマルコがビールが飲みたいというので蕎麦屋さんへ入り、酒と魚がダメなネストールはオレンジジュースを飲み、ゆっくり会話していて感じたのは、彼らの醸し出す雰囲気の穏やかさでした。外国人と英語で話しているという感覚ではなく、彼らの言葉がストレートに心に響くのはなぜなのだろう。ネストールのエアビーのプロフィールに「私は夫と世界中を旅するのが大好きだったけれど、コロナウィルスのため出かけられない時はつらかった」とあって、私はネストールは女性だと思っていた時に、メールで二人の男性の身長と体重と年齢が送られてきたのです。

 

最近はペルーのマチュピチュへ行ったそうで、山のてっぺんでネストールがカウボーイハットをかぶり茶色いサングラスをかけて座って空を見ている写真を見せてくれ、それを撮っているのがマルコで、なんだか異質の愛情と感情が入り混じって、清々しく純粋な気持ちになりました。夫婦や親子や兄弟や親戚でもない男性二人の愛情というのは、同じ方向を見て同じ空気を吸ってそれで嬉しいというスピリットだけなのかもしれないけれど、最近の私はそれを感じるとることができる、私の仕事はゲストから与えられる何かなのだと改めて思った一日でした。

私のところにはるばるやって来るゲスト達は、ひとつ突き抜けた感覚なり、感性を持っています。初対面の外国人との4時間で、私は彼らに与えられることを必死で探します。何を求めているのか、どんな感性なのか、何を喜ぶのか。昨日来たハネムーンカップルは三十代で、京都へ行って華やかなレンタル着物を着ているし、京都の美しい風景を写した写メを見せてもらった時、これではうちの体験はかなわないとまず思ってしまいました。どうしよう、何をどう持って行けばいいのか、一緒に来た24歳の従妹のリクエストで一緒にやってきたのですが、静かで温和な金髪の小柄なアメリカ人の旦那様と、ベトナム生まれの割と地味目な奥様のカップルに、初めからちょっと違和感を私は持ってしまったのです。正直京都のカラフルな振袖は彼女には似合っていなかったと私は思いながら、初めての着物体験の大柄で若いミシェルは濃紺の菊の訪問着を選び、顔が丸いからと髪もアップにしないでダウンで花やかんざしを付け、にこにこ笑いながらあちこちでセルフィ―を取っているのに少し安心して、ハネムーンカップルの着付けにかかりました。京都では白地の羽織を着ていた旦那様には、もう品質で勝負するかないと義父の最高級の紬のアンサンブルを着せ、奥様はピンクの花柄の訪問着に袋帯、髪は自分でダウンに結って花を付けました。京都では勿論美容師さんに髪を結ってもらっただろうなと思いながら、でも自分もプロにアップにしてもらうと意外と気に入らないこともあるしなと逃げを打ち、自分の顔は自分が良く知っているのですから、自分でやるのが一番いいと勝手に納得してしまいました。面白かったのが、今まで来たゲストの写真を何枚も見ていて、それと同じコーディネートにしようとしていることです。京都で沢山の外国人の着物姿を見た上で、うちの着物を着たゲスト達をどう思うかは、彼らの感性です。今までもいろいろなことがあったから、いつも外国人に気に入ってもらえるとは限らないことは承知しています。でも私は必死で話しながら柴又へ連れて行く途中も、どう経験を展開させようか考えます。京都の庭や風景には柴又はかなわない、天気も曇りで光があまり差さない、でも混んでいないことはメリットで、たくさん写真を撮り、彫刻エリアではじっくり話をし、旦那様もじっと見入っているのを見ながら、この寺の矜持、彫刻師たちの矜持ということを私は考えました。狭いこの地域の中で、十年間ひたすら彫り続けた彫刻師の矜持、あるインド人にこれは中国のキャラクターを模写しただけだと酷評されたけれど、中国の寺にある彫刻は、もっと劣ったもので比べられないと言ってくれた若いインドの女の子もいました。見えないような片隅にまで精巧に彫られた彫刻たちを見ながら、これは彼らの矜持そのものだ、だから今こんなにも多くの外国人たちが、日本人たちが感動するのです。矜持を持つためには、己を律し、不正をせず、すべてに純粋な愛情を持てるかが大事で、その芯を持てない不安や迷いや孤独感が、形を変えて相手を攻撃し憎しみ罵る心につながるのです。私がこの仕事をやる理由は、着物たちが持っている凛とした矜持を、柴又のお寺の彫刻たちが持っている彫刻師たちの魂の矜持を、日本の文化であると感じてもらうことでした。私は先祖の位牌を守り、仏様や神さまを毎日拝むことができ、一緒にゲスト達とお線香を灯すこともあります。私はこれが文化だと思っています。

 時間がなくてこのところティーセレモニーをしていないことが悔やまれるのだけれど、茶道の精神を解説したレジュメを読んでもらい、私がお茶を点てそれからゲストにも点ててもらうということも、文化の矜持だと思うのです。とこれはコロナ前に書いたものだと思うのだけれど、世界は危機に直面している自覚を持ち、どうしたらそこからステップアウトできるか真剣に考えなければいけない、それには幼少時から本物の文化というエートスの存在を感じて居なければならないというようなことを言っていて、それは今も変わらない事です。

人間の中の欲、貪瞋痴は、もう表面に出て来て見えるものではなく、複雑に絡み合って頭の中や無意識の層の中に埋め込まれ、老若男女を問わず人々の心も感情も食い荒らしているのでしょう。今私はすべての危険な分野から離れたところにいます。皆と同じ位置に居続けることが苦痛だったけれど、これだけ世の中が狂いだしている有様を見ていると、そこにいないことはラッキーかもしれないいと思いだしています。子供たちに言いたいのは、考えて感じて、自分の本能が指し示す方向にゆっくり進んで行けばいいということです。ゆっくり、ゆっくりと、一歩ずつ一歩ずつ。

 

モノを売る前に自分を売れ

 客に自分という人に興味を持ってもらい、人間関係を構築できないと新しいビジネスは生まれないということに納得しています。道楽からビジネスへ。異分野、異文化の人間の交流を目指しているものの、英語力の足りなさや知識のなさをいつも感じていて、そんな時着物や茶道の奥の深さを実際に見てもらえるということが強いと、今更ながら気がつくのです。帰り際のティーセレモニーをじっと見ていた26歳の一人旅のシンガポールの女の子が、お菓子を食べるように勧めると「茶道の一連の動作に見入って圧倒された」と言い、レビューに書かれた「eye-opener」という言葉に私は驚きました。彼女は昨日京都から帰ってきているけれど、抹茶も飲んだことがないし、仏像も見て来なかった。

ワルシャワ大学の数学の教授夫妻が夏休みの学会の合間に体験に来てくれ、家の中で訪問着を着て写真を撮った時、選んだ袋帯が着物と合わず、残念がりながらあきらめたその帯を最後に奥様にプレゼントした時、目を丸くしていたけれど、その帯の質感や模様を理解し好んだという日本文化へのリスペクトは、彼女の幅広い教養の表れだと感じたのです。教養とは世界に通用するパスポートであり、異分野異文化の物事をつなげる力を持っている、そしてそのために宗教を理解することはとても重要なことだそうです。 

どんなに稚拙でも自分の技術で自分の力でこだわりながら話す、考えることをしなくてはなりません。宗教(Region)は、ラテン語の(Religio)が語源で、再びつなぐという意味であり、神と人間を再びつなぐのです。宗教とは神、または人智を超越した存在を中心として、教養や戒律を定めたものであり、世界の様々な社会、人の立場に立って考え行動するには、その社会の歴史や文化、価値観を知ることが極めて大切になり、これらの基底にあるのが宗教なのです。イスラム教は遠いアラブの国の話ではなく、マレーシアの国教はイスラム教だし、インドネシアにも2億人以上のイスラム教徒がいて、出生率が相対的に高いイスラム教徒は将来世界最多の信徒を持つ宗教となる可能性が強いのです。宗教を軸とした歴史という大地に、政治、経済、社会、文化、科学という様々な花が咲いています。

ヒジャブを付け黒ずくめの洋服を着たバングラデシュ人のタイファは、17歳で結婚し、子供が三人いて今はカリフォルニアに住んでいるのですが、やってくるなりカーペットの上で祈りを捧げ、勤めを果たしてから、目を輝かしてあれこれ着物を羽織り、刀を持ってポーズし自撮りをし続け、ティーセレモニーもこなして美味しそうに抹茶を飲んでいました。帰ってからもメールを送ってきて、今まで味わったことのない文化がとても新鮮で嬉しかったとあり、十代で子供を産み子育ても終わった時、自分を成熟させるきっかけを探している姿の貪欲さや、宗教が身体の中にあり、家庭があっても、何かがない、何かを求めている姿を知って、私は意外な思いがしました。

最近の世情は倫理観を欠き、他人を攻撃し苦しめることが当たり前になってきている、自分の心を見つめる胆力が無くなり、成熟せず果実は落ち、紅葉しない葉が緑色のまま枯れていきます。規範がない、仰ぎ見る景観を見た時の言葉が「スゲー、ヤバイ」に留まってしまう、もっともっと深い言葉たちを取り戻したいのです。最近来るゲストは、最後に言葉に詰まって泣くことがある、私もゲストと話していて思わず言葉に詰まり泣いてしまうことがあります。華やかに着物を着た美男美女のカップルでも、大きい新居を見せてくれたハネムーンカップルでも、結婚式の素晴らしい衣装を着けたカップルでも、不意に見せる孤独の影や闇があるのを、闇と共に生きている私は感じて絶句します。

こんな言葉たちがニーチェと共にありました。

「いつか空の飛び方を知りたいと思っているものは、まず立ち上がり、歩き、走り、登り、踊ることを学ばなければならない。その過程を飛ばして飛ぶことはできないのだ。」

「世界には、君以外には誰もあゆむことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。ひたすら進め。」

「あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。」

「世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。」

「一日一日を始める最良の方法は、目覚めの時に、今日は少なくとも一人の人間に、一つの喜びを与えることができないだろうかと、考えることである。」

「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。」

「独創的―何か新しいものを初めて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にも触れていたが見逃されていたものを、新しいもののように観察することが、芯に独創的な頭脳の証拠である。」

時の流れが変わり始めています。この世界の果てに待ち受ける脅威。「私たち世代が未来に残さないといけないものは何なのかを真剣に考えていく。伝えたい人に届く方法を自分なりに前向きに探し続けていく。」東京オリンピックの演出を辞任せざるを得なくなったMIKIKO氏が2021年に綴ったコメントです。「ひとつ苦しめば一つ表現が生まれる。一つ傷つけば一つ表現が創れる、ボロボロになる。その分だけ輝けるんだ」堂本光一さんの舞台の中のセリフです。その表現で、その演技を見て、苦しんでいる人が救われる思いがするように、そんな思いで身を削っている存在もあるのです。未来に残さなければいけないものは何なのかを真剣に皆考え、伝えたい人に届く方法を探す、今それをしなければなりません。

破滅への使者

 2023年11月9日

 

二日連続してゲストが来ると、頭の中がこんがらがってしまい、まず名前が覚えられなくなります。水曜日のゲストの名前が難しく、ママの名前は最後までインプットされなかったけれど、翌日に浅草からやって来た女性二人のうちのボーイッシュな台湾のゲストは、私が彼女の名前を覚えられないので、「リューサン」でいいと言ってくれ、ほっとしました。それにしても難しいパターンで、ショートカットで背が高く細身で若い時の野村萬斎さんのようなリューサンを彼と呼ぶのか彼女と呼ぶのか迷って、相棒の綺麗なグレースに聞いたら「she」と即座に答えてくれたけれど、おしゃべりで好奇心の強いリューサンは矢継ぎ早に質問を重ね、私の日本語の言葉尻をとらえて真似するし、グレースの着付けに集中している時に話しかけられると言葉も思考も止まってしまいます。

旅行好きでフランス語を5年間勉強していたリューサンはミロとピカソが好き、美的感覚も面白く、グレースの着物選びにもこだわり、ゲストが好んで着る明るい華やかな訪問着や小紋はすべて却下し、いつもは使わない着物の棚からあれこれ出して探し、最後に選んだのがうす水色の紬の訪問着で、白で線書きの絵が入っている珍しくて高級感あふれるものだけれど、少し地味でなかなかゲストには選ばれないものです。帯もさんざん考えて、今の季節にぴったりの、黄色の銀杏の葉がちりばめられている黒ちりめんの名古屋帯にして、明るい臙脂の帯揚げに薄い銀とピンクの帯締めを使い、細身で薄い体形なので沢山紐や伊達締めを締めて(10本)着物のよく似合う着こなしの上手な日本人のようになりました。リューサンは高級なブルーの紋付きの紬に陣羽織を付け、パスポートも全部入れたきんちゃく袋にキャノンのカメラを持って柴又へ向かうと、参道のお店の方々から賞賛の声がずいぶんかけられました。去年京都だけ来たことがあり、今回は東京にだけ10日間滞在するそうですが、高砂の静かな町も柴又の参道も、帝釈天も全てが珍しく、いたるところで写真を撮りながら感動した声を上げています。

 たまに頼まれて私が撮るツーショットは多分グレースの望みの構図ではない気がして、二人で自由に動いてもらっていると、リューサンの感覚は女性のものではないことに気がつきました。私の体験の時間配分を気遣ってくれたり、買い物も早いし、店先で子供がみたらし団子を食べているのを見て「食べる―」と騒いでみたり、自由気ままなところと細心の気配りが同居していて、いろいろなことに執着せず風のように生きている感があります。

 彼らがうちに来てしばらくした時に、私が日本人らしくなく、オーバーアクションでコミュニケーションを取り、フレンドリーなのがとても珍しいと言い出しました。それはリューサンも同じで、今までのゲストはもう少し静かだったと言い返しながら、私たちは似たところがあるのかもしれないと思っていました。義父によく言われたのが、私が考えないで言葉を発すること、軽々しく行動する、言葉に重みがないなどでした。日本で暮らしていると、軽はずみに言葉を発するからヒンシュクも買うのですが、ゲストの相手をするときは自国語でないという制限があり、話したい事の半分も言えず、単語が思い出せないとそこで会話はフェイドアウトしてしまいます。でも優れた日本の伝統文化や着物たちは、私の拙い言語能力を全て飛び越し、ゲスト達に静かな感動を与えてくれるのです。

 38歳の彼らは、私の子供たちと同じような年代で、リューサンに日本では家族で集まるのは正月とどんなときか?と聞かれ、仏教や伝統的な日本の行事と答えようとしたけれど、行事を英語で言えなくて詰まってしまいました。(eventでした)リューサンは年の離れたお兄さんの三人の子供が可愛いと言っていたけれど、一人暮らしで旅とテニスが好きでどこでもコミュニケーションをとるのが早い彼は、世界を俯瞰して見ながら生きているようで、これまで来た自分のアイデンティや親や夫との愛情関係に傷ついたり悩んだり孤独を感じて居るゲスト達と違って、そんなものを超越しているというか、クリアしたところにいるのです。自分の人生の方向は選択するのではなく、他の道が消去されて、壊されて残ったところを進むことなのかもしれない、イスラエルの現状を報道するニュースは、現実なのにゲームの中の戦いのように思える、アイスショーの中でゲームが深い意味と倫理観とメッセージを持っているものと知った時、生きていくにあたっての選択肢は人生をやめない限り続いていくのだから、あの時こう選択したからこうなってしまったと嘆くのではなく、次々出てくる選択をどうクリアしていくか、それは永遠に続いていくものなのでしょう。リューサンは、寺の彫刻や庭園を楽しみながら、違う価値観の中で楽しい夢を見ている、夢を掴もうとしている。

自分が選んできた選択肢というものが人生の中にあって、その選択肢の先に一回破滅というルートがあったとして、すべての障害を乗り越えて夢、目標を掴むということが繰り返されるのなら、あなたは何を選ぶか、何を選んで何を感じるか。同性婚のゲストの事を思い出しました。もしその事実が破綻しても、元に戻る道はないし、また新た道を進む原動力になればいいけれど、本当に自分の人生って何なんだろうと思うのです。ここで選択を変えたとしても、自分は自分でしかない。

 だけれどゲームの中のシチューションのように、相手を殺すか、町を破壊するか、進むかという選択を、ゲームのようにイエスと選択して戦うことが今の現実だということ、現実であれば自分もその中にいるという感覚が私たちにはもうつかめなくなっている。自分の命を滅ぼすためのイエスを選択できなくするためにはどうするか。

 破壊する。壊す。粉々にする。何を?ケツイを持って破滅する。何を?破滅への使者というゲーム音楽が頭の中で鳴り響いています。

 

 

 明日は二人の40代の男性が来ます。気になるのが、申し込んできた男性のコメントに「私は夫と旅をするのが大好きです。」とあることで、単なるミス記入かとも思うけれど、到着して二人を見るまではわかりません。でも、同性婚の奥様の着物姿はとても美しかったし、昨日のグレースも素敵だった、カップルでも夫婦でも恋人でも友達でも親子でも叔母と姪でも、これまで来たゲスト達は楽しそうだったのです。私の“体験”を選択してくれる。その重みを私は感じて居ます。私はどういう姿勢で、態度で、気持ちで、彼らを迎えるのか、それも選択です。

トルコ人のパパ

 昨年の9月に来たゲストは、今まであったことのないタイプの女の子でした。

 

 九月も半ばだというのに昨日もかなり暑く、午前中にマックを買いに電車に乗って金町へ行こうと思ったら、高砂駅で停電が起きて電車が一部止まっているというのです。金町線は動いているのでマックを買いに行けたけれど、今日来るゲストは大丈夫かしらと心配していると、一時に「今浅草にいるけれど遅れていく」と連絡があり、15分遅れで到着したドイツの“黒い森”から来たという27歳の女の子はパパがトルコ人で、色の白いふっくらした可愛いタイプです。日本語を少し習い、ドイツ語トルコ語英語を話し、大学院で言語学を勉強していて、将来はドイツ語を教えたいけれど、見た目はドイツ人ぽくなく、なんとなく不思議なタイプです。顔が丸いからと気にして真っ直ぐの多い髪をおろし、ラーメンの絵と字が書かれたTシャツに綺麗な水色のゴムのスカートを履いていて、この前来たドイツ人のレナちゃん一家の着物姿の写真を見せると「見るからにドイツ人だ」と言い、自分はそうではないと他人事のように話します。確かにドイツ人ではない、何よりも選択が早く、中国人が好きなカラフルな訪問着にフリル帯を選んだのにはびっくりしました。この着物は小さい、ふっくらした彼女には厳しいサイズだし、フリル帯を選んだのも初めてです。来た時の服装も特異だし、ドイツ人でもなくトルコ人でもない、細かいことは気にせず、着物を着ても素足が見える歩幅で歩くのです。

 レナちゃんの妹が、ヘアスタイルが決まらずいつまでも髪をいじり続け、何事にも長考なのに比べて、物事を決める基準が早い彼女のアイデンティティーはどこにあるのでしょう。帰ってから速攻で送ってくれたレビューには私の体験は“thought-through”考え抜かれた、とあって、この言葉をもらったのは初めてです。

薄紫の単衣に着替えて柴又へ行った時、外国人の家族が境内にいて「どちらの方ですか?」と私が聞くと「ドイツから」と男性が答え、「私ドイツ人です」と彼女が言って、それからマシンガントークが始まりました。渋谷に宿泊している家族に、あなたはドイツ人らしくないと言われた彼女が、父はトルコ人だと答えていて、面白いなあと私はそばで聞いていて思いました。

彫刻コーナーでもいろいろな話をして、ひらがなや漢字も少し読める彼女に阿吽のこと、龍のことを教え、帰り道ではLGBTQについてどう思うか聞かれ、目の前に現れたゲストがそうであったら、受け入れるのが私の役目だと答えていて、今までのゲストは日本文化とか着物を味わう、異文化を楽しむというスタンスだったのに対し、彼女の場合、自分自身が異文化であって、その形を明確にし、そして改めて受入れられるか考えているのではないかと気がつきました。ドイツ人に対してもトルコ人に対しても、心から受け入れる気持ちにはなれない、批判もあるし冷ややかに見てしまう時、では自分は何なのかと問いかけられてしまうと、まだ何も返答ができない状態のようで、だからいろんなところへ行って様々な感情を味わい、自分の方向を見つけようとしているのでしょう。

 彼女は何かの解答を得たくて、私のところへやってきている。バングラデシュ人のタイファも、アメリカ人のアシュレイもそうなのです。求められるものが大きい気がするのだけれど、テレビを付けるとプーチンと北朝鮮のトップが仲良く会談をしていて、それを何のコメントもなく延々と放送しているテレビ局は、彼らが多くの人を殺したり、ミサイルを撃ち込んだり、横田めぐみさんを麻袋に入れて拉致して解放しない暴挙を繰り返している人間だという事実すら認識できないのです。狂っている。壊れている世界。教育も、労働も、正しく働かない清潔で安全だけれど思考能力のない日本より、薄暗いフィリピンの民家の団らんの中の方により真実があったのではないか。

 体の中に違和感を感じ、闇を見ながら、トルコの血とドイツの血のはざまで彼女は進んで行きます。30日まで日本に滞在、大阪、京都、奈良、広島各地を巡り、今晩は一蘭でラーメンを食べるそうです。

金沢大学にいるレナちゃんからレビューが来ました。3回目の体験、いつも通りありがとうございましたとあり、金沢に遊びに来て下さいとのことです。ドイツ人の案内する金沢はどんなだろうか。

バースデイストーリーズ

 

 しばらくぶりに、昨年の記憶に戻ります。暑い8月に五反田のアウトレットに行く途中に雨に降られて、ツタヤで雨宿りをしながら本棚を見ています。

 中古本があふれんばかりに並べられているのを見ても、結局春樹さんを買ってしまうのだから、どれだけ好きなのかと思うけれど、彼の考え方や思考は、私の心の拠り所です。最近はたくさんの外国人と接触する機会が多いので、翻訳本も、この地名は聞いたことがあるとか、考え方や感じ方、生活の仕方など知りたくて、真剣に読むのですが、雨宿りの短い時間に読めそうな、ラストの春樹さんの短編「バースデイガールズ」を選んで見ました。冷房の効いた明るいコーヒーショップで、春樹さんの小説を読み、時々外に目をやって雨がまだ止まないか確認しながら美味しいアイスコーヒーを飲んでいると、心がとても穏やかで幸せなことに気がつきました。

 私は今、晩年にいるのか最晩年にいるのかわからないけれど、そうなると焦りも欲も無くなり、本当に大事なものを見せてくれる指針を大事にしながら、自分の持っているものを、外国のゲスト達に差し出す努力をしていけばいい、すべてが有難く、幸せに満ちている気がするのです。

 金沢大学に留学しているレナちゃんの友達の若い男の子が一緒に着物体験に来て、ひで也工房の黒い浴衣を着て柴又に行く電車の中で、好きな作家はヘルマンヘッセで「荒野の狼」が好きと言い、私は「車輪の下」だと答えて、二人とも暗い資質なんだと思いながら、日本語の堪能な若いドイツの男の子とヘッセの話ができることに驚き、私が年を取ってきてやっとわかった禅の「十牛図」の本をいつか読むように勧めました。彼は両親が離婚していて、トルコ人と再婚したお母さんは彼にとっての異父弟を生み、ドイツではあまりうまくいっていないようで、だから日本で勉強しているのかもしれません。

「荒野の狼」の主人公は真面目に、あまりにも真面目にこの世界や自分の存在について考え続け、狼のように街の中を彷徨い、救いも見いだせずに生き続けていて、すべてにおいて真面目に考えていると、その人間の行きつく先は最終的に「自殺」に到達するだろうということなのです。しかし、この世界は果たして真面目にとるべき世界なのだろうか。人生は「真面目に」考えてわかるものなのだろうか、それでこの世界や人生をわかったことになるのだろうか。この世界や自己を「まじめに」取り続けているうちは、おそらく彼に人間らしい人生はやってこないだろう。

 ヘッセは常に自己の中で相反する二つの自分を抱え、何をするにもそれを肯定する自分と、それを否定する「荒野の狼」が同時に一つの体の中に住まわっていて、互いがいがみ合っているというのです。本当は自己というものは、その二つだけでなく、もっとたくさんの姿があるのに、その二つしかないと思い込んで50年間にわたって生き続けてきた。精神的なものに通じる世界、ゲーテやモーツァルトや哲学、言語などの学者の世界を愛する一方で、ごく当たり前の日常生活にも憧れている。市民生活にごくありふれている「ユーモア」は、自分を肯定するか否定するかという二つで出来ているわけではない。真面目に時間をかければ、この世界の真理にいずれ到達し、そこにたどり着けさえすればいいと考えることの浅はかさを笑ったのではないか。そもそも人間の人生なんて大した時間ではないのだ、それをまじめにとればわかるようになるなんて思うのはばかげている。それよりも、そのただひとつの冗談を言うために苦労なさい、こんな馬鹿げた世界なんて平気で笑ってやりなさい、真面目にとっているだけでは生きられない世界で、笑って生きること。それがユーモアなのだって言っているように思えるのです。

自分の世界は自分と荒野の狼しかいない、自分を肯定するものと否定するものしかないと思い込みながら生きてきたのを、自分の過去の世界を打ち壊してもう一度世の中の物事を見ようという主題のこの本を、21歳のドイツの男の子は自分の心の支えにしている。なんて真面目なんだろう、ドイツ人らしいなあと思いながら、かつて私もそうだった、だから今まで悩んで迷って生きてきました。

 禅の十牛図に救われたのは、なすべきことを終えて老年に入ると、すべてのことがリセットされて、皆また同じスタートラインに立つということ、それからは自我も欲も名誉もなく、あっけらかんと俗性の中で酒を飲み、笑いながら何も考えず、明るく楽しく生きて行けばいい、ということがわかったからでした。世界中から訪れてくるゲストに綺麗な着物を着せ、文化を味わってもらいながら内面的な話をし、最後には明るく笑って別れる、そして私は色々忘れてしまうけれど、また次のゲストを迎えていくのです。

 

村上春樹の「バースデイ ガール」という小説は、レストランでウェイトレスのアルバイトをしている20才の女の子が、自分の誕生日もそこで働いていて、オーナーの老人の部屋に料理を運んで行った時に、誕生日プレゼントとしてなんでも願い事をかなえてあげると言われるのです。「美しくなりたいとか、賢くなりたいとか、お金持ちになりたいとかなんでもいい」と言われたけれど、長いこと考えて彼女が口にした願い事を聞いて、その意外さに老人は驚くのです。でもそれがなんであったかは最後まで明かされません。

ずっと後でその話を聞いた人が、その願い事はかなったかと彼女に尋ねたのですが、「それはイエスでもあり、ノーでもある。人生はまだ先が長そうだし、物事の成り行きを最後まで見届けた訳じゃないから」

そして「人間というのは、何を選んだところで、何処までいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。」

私もドイツの彼も、もし20才の誕生日に一つ願い事をかなえてあげると言ったら、何を頼むのでしょう。

ハチャメチャだった私の二十歳、それから五十年たちました。

私の今の願い。空を飛ぶように、息をするように、すべてを愛おしんで生きて行きたいのです。

君たちはどう生きるか。またこの命題に戻ります。コロナウィルスが蔓延し、異常気象が続き、殺し合いの紛争は収まる気配を見せません。自分の命がどうなるか、それもわからない時代に、何を願うのでしょう。

自分であり続けることに、努力すること。自分の器を広げ、そして磨いて、進化し続けること。楽しく暮らすこと。

 

 私のところに来るゲストは、いろいろなギフトを置いて行ってくれます。私はそれを見て、気持ちを感じて、相手を想います。暑い中、明日明後日と連続でゲストが来ます。精一杯の努力ができますように。私の力が続きますように。それが今の願いです。

なぜ人を殺してはいけないのだろうか

 夕方から放映される「相棒」をよく見ていますが、昨日は東大法学部名誉教授の古稀を祝う会に優秀な教え子たちが集い、そこで恐ろしい事件が起きて、猟銃を手に人を殺したいという欲望にかられた教授が教え子を監禁し、「なぜ人を殺してはいけないのだろうか」という命題の解答を書いて、その出来が悪いものを殺すというシチュエーションを作り出すのです。教え子達は弁護士や閣僚、大学教授などそうそうたるメンバーなのだけれど、この切羽埋まった情況でこの命題について考えるということが、今の私にはとても興味深い事です。

 知識も語学力もない私だけれど、いろいろな国から沢山のゲスト達が来るというシチュエーションだけは沢山あるから、監禁されて命題を突き付けられた時の警察官僚の危機意識の持ち方がとても大事だと思えるのです。このテレビドラマが作られたころより、今現在はもっともっと危険に満ちています。なぜ人を殺してはいけないのだろうかではなく、なぜ人を殺さないのかの方が人々の心にストレートに響く。

 イスラエルとパレスチナは両者が互いに「相手は自分たちを破壊し尽くそうとしている」との恐怖に取りつかれているため、激しさを増しています。互いに相手の民族集団としての存在を終わらせたいと思うということは一体何なのでしょう。パレスチナ人は1948年のイスラエル建国で、パレスチナ国家樹立の機会を奪われ、以来何度も虐殺や追放を経験してきました。イスラエル人はパレスチナ人を追放し、ユダヤ人だけの国を作りたい、でもイスラエル人も、ナチスに約600万人のユダヤ人を虐殺されたし、欧州のユダヤ人社会はほとんど壊滅したのです。イスラエル人とパレスチナ人はそれぞれ異なる歴史を持ち、異なる環境下で暮らし、異なる脅威に直面しているのだけれど、互いに「相手が自分たちの殺害や追放を望んでいる」と思う理由があり、単なる敵ではなく常に自分の存在を危うくする脅威で、そして相手が自分の存在を消したいと思う理由がよくわかるから、その前に相手を排除しなければならないと考えるのです。「これまで自分たちをどれだけ不当に扱い、相手がいかなる脅威を見せ続けても、生まれた国で尊厳を持って暮らすという相手の権利を尊重する」と心の底から言えるようになれるか。

 外国人着付けを個人的に始めたころ、イスラエル人のゲストが続き、なぜだろうと思ったのですが、正直なところその後もJewishと名乗られると、私の気持ちは少し波立ったのでした。そしてコロナウィルスが蔓延し、海外旅行はストップして誰も来なくなり、再開して観光客で賑わうようになっても、イスラエルのゲストはあらわれません。今日はシリアの首都ダマスカスでイラン大使館がイスラエルによるとみられる空爆を受けたというニュースが入りました。台湾では大きな地震があり、建物が倒壊した映像が映し出されます。四月はあまりゲストが予約してこないから、腫れてしまった右膝を安静にして治し、いつでも逃げられるように身軽にならなければならないと思いながら、この末世をいきぬくすべ、選択の大事さ、もし間違ったとしてもそれに意味を持たせなければならないと考えるのです。

 試験問題で「なぜ人を殺してはいけないのか」と出題されたら何と答えるのか。人間の問いではなく、神しか問えない質問ではないでしょうか。人間の傲慢さに惑わされる前に、私達は自分のたった一つの今のこの人生をちゃんと生きていかなければならない。そのためにあらゆる努力をするのです。相棒のドラマのストーリーは、猟銃を持った教授は実は他人を殺すのが目的ではなく、自分が撃たれて殺されたかったという複雑な伏線がありました。

 ベニスの商人の中に出てくる金貸しのシャイロック、マクベスなどシェークスピアの文学は激しく凄まじいものが在ります。でもそんな文学を読み、感情を追体験することで、心が解放され、人間の幅が広がり、物に動じなくなり、何かを思うようになる。人間の幅や深さはそれぞれ違うけれど、それぞれが影響し合うことで何かのエネルギーが生まれ、自分の力で自分の精神を浄化して、自分の内側にこそ世界を変えるパワーがあることに気づき、どんなに頑張っても報われないことからも学び、もがき苦しむ生き様もさらけ出して、今度は風のように違う人生を歩もうと努力していくことを、1600年代にシェークスピアは示していたのです。

 NINAGAWAマクベスのBDの広告が新聞に出ていました。日本人の演じるシェークスピアはどうあるべきかと模索していた蜷川幸雄は、実家の仏壇に手を合わせ、父親の位牌に話しかけ、ろうそくを灯すうちに考えが駆け巡ってきて、仏壇の中にそっくり物語が入っていたら、日本人は先祖の物語としてシェークスピアを受入れてくれるのではないかと考えついたと書いてありました。舞台に作られた大きな仏壇を、背を丸めた二人の老婆が開ける、桜吹雪や赤い月といった強烈な視覚効果に読経の声を重ね、フォーレのレクイエムが流れる、三人の魔女は歌舞伎の女形、激闘するのは日本の武者というエモーショナルなマクベス。初期の野外劇だったマクベスに俳優の松重豊さんは雑兵として出演していて、マクベスに切られて早々と死に、草むらに横たわっているとフォーレのレクイエムが流れ、空には星空が見える、その時「ああもう死んでもいいや」と思ったそうです。カタルシス、精神の浄化、もう一つの人生を生きて見よう、違う自分になるんだ、風のようになるんだ。こういう追体験をいかにしてきたか否かが、人間をつくっていく。ちがう自分になれる。優れた音楽や文学や、舞台やパフォーマンスは、だから有益なのです。生きていくために、今は特に必要です。限りなく考え、自分の中から生み出すものを磨き続けること。

 義母の戒名を初めて見た時、私はとても感動しました。曹洞宗のお経をきちんと把握し、葬儀の儀式、四十九日までの綿密な供養をこなし、義母と共に毎日修行に励んでいた日々の中で、毎日目にする位牌の戒名は、まるで詩のように見えてきたのです。仏教とはそれぞれが自分の中で紡ぎ出していく悟りであり、物語であるとしたら、戒名は最後の詩だった、私はうちの仏壇の中にあるすべてのお位牌の意味はご先祖様の姿であるといつも思っていました。それぞれのラブロマンス、それは永遠に仏壇の中にある。日本の文化とはなんと素晴らしいものなのでしょう。

 「なぜ人を殺してはいけないのだろうか」そういう問いかけが突然突き付けられた時、自分の中に文学なり音楽なり哲学なり何らかの優れた感情や感動の追体験があり、本当の生きる意味を見出だそうと努力している表現や姿を見て心を動かされる土壌があるものは、その問いに対して穏やかに応えることが出来る、それは教養であり文化であると私は思うのです。「なぜ人を殺さないのか」と命題が変化しても気がつかない精神の鈍麻さは、やがては自分の命を滅ぼし、それを悼む人すらいなくなるという事実が、シェークスピアの文学には綴られているのです。

 

160㌔

 納骨が終り、セッティングしてあった四十九日までの段組やグッズを全部片づけ、遺影を鴨居の上に飾り、位牌を仏壇の中に安置して一段落し、ほっとして今日の史上最難関のゲストを迎える準備をはじめました。朝に成田について、荷物をホテルに送ってランチを食べてからうちにやって来るとのこと、50代の夫婦と義母、そして160㌔の精神障害がある24歳の姪がメンバーで、今日はかなり暑いし家の中で写真を撮ってから、洋服で柴又へ行こうと思うけれど、10時間のフライトの後ではかなり疲れているはずです。今までも何人か日本に着いたばかりで来るゲストはいて、メキシコの男性二人は高砂のすし屋でビールを飲み寿司を食べてからやってきて、柴又もあまり長時間だとつらいようでした。

 ランチを食べて30分早くやって来たオーストラリア組は、パパより大きくて年上のシンシアも、ナイスガイのパパも、パパのお母さんのケイシーもみんなふっくらしていて、そしてパパの兄弟の娘さんのエイミーは24歳、160㌔、そしてシンシア曰く10歳程度の知能だそうです。でも日本のアニメが好きで、私にはわからないキャラクターのTシャツを着て、AdoのCDを掛けるとワンピースの歌を一緒に口ずさんでいます。気温がどんどん上昇しているので冷房を少し入れて、まずパパに着物を着せ、おばあちゃまに青の菊の訪問着を着せ、エイミーは紫のサリーを巻いてその上から黒の大振袖を羽織らせてお姫様風にして写真を撮りました。

 シンシアには赤の大きい振袖を着せて何とか帯を結んでほっとしたら、椅子に座っていたエイミーが抹茶ラテの入ったコップを倒し、液体の上を振袖の裾をひきずりながらこちらへ歩いてくるので、私は真っ青になってしまいました。ああああああああ!夫がタオルで床を拭き、私は裾をタオルで拭いながら、20年前に作って50回ぐらい着て、まだ一度も悉皆屋さんで手入れをしたことがないこの黒の大振袖を手入れするタイミングが訪れたのだと思っていました。大人三人にはその後浴衣を着せ、単衣の着物なども見せて着物の種類などを教えてから、洋服で柴又へ向かいました。参道を歩くまでは良かったのですが、靴を脱いで庭園エリアに入ろうとすると、エミリーが足が痛くて歩けないから座って待っていると言い出し、私達だけで色々回りました。日本文化は初めてであらゆるものに興味津々の三人は春らしい景色や彫刻を楽しみ、喜んでいました。御朱印帳を買って記帳してもらい、お賽銭箱に小銭を入れ、縁結びのお守りをシングルのおばあちゃんは買っているのを見ていると、彼らはかなり日本文化を予習してきたようです。

 それにしてもまだ日本に来たばかりだというのに足が痛くてたまらないエミリーは、これから京都広島大阪と回れるのかしらと心配になります。柴又からの帰り道、エミリーはまた動けなくなり、駅の改札口でおばあちゃんと待っているというので、シンシアとパパだけでうちへ戻り、おいてあった荷物を持って帰りました。エミリーの生い立ちを話してくれたけれど、オーストラリア英語を早口で言われるとどうにも理解できず、相槌だけを打っていたけれど、この旅行はみんなにとってかなり負担です。タクシーにも乗れないのではないかと思うし、無事帰れるのかも心配です。

 いろんな人生があり、いろんな負担がある、何とも言いようがありませんが、抹茶ラテの染みこんだ大振袖は長年の汚れをやっと取ってもらえるし、業者さんにもあのすばらしさを見てもらえると思うと、少し嬉しいのです。

納骨

 気温が上がって暑いくらいの土曜日、無事義母の納骨が終りました。越谷や世田谷から来る義母の弟妹の方々は長時間の行事に疲れが出ないかと心配したのですが、総勢14人が自宅に揃うとさすがに混乱して、お茶を出すのも大変だったけれど、子供たちや甥がスラスラ手伝ってくれて、有難い限りです。マイクロバスで柴又のお寺に行き、読経を終えてから15本のお塔婆を持って八柱霊園に行き、義父の納骨以来15年ぶりに墓石の下を開けてもらうと、二段になった棚の上に義父の骨壺があり、隣に実母のさださん、下の段の奥に義父のお母様のとみさんのものがあり、古いので蜘蛛の巣が張っています。若い業者さんが上の段のものを下におろしますかと聞いてきたけれど、義父を下ろすわけにいかず、でもさださんを下にして義母を上の段に置くのは夫も私もできないのです。小声で「後妻さんなので…」と断って義母の骨壺は下の段に置いてもらうと、隣には戒名の最後の文字が浄光と一緒の、とみさんがいるから大丈夫だと思って、蓋を閉めてもらいました。いろいろ最後まで葛藤があるのだけれどそれは仕方ない、弟妹の方が拝んだ後、私は深く頭を下げてやっぱり謝りました。

 それから近くの義母の実家の墓参りをし、柴又のえびすやで食事をいただきました。和やかに和気藹々とすべての出席者が楽しそう語らっている姿を見ながら、私は感無量でした。義母の実家のために多大な尽力を払った夫の献身と、長年にわたる介護、看取り、お葬式を、弟妹の方たちはずっと見ていて、心から感謝して下さっています。そしてもしここに義母がいたとしたら、空気がすべて一変してしまうことも事実なのです。うちの子供たちは無視され、顔も見てくれない、誕生日など祝ってくれることもなく、要するに好きでない、悪口を言われる、そんな空気の中で息を潜めていた時代が長かった、でもそれは私達の修業の道でした。

 初めて会った義母の弟妹の方たちと義父の思い出を語る息子の姿、弟さんのお嫁さんと意気投合して今度は一緒に飲みに行こうと約束している次女、高齢者たちが四苦八苦しているラインの交換を手伝ってあげている長女、みんな成長して、手伝ってくれ、支えてくれる有難さを感じながら、やはりあの厳しい年月は私達にとって必要だったし、義母の長い人生、最後に入ったお墓の下の段、なんだかそれがすべてを象徴している気がするのです。でも、次に入るのは夫だよねと子供たちが冷やかしながら言った時に、「俺は下の段でいいよ」という夫の言葉を聞き、やはり彼は偉いな、長男だなとあらためて私は思うのです。

 葬儀にも納骨にも現れなかった夫の弟の次女さんは、初めは子供の風邪がうつって具合が悪いから欠席すると聞いていたのだけれど、お葬式の時アメリカからやって来た長女さんが「鬱病で心身共にすぐれない」というのに私たちはびっくりしました。コロナ前から具合が悪く、実家で静養していて二人の男の子の保育園の送り迎えは、近くに住む旦那さんの両親がして、君津で働く旦那さんは週末に返ってくるという生活をずっとしていたのだそうです。長いこと教員をしている弟嫁はいつも家にいないで、そういえば義母が亡くなった時も学校が終ってからバスで葬儀社に行ったと聞いたとき、タクシーで駆け付けた私は腹が立ったし、最晩年の義母のことは全く無視して現れなかったことにもなぜだろう、そんなに嫌いだったのかと思っていました。納骨の席でにこやかに皆と歓談して愛想の良い彼女を、私と夫はあきれ果てて見ながら、でも、今この時も、自分の内面に鬱屈たる思いを抱え、心身ともに苦しむ若い姪の事を考えています。うちに来る沢山のゲスト達はそれぞれいろいろな思いを抱えていて、言葉も全部わからず、生い立ちも事情も知らないけれど、着物や文化を見ている時の表情の中に時々現れる影や悲しみや孤独を、私は強く感じることがあります。

 バスの中で長女と、それぞれが抱えている孤独や心の闇を認め、直視し、それを何らかの手段で表現しあらわすことで、この世の中には救いも希望も慰めも存在しているということを誰かに感じるきっかけになって欲しいと思うアーティストの力について話しました。沢山苦労して、いやな思いもたくさんして、義母には一番疎まれてきた長女は今澄み切った心で前に前に進んでいます。

 私は孤独だ、両親に愛されて来なくて、子供がいても仕事をしていても、心の奥底が苦しいと、ゲストに泣かれたことがありました。ネイティブアメリカンとアイリッシュのハーフだという彼女は、いろいろな思いをしてきたのでしょう、ちょっとお酒臭い彼女を抱きしめ、つけまつげの下の涙をティッシュで拭いながら、私は「私も孤独だよ。でもこの瞬間、私はあなたを愛しているよ」とささやき続けていました。孤独だということ、真っ暗な闇の中にいること、その感覚を知っている人はたくさんいます。でもすべては自分の心が見せている世界なのでしょう。闇があるから光がある。光が無ければ闇はない。自分の心次第で世界は変わる。

 そこまで来るのに、私は何十年もかかったのです。心底腑に落ちる、私の中にある何かで、ゲストの心に答えることができる。私が心から好きなものを語る気持ちを理解してくれるゲストがいる。だから大丈夫。大丈夫。いつも一緒にいなくても、一生に一度しか会わなくても、ただひたすらに独りだったとしても、どうしても一人でも、それをきちんと認めて見てあげて、それから進めばいいのでした。自分が生きている間考えたこと、やって来たこと、それがすべてだ。たゆまず歩みなさい。お釈迦様の最後の言葉です。若い姪も、案じて支えてくれる旦那さんやその両親の真心に触れていればいつか闇から抜け出せるかもしれない。義母の死は、私達にいろいろなものを見せてくれました。感謝しています。

最後の夜

 明日は納骨です。義母の最後の夜です。今日は朝から嵐のようで、外へ出られなかったけれど、午後になって日が差してきて暖かくなりました。明日もいいお天気だそうです。四十九日のろうそく7つ全部灯して、夜炊いたご飯を供えて、お線香をあげました。長かった?短かった?でもこの7つのろうそくはしっかり時間の長さを教えてくれます。

 これは文化だなと思います。四十九日のお勤めが心を落ち着かせ、この期間に来たたくさんのゲスト達の事を感じながら、限りなく穏やかな気持ちでいます。「明日は私泣くよ」と夫に言ったら「ババアが泣くとみっともないぞ」ととんでもない返事が返ってきました。意地でも泣けない私です。

マインドセットを変えよ

 捏造記事が満載された週刊誌の見出しを食い入るように見ている夫の姿が嫌で、経済新聞だけを購読するようになってから、私が切り抜いて読み返す記事が増えています。DX(デジタルトランスインフォメーション)について、経済産業省の室長さんと民間の社長さんの取り組みの記事が載っていました。DXはデジタル技術やデータを駆使して作業の一部にとどまらず社会や暮らし全体がより便利になる用大胆に変革していく取り組みをさします。解説を読もうとサイトを探すと面倒くさい言葉や言い回しが多く、よくわかりません。新聞の経済産業省の室長さんの言い回しがとても具体的でわかりやすいので驚くのですが、DXは単なる技術導入のプロジェクトではなく、経営戦略の確立という会社レベルの問題だそうです。DXの推進には経営、事業、技術の連携が重要で、なかでもゴールまで連れて行く人が必要だけれど、経営者の方々はデジタルが100年に一度の大改革だと認識しているのに、何かいい先行事例はないかと聞いてくる。先行事例を収集するリーダーに、DX人材としての資質はない、社会変革期に立ち向かう経営者は、走りながら考えるしかない、だからまず正しい方向に向かって走り出せというのです。

 デジタル人材は、異分野、異文化を横断する人材だから、技術だけ優れていてもだめで、例えば通訳だったら語学力はあっても歴史や文化を学ぼうとしないなら口数は多くても何を言いたいのかわからなくなってくるのです。お彼岸にお墓参りに行き、帰りに久しぶりにファミリーレストランのジョナサンに入って朝食メニューを頼んだら、軽快な音楽と共に配膳ロボットが運んできたのには驚きました。飲み物はドリンクバーから持ってきて、あまりおいしくないトーストやパンケーキを食べながら、そこでは人が手間ひまかけて作り出す愛情が全くないと感じていました。人件費など考えると格段にこのシステムは有効でしょう、でもふと、私のうちの簡単な茶道体験で、ゲスト達が一生懸命抹茶を点ててくれ、それをいただく時の嬉しさを思い出しました。初めての経験で、なかなかうまくいかず緊張して私が飲むのを心配そうに見ているゲストの顔、私が飲んで「美味しい」と行った時の嬉しそうな顔、一期一会のパフォーマンスの中には、日本の温かい文化が潜んでいるのです。それは何にも代えがたい温かさがあります。この二度とないひとときに、私はあなたのためにお茶を点てる、ただそれだけのことがどんなに互いの精神にとって大事か。私は参道や庭園や彫刻版の前で、その時その時の私の気持ちを語る。それからどんな風に発展するのか、それはいつも違うのです。マインドセットとは個人が持つ考え方や思考であり、私達の意識と鼓動を支配しています。そしてそれはみんな違うのです。

 これからのビジネスは過去の延長上にはない。抽象的思考、アイディアを尊重すことを意識しなければいけません。三月後半は毎日本当に忙しかったけれど、四月は今のところ予約は2件だけです。体験のマインドセットを変えていこうと思っています。

 

Top notch

 まだ桜のつぼみは膨らんで居ないのだけれど、いま柴又にはたくさんの外国人が訪れています。昨日は水曜日でそんなに混んでいないだろうし、二日間続いた雨も上がっていい天気だし、これで桜が咲いていれば最高だなと思いながら、追加で直前に予約してきたインドのゲストと、オーストラリアのカップルとマイアミの女の子と四人を迎えるため支度をしていました。マイアミのアマカの身長が6フィートとあって、何センチかとスマホで調べたら180㎝で、全く予期していなかった私は混乱しました。前にハワイと日本のハーフの恵ちゃんがリトアニア出身の2m近くある旦那さんと来たけれど、彼女も180㎝で、普通サイズの黄色い訪問着をおはしょりなしで着せたことを思い出し、何とかなるかなと気を静めて外を見ると、自動販売機で飲み物を買おうとしている外国人のカップルが目に入りました。

 15分前だけれど多分ゲストだろうと声を掛け、駅でテイクアウトの寿司を買ってきたというので、入ってもらいお茶や団子をだすと、朝食は団子だったと言われ、笑ってしまいました。真面目そうな澄んだ目のイケメンの旦那さんは会計士、五つ下の眼鏡美人の奥様は栄養士、大学時代に知り合ったそうですが、オーストラリアの英語は私にとって聞き取りにくく、苦戦しました。それにしてもこういう感じの夫婦はこれまで何人も来ていて、トルコのカップル、ニューヨークのカップル、ドイツのカップルと、真面目で静かな旦那さんと活発な奥さんというパターンはとても多いのです。時々旦那さんが何か言いたげに傍に来るのだけれど、言葉がなかなかわからず、それでも何か言いたいことがあるということはわかるのです。

 紫の振袖を選んだ奥さんのエイミーが旦那さんのギャビンと帯を選んでい入る時に、180㎝ドレッドヘアのアマカが自撮り棒を持って登場、四十代の彼女も黒振袖を選び、最後に現れたインドの女の子は青い付け下げを着て、ヘアに苦戦するのをアマカが助けてあげていました。今回は四人がいろいろな組み合わせになりながら話し込んでくれるので、私はとても助かり、特にインドの彼女は話好きで彫刻を見ながら仏教の歴史を年号入りで教えてくれるので、さすが数字に強いインド人だと感心しました。個性の強い三人の女性とおとなしいギャビンはたくさん写真を撮り、沢山の人に「綺麗!」と言われ、うちに帰るのは遅くなったのだけれども、途中で買ったべったら漬けをつまみに「沢の鶴」を飲み、抹茶を飲んで終了、今日は随分夫に助けられました。

 最後に帰ったアマカがすぐレビューを書いてくれて、「期待していたよりも良かった。この体験は”Top notch"と書いてあり、初見の単語なので調べて見ると”最高!” 」とあるので、こんな言い回しもあるのかと感心し、夫と二人で今度ゲストが来たら使おうと話しています。外国人との触れ合いの中から、私は本当に多くの事を学んでいます。わからない、聞き取れない、思ったことが話せない、三重苦の中で、めげることが度々で、私は何もゲストに与えるものが無かったと悲しくなる日々も多いけれど、でも最高級の着物を着せることはでき、そこだけは誇れるのです。

 エドワードホッパーの好きな女の子に私のブログを英訳して送ったら、よく理解できると返事があり、ニューヨークには彼の美術館があるから見に来たらいい、泊まるところは用意されて居るからと書いてありました。良かった、解かってもらえた、嬉しい限りです。

芸大大学院卒業式袴着付け

 エアビーの民泊を長いことやっていらっしゃる方のゲストに、オプションで着物をお着せして長いことになります。イスラエル、中国、マレーシア、オーストラリアなど様々な国の方を連れてきて下さって、ご自分達で車で柴又へ連れて行くので、私の負担はかなりへるのですが、なかなか帰ってこないとそれはそれで気を揉むのです。

 卒業式のシーズンですが、彼らの長年の知り合いであるオーストリアのユリアの芸大大学院の卒業式の着付けを頼まれ、何といっても173㎝なので合う袴があるか心配していました。そして当日は雨、車で大学まで連れて行ってもらうとのこと、スカイブルーの訪問着に紺の袴を付け、オーストリアから家族で来ているお姉ちゃんに綺麗に髪の毛を結ってもらい、素敵な姿に仕上がりました。私がプレゼントした編み上げブーツを履いて、車に乗り込んだ彼女を見送りながら、貸してくれた大学院美術研究科修士課程の論文要旨を見ていると、彼女のは「西洋で用いられた茶色のインクについて」ー分光分析による識別と修復材料の影響―とあり、勿論全部日本語で書かれています。あとは日本人や中国人の学友の論文もあって、これは化学だなと思いながらあと三年日本で勉強して博士課程まで取るというユリアは、将来は大学で教える教授になるのかも知れない、そういえばゲストで来た中国の美術大で勉強しているという大柄で内気な女の子は日本の画家加山又造が好きで、将来は中国の大学で教えたいと言いながら、スマホに収められた彼女の美しくて煌びやかな作品を見せてくれたことがありました。

 語弊があるかもしれないけれど、外国人のゲスト達は大学でしっかり勉強している、オリジナリティを持って自分が何をしたいのか考え努力しています。それに引き替え日本の今のマスコミや一部の新聞雑誌、テレビ番組などの低俗化、倫理観道徳観、そして危機意識のなさを見ていると、上層部は大学で何を学んできたのかとあきれ果ててしまいます。でもそんなことを言っている暇はありません。修士論文を読み、使える話題はピックアップし、天下の芸大の大学院ではどんな勉学をしているのかインプットしておきます。

 このところゲストがたくさんお土産を持って来てくれますが、ユリアもオーストリアのチョコレート、四か国語表記があるアルプスのカレンダー、ミニジャムセットをプレゼントしてくれました。義母の四十九日も近づいて、7つ目の薬師如来のろうそくに火を灯し、毎日拝んでいます。現世と離れる時が近づいてきたけれど、まだ闇の中を彷徨う日が続くと書かれているのを読みながら、今日来るゲストの支度をします。二日間続いた雨もやっと上がりました。

 

大渦巻き 2024年3月23日

 去年は桜の開花が早かったのだけれど、今年はいつまでも寒い日が続き、帝釈様の桜はまだ堅い蕾です。お彼岸からゲストが多くなり、リピーターも増えて来て、保育園の先生の卒園式袴着つけの依頼も急に入って、毎日一生懸命お仕事をしています。だんだん記憶力が衰えてきて、特に若い男性のゲストの顔がごちゃ混ぜになって、オーストラリアから去年ひとり旅をしていて着物体験にきたモニカは従兄に勧めてくれて、旅先で知り合った若い女性二人と彼が2週間前に来ました。とても穏やかで静かな男性で、その後にボストンでレストランを開いている台湾人の両親を連れてきた息子さんも背が高く温和で、そして両方とも独身でした。

 草食男子が増えている気がするのと、結婚して子供を持つということに執着しなくなって、フリーダムな生活を望んでいて、だから以前に来たゲストよりも強いオーラがなくて記憶に残りにくい気がします。反対に親世代はたくましく、身一つで台湾がらボストンに来て働きづめの午年生まれのパパはしなやかに強くて好奇心も旺盛で、帝釈天の彫刻版は何の木に彫られているかと聞いてきて、解かるまでスマホで調べていました。

 ベトナム生まれでオーストラリアに住むモニカは家族全員連れてまた来てくれたのですが、二十代前半の二人の弟はシャイだから着物を着ないというけれど、そういう訳にもいかずデニム着物を強引に着せたら、意外と喜んでいます。小柄なパパは車のディーラー、長男君は建築関係、次男くんは車が大好きで、夫にオートバックスで車のパーツを買いたいから場所を教えてくれと頼んでいました。ホーチミンに住んでいたパパはベトナム戦争の時祖国から逃げ出し、インドネシアに行った後オーストラリアに住みついたそうで、どんなに苦労したかと思うけれど、花が大好きで、庭に咲き乱れるひまわりの花などの写真を見せてくれます。たくさんお土産も持ってきてくれて、自分の力ひとつですべてを築き上げた力強い世代は、多くの困難と試練を経て、命からがら逃げだしたという体験が強いバックボーンになっていることを強く感じました。真面目な子供たちはシングルでボーイフレンドやガールフレンドがいないのがパパは心配なのですが、時代は猛烈なスピードで変遷している今、じっと動かず自分のスキルを高めている方がいいのかもしれません。

 

 おととい来たテキサスに住む台湾の女の子は家族間のトラブルを抱えているようで、情熱的で明るくはじけているのだけれど、あとで送るため写真を整理していると、どの顔にも影があるのです。お父さんが台湾、お母さんはテキサスに住み、二人とも封建的なタイプのようで、何かの障害を持ったお兄ちゃんもいる、そして彼女はひっきりなしにママの事を語り「愛している」と言います。イタリアに住んでいたハンサムなブラジル人の彼氏もいて、ラブラブのショットもたくさんあるのだけれど、決して彼女の心は安らぐことがないのです。 

 昨日来たのはイタリア人のママと、チェコ人のパパを持つ22歳の背の高い女の子で、語学を勉強するのが大好き、赤い豪華な振袖を選んだのだけれど、たらしたロングヘアが気になって髪の毛をいじりっぱなしでした。ママに趣味は?と聞くと、二人の娘の成長を楽しむことと答え、家族第一のイタリア人らしいのです。でも娘さんのアレキサンドリアにはチェコとアイルランドとイタリアの血が混じているからとてもクールで、昨日の台湾のアンジェラとは雰囲気がずいぶん違います。去年ルーマニアから両親と来た20歳の女の子に似たところがあるのですが、彼氏がいてその影響で帰り際タバコを吸っていたルーマニア女子と違ってボーイフレンドはまだいないとのこと、手作りの御朱印帳に記帳してもらった後、英語のおみくじを引いてLoveの項目を見たら二人目の彼と結ばれるとあって、私達は大笑いしました。お寺の彫刻版の前で画家のエドワードホッパーが好きだとアレクサンドラが言うのを聞いて、私も好きなのでちょっとびっくり、暗くてドライな絵が多い気がするからですが、台湾の女の子は読書が好きでオーウェルの「1984」が愛読書だというし、私の頭は混乱してきました。拙い英語で一生懸命する外国人との会話には、いろいろな示唆が含まれていることを改めて感じています。

 それにしても世の中の動きが妙です。大きく粛正が行われています。何によって?人間が作りだしたAIによって、人間の不正が暴かれています。大渦巻きに飲み込まれないようにしなければなりません。漏斗のような大渦巻きのへりにしがみついても、だんだん渦の底に飲まれて行く、恐ろしいスピードです。でもこれはすべてが自分たちの作り出した妄想であり、幻影であるのかもしれないのです。私たちはもっともっと知識を深め感情を追体験し、いろいろなことを学んでいかなければならない。前に書いたエドワードホッパーについてのブログを英訳してアレクサンドラに見てもらいます。オーウェルももう一度読み返すため、メルカリで注文しました。大渦巻きに飲まれそうになった時見上げた空に、煌々と光る美しい月の存在をあきらかにし、それによって力を得ることを私達は忘れてはいけないのです。意志の試練。志は極限に、今すべきことをやり抜きます。

屈託のない笑顔 2023年5月13日

 去年は五月でもとても暑く、三人で予約してきたアジア系の女の子たちは暑い暑いと連発しています。24歳のマヤちゃんは小柄で大人物の浴衣はサイズが合わず、ずいぶん前に戴いた十代の女の子用の浴衣を羽織ったらぴったりで、柴又の参道を歩いていると、お店の方から孫を連れて歩いているみたいとからかわれてしまいました。整骨院をしていた頃の患者さんが、両親が亡くなって着物がたくさんあるのだけれど、おばあちゃまが絶対に売り飛ばすなと言っていたそうで、困った息子さんが車にたくさん積んで持ってきて下さり、申し訳ないとお菓子まで添えてきたのには恐縮してしまいました。代金を払わなければならないのはこちらなのにと思って沢山のたとう紙を開け、整理していると、子供の浴衣がたくさん入った箱がありました。お孫さんの成長に合わせておばあちゃまが作ったらしく、様々なサイズの素敵なのですが、昔のものなので布地が厚くて今の気候には不向きです。

 

 私も反物を買って娘の浴衣を縫ったことがあるけれど、ゲストの子供に着せることは無くて、メルカリで見つけるキティちゃんの浴衣などがとても好まれるのです。マヤちゃんは自分の着た浴衣がとても気に入って、持って帰りたいというのでプレゼントしたのだけれど、ずっとこのまま小柄でいるなら何回も着ることが出来るなと私は思いながら、会ったこともないおばあちゃまが孫の成長を楽しみにしながら縫い続けた浴衣を、遠い国の女の子が大事にしてくれるという不思議さに胸がいっぱいになるのです。私の仕事は着物の縁を結ぶこと、いろいろな糸がつながっていきます。

草野心平のひ孫

 春分の日に来た四人のゲストは、これまで来た中で一番ユニークで、有名な人たちでした。コロナ前に来た明るい香港のママからそのうち息子がガールフレンドと着物体験に行くと連絡があったけれど、いつかわからないでいて、初めに来たアジア系のカップルと話すうち、目のくりくりした男性が、香港ママの息子君とわかりました。一緒に来た黒髪で半分青く染めているアジア系の女の子は、ネパールと韓国のハーフで今はロスに住み「Freestyle Soccer World Champion」とのこと、ジャージーを着てサッカーボールの下がったバッグを持ってい入るのだけれど、なんだかよくわからず、とにかくサッカーが好きで10歳から始めたということだけをインプットし、結婚はしていないというので、最近頂いた黒い振袖を着せ、青地に金の竹の描かれた帯を締めました。ルーズに髪を上げてアイラインを目尻にくっきり引いた彼女はネパールの血を引いているからか韓国人ぽくなく、すっきり素敵なのですがアスリートだから体がしまっていて、あとからの反省で胸元とウェストをもっと補正すべきだったと思っています。

 電車が遅れていると連絡が入り、15分遅れで到着した問題ありのスペイン組は、従弟のアントニオが135㌔あるという連絡が来た時から心配し続け、お相撲さんの着物を探したり特大サイズを作れる京都のお店に問い合わせたりしたのだけれど結局駄目で、ひで也工房の紫の大きい浴衣を着せたら何とかなり、帯も同じトーンの素敵なものを締め、アニメやゲームが好きでおとなしめの彼は嬉しそうでした。お母さんが日本人でお父さんがスペイン人のメリーは四十代のフォトグラファー、写真は撮る方が好きで、菊の訪問着を着て私の秘蔵の総刺繍の帯を締め、日本人的な黒髪をアップにするのに苦戦し、やっと上げて髪飾りを付けたのだけれどお寺で取れて落としてしまい、探し回っても見つかりません。写真を撮る時に着物を着ていても座り込んだりしゃがんだり、構図やライティングにこだわアるタイプで、あまりに動くからヘア飾りも落ちてしまうのかもしれません。芸術家タイプの写真を撮るなと思っていたら、達者な日本語で突然「草野心平は私のひいおじいちゃんです」と言ったのに驚愕しました。今日は有名人がたくさんいる!アントニオにあなたも有名人?と聞いたら、温和にニコニコ笑いながら違うと答え、この頃から私たちは仲良くなり、メリーに習った通りの写真を撮らせてもらいました。音楽が好きでクラシックではベートーベンを好み、ピアノも独学で弾くというアントニオに帰り際歌を歌ってもらったら、綺麗な暖かい声でスペインの歌を歌ってくれ、内気でこもりタイプなのかもしれないけれど、いい人だなと思い、大相撲のカレンダーをプレゼントしました。

 午前中は晴れていたのだけれど、午後は天気が荒れだし、柴又から帰る時は雨に降られ、コンビニで傘を買って急いで帰宅、なんだかハチャメチャの体験になり、私は有名人たちに煽られっぱなしで、最後にサッカーパフォーマンスを少し見せてもらって感心しながら、翌日彼女のインスタを見ると素晴らしい動画があげられ、鍛え抜かれた彼女の姿にどんなに習練を積んできたのかと、感動しました。いろいろ大変だろうけれど、自分の道を自分で切り開いている優れた若者たちを見ていると、私も正道を貫いていかなければならないと思うのです。天は見ています。

白い巨塔

 最近のテレビドラマは若い俳優ばかりで名前もわからず内容も面白くないと、夫はBS放送で古い時代劇を好んで見ています。早い夕食を食べながら必殺仕事人、鬼平犯科帳を私も一緒に眺めていると、ある日荘厳なクラシック音楽のBGMが出だしに流れ、山崎豊子原作の白い巨塔が放映されていました。私が若い頃は田宮二朗主演だったけれど、唐沢寿明、江口洋介たちが出演するこのドラマを毎週火曜日の夜楽しみに見ています。

 同期の二人の優秀な医師のそれぞれの対照的な生き方と、壮絶な結末を描き出す作者の力量はたいしたものだと思っていると、夫が自分は出世を望みのし上がりたい財前医師と、自分の理念と良心を大事にしながら清貧でも人々を救うために進んでいく里見医師のどちらのタイプだろうと言い出しました。どちらでもない、人のいいただのおじいさんだと私はひそかに思っているのだけれど、それにしても善良な国民をフェイクやまやかしや悪意を持って操ろうとする愚かなマスコミを見ていると、戦争中ダメージをひた隠しにして勝ち戦だと戦意を煽っていた軍のトップと同じで、毎日同じ内容のテレビに見入っている夫にはなるべく悪い内容の雑誌の広告など見せないようにしています。

 私より格段に優しい夫は、ゲストの小さい子供たちにモテモテで、なつかれて喜んでいますが、一月にネット詐欺にあった時、詐欺師に対してもとても思いやり深く接していて、最後に大金をだまし取られた姿を見ていると、悪い人は普通にそこらへんにたくさんいる世の中だということを骨身に染みて感じています。全く何という世の中かと思うけれど、そんな中でどんなシチュエーションであっても、その人が人間として持っているものを社会の中で活かせるようにするには、今までどう学んできたか、どう生きてきたかがとても大切なのだと思っています。自分というものを見出して磨くことができればブレずに歩け、人生は豊かにできる、自分自身をよく理解し「自分の中心軸」「心の芯」「生き方の美学」自分にとって大切なものが何かを知っていると、決断する時の道標になる。人生はいつかは終わる、いつかは終わるんだったら、今できることの最善を全部尽くしていこう、という糸井重里さんと羽生結弦選手の対談の内容を書いた文章を読んでいて、山崎豊子さんが膨大な資料をもとにかき上げた大学病院の内幕も、例えば政界の暗闇も、世界情勢の混沌も、世の中が悪いのではなく一人一人の、個人的資質の誠実さにかかっているのではないかと思うのです。

 財前教授の自分の欲望のためには何を犠牲にしてもいいという考えを持った人間は今たくさんいます。国のトップ、企業のトップ、人を殺しても傷つけても飢えさせても平然と自分の正当性を主張している姿を見ていると、「悪いことをすると、最後にそれは自分に返って来る。」というシェークスピアのマクベスのセリフが蘇ります。留まるところなく増殖する人間の悪意は、そのうち自分を食い荒らすがん細胞に転じることもあるかもしれないのです。

 私たちはみんな何かを背負って生きています。でもそれを背負うのでなく、受け入れればいい。自分が表現したりイメージをちゃんと伝えられる技術とボキャブラリーを増やさないといけない、人の気持ちの余白、思いの余白、見る人の気持ちの動きに委ねるところまでを含めて自分の表現を考えて、見る人の想像力を大きく膨らませられる何かを発信していきたい、そんなことを考えさせられるテレビドラマというものを、久しぶりに見ました。

Sweet are the uses of adversity.

 夫が70歳になった時、行きたくてたまらなかったイギリス旅行へツアーで行ってきました。私は実母の介護があるので行けなかったけれど、ジェームスボンドやビートルズ、スコッチウィスキーが大好きな夫は一週間楽しんできて、シェークスピアハウスでトートバッグをお土産に買ってきました。沢山の作品と有名なセリフが一面に描かれたこのバッグはあまり使わないで、ずっと椅子の背もたれにかかっていたのだけれど、シェークスピア文学のセリフにはとても胸に響く言葉がたくさんあることに気がつきました。

 Sweet are the uses of adversity  とは、しばしば人生では逆境であればあるほど得るものが多く、思い通りになっているときほど落とし穴があるという人生訓で、回りくどい言い方だけれど、これがシェークスピア文学の奥深さであり、私達高齢者がこういう教養とか哲学、倫理に対してあまりに無知のまま年を重ね、成熟しないで落果しようとしているつけが、世界中の害毒を作り出している気がするのです。長年取っている新聞を止めようと販売店に連絡したら、店主に何でやめるのかと訳を聞かれ、成熟した人間が書く記事がなくなり、読みたいと思わなくなったと答えたら、傍で聞いていた夫が苦笑していました。何が正しいのか、というかマスコミもネットも虚偽の報道を平気で流していて、それを指示する黒幕が国や企業のトップにいて、利益が得られるためなら人の命などどうでもいいと思う人間たちが横行しています。飢え切ったパレスチナ人の女性の映像が映し出され、フェイク選挙が終わったロシアはウクライナを攻め続け、北朝鮮はまたミサイルを発射している、正義も悪も呪いも祝福もごった煮のように盛られた中で、私達は日々を過ごしています。

 そんな危険な時代にいる私達が希望を持ち、光を求めて前に進むには、何より文化や教養や知識や美意識や哲学を身にまとわなければなりません。教養という財産をもち、精神を浄化するために必要な文学や芸術、音楽、美術、宗教観を味わう力を持ち、逆境を耐え忍ぶ胆力を持っていないと、いつか自分の爪に仕込まれた毒で自分の皮膚を刺してしまう日が来ます。シェークスピアはマクベスにこう語らせています。「悪いことをすると自分にはね返ってくる。そして眠れなくなる。」「ひとたび悪事に手を付けたら、最後の仕上げも悪の手に委ねることだ。悪の退治をするためには、人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶことを知らなければならない。」

 マクベスのような激しい文学を読み追体験することで、不安や怒りなどの心の汚れや罪の意識などを取り除いて精神を正しい状態に戻す、カタルシス、精神の浄化、違う自分になる、風のようにもう一つの人生を生きて見ることにしよう。こういう体験を精神的に繰り返していると、人間の幅が広がり、物に動じなくなり、何かを思うようになる。それによって自分の力で自分の精神を浄化し、自分の内側にこそ世界を変えるパワーがあることに気づき、どんなに頑張っても報われないことからも学び、もがき苦しむ生き様もさらけ出し、今度は風のように、違う人生を歩もうとしていることを、1600年代にシェークスピアは示していたのです。

 それから420年後の今、いったい私たちは何をしているのでしょう。自分の魂にとって最も純粋な在り方とは、心の情熱に真っ直ぐに従うこと、そこで生まれた行動力に愛という方向性を持たせること、個人の小さな情熱が社会を大きな変容に導く時だから、自分の道を堂々と突き進むのです。内なる情熱に火を点けて、愛に満ちた未来に向かうこと、自分の選択を信じて突き進むこと。

 私はこれらの事を、いろいろな国から来るゲストと語り合います。言葉に詰まり、単語がわからないことばかりだけれど、語り合える人々がいるという幸せをかみしめながら、前へ進んで行きます。 

 

アシュレイと歌舞伎見物へ2023年5月13日

何十回と歌舞伎座に行っている私にとって、今日は初めて外国人と一緒に着物を着て歌舞伎見物をした記念すべき日でした。一月に着物体験をしてくれた横須賀で教師をしているアシュレイが、帰国する前に着物を着て歌舞伎に行きたいとリクエストしてきて、ちょうど寺島しのぶの息子君が出演する月で、二人でいそいそと出かけたのです。雨模様で傘を持ってコートを着て、横須賀から来たアシュレイと歌舞伎座に行き、中に入ると、玄関わきにおばあちゃまの藤純子さんと寺島しのぶさんが立っていらして、せっかくのチャンスなのでアシュレイにお祝いの言葉を言ってきてもらいました。寺島さんはフランス人の旦那様とは英語で会話しているから、アシュレイとニコニコして話していて、最後に着物姿を褒めてくれていました。遠くで見ている私はそれが誇らしくて、嬉しくてたまりません。

 売店で柿の葉寿司を買い、華やかな舞台や孤独に満ちた演目、そして真ほろ君の凛々しい舞台を見て、二人で泣いたり笑ったり興奮したリ、本当に素晴らしい時間を過ごしました。アシュレイの髪飾りをお店で買ってプレゼントし、廊下やロビーでたくさん写真を撮って時間はあっという間に過ぎました。二人にとって一生忘れられない、夢のような時間でした。

産経新聞を止めて 2024年3月18日

日曜日の日経新聞を読んでいたら、野中郁次郎一橋名誉教授のインタビュー記事が載っていて見出しが「企業の失敗、野性喪失から」「数値偏重では革新起きず」「共感を重んじ知を磨け」というものでした。自分が年を取ってくると新聞記事を書くのもみんな若い方だし、あまり読む気にもならなくなるのですが、教授は88歳で専門は知識経営論、旧日本軍が判断を誤り続けた要因を解明した1984年の「失敗の本質」は今も読み継がれているそうです。バブル崩壊以後の日本は画期的な技術やGAFAのような革新的組織を生めず、世界から注目される経営者も現れなくなっていて、行動が軽視され本質をつかんでやり抜く野性味、我々が生まれながらに持つ身体知がそがれてしまったと言います。感情などの人間的要素を排除し、計画や手順を優先させられると、人は指示待ちになり、創意工夫をしなくなり、つまり計画や手順が完璧であることが前提だけに、環境の変化や想定外の事態に直面すると、思考も停止するのです。過去の成功体験があまりにも大きく、刻々と変化する現実への対応を誤る傾向がこの30年続き、ことなかれ主義やリスク回避、忖度の文化に捉われているために、過去の組織、戦略、構造、文化を変え、我々は何故ここにいるかを確信できる価値と意味を問い直すことがしにくい、だから考える前に感じることが成功の本質であるというのです。

我々はなぜ存在するのか、存在目的を果たすのにどんな知の体系が必要かを、米国のイノベーティブな経営者たちは深く考え、構想できている、そして事業を起こしています。「世界の民族超入門」という本を書いた山中俊之さんは、外交官としてエジプト、イギリス、サウジアラビアに赴任し、アメリカ西海岸の巨大IT企業や最貧国のスラムや貧民街、農村まで世界96か国を視察してたどり着いた結論は、人種や民族、宗教、所得、ジェンダーなどの違いがある中で、いかに相手の文化や価値観を理解し、その立場に共感できるかが、問題解決のカギとなると言っていて、立場を超えた共感力というのは今私が一番考えている事なのです。

 2020年にコロナ感染が始まり、パンデミックになった時に、差別、偏見、格差、分断と世界の様々な問題が表面化し、どう行動するかどう考えていくかが問われていったのですが、何とか感染がおさまり始めたころ、今度はロシアのウクライナ侵攻など国際的に紛争が広がり、考えられないような事態になっています。着物を着て日本の文化を味わおうと云う初期のモチベーションから、ジェンダーを超えて自分らしく生きていこうというプロセスを経て、狂っていく気候や人間たちの中でどうやって心の平安を見出し、生きていく活力に結び付けられるかと考えるゲスト達が今は来ています。オランダから来たオリジンが中国の40代のカップルは、オフィシャルパートナー同士として仲良く旅をし、美味しいものを食べるのが大好きと、体験のあと亀戸の鰻屋さんに行ったそうで、明るくて優秀な二人はあとでレビューとプライベートな感想をオランダ語で送ってきました。帝釈天でも彫刻の下にある漢字を読み、文化や宗教にも的確に反応して、失礼ながら初期に来ていた写真を撮るのだけが大好きな本土の中国人とは顔つきが違う気がします。自分の国を去り、遠い異国で言葉をマスターし仕事をし、旅をして美味しいものを食べる。大阪に交換留学で来たことがあるという彼女は、今回は高山、金沢、大阪と回って帰るそうです。

最近よく見ているホリエモンさんのサイトで、彼はイーロンマスク氏と同じ位の年で、今は物凄い差を付けられてしまったけれど、自分はできることをやっていけばいいとやっと達観できるようになったと言っているのを見て、いまさらですがマスクさんについて調べて見ました。いろいろな見方があり、切り口も様々な評伝などを読んでいると、何が正しいのかわからなくなりますが、このところ来ているゲストとクロスさせてみると、意外な共通点がある気がしています。

 南アメリカで生まれた彼は悲惨な幼少期を過ごし、彼のことを繰り返し無価値だと言い続ける父親から言葉や暴力による虐待を受け、彼は友達もおらず、いじめられるかいじめるかの世界で生きてきました。そのような体験は自分が存在してもいいのかという不安感を生むのかもしれない。あるものは生涯にわたる自己不信の念に苛まれ、またあるものはあいつらが間違っているということを証明しようという躁状態の野心を抱くようになる。愛と存在意義と安全を獲得するため。

 この文章を読んだ時、私はこの前タクシーで来たネイティブアメリカンとアイリッシュのハーフのジャネットのことを思い出しました。高齢の両親に愛されて来なかったこと、差別、いじめ、三人の子供のシングルマザー、仕事を頑張って社会的に成功していても、誰も私を愛してくれない、私はいつも孤独だったと泣きながら語っていた彼女は、また頑張って仕事をして、自分の部屋にある仏像を眺めながら眠りについているのでしょう。イーロンマスク氏は、物事を成し遂げるためには常にいい人である必要はないと思っているから、心の狭さや傲慢さは耐え難い時があるけれど、常識を超えた実行力があり、周りから馬鹿にされても思い描く未来に向かって努力を怠らず、常に考え続け、彼のその熱量に多くの人が動かされて行ったのです。人類の火星移住も夢物語のように聞こえるけれど、しかし彼ならと信じさせる実行力がイーロンにはあります。でも、彼はカオスと混乱を引き起こし、最後に残ったものを見るのが好きであり、これまでもずっとそうしてきたとあって、彼はアスペルガー症候群であると公表したのです。

 

日本の文化やアニメが好きだというイーロンマスク氏の計り知れない経営者能力は、野中教授の箴言をはるかに超えていて、しかもそれは努力もあるけれど素質であり生まれつきの嗅覚であったと知る時、私たちはこれから何を努力すればいいのか、何処を目指していけばいいのか途方に暮れるのです。

長年取り続けていた産経新聞を辞めました。論調の低さに耐えられなくなったからです。記事を書くのもとうに自分たちより若い人々ばかり、そしてトップにいる人間たちの魂の質を受入れることも見ることにも耐えられなくなりました。もっと高みを見て進んで行かなければならない、時間はそんなに残されていません。大きな空気のうねりを感じています。

穏やかなルーマニアのゲスト達2023年5月10日

 東欧の国の中で、うちはルーマニアのゲストがなぜか多く、今までに13人来ています。コロナ前にルーマニアで会社を経営しているゲストが来て、ドラキュラで有名な国だと言って笑ったことと、お寺で従業員のためにお守りをたくさん買い、ジャケットのポケットに小銭をジャラジャラ入れていたのが印象に残っています。お寺の彫刻版の「常不軽菩薩受難の図」の前で一人の僧が三人の男に棒で殴りかかられているのを見ながら不快そうになぜこんなことをするのかと問いかけられ、私は答えることが出来なくて、情けない思いをしました。常不軽菩薩は誰とあってもひたすら「私はあなたを敬います」と言って合掌するので、多くの人は自分が馬鹿にされたと思い不快感を抱き怒り悪意を持って罵ったのです。法華経を読誦することもなく、また瞑想することもなく、ただ人々に合掌礼拝することを修業としていて、心清らかにただひたすらに相手を信じ、迫害を受けてもその人を信じ続けるという人間礼拝だというのですが、これを説明するのは難しいし、何より自分自身が納得していなければ、相手に、まして外国人に説明するのは不可能です。

 今回ルーマニアから来たカップルは婚約中で、ふっくらした穏やかで老成した感のある彼女とちょっと学生っぽい彼氏は、淡々と寄り添い、静かにお寺の庭園や彫刻を見て楽しんでいました。いろいろなタイプのゲストが来るのだけれど、外国人が求めているのは日本という小さな国のちいさなお寺の歴史や謂れではなく、そこに住む私たちのエートスやスピリットがどうやって育まれてきたのか、宗教や参道のお店のグッズがどういう意味を持ち、人々の心の支えになっているのかをもう一度見直して、提示することだと思うのです。ダルマのモデルである達磨大師は、考えて考えて考え抜いて悟りを開いた。長いこと座りっぱなしで、足も手も融けてしまったその体が、不屈の魂を持つ象徴として日本中のお店で売られ、人々は願いを込めながら達磨の片目を黒く塗るのです。自分がわかったということがすべてだ、それが悟りだとわかった、仏陀の本を読んでいた時、出てきた衝撃的な言葉でした。個人個人の思惟、苦闘、開眼、結局人一人の思いの深さしかないのだとしたら、私は4時間ゲストと一緒にいてこの寺町を歩くことが仏教そのものだということを感じてほしいのだと思っています。

 もう一組のゲストは3歳の女の子をお母さんに預けて、年下の旦那様と一緒に日本旅行を楽しんでいる華やかなタイプのヨガインストラクターの奥様でした。京都のひで也工房の百花繚乱の浴衣を着て、庭園の欄干に腰かけ、陽の光を浴びながら微笑む姿を写真に撮る旦那様を見ながら、私は幸せな気持ちでいました。穏やかで静かで、温かい一日でした。

義母のこと 夢を読む 2024年2月19日

実母が亡くなった時、初めて湯灌の儀というものを目の当たりにしていたく感動したこともあり、義母の葬儀も同じ葬儀社に依頼しました。11日に亡くなり葬儀は21日で10日間空いてしまうため、どのくらいお顔が変わってしまうか心配しながら、昨日義母の着物類や施設から届いたご両親の写真を持って葬儀社に行き、納棺の儀式に臨みました。

玄関で受付の方に出席は何人ですか?と聞かれ、一人だと答えると大仰に驚かれたのですが、実母の時も一人で行ったし、一緒に看護も介護もしてくれない姉や弟嫁たちを見ていると、なぜ私たちが義母の弟妹や施設のスタッフの方に「本当に良く尽くしている」と感謝される訳もわかるような気がします。部屋に入ると白い布団の上に義母が寝かされていて、若い男女の湯灌師の方が丁寧な説明と共に手足を拭き、爪を切り、丁寧にお化粧をしてから死に装束を順番に一緒に付けて行きました。手甲、脚絆、白足袋を付け、道中はかなり長いのでほどけないように縦のかた結びにして長く余ったひもはハサミで切り、旅に必要な荷物を入れるための首にかける小物入れの頭陀袋には、三途の川を渡る時の船賃の六文銭を入れ、笠に三角頭巾、それに浄土への旅は長いので、杖を入れ、草鞋を足元において、旅支度は整いました。布団の上での最後のお別れをさせてもらうためにスタッフの方は席をはずし、私は冷たくなっている義母と二人きりになりました。

最後に一緒にいたいのは私ではない、それは百も承知です。母の時と同じように冷たくなった頭を撫で、額にほほを寄せ、しばらくじっとしていました。私は義母を決して「お母さん」とは呼べなかった、終生「おばあちゃん」で通しました。26歳でお嫁にきて、十年後に同居、それから四十年近く一緒に過ごし、あまりのストレスに私は病気になり入院したし、後年義母は心臓病で、義父は胆管癌で闘病生活を送りました。いろいろなことがありすぎて、愛憎も激しすぎて、苦しんだ方が多かったのはお互いなのでしょう。だけれど、だけれど、最後にここに私がいるということは何かの意味があるのです。私は村上春樹の小説を思い出し、額を付けながら、撫でながら、義母の頭の中の夢を読もうとしました。彼女の頭の中には生まれ育った家や両親や、国府台の女学校のことがあるのです。40歳で義父と結婚し、後妻となって三人の大きな子供たちの母となった記憶は消してしまい、嫁や孫のことも正直関係ない路傍の人だと私は今感じています。それでいい、その方がいい。これから四十九日間、浄土へ行くための長い孤独な道のりを義母は一人で、歩かなければならない。その先に待っているのは、義母の中の暗闇で、嫁ぎ先の馴染みのない墓所であり、仏壇だということが、どんなに厳しい事か、歩き通すモチベーションがあるかどうか、私にはわかりません。何も考えず、何も感じず、ただひたすら歩く、誰もいないところで自分だけを頼りに進んでいく。うちに今まで来たたくさんのゲスト達は、それぞれいろいろな背景や事情を抱えていました。おぼつかない英語で、理解できない内容に苦しみながら、私達は何とか語り合ってきました。しゃべらなくても、心を閉ざしているように見える時でも、その行為自体が何かを示している、場数を踏んでくると、心の気配に敏感になります。でもだから何ができるということではない。

今目の前に横たわる義母も同じだと思いました。生きていた時の義母ではなく、これから49日の旅に出る修行者なのです。でもまだ今は夢を見ている。若い頃の楽しい夢を見ている。幸せなことです。私は自分の命がなくなるまで、義母の新しい魂と一緒にいるのでしょう。これから来るゲスト達と時を過ごすように、義母とも新しい時を過ごします。

 

帰って来て、どっと疲れました。重いのです。荷が重い。だけれど、義母がいなくなってからすべてを変えてしまった私は、彼女をずっと背負う義務がある、今までとは同じ世界ではなく、壁を超えた別の街があり、そこで暮らすにはどのような心持で、魂でいなければならないのか。

これは私の、命題であり、それを語り合える友が世界の各地にいる。

義母と私の新しい出発なのでしょう。

 

明日は葬儀です。

指輪 2024年3月17日

 三月前半は天気が悪く寒い日が多くて、これで柴又へ行くのはきついなと思っていたら、予約があまり入らず、のんびりした日々を送っていました。でもお彼岸に入ると暖かくなり、突然の予約をしてくるパターンが増えてきます。昨日はテネシーでエアビーの民泊ホテルを複数所有している36歳の台湾人の息子さんがボストンでレストランを経営する両親のために着物体験を予約してきて、ママのメイクをしてもらえるかと、朝のメールで問い合わせてきました。

 それは無理と断りながらこれまでの経験で、意外とプロがやったヘアスタイルは同じ雰囲気になるから、自分でやった方がいいと思うのです。これまで外を歩いていて絶賛されたゲスト達は皆自分でヘアメイクをしていたし、特に外国人の場合は髪も目の色も骨格も様々で、それを日本人がパターン化したスタイルにしてしまうと、本人の良さが出ない気がします。

 現れたママは短い髪にパーマをかけていて、目が細いのでヘアアクセサリーは前に垂れ下がるのがいいと言い出し、チュールの付いたアクセサリーを付けたり、イヤリングが欲しいと言ったり、呆れたパパは大きなリボンをママの頭のてっぺんに付けて笑っています。優しい息子君は辟易しながら一生懸命写真を撮り、口をとがらせてキスしてみたりする両親も、異国での異体験を楽しもうとしています。男性二人と60代のママだから着付けも大変ではないのだけれど、ママは疲れるでしょうと気を使ってくれ、銘仙の羽織を付けて日曜日で混んでいる柴又へ向かい、たくさん写真を撮りました。台湾人だから漢字を読めるし仏教の知識もあって、お寺の中を興味深く見ていたパパが、彫刻は何の木に彫られているかと翻訳機を使って質問してきました。けやきの木なのだけれど、それの英語が表示されずKeyakiとしか出ないで困っていると、パパが中国語に翻訳して画像を出してくれました。けやきとは「Japanese zelkova」だと今調べて分かったのですが、今日の親子の質問は想定外のものが多く、かなり苦戦したのと、ママの趣味趣向がちょっと特殊で、抹茶は飲まない、おはぎは一口食べて顔をしかめ、堅苦しい作法は嫌だけれど、相手への気遣いは人一倍あるのです。帰り道にあるパチンコハウスの説明をしていると、パパがニコニコ笑いながらママは若い頃そういうところに入り浸りだったと言うので、私はママはヤンキーだったと気がつきました。だから優しいんだ…

 翌日はクルーズに乗って釜山へ行くとのこと、その前にアリナミンを買いたいと画像を出して、何処で買えるか聞かれたので、近くのイトーヨーカドーを教え、堅くママとハグして別れました。このところアジア系のゲストに「なぜ結婚指輪をしていないのか?」と聞かれたことが何回かあり、今日は夫はゴルフに行って朝からいないので、タンスからしまいっぱなしの指輪を出し、私のは小さいので夫のものをしたらぴったり合います。ずっとはめたまま着付けをしたりお茶を点てたりしていると、意識がそこに向き、妙に新鮮です。パソコンを打っていても指先に目が行き、そうすると背筋が伸びていくのも不思議です。いろいろなことが変わっていくのだから、いろいろなことを変えなくてはいけないと思っていたら、法事の次の日に来るオーストラリアのゲストから、メンバーのサイズを知らせてきました。180㎝108㌔の57歳のママ、163㎝85㌔の73歳の義母、172㎝95㌔の56歳のパパ、それに156㎝160㌔の24歳の姪ごさんです。史上最高体重の姪御さんはlittle mentally slowとあります。着物はどう考えても無理だと思ったけれど、インドから送られてきた高品質のサリーがあることを思い出し、フリーサイズだからそれをまとってもらうことができるかもしれない、少しでも糸口があれば、何とか進んで行けると信じていないと、この仕事は続けられません。

 夫に言ったらムリムリと片づけられるのは目に見えているけれど、私は何とかしようと指輪を見ながら考えています。何かの力が宿ってくれることを心から望みましょう。

未来の救済 2024年3月17日

 時系列を複数使って作られた映画や小説を見たことがありますが、一年間ブログのサイトにログインできなくて、やっと再開して過去の事を書いている時、今この時のことがとても大事だと思えて、記憶力が衰えてきたこともあり、過去と現在を並列して記憶していきます。

 義母が2月に亡くなり、3月30日まで毎日四十九日ローソクを週ごとに替えて灯して拝んでいます。今日からお彼岸なので、昨日お墓掃除に行き、納骨前の段取りを決めてきたのですが、先だって義母の新しいお位牌が葬儀社から届きました。今は白木の大きいお位牌に戒名が紙で貼ってあるのですが、四十九日に此れをお寺に納め、ご先祖様と同じお位牌を仏壇の中に並べるのです。

 義母の新しいお位牌を見るたびに、私は万感胸に迫り、どうしても涙を押さえることができません。仲の良くない嫁姑だったけれど、お彼岸やお盆にはすべてのお位牌を出して綺麗に拭き、何十年も義母と一緒に仏壇の中を掃除して花やおはぎや果物を供えてきました。彰義隊の末裔のひいおじいちゃま、兼三おじいちゃん夫婦、さだお母さん、義父、若くして亡くなった義父の弟妹と順番に丁寧にお位牌を揃えていたけれど、二人でそれをしてきたけれど、今度はそこに義母の位牌を並べるということが、私にとって物凄い衝撃なのです。あんなに大変な存在だった義母が死んで、49日間沢山の仏様と一緒に拝んで、修行の旅をして、そしてお位牌になって仏さまのそばに行く、私はずっとそばにいることが出来た、これが成仏することだということを、肌身に感じた時、あれほどつらくて苦しくて息ができなかった日々が私にとって必要だった、あれがみんな私の修業だったということがわかったのです。

 今日から六七日に入り、弥勒菩薩様がえがかれたろうそくを灯します。傍に書かれた文字は、「未来の救済」でした。仏様は、私たちの未来をも、救済して下さるのです。

激しい雨

 連休中はずっといい天気だったのに、今日は強い雨が降っています。直前に予約してきた南米出身の御夫婦は、傘を差さずずぶぬれで駆け込んできました。タオルで二人の体を拭きながら、旦那様の精悍な浅黒い顔を見ていて、この雨の中彼は決してこの体験に来たいわけではなかったと感じていました。奥様の是非というリクエストなのでしょう。頑張って訪問着を着せて、正装で写真を撮り、ティーセレモニーをして、今度は浴衣に着替えまた写真を撮り、振袖も打掛風にして羽織ってもらい、最後にプレゼントをして彼らは帰りましたが、柴又へ行くことはできず、不完全燃焼のような体験になってしまいました。うちの夫もそうだけれど、趣味嗜好が違うと映画でも演劇でも互いに相手が好きなものが認められないことは多々あります。私の体験は奥様が選んだもので、まして激しい雨の中遠くの町まで来ることは決して旦那様の本意ではなかったのでしょう。

 こういうことはどういう商売にでもあることだし、いちいち気にしていたら身が持ちません。一年遅れでブログを書き直している私にとって、あまり芳しくない記憶は残さないでもいいものだと思うのだけれど、彼女が乗り気でない旦那さんを説得してわざわざ私の体験を選択してくれた気持ちや、旦那さんにとってあまり意味がなく面白くない日本の文化だったとしても、奥さんが選択したこの体験を失敗したと思ったとしても、その時には意味がなかったと思えてもいつか振り返った時に意味があったんだと思えるように、その後の体験を創ることに全力を尽くしたいと考えたいからです。

 コロナ以後、こころの方向を見つけようとしてる若い人たちは、どう進んで行けばいいのか、大学で勉強してもそれが本当に自分の本意なのかと考えながら、私のところへ来ていました。自分が日本に来た意味をはっきりさせることはできたのか、そんなに突き詰めて考えることではないかもしれないけれど、文学とか美術とかスポーツとかあらゆるジャンルを超えた、今切実に求められている個人個人のエートスは、自分のやり方で考え抜いて、そして進んで行くことでしか得られないと思うのです。

 私のこれまでの選択は、失敗だらけだったのかもしれないけれど、失敗しても訳が分からずまた失敗しに行く、何を求めているのか、それがどんなに独りよがりのものだったか、それでもそれを繰り返して、それでもあきらめずに何度も挑んでみるけれど、夢はかなうわけではなく、努力は実るわけではありませんでした。期待される夢も、期待されない夢も、誰にも伝わらない気持ちも、誰にも届かない日々も、ただ同じように過ぎ去っていく日々も、ただ苦しみを味わい続ける日々もありました。

 人間の人生は、沢山の選択の連続です。その選択が全て正解だったかどうか、最後までわかりません。どんなに悩んで考えたとしても、選択肢には、するかしないかしかないし、その二択の積み重ねで選ばれてきた今が正解なのか、不正解なのか、神さまにしかわかりません。ただ、そのすべての選択に意味は持たせなければならない。自分のやりたい事とやらなければならない事の選択に悩むとき、そんな時役に立つのが、傍から見ると何をやって来たかと思われるような日々の積み重ねで、無意味だったり無駄だと思われるような過去の努力が意味を持つことがあるのです。選択の是非は、”失敗してもまた失敗しに行く”という究極の腹のくくり方をしていかないとわからない、わからなくてもいい。今を選ぶ難しさ、でもその時々の意味だけは考え続けなければならないし、それが一番の救いになるのでしょう。

 結局、奥様はレビューは書かなかった。それが彼女の選択でした。翌日行くと言っていた観光地の日光が、二人の心に深く刻まれたと私は思っています。

One by one 2023年5月3日

 今日のゲストも一人旅が2組、アメリカの女の子とドイツの学生です。お天気の良い五月の連休の一日、まず現れたゲームクリエーターのショートカットの明るい女の子は早口で良くしゃべり、私がついていけないとわかると一人で話し、一人で納得しています。まずいなと思っていると、次に現れたドイツの真面目そうな学生は、にこやかに挨拶した後、アメリカの彼女と切れ目なくマシンガントークをはじめました。紫の単衣を着た彼女と薄手の紺の紬を着た彼は、だんだん写真も2ショットを撮り、手をつないだりはさすがにしないけれど仲の良いカップルになり、天気の良い参道を歩きいつものコースを辿り、アイスを食べ、二人でたこ焼きが焼けるのを見学し、仲良くほおばっているのを私はただ微笑ましく見ていました。

 

 このところ、旅行先で知り合った男女が一緒に次のたびに出掛けるというシチュエーションが何組かあって、男性1人女性2人というのが無難な組み合わせのようです。この二人がこれからどうなるかわからないけれど、意外と駅でさよならかもしれない、でも二人ともアメリカ人だったらこんなに話が弾むのかしら、真面目なドイツの男の子と、トークが大好きなアメリカの女の子が、日本の伝統的な着物を着て共に過ごした4時間でした。一人ひとりの、とても個人的な感慨を持ったであろう、旅の一日の記憶はどんな色をしているのでしょうか。楽しい、嬉しい、淡い夢のような時間が過ぎて行きました。

フランスのメリッサ

 個性豊かなゲストが続きます。4月30日に一人で来たフランス人のメリッサは日本で買ったというちりめんの羽織を着てショートパンツに長い脚、ソバージュの髪型で、何とすらすら日本語を話すのです。お父さんが世界陸上の審判員で日本に来た時に一緒についてきて、それから日本が好きになり大学でも日本語を勉強しました。173㎝の長身にカラフルな振袖を着せようと思ってまず足袋を履いてもらうと足首に傷があり、肉腫ができるので切った傷が残り、それが何か所かあると言います。一緒に柴又へ行き、楽しくいろいろな話をして帰った後、テーブルの上にギリシアで買ったという指輪が置いてあるのに気がついた私は、連絡して翌日上野で待ち合わせ、無事返却しました。その日は彼女は上野散策の予定で午前中はノープランというので、まずデパートへ行き化粧品売り場を歩きながら、フランス語表記のものをみんな説明してくれ、北海道物産展では山羊ミルクアイスを買って(彼女がおごってくれました)屋上で食べながらスマホの写真を見せてもらいました。家族写真、おばあちゃんのうちでのクリスマスの様子、友達と行った様々な国の風景、でもフランス人のパパとカメルーン人のママは離婚していて、勤めていた会社では思い出したくないようなひどいいじめを受けていたことなどもポロっとしゃべってくれました。今はサーカスのポスターなどをデジタルで作っているデザイナーなのですが、結構いろいろ複雑な感情を抱えている女の子だということを感じていました。

 フランス人の家庭は離婚が多いと何かで読んだことがあるけれど、個というものが強い気がします。何が幸せで何が不幸かわからない世界、でも愛のない世界を破壊して、愛のある場所を創造していこうとしている。愛のない空間、愛のない組織、愛のない関係性は容赦なく滅ぼされてしまうけれど、たとえ周りの世界がどうであれ、自分自身が愛を能動的に創造していけばいい、誰かに愛を与えること、自分自身に愛を与えることを彼女は目指している気がします。

 混乱に満ちた世界から抜け出すには、これまで誰も語ったことのない言葉で、自分が心から信じられる物語を作っていくことしかない、人々の行き場のない怒りとか苦悩とかそういうものを何か表現で肩代わり出来て、自分の幸せではないかもしれないものが巡り巡って自分の幸せになるという感覚、自分ではない誰かの感情をすくい上げ取り込んでいくことが一番の救いになっていく。2日間彼女と一緒に過ごしていて、私はこんなことを感じていました。ゲストとの一期一会が、途轍もなく大きくなっていきます。

チリからの4人のゲスト2023年4月27日

 チリから、男性130㌔、女性110㌔の着物があるかどうかという問い合わせが入り、私は申し訳ないけれど無理ですと返事を送りました。でもそれからも何回もメールが入り、どうしてもこの体験をしたいので何とかならないだろうかというスペイン語の文章を翻訳機にかけながら、どうしようかと考え、浴衣ならなんとかなると返事をすると、とても喜んでくれました。他の二人の男性は普通サイズで、一応皆の写真を送ってもらい、シュミレーションをして、当日を迎えました。

 地理学者だというナタリアは黒ぶちの眼鏡をかけた真面目そうな女性で、ひで也工房のカラフルな大きい浴衣にギラヘコ帯を締め、弟のパブロ君にはやはりひで也工房の紫の浴衣を着せ、これは意外と伸びるのでお腹周りも大丈夫でした。あと二人は紬の単衣を着て、なかなかかっこいいのです。電車に乗って柴又へ行き、お寺の庭園でたくさん写真を撮り、アイスクリームを食べ、門前のお店で足袋や達磨などお土産を買い、帰ってティーセレモニーをして、お土産に道行を選んで、無事終了。最後にパブロ君が「自分達のような体型では着物を着るのは難しいと承知しているけれど、念願の体験が出来て本当にありがたいと感謝してくれました。

 BGMでアドの曲をかけていたら、アニメのワンピースの中の歌をパブロが口ずさんでいて、遠いチリでも日本のアニメは有名なんだと驚いたのですが、真面目な四人は本当に真面目にこの体験を喜んでくれて、チリに来て下さいとチリの国土のマグネットをお礼にプレゼントしてくれました。英語が話せる男性とは仲良くなり、冗談を言いながら自撮りしている姿を見ていて、義父がよく言っていた「大きい人間は良い品質のものを着ないとだめだ」という言葉を思い出し、正直4万円の浴衣に頂き物の素晴らしい紬の単衣を着た四人は、何処に出しても恥ずかしくないクオリティなのです。

 帝釈様の庭園の回廊で、日差しを浴びて嬉々として写真を撮っていた彼らは、控えめだけれど温かかった…遠いチリでこの体験をしたいと必死に思っていてくれたのでした。相手のすべてを感じながらひたすら想像し、相手に尽くすこと。努力は自分のためではない時に正解になるのかもしれません。

 翌日は富士山に行ったそうで、その写真をナターシャが送ってくれました。皆楽しそうでした。

ひとり旅 2023年4月

 今日のゲストはフィンランド、イタリア、メキシコ、ミネソタと世界各地からやってきました。細くて背の高い21歳のフィンランドの女の子が一番乗り。天気が悪くて日中でも暗いけれど、フィンランドもまだまだ寒いようです。次に現れたのはイタリアの30代の女性で、イタリア人は男性は陽気だけれど意外と女性は静かなタイプが多いのです。その後はマリアッチのメキシコの男性とフィアンセのミネソタのふっくらした女性で、雨模様なので着物の上にコートを着て、傘を差して出かけたのだけれど、だんだん雨足は強くなり、お寺の庭園の廊下はびしょ濡れです。水曜日ということもあって参道も閑散としてしていて、雨を防げるところでは随分写真を撮ったのだけれど、ラブラブカップルは幸せそうにしていても、シングルのフィンランドとイタリア組はどうしても浮き立たない顔になってしまいます。 

 一人旅で雨降りで暗い気持ちをどうやって引き立てていくか、一対一の場合は割とやりやすいけれど、人数が複数の場合はずっと一人のゲストについている訳にもいかないので、ゲスト同士の会話が弾むかどうかが鍵となります。お国柄もあるし、性格もあるのだけれど、たった一つでもいいから何か心に残ってくれるものが在って欲しいということだけを私は願い続けます。

 その後の晴れた日に来たフランス人のドクターは丸い眼鏡をかけた可愛い子で、一人旅だけれどずっと笑いっぱなしで、つつがなく体験を終えました。彼氏がいるゲスト、全くいないゲスト、お寺の絵馬を見ながら「あなたの望みは何?」と聞くと「ハズバンド」と即答した40代の女性、結婚はしないのと言い切った韓国の30代の女性、子供が3人いるけれど離婚していて、高齢の両親にも愛されず孤独だと泣き出したアメリカの女性、同級生同士で結婚して綺麗で優秀で仕事にも恵まれているけれど子供がいなくて心が暗く沈んでいたユダヤ系の女性、本当にいろいろなゲストが来ます。

 孤独とは大事なものだと思います。夫がいても子供がいても、根本は人間はひとり旅をしているようなものなのでしょう。どんな状況にいても、どんな情況になっても、前を向いて光を求めて進んでいく胆力を鍛え続け、何かを見出していて欲しい、私が全てのゲストに望むことはそれだったのでした。

一人旅

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イタリアンパパ

 今日はイタリアからの家族がやってきます。ママと二人の娘さん、年齢は違うけれど、オーストラリアの家族の事を思いだしていると、一時に玄関に現れたのは大柄で恰幅が良く丸いしゃれたサングラスをかけた男性です。えー!その後ろに女性と女の子が二人。父ですと紹介され、今日イタリアに帰る前に着物体験を一緒にしに来たとにこやかに挨拶するイタリアンパパに、予約はしていないけれど着物を着せない訳にはいかないでしょうと覚悟して、まるい膨らんだお腹を見ながら何を着せることが出来るか必死で考え、四月だけれどひで也工房から届いたLLサイズのしっかりした厚手のベージュの浴衣を着せたら、カッコイイ!さすがイタリア人です。

 娘さんのママはライトブルーの訪問着、上のお嬢さんは大人物のピンクの訪問着、ピンクの好きな下のお嬢さんにも着物を着せ、あとからの予約のチリの日本大使館に勤めているふっくらした女性には紺の菊模様の訪問着を着せ、柴又へ向かいました。ちょっと疲れた感のあるママに比べてイタリアンパパは元気で一番この体験を楽しんでいたようで、帰り際しっかり握手してくれたのが印象的でした。もうすぐ受験のお姉ちゃんに、将来どこで勉強したい?と聞いたらロンドンと答え、ママはしかめっ面をしていたけれど、教育費もかさむし子供を育てることはなかなか大変です。

 今日の母娘さんは極めて普通で、淡々と寺を見学し、ポーズを取って写真を撮り、コースをこなして別れを告げました。一番喜んだのはイタリアンパパで、その丸っこい姿はいつまでも可愛かった。京都のひで也工房のハイクオリティの浴衣を着こなしてもらったことが何よりも嬉しい一日でした。

書けなかった時間

 今年から確定申告を送るのに、帳簿への記帳や保存が義務付けられ、会計ソフトを購入して一月から経理事務と格闘していました。初期は知り合いの税理士さんに頼んでいたのですが、私の仕事は特殊なのでひどく手間がかかるし、青色申告にしたので手数料もかなり高額になるから自分でやりなさいと言われ、借方貸方勘定などよくわからない世界の中をずっと彷徨っていました。コロナ以後久しぶりにゲストがたくさんきていて、帳簿を付けながら、難しい訳アリのゲストが続いていたなと感慨にふけっています。ただ着物を着せて、ロケーションの良い場所で写真を撮るというコンセプトではない私の体験ですが、それがいいか悪いかは全くわかりません。ゲストが望んでいるものとかけ離れてしまい、落胆されたこともありました。だけれど、思いもかけなかったような変貌を遂げるゲストもいるのです。

 オーストラリアの家族が予約してきました。パパとママ、そして9歳と7歳の女の子2人、びっくりしたのが、姉妹の身長がほぼ同じだったことです。どうして?と思いながら七五三用の着物を着せていると、おしゃまで活発な妹さんと比べてお姉ちゃんが無表情で話す内容が予測できず、戸惑っているとすぐママが来てフォローします。ママは陽気でふっくらしていて、菊の花の模様の紺の訪問着がよく似合い、髪の毛もアバウトにまとめてたらして、四人着付けると素晴らしい着物姿になりました。草履は多分お姉ちゃんは嫌がるだろうと思って私はズックを持ち、案の定違和感を持って駅で履き替えた彼女と、嬉々として跳ね回る妹さんを見ながら、この4人家族の着物姿が宗教画のように思えてきました。通りすがりの方々が、彼らの姿に目を奪われ、次々と賞賛の声を掛けてきます。背の高いパパ、金髪のニコニコしたママ、ちょっと照れくさそうな妹さんの中で、全く無表情でズックを履いて黄色い着物を着たお姉ちゃんのオーラは際立っているのです。この子は何を見ているのだろう。何を考えているのだろう。

 多分普通の学校ではなくで何かのサポートを受けながら勉強している気がするのだけれど、興味のあるマンガ番組にはのめり込むとママが言っていて、お寺の庭の池のコイや亀には反応を示さなかったのが、壁一面に彫られた仏教の彫刻版をじっと見ている姿を私はたまたま動画に撮っていて、それを今も時々見返しています。静謐な視線の強さは子供のものではない。でも彼女はこの視線を持ってずっと過ごしていくのでしょう。パパは時々悲し気な目をするのだけれど、ママは明るくすべてを楽しんでいます。

 帰って来てお菓子を食べている女の子たちのそばで、私はパパとママのためにティーセレモニーをして抹茶を飲んでもらっていると、ふとお姉ちゃんと目が合いました。この子はお茶が点てられると私は直感し、彼女にそばに来てもらって作法を教えると、よどみなくすらすらとお茶を点ててくれました。後ろで自分もやりたくて跳ね回っている妹さんは、あとでやってみたけれどうまく出来なかった、それが普通でしょう。

 帰る時は後ろを振り向かず、静かに前を向いて歩いていくこの子の姿を見送りながら、私のやっていることは何なのだろうと思っていました。彼女が受け入れるもの、興味のあるもの、嬉しいと思えるものは何だろう、あとで、ママから来たレビューに「これは子供たちの心に一生残るであろう体験でした。そしてどれだけ多くの人達が、私達を見て喜んでくれた事でしょう」とありました。一年前のことを振り返って見ている今、心の中に何かを抱えているゲストほど、その姿はより美しく、周りの人々に色々なインパクトを与え、何よりも私がより深くそのことを覚えていて、忘れられない体験となっていることを強く思います。苦しんだり悲しむ経験はしたくない、避けて通れれば有難い、他人の不幸は蜜の味と平然と言い切る年配者の言葉に背筋が凍る思いがしたのですが、辛い経験をしているからこそ見える別の景色があるということ、透徹した視線の向こう側に、慈悲や温かさが存在している気がします。そしてそれを支えるものは、私が差し出せるものは、日本の文化なのです。着物も仏教彫刻も茶道も、みんなあの子にとって初めてのものなのに、すっと受け入れられる器の深さを持ったあの子を、私はずっと忘れません。

パーフェクトデイ 2023 4月17日

 世の中が物凄く変です。時空が歪んでいる気がします。悪いことをたくらむ人が平気で横行している、顔を作っても、甘い言葉を吐いても、顔が初めから違っている。

でも私はなぜか幸せです。美容院へ行って髪を切ってもらいながら、イギリスで修業したスピリチュアルな寛子さんにヘアスタイルをどんどん変えてもらって別人のようになりつつある私は、ラインのプロフィールを今回のヘアスタイルの写真に代えて見ました。

 いろいろなものがどんどん軽くなっていき、これから進むべき道をたくさんのゲストが指し示してくれる。知らなかった言葉、知らなかった国、知らなかった風景。どんどん引き出しが増えていきます。

二時間しか体験の時間が取れないけれど、若い姪を三人連れてこれからタクシーでうちに来るというゲストからの連絡をもらい、少し遅れてきたナイスバディの四人がタクシーから降りてきて、正直全部着付けて柴又へ行くのはかなり大変だから、今日はうちの周りで写真を撮るだけにしようと私は頑張りました。ハクビの先生をしていた方から素晴らしい振袖を三枚と袋帯もたくさんいただき、それを着てもらおうかと思ったのですが、長いことしまわれていたのでカビ臭がして、一人とりあえず着せたらくしゃみをし始めるのでこれは大変と、あとのお嬢さんはいつも使う赤の振袖、180㎝の18歳の女の子は赤の小紋をオハショリなしで着せ、最後に40代のふっくらした叔母様に何を着せようかと思ったら、何と振袖!と言われ、一番大きいのを着せてみんなで並ぶと素晴らしく豪華で、路地裏に咲いている様々な花をバックに写真を撮り、二階の畳の部屋でくつろいでからティーセレモニーをして、あっという間に2時間がたちました。おばさまはイギリスだけれど姪御さんたちはニュージーランドに住んでいて、教師や学生でわりとおとなしめの女の子たち、一番イケイケは叔母様のようです。帰りもタクシーを呼んできてもらったら、葛飾ナンバーのタクシーなのだけれどドライバーが外国人で、夫は感心して見送りました。

 あらかじめ送ってもらった写真のポージングも洋服も過激目だったので私は焦ったのですが、会って見たらおとなしくて品のいいお嬢さんたちで、ニュージーランドでのびのび育った感があり、一番とんでいるのが四十代で振袖を着た叔母様だったのかもしれません。

 美容院で髪を切ってもらっている時、美容師さんが「今も学歴って大事ですかね?」と聞いてきて、私は答えなかったけれどコロナ後たくさんの若者たち、特に一人旅の東南アジア系の男の子と話していると、母国でないところで育ち勉強し働こうとしている真面目な彼らはこれからの生き方を探している、私がこの仕事にかけて居る熱意はどこから来るものなのか、コロナウィルスが蔓延し、異常気候が続き、世界の各地で殺し合いが続くそんな恐ろしい現実の中で、受験勉強に励み大学に入って青春を謳歌しようなどという暇などない、老いも若きも同じレベルで自分の生き方を探さないと、私たちはすぐ奈落の底に落ちていきます。

 子どもたちにこうしろと諭したり教えたりすることはできないけれど、自分が何を大切にして何のために熱意を持って進んで行けるのかという道筋を見てもらうことは出来ます。役所広司さんがカンヌ国際映画祭で男優賞を受けた映画「パーフェクトデイ」の予告編を見ていて、渋谷のトイレ掃除の仕事をし、読書や植物を育てることが好きな初老の彼の顔が穏やかで前を向いていることにひどく魅かれます。

 アメリカ人の教師のアシュレイと着物を着て歌舞伎に行った時、彼女は歌舞伎座の中で前を歩く私が着物を自信を持ってきていることに感心したと言っていて、その時は私はその意味が解らなかったけれど、何十回と着物を着ていても、今までは背が高くて大きいことが引け目で背中が丸くなってしまいがちだった、けれど、私より大きいアシュレイの着物姿が綺麗で、それが誇らしくて、便乗して私も綺麗に見えると内心思っているからなのでした。外国人に着物を着せて、一緒に日本の文化を味わう。自分のうちを丸ごと使ってそれができる、

AIの知らない、私のパーフェクトデイです。

未来永劫

 一年ぶりです。よくわからないうちに、パスワードのシステムが変わり、ログインできなくなって一年が過ぎてしまいました。いろいろ手を尽くしてトライしてみたのですが、どうもよくわからず、仕方がないと諦めて、ワードにそれからのことを書き溜め、時々娘にGメールでゲストとの交流の様子を送る程度にしていました。世の中は不穏で、妙なメールが相次いできていたこともあり、なんだか怖くなってペーパーが一番安心な気がしてきて、次々印字して保管しています。

 それにしても世の中の変遷はすさまじく、この一年で本当にいろいろなことが起こり、明日に何が起きるかわからない、切羽詰まった情況に陥っていることをひしひしと感じています。今やるべきことを今やらないといけない。投稿がストップした後の日々を振り返りつつ、これからやることを突き詰めていきます。

街とその不確かな壁

 村上春樹の6年ぶりとなる長編小説が昨日刊行されました。待ちに待った、そして今この時の発売です。すべてが何かを指し示しているとしか思えないのですが、今日の日経新聞に出ていたインタビュー記事に意外な言葉が載っていました。

 「書きたいものを書く力がついた」

 あの村上春樹が、74歳になった今、こういうことを言う。えーっ、なんで。

 「この小説を書きだしたのは20年の春ごろで、社会全体にコロナ禍の影響も大きく、家にいることが増え、自分の内面を見る傾向が強くなった。そろそろあれを書いてもいいんじゃないかと、引出しの奥から引っ張りだしてきた。時期が来たなという感覚がありました。」

 「ぼくにとって”壁”とはこちらの世界とあちらの世界を分け隔てる境界。そこを抜ける能力を持つ人がいるというのが、僕の世界の仕掛け、というか中心命題の一つと言えます。壁を抜け、向こうの世界へ行き、帰ってくる人物は大事な存在です。」

 「コロナ禍やロシアによるウクライナ軍事侵攻もあり、グローバリズムそのものが揺らいでいるように感じる。グローバル化は世界を良くする、SNS(交流サイト)は新しいデモクラシーにつながると期待されていたが、むしろパンドラの箱を開けたような(混乱した)状況に陥っている。壁を乗り越えていくのか、それとも壁の内側に籠るか、どちらに引かれるのか、自分でもよくわからないまま書いた」

 「小説家は肌で感じたものを書くのであって、考えすぎると書けない。(頭に)情報を入れておいて、それを変容させて書くのが小説だと思います。」

 「もう一つの世界に行くには、意志の力や信じる力、そして体力が必要。力を振り絞らないと向こうの世界にはいけない。そこでは信じる力は大事だと思う。だから僕の小説はペシミスティック(悲観的)でもネガティブ(否定的)でもない。変なものがいっぱい出て来て、暗い所もあるが、根本的にはポジティブ(肯定的)な物語。」

 「僕が一番心配なのはコロナ禍の状況の中で若い人がどう感じ、どんな風に変化していくかということ。」

 「僕自身は意識と無意識を行き来するうちに立体感を掴むという方法論をとっており、それまでの日本文学の流れとは異なる。」

 「影というのは潜在意識の中の自己、もう一人の自分なのです。相似形であると同時にネガでもある。それを知ることは自分自身を知ることにもなる。とりわけ長編小説を書く場合は、潜在意識を深く掘っていく必要がある。」

 

コロナウィルスが日本で猛威を振るい始めた2020年の3月初めに、この作品を書き始め、3年近くかけて完成させた。その間ほとんど外出することもなく、長期旅行をすることもなく、そのかなり異様な、緊張を強いられる環境下で、日々この小説をこつこつと書き続けていた。まるで<夢読み>が図書館で<古い夢>を読むみたいに。そのような状況は何かを意味するかもしれないし、何も意味しないかもしれない。しかし多分何かは意味しているはずだ。そのことを肌身で実感している。

 

 

ミケランジェロ

 三日間連続してゲストが来ると、全く頭がこんがらがって、誰と誰が一緒だったか、どこの国の方だったか、わからなくなります。日曜日に来たオランダからの三人のゲストはインパクトが強く、ブラジル人のお母さんを持つふっくらしたロクサンヌがリーダーのようだけれど、心もとないボーイフレンドのダニーとヤンキーなイリスはこの体験に何を求めているのか全く分からずに、一緒になったアメリカからの若い夫婦の奥様のテンションの高さに煽られながら柴又へ行くと、ダニーは興奮して石塔や熊手の写真を撮るのだけれど、イリスは写真を撮られるのも飽きてすぐ座り込むので聞くと、トイレに行きたいと言い出し、帰ってはやく着物を脱ぎたいようです。

 若夫婦の奥様はアフリカがオリジンのハイテンションな学校の先生で、御朱印帳が買いたくてお寺に戻り、カードしか持っていないダニーはダルマが欲しくてATMのある場所を聞くし、ロクサンヌは自分の写真をあとの二人にとってもらえないみたいでちょっと浮いているし、まあまあ混乱の極みの中で、何とイリスはタバコが吸いたくてたまらないことがわかりました。もう団子もいらない、早く帰りたいイリスのために発車間際の電車に駆け込み、家に帰ってすぐ着物を脱がせ、缶コーヒーを買って夫と二人で外で美味しそうに煙草を吸う姿を見ながら、あとのメンバーはお酒とつまみで乾杯してからティーセレモニーをしました。イリスはやっと落ち着いてみんなの写真を撮り始め、ダニーも上手にお茶を点ててくれて、とりあえず終了、私にとっては最低から二つ目くらいのホスティングとなってしまい、気持ちは落ち込むし、タバコは初めに吸ってもらえばよかった、お金も持って行ってねと言えばよかった、と後悔ばかり蘇り、電車に乗るために着物姿で駆けさせてしまったロクサンヌに謝りのメールを送りました。

 おととい来たアメリカのヤングカップルは午前中京都の伏見稲荷に行ってから新幹線で東京に着てうちに来るというハードスケジュールで、東京駅で道に迷い一時間半遅れて到着、一時少し前に来た韓国人の女の子は着物を着たまま夜に渋谷に行きたいというし、何で最近はこんなにごった返すのかと私は右往左往しながらため息が出ました。黒い単衣の紬を着た大柄なRosaちゃんは先に抹茶も飲み、写真もたくさん撮って、あとはお寺へ行きたいというのですが、やっと到着したカップルに急いで着物を着せ、かなりふっくらしている女の子はひで也工房のアザミの浴衣にギラヘコを締め、三時過ぎに電車に乗ることができ、ほっとしていろいろ若いネイサンに何で京都からこんな辺鄙な所まで来るのか聞いたら、レビューが良かったからだとのことでした。

 彼のプロフィール写真がベニスの風景をバックにしているのと、苗字がMarcelloでイタリアっぽかったので、私はイタリア人だと思い込み、連れの女の子に何か国語話せるか聞いたら、英語とスペイン語だというのでネイサンに聞くとアメリカ人だと言われ、もうもう混乱続きでした。どうして京都からここへ来るのと嘆きながら水曜日で空いている帝釈天の中を歩き、桜は終わったけれどつつじや他の花々が咲き乱れて、しょっちゅう来ている私ですらびっくりするほど綺麗なのです。Rosaちゃんの写真は私がたくさん撮り、ネイサンも立派なカメラで写真を撮り合っているので、とりあえず京都に負けない?ところもあるかなと思ったけれど、伏見稲荷や金閣寺の写真をネイサンに電車の中で見せてもらったから、とにかく日本には素晴らしい所がたくさんある、ということが私によくわかりました。

 仏教彫刻のところで好きな美術家を聞くと、ミケランジェロだと答えたネイサンはアニメにも興味がなく、5人兄妹の長男で医療関係の学校に通っていて、鼻が高くて痩せていて、微妙なニュアンスのある子でした。そういえばコロナ後一人で来る男の子のタイプかもしれず、英語でゲスト達と限りなく話すのを聞きながら、やはり私はこの子たちは何かを探してここへ来ている気がするのです。言葉ではないなにか。私はそれを言葉で表すことはできない。だけれど、何かのニュアンスを、私は感じ取りたい、ネイサンの言ったミケランジェロという言葉が、強く私の心に残っています。

Huoi君

 4月8日は雨模様で、大柄なチャイニーズアメリカンのカップルと小柄なフィリピンのカップルは着物を着て雨ゴートを羽織り静かに柴又に向いました。実はメールに書かれていたフィリピンカップルの身長が同じで、初め私は間違えたのだと思い、170㎝くらいの男物の着物を用意していたのですが、玄関に現れた二人は小柄で可愛らしく、慌てて一番小さいサイズの紺の着物を羽織ってもらったらぴったりで、腕組みして黒い眼鏡をかけてポーズをとるHuoi くんは何とも言えない雰囲気の持ち主なのです。

 わりと無口なのだけれど綺麗な奥様といつも手を繋ぎ、写真をたくさん撮ってあげ、うちへ帰ってティーセレモニーをしたのですが、京都でお茶体験をして抹茶も挽いたという中国カップルにはじめに飲んでもらい、全く初めてだというHuoi君は「緊張する」と言いながら初めてのお茶を味わってくれて、その姿を見ていてふと彼はお茶が点てられると感じて、私のためにお茶を点ててもらいました。しっかり着物を着て構えて、柄杓も茶杓もきちんと扱い、落ち着いてお茶を点てるのを奥様はしっかり動画に収め、私はお茶をいただきながら、東南アジア系の男性は茶道の根本を理解するのが早いと感じていました。その後中国の女の子にもお茶を点ててもらい体験を終了させ、プレゼントの帯を選んでもらっている時に、Huoi君には小さいサイズの紬の着物を持って行ってもらいました。チェコのゲストも小柄だったのでウールの着物を差し上げたら、なんと彼は着たまま帰って行ったのですが、160㎝以下の身長の男性の着物はなかなか外国人に着てもらうことがないので、ジャストフィットの時は私は嬉しくてお国へ持って行ってもらうのです。

 大柄な明るい中国人の男性がちょっとうらやましそうな声でいいなあというのだけれど、大きいサイズの着物は貴重なのでごめんなさい、差し上げることはできないのです。雨がやまないので折り畳みの傘をあげて仲良く相合傘で帰って行く二組を見送りながら、私は妙な興奮した気持ちに陥り、それがずっと続くのに驚いていました。胸が締め付けられるような想いは、Huoi君がお茶を点てているのを隣で見ていた時からで、夜になっても彼の気配が感じられるのは、彼がすっぽり日本の文化の中に入り込む能力を持っているからなのかと考えていたら、そういえばお寺に行った時彼に仏教徒かと聞いたら、奥様が「シャーマニズムなの」と答えていたのを思い出しました。

 キリスト教などの契約宗教のように聖書などのガイドラインがある宗教に比べて、シャーマニズムはシャーマン個人への依存度が深いもので、客観的な根拠の熟成には欠き、主観的な意見に見える危険性もあるので、洗練されていないとかインチキとか言われてしまうと反論するロジックが少なく、原始的な宗教というレッテルを張られることもあるのです。ガイドラインの研究の果てに生み出した、システムに依存しているように見える西洋由来の宗教とは方向性が異なっていて、人に宿った神の言葉を信じるのか、人が書いた神の言葉を信じるのか、でもシャーマンの能力に大きく依存した宗教であり、神との間で意思の疎通をはかり、信者や仲間の集団に対して神の意志をお告げとして語ります。シャーマンが神さまと直接連絡を取り、諸問題への対策や指示を仰ぎ、その都度神様に訊ねる。多神教的な性質と、人間以外の性質をもった神様や精霊などを崇拝したり、忌避したりしています。自然の驚異を精霊などに擬人化することも多く、そういう考え方はアニミズムとも似通っていて、どんな物質にもそれを代表するような精霊などが存在しており、それは人との暮らしに恩恵を与えたり害悪を成したりします。自然界のあらゆるものに、人格や力があると考えている価値観で、アニミズムは世界観であり、シャーマニズムは信仰のスタイルですが、アニミズム(自然のあらゆる場所に精霊がいる)の世界観において、精霊とコンタクトを取れるシャーマンが存在したとしても矛盾しません。両者は、時には共存することも可能な考え方です。アニミズムは自然界に数多の神格を感じ取ることであり、シャーマニズムはあくまでシャーマン中心の宗教の方式になる、また50年ほど前にアメリカなどで新しく始まった動きは、都市部でもシャーマニズムを発展させることを可能にして、世界中のシャーマニズムに共通する部分を中心に取り入れられ、現代社会の生活に馴染んでいて、人間の世界とスピリチュアルな世界をつないで、バランスを整える役割を果たしているそうなのです。

 こういう感覚を持っているHuoi君に私は柴又の仏教彫刻を見せて、どう思うか聞いてしまったのですが、初めはちょっと冷ややかに見ていた彼が、どこかでふと好意的なコメントをしてくれて、その時は深く考えなかったけれど、人間の世界とスピリチュアルな世界をつないでバランスを整える役割を果たしているというシャーマニズムを彼が持っているとしたら、庭園の緑を背景に奥様の写真をたくさん撮り、手をつないで仲良く歩き、抹茶を綺麗に点てるというバランス感覚と落ち着いた精神が私の心に深いインパクトを与えてくれた理由なのかもしれません。

 

 自宅にしまってあったお人形さんたちを、うちに飾って外国人に見て欲しいと持ってきた方にJAで買ったトマトや菜花やさやえんどうやレタスをお礼に差し上げたら、野菜が大好きと言って、朝早くウォーキングするときに玄関を覗いたら、人形が飾ってあって嬉しかったとじっと私の目を見たそのお顔を見て、私はHuoi君の時と同じく胸が締め付けられる思いがしたのです。

 すべてに魂が宿っている、人形にも野菜にも、お抹茶にも自然の緑にも花々にも。何に囚われることもなく、私に与えられたご縁を大事にして、丁寧に生きていく、心のざわめきを静かに聞いていきましょう。

カミングアウト

  昨日は水曜日で柴又も混んでいないだろうし、ゲストは三人、なかなかサイズを教えるメールをくれないアメリカのカップルとプエルトリコの女の子なのでそんなに大変じゃないと思っていたら、朝方予約が入り、日付を見ると今日でした。あれあれ大変だと思って支度を追加しましたが、一時前に到着したのは黒い小花模様のワンピースを着た小柄な黒髪のブラジルの女医さんで、明るく親しみやすい方なのだけれど、それにしてもお国から何時間かけてここまで来たのか聞くと気が遠くなる数字だし、話の中にアマゾン川とか出てくると、私はワニやピラニアを連想してしまう、でも香水はシャネルNo.5を付けていました。ピンクの花の咲き乱れる小紋に桜の金茶の袋帯を選び、帯揚げに悩んでいるところに夫が登場、あとを任せて次に来たプエルトリコ生まれで今はバルセロナに住むロイヤーのライザの着物を選びました。ふっくらして陽気なライザはブルーの着物に金茶の袋帯で、バストがあるのでウェストにタオルを入れたのだけれど、くぼみをなくして締めればいいというものでもなく、本人もわかっていてずっと私が一緒にいるかどうか聞いていました。

 外国人の着付けは難しいし、身長や体重を聞いても選ぶ着物は小さかったり大きかったり、上手くいかないものです。ラストに来たアメリカのカップルは24歳と23歳、金髪の背の高い男の子は映画関係の勉強をしていてなかなか面白く、でもファーストネームがどうしても覚えられず、ちょっとニコラス・ケイジに似ているのでニコラスと呼ぶことにして紬の単衣を着たのだけれど、日本人のような顔立ちのフィリピンの女の子は私サイズの米寿のお祝いに作った渋いブルーの三つ紋を選んでしまい、帯も渋く、何でこれを選ぶかわからないのです。隣家の花が綺麗に咲き乱れているので、許可を得てそこで写真撮影をし、それから柴又へ向かいましたが、目立つのか通りすがりの御婦人たちに声を掛けられつつ、混んでない柴又を楽しみ、佃煮やお団子や漬物を買って酒盛りすべくうちへ帰りました。初対面でもすぐ仲良くなったブラジルさんとプエルトリコさんはたくさん写真を撮り合い笑いさんざめいていますが、意外と若い二人は盛り上がらず、仏教彫刻も興味がなくて、すぐ腕を組みぴったり寄り添っている割には密度がない気がして、こうなると私はもう正面切って「何を求めてこの体験を選んだのか」と聞くと、「コミュニケーションを求めてきた」と答えが返ってきました。

 彼女とくっついている割には心が一致していないカップルだと感じるケースはこれまで何回かあったのだけれど、アメリカ人の若い男の子シェーンがアジアの女の子と旅行していてうちに来た時のはじめは恥じらっていたけれど最後になついてきて、帰り際私は「シェーン、カムバック!」と言いつつ別れたのでした。今回のニコラス君はどこか縛られている感があって、特に彼女が着ているものが米寿のための着物だったせいもあり、ツーショットを撮っても、彼女一人の写真を撮っても、その着物がジャストフィットしていると思えない違和感が最後まで残りました。この前来たスリランカの夫婦はオーストラリアで仕事をしているけれど自分の国の事を考えていた、今日のブラジルとプエルトリコの二人もしっかり自分のアイデンティティを持っているのに、このフィリピンの女の子には自分の色がない、影がない気がして、着物体験をしたいのだったらこのタイプはよそのレンタル着物経験の方がいいんではないかと思いつつ、彼女にリクエストのイナゴの佃煮、ブラジルさんの好きなきくらげの佃煮をつまみに酒盛りを始めたら、ニコラス君は結構みんなと話してなかなか席をたちません。最後にお茶を点てていると、とても厳粛な動作だとブラジルさんが動画を撮り始め、初めてのお茶を味わって、最後にニコラス君にお茶を点ててもらいながら、抹茶の香りや柄杓でお湯を茶碗に入れる時の音など、五感すべてを楽しむものだと説明したのだけれど、多分フィリピンのガールフレンドはそれを理解しないだろうなと感じていました。

 柴又からの帰り道、時々LGBTQのカップルの話をするのですが、初めは衝撃的だったけれど、自分を認め正直に生きるということが他人のことも許容でき、自己が確立できる、何が大切かわかるのであれば、カミングアウトはとても大事な行為だと思うのです。セクシュアリティに限らず、公表すること、人に知られたくない事を告白することという意味もあるのであれば、自分の内面の事を掘り下げて公にした東京ドームでの羽生選手のアイスショーは衝撃的だったし、自分の心の闇を明らかにしてそこから進まないとこれからの時代はかなり厳しいものになるとおもうのです。「手と頭と心が歩調をそろえていると、奥深い所で眠っていたものが目を覚ましたが、それを目覚めさせたのは遊びでもなければ夢でもなかった。それは人間に対する敬意であり、迫りくる危険であり、そして知恵だった。心の闇に打ち勝つにはどうしたらいいか。人は自分で自分の運命を決めるわけにはいかない。受け入れるか拒否するかだ。私で出来ること、正しいことを正しくやり続けないと、美しいものが残らない。」

 900人近い外国人にうちの着物を着せてきました。身長体重のリミットを超え、もうだめかと思ったこともあった、どうにもならないこともあった、でも最高のものを羽織らせ、夫が写真を撮るのを垣間見て、私はああ美しい、着物が喜んでいる、頑張っている、ゲストの顔と着物がマッチして、なんてきれいなんだろうと思い、ほっとするのだけれど、今回はダメでした。可愛い女の子なのに、着せた時言葉がなかった、思いが無かった。戦争で夫を亡くし、和裁一筋で娘さんを育てお弟子さんたちと88歳のお祝いをするときに作った紋付きのくすんだブルーの訪問着は私はまだ着たことがない、まだ着ることができないのです。娘さんを先に亡くし、認知症になって施設でなくなったおばあちゃまの遺骨はずっと空き家にあって、あの3・11の日、たまたまそこにいた私はおばあちゃまと凄い揺れの地震を味わった。

 その思いの詰まった着物を、あっけらかんと選んで着て、彼氏と腕を組んで写真を撮る彼女に綺麗ねと言えない私。

 

 実はこの時点でパソコンが動かなくなり、すぐ修理の方がいらしてくれたのですが、5年たっているし一週間入院して直すとのことでしばらくスマホだけの生活をしておりました。ゲストが来たあとすぐブログを書かないと忘れてしまうことが多く、ここまでの経緯も4月13日の今日戻ってきたパソコンを開いて読んで見て、ああそうだったと思い出すのです。そしてこのあと三日間連続してゲストが来て、その間に近所の方から女の子の人形を4つ頂いたり、夫の友人のお母様が着付け教室のハクビの先生を30年していらして、亡くなった後膨大な数の着物の行き場所を探している最中で、うちにもたくさん運んで下さったり、色んな出来事がありました。

 人も物も自分の本当の居場所を探し続けているのかもしれないけれど、なかなかそれが見つからずにさまよっている気がするのですが、ここではないところでそれが見つかるのかもしれず、その入口さえわかれば行き来が出来て安定するのでしょう。自分の事をわかるためにカミングアウトするには、相当の覚悟が要るけれど、これからのゲストを迎えるために一番必要なことなのだと感じています。

 

バイカル湖のほとり

 先週の日曜日に来たゲストは皆170㎝以上の女性で、ミラノに住む五十代のママと20歳の娘さん、バイカル湖のそばでモンゴルが近い街に生れ、今はニューヨークで働くエレーナ、そしてアトランタに住むデミニ、私は大きい長襦袢の半衿を付け替え、私サイズの着物や草履を並べ、少し早めに来たイタリアの母娘を迎えました。大柄でふっくらしているママはイタリア人好みの明るいブルーの普通サイズの訪問着を選び、大学でマンガを学んでいる娘さんはちりめんの総模様の紫の振袖に決めたところでスマホが鳴り、デミニが道に迷ったと言っているのだけれど聞き取れず、ちょうどそこへエレーナが到着したのでスマホを渡してうちへの道順を教えてもらいました。私の説明通りに来れば駅から2分かからないのに、グーグルマップで来るとこういうことになる、でもこのおかげて一人旅だったエレーナとデミニはすっかり仲良くなり、私がイタリアの二人を着付けている間に、夫と三人で楽しそうに着物を選び出しました。コロナ禍で食べてばかりいて太ったというエレーナは、日本人と同じ顔立ちでよく間違えられるとのこと、どこの国の方?と聞くとロシアと答えたけれど、モンゴル系の肌の綺麗な女の子で、私のダーク系の着物は選ばず赤や原色の青が好きで、青い訪問着に紅い袋帯を締め、ドレッドヘアの細いデミニは挽茶色の紅型模様の小紋に赤い名古屋帯で、補正をして紐をたくさん結んでいるとブーブー文句を言っていました。でもこのタイプは危険で暴れそうだし、帯がすとんと落ちることもあるので、私は最後の力を振り絞り帯締めを結んで終了。でも四人並んで写真を撮ると、本当に綺麗でした。

 娘さんには20歳で振袖を着ると、町の人に「おめでとう」と言われるからそうしたら「ありがとうございます」と日本語で言ってねと頼み、あでやかな四人は拍手されたり花の咲き乱れる柴又ではたくさん写真を撮り、縁結びのお守りを買ったりおみくじも引いて、ちょっと混んでいる柴又を楽しんだのですが、庭園の回廊に外国人の団体がいて、お国を聞くと何とロシアでした。ゲスト達がそこここで日本人の方に写真を撮られたりして場所を塞いだので、あとを歩いて居る他のお客様の邪魔で申し訳なかったのですが、ロシア軍団は無表情でいて、そしていろんなものに反応を示さず、エレーナにそのことを言うと「私は彼らとは違うから」と無視しているし、あとで受付の女性に聞いてみると「だってロシア人だもの」とあっさり返されてしまいました。ロシアは広い広い国だし、国境も長い、いろいろな所で問題が起きるのも不思議はないのかもしれないけれど、アイデンティティは物凄くしっかりはっきりしていると私はあらためて感じるのですが、こうやってたくさんのロシア人が日本のこんな片隅の町まで来ていることが奇妙な気がしました。

 昨夜夫が「レッドオクトーバーを追え」というショーンコネリーが主演する映画を見ていて、隣の部屋にいた私はロシア軍歌のような主題歌のあまりの重厚な歌声にびっくりしてしばらく一緒に見入っていたのですが、1990年のアメリカで制作され、東西冷戦時代大西洋沖に突然姿を現したソ連の原子力船レッドオクトーバーを巡って繰り広げられる米ソ戦略を描く軍事アクションスパイ映画だそうです。今まで10人位のロシア人が来たけれど、心を許さないところがあるし、孤独で少し変わっている、ロシア人同士のカップルはいなくて、ペアの相手は中国人とかフランス人とか韓国人でした。でも四時間一緒にいて、彼らは着物や寺町を楽しみ、私は彼らの心を見ることができた、だから今でもその時の会話や光景を覚えているけれど、ナイーブでどこかに哀しみがあって、そして孤独な影がある、だけれど心から笑い合う事が出来、何よりも着物姿は綺麗だったのです。

 コロナ後は一人で来るゲストが多くなり、若い男の子も年配の女性もいるのだけれど、キャンセルはしたもののクリスマスにギリシアのミドルエイジの男性から予約が入った時はかなりびっくりしました。結局若い時の私と同じなのかもしれない。でも今私は着物を着せるために色々な努力をし、体験が終わってみんな帰った後脱いだ着物や帯、小物、紐の山を見て目がまわるのだけれど、一生懸命片付け、手入れをし、明日に備える、それが私の仕事なのです。

 バイカル湖のほとりが故郷のエレーナは穏やかで知的で、故郷の動画を見せてくれたけれど、広い道がとこまでも続きバイカル湖も大きくて果てしもない風景が続くのだから、この狭い日本へ来て、いったい何を思うのでしょうか。最近は本当に外国人がたくさんきています。大きなスーツケースを転がす疲れた顔の外国人たちが、高砂の駅にもいるし、桜の綺麗なこの季節、富士山、河口湖、鎌倉、京都、大阪、広島、様々な場所で日本を楽しんだことでしょう。でも、コロナ感染は下火になっても、気候変動は不気味な広がりを見せているし、突然記憶が飛んだり精神に変調をきたしたり、病に伏す人も増えています。

 今日のゲストはカリフォルニアとプエルトルコから来る三人と思っていたら、さっき急にブラジルからのゲストが追加で予約してきました。プエルトリコについてさっき急いで調べたのだけれど、ブラジルはポルトガル語です。昨日飲んだポルトガルのワインは美味しかった!もう頭の中がめちゃめちゃです。でも、私の仕事は彼らに美しいもの、素晴らしいものを見せていくこと、そのために出来る限りの努力をしていきます。

 頑張ろう❣

 

あの夏へ

 ”あの夏へ”は宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」の中の一曲です。外国人に大人気のこの映画の英語名は”Spirit awey”ですがTo remove without anyone's noticingともいい、「生きて行く意味」「生きることの大切さ」「命とは」を考えながら、「親が子供を育てること」の質の低下を以前から嘆いていた宮崎監督が、思春期前の子供であろうと、親から自立してこの世界を生き抜かなければならないことを、映画を通して伝えたかったのです。湯屋「油屋」で掃除をしたり、お風呂の準備をしたり、ただただ働くだけ。湯婆婆という魔女から名前を取り上げられた彼女は、湯屋で働くことで”千”という名前を獲得しますが、名前とは自分を自分たらしめるアイデンティティであり、それは労働によってでしか得られないのです。「労働の大切さ」それが生き甲斐となり、人生の幸福につながる。

 もう一つ、「言葉の力が軽んじられている現代において、『言葉は意志であり、自分であり、力である』ことがテーマであり、カオナシという自我を持たないキャラクターはアイデンティティーレスであり、言葉が大きな意味を持つこの世界で、ただ一人だけ自分で言葉を発せない、即ち自分の意志を持たない存在だったカオナシが、労働によって居場所を発見する物語でもある。」千尋がカオナシと乗る電車の中は、我々が住む現代の世界と同じように茫漠とした世界で、行きっぱなしの電車というのは流れのようなもの、この流れとは時流の流れ、または物理的なときの流れを表し、黒く半透明な体をした顔のない乗客たちがいて、カオナシと似た特徴があり、透き通った体を持つその姿はもちろん、彼らも言葉を話さないのです。そして行きっぱなしの電車に乗っているということは、彼らは自分のもといた場所には戻れないということ、そしてまた彼らは自分の行き先を自分で決められない、また流れに身を任せるしかできない存在でもあるでしょう。乗客たちもカオナシと同じように自我を持たない存在として描かれています。

 電車の窓からは空や海が続く、この世のものではないような美しい景色が見えました。この世界にも綺麗な所はある。厳しい事ばかりで一人でなんとか必死にやっていかなければいけない世界の中にも、こんなにも美しい景色がある。辛い事ばかりの毎日の中にも必ず良いことがある。成長した千尋が真実を見抜く力を手に入れたのは、自分が誰なのかを忘れなかったから、自分の名前を忘れなかったから。私は誰だろう。私の名前は何だろう。山と積まれた食べ物を貪り食う千尋の親たちは豚にされてしまい捉えられる、彼らを救うため千尋は一生懸命働き、自分が生きていく上で一番大事な真実を見つけます。

 

 あの夏へ。二月に東京ドームで行われたアイスショーでこの曲が流れた時、知っているのにその題名も何に使われた曲かも思い出せず、白いガウンのようなコスチュームでひらひら舞う羽生選手を見ていたのですが、また再びショーで滑っている姿を見ることができ、今あの夏へという言葉がどんな意味を持つものか考えています。千尋の夏。私の夏。みんなの夏。少し遠くの中学校に電車で通っていた私は、時々歩いて帰る時があり、セーラー服を着て高砂橋を歩きながら、夏の入道雲と青い空と川面をずっと見ていました。川に囲まれた町は私の故郷であり、いつも戻るべきところだった。68回夏を過ごしてきた私にとって、”あの夏”とは川の上の大きな入道雲であり、橋を渡りながら歩いて居た私の、純粋な生きることへの渇望の象徴だった。何を求めているのか、何をしていけばいいのか、何かを表したい、その手段がわからない、そこから私の長い長い模索が始まるのです。行きっぱなしの電車に乗る恐怖と違和感のため、私はどうしてもみんなと同じように進むことができなかった、何よりもそこで生きて行く意味が解らなかった、だけれど何がしたかったのか、何が自分の芯であり真なのかどうしてもわからなかった。何が大事なものなのか、何があったかい世界なのか、何よりも自分という感覚は何なのか、私は何で存在しているのか。芥川や太宰を読みふけり、一致点をさがすその行為が一番生きがいがあり、あの夏、それを探して雲を見ていました。

 ひたすら自分の心を見つめ、五十年がたち、今私はエアビーのゲスト達からIKUYOと呼ばれるものになりました。私は着物と繋がり、柴又のお寺と繋がり、日本の文化の一端と繋がっています。それらがゲスト達にとってどんな意味を持つものになったのかはわかりません。でも今私は名前を持ち、差し出す大切なものがあることが嬉しい。苦しい時に支えになるほんの一瞬の記憶があるということの有難さを、羽生選手の”あの夏”から感じています。

 

 

君の行く道はとても大変だよ でも歩みを止めないで

 プロ野球は開幕するし,スケートのショーの放送はあるし、明日から四月だし、桜は満開からちらほら散りかけているし、なんだかバタバタしています。義母がトイレに行こうとしてよろけて尻もちをついてわき腹が痛いというんで整形に連れて行くと施設から電話がありました。私も朝起きる時は柱につかまってゆっくり立ち上がるし、疲れている時は階段も手すりにつかまって上り下りするし、柴又の回廊も階段もずいぶん気を付けて歩いて居ます。吉野の桜、京都の桜、テレビではたくさんの観光客を映し出し、外国人も多くてインタビューされたアメリカ人が素晴らしいけれど人が多すぎると言っていて、辺鄙な柴又は人が少なくてローカルでいいというゲストの気持ちはよくわかります。でも桜の開花が早すぎるとか、傷を嫌う桜なのに幹にはシカが付けた無数のキズがあるとか、地元の人々は心配していて、コロナが終息して観光客が大勢来ている状態も、来年はどうなるかわからないと私は思っています。

 昨日は夜寝ていて辛くて、妄想や後悔が頭を巡り、どうしようかと思っていたのだけれど、昨日まで配信されていたアイスショーの冒頭で、「これはあなたの味方の贈り物」という呼びかけがあったことを思い出し、苦しくて心が壊れそうな時に、惜しげもなく自分をさらけ出し、どんなに大変でも前を向いて歩いていこうというメッセージや、たえまなく落ち込む心、でも僕はいつも一人だと繰り返す強さに、救われる思いがするのです。世界への配信が決まったと聞いて、エアビーの仕事をしていて結局人間はみんなどこかで同じだし、真を貫いて生きること、心の中に大切なものがいつもあること、温かい世界を作ることがやはり大切だと思うのです。「一人になるのが怖い」そう言っていたという同い年のママ友が病院に入って2年になります。同級生だった旦那さんの3回忌も済ませ、もうこれでみんな終わりよと言っていた彼女の心の闇をなにが救えたのだのだろうか。皆の介護ばかりしているよねと言い合いつつ、それが私たちのアイデンティティだったのかもしれない、でもそれらがすべて終わった時、自分を差し出す相手がいなくなってしまった苦しみと空虚さ。

 不特定多数に対するアイデンティティの提示。私はそれをたくさんの外国人に示そうとしています。昨日来たスリランカ人の夫婦はエンジニアで今オーストラリアに住んでいて、初めての日本旅行ですがそれまでたくさんの国に旅行に行っているとか、でも体験をするとき一緒になるのはどこの国のゲストかと聞いてきたり、肌の色がダークだから明るい色の着物を選びたいとか、かなりいろいろなことを気にしている風でした。キューバ人でマイアミに住む若いカップルは、前に来たゲストの紹介で来たとのこと、中国人の血をひき、前髪を紫に染めた可愛い女の子はひらがなも読めるのです。

 スリランカの旦那様が着物を着たいしティーセレモニーも体験してみたいと予約してくれたそうですが、緊張しているところもありながら真面目な方で、仏教彫刻の前でスリランカの仏塔について熱心に説明してくれたり、クラシック音楽が好きというのでどんな作曲家が好み?と聞くと、笑いながら「スリランカの作曲家を知らないでしょう」と返され、それぞれの国の中にクラシックとポピュラーがあるんだと知りました。それにしてもスリランカ(昔はセイロンでした)というと紅茶しか思い浮かばない私は後付けでいろいろサイトを見ています。インド洋の真珠と呼ばれる美しい島国ですが、26年間の内戦で多くの犠牲者と貧困を生み、和平が成立した今も復興は遅々として進まず、紅茶や繊維などの伝統的な産業に頼りすぎて産業高度化や経済基盤の整備が遅れ、中国やインドなどの近隣国からの借金が膨らみ、コロナ禍で観光収入が激減したことで返済能力が低下しているのです。国債の信用格付けが最低ランクに引き下げられ、破産の危機に直面していますが、対外責務の急増に伴い深刻な外貨不足に陥ったことと、長きにわたって行われてきた一族による国政支配のもと、経済政策の失敗が繰り返されたという実態があるそうです。

 エンジニアという職を持ち優秀なゲスト夫婦はオーストラリアに移住し、海外旅行もたくさんしている裕福な方々ですが、インド人のゲストの自信にあふれた振舞を見て結構振り回された経験のある私にとって、かなりナーバスで引け目に思う部分を出すことが多いのが意外で、とても綺麗な奥様がダークな肌の色を気にして写真を撮っても顔が黒く写ると嘆くし、いろんなことを気にするタイプでした。かなり小柄なのに大きいカラフルな着物を選んだのでおはしょりが出て、小さい着物を選んだ長身のキューバの女の子は対丈でオハショリなしで着せたら、帰りのエレベーターの中でそれを指摘したリ、なんだかみんな同じじゃないといけないとか周りを気にするのは、日本人ぽいと思ったのだけれど、アクシデントもありつつ無事終了、お茶を点てるのを二人の男性にやってもらったら、キューバの男の子はこともなげにすらすらと点て、スリランカの旦那様は緊張しまくって、早く終わらせようと急ぎ続け、お茶を点てる気持ちが追い付かないようでした。本当に民族性とは様々ですが、混乱の母国を離れ、仕事もできゆとりのある暮らしをしていても、心はやはり故郷にあるから、不安な気持ちが多いのかなと思うのです。

 桜の綺麗な季節、ラッキーなゲスト達でしたが、私は今回もいろいろなことを学び、反省し、彼らを送りました。キューバの彼はスペイン語の”nos vemos"と言う別れの挨拶を、日本語で何というかと聞くので「またね」と教えたら、またねーと手を振って別れたし、スリランカの旦那様はお土産の渋い素敵な帯を持って真剣に挨拶してくれました。

 いつもながらこれで良かったのかと思う四時間ですが、着た着物をハンガーにかけ干していると、その素晴らしい色合いや絹の質感に心が慰められるのです。なんて素晴らしい着物たちなんだろう、下さった方々の温情が心に染みます。いろんな出来事があって、いつも夫に助けられているのだけれど、これは私にしかできないことなのです。危険な気配をゲスト達から感じることも多いのですが、前を向いて進めるだけ進みます。歩みを止めないで。

 

 

 

さくら

 雨降りが終わって、やっとお日さまが出てきた昨日は、ニュージーランドとメキシコから姉弟と兄妹のカップルがやってきました。オーストラリアでドクターをしている27歳の大きな男の子と、ニュージーランドでデンティストをしているもの静かで知性的なお姉さんは台湾出身で、静かに部屋に入ってくると最近BGMとしてかけている「のだめカンタービレ」のCDの曲に嬉しそうに反応して、のだめが大好きだと言う弟くんはバイオリンを弾いていてドボルザークやショスタコ―ビッチなどロシアの作曲家が好き、7つ年上のお姉ちゃんはピアノを弾いてショパンが好みだそうです。紫が好きなお姉ちゃんは最近選ばれてきた薄紫の訪問着に桜が咲き乱れた名古屋帯を締め、体格がいいのに卓球をしている弟くんには夫が苦労しながら大きい着物を着せました。

 本当に上品で育ちがいい二人は、仲良く写真を撮り合い、時々着物がはだけそうになる弟君たちの姿を見ながら、強者のメキシカンの着付けを始めました。黄色の眼鏡をかけたカッコイイお兄さんは50代、デザイナーで日本が大好き、北野武、黒澤明の名をあげながらお菓子や団子を食べ続け、高級なうす水色の紋入りの‼紬を着せるとよく似合い、インナーの赤シャツが襟元から見えてそれがアクセントになります。妹さんはスペイン語のみなので、必死で記憶をたどりながら単語を使うのだけれど、日本のアイドル、特に嵐の櫻井翔君が大好きで、嵐の歌は日本語ですらすら歌うので、私は笑ってしまいました。かなり早く着付けも終わったし、天気もいいので柴又へ出かけ、しばらく続いた雨降りの中で雨ゴートを着せ、スリッパを持って回廊を歩いた寒い日々を思い出しながら、花の咲き乱れる帝釈天はいたるところが写真スポットで、私はいろいろ案内しながら見守って、時々二人で並んだ写真を撮っていたのですが、メキシコのお兄さんは外へ出た時から人格が変わり、ミニカメラを離さず妹さんの写真、風景、そして自分の顔のアップを撮り続けるのです。構図も妹さんに指定して、そこから撮ることを強要しているので私の出る幕はなく、なんでこんなに変わってしまったのかと不思議に感じていました。

 今日はみんなシングルのようで、兄弟で来るゲストも多くなったのだけれど、静かに自分達の生活を楽しんでいる様を見ていると、家庭を持ったり子供の進む道を作る過程は、未来の見えないこれからの世界ではかなり厳しい気がしているのです。これだけ悪がはびこり、年を取り地位も権力も持つ人間たちの能力の無さを見る時、世界の中心には穴が開いていてそこからドロドロ廃液が流れ出していて、子供を育てるとか教育をするときに、どこまで悪から守れるか私には全く確信がないのです。

 うちの前に住む94歳の女性は一人暮らしで、ヘルパーさんやデイサービスを利用しながらもゴミは手押し車の上に載せて出すし、きちんと暮らしているのに感心しています。独り身の息子さんのためににこにこしながらカートを押してスーパーで買い物する方、15年前に亡くなった夫の妹さんと幼馴染みの独身の女性はデニムのコートを着て、スーパーで採れたてのブロッコリーを選んでいたりするのを見ると、コロナ前のいわゆる「勝ち組」「負け組」みたいな優越感や劣等感が消えて、今現在心から笑えるか、信じることができるものがあるか、あったかいものを持っているかということが大事なのだと思うのです。

 あんなに熱心に自分の顔を撮り続けるメキシコのお兄ちゃんは自分が好きでたまらないのだろうか、確かにかっこよかったけれど、高級な紬を着て、寺の回廊のいたるところで写真が撮れてよかった。でも仏教彫刻のエリアに行った時、十年間これを彫刻師は彫り続けた話をしたら、自分には絶対できないというのもよくわかります。メキシコの民族性を考えると、それでもこのお兄ちゃんはずいぶんヨーロッパ的な感じもするのですが、一番面白かったのが韓国が大好きで、人々がファニーで明るくてよく反応すると言い、着物で外国人が四人並んでも目を伏せて見てみないふりをする日本人たちは、異様だとも思うのです。英語が話せないとか単語が出てこないというレベルの問題ではなく、コミュニケーションを取りたくなくて自分達の世界だけ見えていればいい、でもそれは危険が迫っている時はとても危ない性質なのです。

 

 今日は義父の妹さんが嫁ぎ先で27歳で亡くなった命日で、義父は彼女の位牌を引き取り両親と同じ墓所にお墓も建てて弔っていて、私は毎日お線香を上げて拝み、最近は大勢のゲストも手を合わせてくれています。字入りの太いお線香を立てて火を灯してしばらくしていったら、お釈迦様がくっきりと浮かびあがり、下に「南無阿弥陀仏」という文字が見えるのです。ああ、このうちに居られて良かった、大変なことや至らないことがたくさんあって、辛い日々も多かったけれど、楽しいことも嬉しいこともたくさんあって、この頑丈で立派な義父の建てた家を、多くの外国人が賞賛してくれているのです。戦争の終わる一年前にお産でなくなったらしい妹さんの魂を供養できる、私ができることは皆を供養し、お線香を灯し鉦を鳴らし、手を合わせること、それができて良かったとしか思いようがありません。若くして亡くなっても、長命でいられても、小さくて亡くなっても、私はみんなを想い続けて行くことができる、なんて嬉しい事なのでしょう。人生は与えるためにあるのでした。

 桜が咲き誇る江戸川の堤に久しぶりにゲスト達とのぼりました。私が見れば仏様たちも見ることができます。綺麗な着物を着たゲスト達がそこここで写真を撮っています。あれ、ぽつっと雨粒を感じました。着物を濡らしてはいけません。ティーセレモニーの支度をして待っている夫のもとへ早く帰りましょう。

君にしかできない 

 雨がひどくて柴又へ行けなかった日はとても残念なのですが、でも体は格段にらくです。二日続けて4人ゲストが来て、午前中は卒業式の袴を着つけ、雨の中柴又を案内して帰ってくると、夜は口がきけないほど疲れます。大丈夫かな体がもつかなと心配しながら一晩寝ると何とか回復し、また準備をするのですが、使ったたくさんの着物を畳んでいると、やはり勇気が湧いてきます。着物が好きというより、着物に憧れてやって来て、初めて着物姿になるゲストの嬉しそうな姿を見るのが生き甲斐で、自分のもの娘のもの皆さんからいただいた大事な着物たちを手入れして、お見せする時が一番わくわくします。買うわけじゃないんだから、好きなものを好きに着て見てというのだけれど、あれこれ迷うゲストは多いのです。

 エアビーの体験を始めたころは、ヘアメイクの方を頼んでいたので髪を結ってもらって訪問着を着せて四人位で歩いて居ると、「まるでお練りね」と冷ややかに言われたことがありましたが、自分達で結い合ったり私がハラハラするようなアップにしたり、七五三の髪飾り付けたり、箸一本でロングヘアを束ねたり、自由にしてもらうようになると、着物と相まってびっくりするような斬新なヘアになるのです。決めつけたり独占したり自分を出し過ぎてはいけない、私はいまだ完璧に綺麗に着付けられることはなかなかないけれど、着付け教室で習った方が着付けたきつく揺るぎもない着物姿は意外と余裕がなくて、ほんのりした着物の美しさが出ないとこの前つくづく感じたのです。

 着物を着るということには、その人の人生が現れます。いつまでこの仕事が続くかわからないから、支障が出ない範囲で帯も帯揚げ着物もゲストにあげていますが、十二単の姫様が手描きでかかれた塩瀬の帯を昨日アメリカの女の子が持って帰ったけれど、結城紬に手描きの塩瀬の帯を締めたら、本当に「女一人」という歌の歌詞そのものになってしまう、でもゲストがそれを選択すれば私はその通りの着物姿にゲストを変えます。贅沢なひととき、雨降りで外に出られないゲストに、私は普通にデパートで買ったら百万円するであろう振袖を着せ、精一杯写真を撮り、抹茶を楽しんでもらうのです。ここにわざわざ来てくれるゲスト、外国人に着せて下さいと箪笥いっぱいに入った両親の着物を持ってきたり、地方都市から宅急便で何箱も送ってくださる方々、最近は私の作家物の着物も着てもらうのですが、それをオーストリアのママが着た時、明らかに私より綺麗で品があって、始めて着る着物なのに、これだけママを輝かせることができる着物の力にあらためて驚いています。

 結局、着物が一番喜んでいます。私は着物を喜ばせることができる、アメリカのクリスが来る前にカナダの近くに住むおばさんと写っている写メを送ってくれて、それを見てなにか魅かれるものがあり、神戸から送ってもらった古い黄緑色の毛糸の茶羽織をおばさんに差し上げてと渡したのだけれど、遠い遠い雪深い国に、神戸の叔母様の愛用品が届いたということが縁だなと思うのです。

 

 コロナ禍でステイホームしていたときの記憶がいつしか薄らいでしまっていましたが、ちょうどその頃にパソコンの調子が悪くて、仕方なく手書きでノートに書いていたものが出てきました。読んで見るともう二度と外国人に着物を着せることはないだろうと悲観的な文章が続き、2年以上もがきながら、ここをクリアできる何かが欲しい、私でできること、正しいことを正しくやり続けないと美しいものが残らないなどと書かれているのです。「手と頭と心が歩調をそろえていると、奥深い所で眠っていたものが目を覚ましたが、それを目覚めさせたのは遊びでもなければ夢でもなかった。それは人間に対する敬意であり、迫りくる危険であり、そして知恵だった。心の闇に打ち勝つにはどうしたらいいか。人は自分で自分の運命を決めるわけにはいかない。受け入れるか拒否するかだ。疫病は大規模なバランス、つまり宇宙の均衡を維持しようとする一つの運動だとしたら、邪なるものの臭いを嗅ぎつけ、均衡を正そうとしている。」「生きたいと思う、その願望に際限はない。限りない富、絶対の安全、不死、そういうものを求めるようになったら、その時人間の願望は欲望に代わるのだ。」「危険な暗黒の時代に入ったと思っていたコロナ禍の日々、陽の光が薄くなっている。コロナウィルスが終息したと思われる今、恐怖が彼の内部にあり、今度の災いには明らかに中心点ともいうべきところがあって、そこから良いものがどんどん流れ出ている。私たちのいるこの世界には、どこかに穴があいていて、そこから光がどんどん出て行っている。」

 いろんな文章が残っているのに驚きながら、ページをめくっていると、「アートはそれが自らのアイデンティティを持つとき、永続する」という言葉がありました。馬場あき子さんと友枝真也さんの対談集「もう一度楽しむ能」の中の文章、”私は能を見ることによって歴史という太く重厚な時の流れが、実は個々の顔を持った人間の動きであることを如実に知ることになった。それは歴史という訳のわからぬ強いベクトルの動きの中で、切々と生きていた生身の人間だった”に強く心が動きます。

 「この世のあらゆるものは意思を持っている。例えば風は意思を持っている。風は一つのおもわくを持ってあなたを包み、あなたを揺さぶっている。風はあなたの内側にあるすべてを承知している。風だけではない、あらゆるものを、彼らは私たちの事をとてもよく知っている。何処からどこまで。ある時が来て、私たちはそのことに思い当たる。私たちはそういうものとともにやっていくしかない。それらを受入れて私たちは生き残り、そして深まっていく。何よりも素晴らしいのは、そこにいると、自分という人間が変化を遂げることで、変化を遂げない事には私たちは生き延びていけない。」

 「高い場所に出るとそこにいるのはただ私と風だけです。他には何もありません。風が私を包み、私を揺さぶります。風が私というものを理解します。同時に私は風を理解します。そして私たちはお互いを受入れ、共に生きて行くことに決めるのです。私と風だけ―他のものが入り込む余地はありません。私が好きなのはそういう瞬間です。」

 

 一番大事なのは自分の中にどれだけの抽斗や積み重ねがあるかということだけれど、でも頭の中に、心の中に、沸々と湧き続ける感情があり、思いがあり、外に出たがっているのだからその方法を考え続け、紡ぎ続ければいいのです。

意味のあること

 何でこんなに雨ばかり降るのでしょう。連日やって来るゲスト達は午前中上野を巡ってきたらしく靴に桜の花びらが付いています。

 

 十分前にやって来たフランスとベトナムのゲストは別々に歩いて来て、うちの前で止まってスマホを見ているので声を掛けて招き入れましたが、明日フランスに帰るというマリーはしっかり黒の冬のコートにマフラーして帽子をかぶり眼鏡にマスクで、完全武装です。カリフォルニアに住む学生のミヨンちゃんはベージュのスプリングコートに素足にヒールの靴で、ロングヘアの細い女の子、フィギュアスケートをしていて羽生選手の大ファンでした。

 アメリカ人の二人のゲストは遅れるというので、先に二人に着物を選んでもらったら、フリーのアーティストだという五十代のマリーが何と昨日卒業式で袴の上に着た黒地に金の模様の振袖が気に入り、羽織ってヘアメイクを始めてしまい、川越でカラフルな着物を着たことのあるミヨンちゃんはグリーンの花模様の小紋を着てたけれどもっとカラフルなのがいいかと、二階から振袖をたくさん下ろしてきてくると、遅れた二人が到着、もう今日は全員振袖で、雨がひどくなってきたのでお外は出ないでいようと決めたら、なんとなんとマリーとミヨンは長考の末小紋に変更、この時点で選択に付き合っていた夫は疲れ果ててしまいました。

 アメリカ人のクリスとテイラーが振袖を選んでいる間に、小紋を着付けた二人の写真を撮って刀や弓でポージングしてもらうと、夫はギブアップして三階へ退散してしまい、はるばるここまでやって来たゲストがうちの中でどういう体験をしたら喜んでくれるか私は必死で考えながら、黒の大振袖と赤の大振袖をアメリカの二人に着せ、沢山の着物の選択や肌触り、帯や帯揚げのチョイスを楽しんでほしいと思っていました。退散した夫の代わりにマリーにカメラマンになってもらい、振袖を着たゲストの写真を撮ってもらったり、全員着せてから待ち時間が長いマリーのためにすぐに二階へ連れて行って、鎧や仏壇、神棚、床の間、障子、タンスなど見に日本家屋体験をして、皆にお線香を灯して鉦を鳴らしご先祖様に挨拶していただきました。

 それから夫も回復したのでティーセレモニーをして全員がお茶を点てて、ポテトチップスをつまみながら日本酒で乾杯、私がその時いなかったので[for wife, for life]とアメリカ人のクリスが音頭をとってくれて、その時から何か流れが私の中で変わっていきました。このアメリカのクリスとタイラーは何か私を知っている気配があり、これはずいぶん前に来たオーストラリアのキャサリンの時のも感じたものです。遠く離れた異国の地の女の子たちが、私を知っている、既視感。お寺に連れていけなかったとか、庭園や仏教彫刻を一緒に見なかったとか、そういうルーティーンをこなせなった時、どうしたらよいか。こうしなければならないと思い込むのも欲でしょう。

 四人の女性を着付けている間も雨は降り続け、そういう時、一人で先に来たゲストが時間を持て余すのが一番つらくて、そこに気を取られると最後に着付けたテイラーの写真を撮る暇がなくなる、柴又に行く時はもっとタイトなスケジュールになり私はへとへとになるけれど、それの方が時間が持つ、フランス人のマリーは明日日本を立つので帝釈天を見せてあげたかったけれど、洋服で一人で行ってもいろんな話はできない、凄いジレンマの中で、何にも頼れない状況なら、ただひたすら着物と日本の文化の事を考えよう、それを持った自分を出せばいいと思って時間をかけました。 

 クリスにはいろんな写真を送ってもらっていて、特にカナダの近くに住むおばさんとのスリーショットが印象的で、何メートルも雪の降り積もるという標識の写真は凄かった、色んな説明の文章も心に残っていました。様々な人生があって、様々な国があって、様々な思いがありますが、はるばる日本に来て実際に会ったとき、私はいろいろなものの意味を分かってもらいたいと思います。着物の肌触り、質感、お茶を点てるときの湯を注ぐときの音、抹茶に湯を注ぎかき混ぜる時にふっと感じる香り。文化や着物は、その人の人生をひと時輝かせる目的になりうることを願います。

 4時間という一期一会のひと時。二度と会うこともないでしょう、でもマリーの「私は今もこれからもずっとフリーで、楽しく生きているの」という言葉、羽生選手の事を語りだすと止まらないミラン、お線香を仏壇にあげていないからともう一度二階に上がってくれたテイラー、時々私が言葉がわからない時があったけれど、いつも優しい視線をくれるクリスは、洗面所の敷物に書かれてある[Clover does always bring good luck]という言葉にも反応してくれて、この女の子(奥さんでした)は何かを知っている気がしてなりません。着物にも、茶道にも、風景にも、自然にも、すべて意味がある。このところ本当にたくさんのゲスト達がやって来て、着物を着てくれるけれど、それもみんな意味のあることで、そう、いろいろな意味を私に教えてくれるのです。私がゲスト達に何を差し出せるかでなく、ひたすらゲストの差し出してくれるものを受け取ればいい。クリスが差し出してくれた温かさを、そっと思い出しています。

オレゴンのママ

 毎日雨が続きます。今日は9時から大学の卒業式に出るお嬢さんの着付けがあり、近くのお煎餅屋さんから戴いた黒地に金の模様が連なる重厚な大振袖を着せるのですが、雨コートにブーツで行ってもらうことにして、秋田からいらしたご両親と一緒に写メを撮り、無事出発した後、午後から四人のゲストが来ました。170㎝が二人、90㌔が一人、何とか着せて、コートを羽織って柴又へ行ったのですが、霧雨程度なので皆草履を履いて、電車に乗りました。昨日鎌倉に行ったという横須賀で働くレイチェルと、初めて日本に来た私と同じ年で体型も一緒の、ショートヘアのママとの写メを見ると、大仏様や可愛いお地蔵様や綺麗な花や竹林などカラフルな素敵な写真がたくさんあって、正直帝釈天はダークな色合いだし、ママの気持ちが盛り上がるかとふと不安になりました。

 日本にはじめて来て、慣れない着物を着て、寒い中歩かせるのは、補聴器を付けたママには辛いかしらと思って、すぐにお寺の中に入り、庭園のグッドスポットを教えてたくさん写真を撮り、花の好きなレイチェルは素敵なアングルでママを撮っていたので、鎌倉ではジーンズに白いジャケットだったけど、今度は薄い明るいブルーの花の咲き乱れた訪問着に金茶の花模様の帯を締めて、すらっと姿勢の良いママはとてもとても素敵でした。びっくりしたのが彫刻エリアに入った時のママの反応で、好きな画家はクリムトで、自分も手芸が得意で大小さまざまな作品を作っているという彼女は、端から端まで細かく彫刻を見ながら、レイチェルや25歳のシンガポールから来た背の高い英語の大学の先生のジョイと熱心に話し込んでいます。

 扉に彫られた十二支の彫刻を見た時も、これは彫ったものを後で付けたのか、扉に直接彫り込んだのかと聞いてきて、彫刻をする身内もいるようでした。こんなに丁寧に仏教彫刻を見るゲストは初めてで、近くで見ていた日本人の方がずいぶん埃っぽい彫刻だと前に来たインド人のゲストと同じことを言っていて面白かったけれど、ママは彫り方とか仏教の内容とか見る目が違くて、知的なシンガポールの女の子も触発されていました。チリから来た看護師さんのマリアは、かなりふっくらしていて着る着物がみんな小さくて私のお茶の模様の訪問着を着たのだけれどなかなか前が合わず、申し訳なかったのですが、日本文学に詳しく、明るくて話好きで、自分の世界をしっかり持ち、ぜひチリに来てくれと言いながらチリワインと国土のマグネットをプレゼントしてくれました。

 文化とは何だろう、と思ったママの反応でしたが、七月に来るゲストからメールが来て、彼女のパパは日本人なのだけれど若い時にアメリカに来て一度も日本に帰ったことがないとのこと、初めて日本に来る五十代の娘さんと孫の女の子も含めて日本文化に触れられることに興奮しているとあります。本当に私は考え込んでしまう、何が文化だろうか。レイチェルの写真には鎌倉の大仏様とツーショットのママや、可愛い民芸調のお地蔵様が沢山写っていたけれど、こういうあと付けの文化には「可愛い」としか語る言葉がない気がします。初めて会ったママが、真剣に私の目を見ながら仏教文化や彫刻の美しさ、精緻さについて語る姿を見ていて、アメリカに帰ったらまた創作意欲が湧いていろいろ作り続けるのだろうと思うと、いい人生を送っていくのだなあ、同じ午年の私も頑張らなくてはと触発されます。今日のゲストは自分の好みややりたい事や姿勢がはっきりしていて、ママ以外はみんなシングルだったけれど、最近はそんなことどうでもよくなってきます。

 日本の文化とは何か、私がここへ何百回も来て考え続けていることに、外国のゲストは真剣に応えてくれて、自分の文化を見せてくれる、こんなうれしいことがあるでしょうか。帰りのプレゼントは、ママは綺麗な水色の羽織を選んで持って行きました。私のやらなければならないことを、私はやっていきます、オレゴンのママのように。

名犬ロンドン

 子供の頃動物の出てくるテレビ番組が好きで「名犬ラッシー」と「名犬ロンドン」は欠かさず見ていました。ラッシーは家族に愛され楽しく暮らしているのだけれど、ロンドンは天涯孤独のシェパードで原題は「The Little Hobe」Hobeとは貨物列車に無賃乗車し、あちこちを気ままに旅しながら季節労働をしていた人たちのことだそうですが、ロンドン君は特定の人間に仕えず放浪生活を送り、正義を愛し、列車にただ乗りし飛行機に便乗して世界のあちこちで事件に遭遇し、弱きものを救っていくのです。人々の間で起こる難問題の解決に向けて、影から手助けをする。関わり合った事件を解決すると、いつの間にか街を去っていく。彼はいつも一匹で生きていて、主題歌の歌詞も「見知らぬこの街 さまよい来れば はるかな想い出 胸によみがえる 友を求め行く 旅は果て無き さすらい」というものなのでした。

 

 素晴らしい花見日和だった昨日とうって変わって、今日は雨がしっかり降っていて、午前中は谷中を回ってやって来たオレゴン州からの五十代のゲスト夫婦は靴も洋服もかなり濡れていました。ルーマニアと香港のゲストが来た時もずいぶん雨が降っていたけれどしっかりした靴を履いていたので、雨コートを着て靴で柴又へ行ったのですが、今回は履いている靴下もびしょ濡れなので、すぐ脱いでもらってまず足袋ソックスにチェンジして、今日は二時から英会話レッスンに行く夫に前半を急いで手伝ってもらい、紬の単衣を着せ刀や弓でファンキーな写真を撮ってから、二階の鎧や長火鉢や神棚など、日本家屋の説明をしてもらいました。二人とも数学の先生で共に一人っ子、お子さんはいなくて三匹の犬を飼っていて旅行が大好き、60か国を回りベストワンはコロンビア、肉は食べずエアビーの体験もたくさんしているとのこと、なぜ私の体験のレビューがこんなにアメイジングと書かれているのか不思議に思っていると言われ、でも私はこの悪条件の中でどうやって二人きりの体験を組み立てるか考えながら、履物は下駄にしてスリッパや替えの足袋ソックスやタオルをたくさん持って、和傘を差した二人と柴又へ向かいました。

 履き慣れない下駄に奥様のアンジェラは苦戦し、マスクを忘れたので電車の中では蛍の模様の扇子で口元を隠す姿がみやびやかで、写メを撮ろうとすると眼鏡をはずすのも可愛いのです。冗談ばかり言う旦那さんのマニュエルは野球が好き、レッドソックスの話で盛り上がり、吉田、上原、松坂と続々名前を挙げたり、株もやっているので夫と真剣に持っている銘柄を教え合っていたけれど、雨がひどいのですぐお寺の中に入ってからはベストショットポジションを教えてたくさん写真を撮り、仏教彫刻の前では「キリスト教と仏教」について話し、口を開けた龍の彫刻の前では「阿吽」についてアンジェラと真剣にトークしあいました。そのうち雨が上がったので外に出て前回は凶のおみくじを引いたマニュエルが今度は大吉で喜ぶ姿にほっとしながら、早めに家に帰り、ゆっくりティーセレモニーをして、帰ってきた夫と日本酒で乾杯し、濡れた靴下の代わりに古い足袋ソックスを履いてもらって素敵な羽織をプレゼントして、無事二人の体験は終わりました。

 これまでたくさんのエアビーの体験をしてきた二人は各地の思い出もたくさん持っている。私はひたすらこの場所にいて、沢山のゲストを迎え、同じ場所を回っていろんな話をするだけです。ゲストとハグして別れを告げたとき四時間一緒に過ごした想いがあるけれど、すぐ次のゲストが来るから今日の反省をして準備をして、また悩み緊張する。こんな時、私は名犬ロンドンの主題歌を思い出します。幸せな想い出と暖かい思いに包まれながら、彼はそっとそこを抜け出して、新しい場所に一人で向かうのです。これは正直、もう性(さが)だと思う。私は彼の気持ちがわかります。だから今まで、ここまで、悩み続けてきた。何に?

 

 ゲストが帰ってから、夫が英会話教室の先生のオーストラリア人のデイビットが元気がなくて、物忘れが激しく支障が出てきたので病院へ行って精密検査を受けると言っているそうで、まだ四十代だし先々週はオーストラリアツアーを企画してみんなで行こうと喜んでいただけに急激な変化にびっくりしています。この前来た日本の女性が、体調を崩したり神経に変調をきたす友達が増えて、コロナワクチンの弊害だと言っていたことを思い出し、もしかしたらという疑いも出てきます。夫が煙草をずっと吸っているから体に害が出るとマニュエルが忠告してくれたけれど、日本食の良さをアンジェラに話していた私は豆腐、枝豆、納豆、魚、野菜の煮物、おひたし、刺身など健康的な食べ物を食べていることが何とか煙草の害と五分五分になっているのではないかと思うし、私たち老夫婦が外国人のゲストをもてなすために奮闘していることも脳の訓練になって、認知症になるのを防いでいるのかもしれません。

 何か正義か。ロンドン君は犬なのに、正義を愛し、事件に遭うと弱きものを助け、難問題を解決するために陰から手助けをする。村上春樹の小説に出てくる自分の影。私たちはもうすでに異次元の世界に入ってしまった。体の中にその資格を持つ何かを注入してしまった。人が誰もいない正月の柴又の怖ろしい風景は二度と忘れられないと庭園のスタッフの方が言っていたけれど、本当に人がいなくなる日が来るのかもしれない。

 柴又を巡るツアーもいつまでできるかわからず、カウントダウンが始まっているのだったら、一日一日一秒一秒を大事にして、巡り合う縁に出来る限りの証を残していきます。すべての事に注意を払い、すべてに最善を尽くす努力をし続ける。お彼岸が今日で明けます。お寺の法要で知った青山師のお言葉、お彼岸中に来てくれて仏壇にお線香を上げてくれたゲスト達、お団子やチョコレートのギフトをご先祖様たちは喜んでくださいました。イースターのお菓子なんて皆初めてだったでしょう。世界は広くて、狭くて、そしてあったかいのです。大谷選手を始め沢山の野球選手たちが素晴らしい試合を見せてくれました。正義は美しい、そして悪はいつか滅んでいく。

 全身全霊を込めて、与えられた機会に最善を尽くしていきます。

 

 

お彼岸の御説法

 春分の日の今日の午前中は、手に汗握るWBCの日本対メキシコの準決勝があり、夫はハラハラしながらテレビにかじりついていて、最後大谷がヘルメットを飛ばして二塁に駆け込み雄叫びをあげると、不振の村上がサヨナラヒットを打って、私はあまり熱心なファンではないのだけれど、みんなが抱き合う姿を見てほっとしてしまいました。機嫌のいい夫を残して柴又の萬福寺にお彼岸の法要に行ったのですが、コロナ後は参詣者の数が減り、私も含めみんなガクッと年を取って、足元もおぼつかない方も増えました。

 イースターでキリスト教の事を調べていたので、お経を聞きながら仏教とキリスト教の事をずっと考え、キリストは十字架にかけられ殺されてから復活したという奇蹟が重要だとしたら、仏教は長いことかかって悟りを開いた仏陀が、結局自分がずっと考え続けてきたことが全てであり、それが自分というものだ、それを信じて精進せよという穏やかなものだという気がしてきました。

 200人余りの檀家のお布施の記帳を読み上げてから、体の具合がずっと悪かったけれどやっとよくなられたご住職様が語られた御説法は「キリスト教と仏教」でした。何という巡り会わせか、これが仏教の根幹をなしている縁というものかと思いながら聞いたお話はある尼僧様のことで、大学の法科を卒業してからカトリックの修道尼になり北アメリカやヨーロッパの修道院を巡ってから、愛知県の尼僧習練所に入り青山俊董師の薫陶を受け得度して仏教の道で精進しているという方だそうです。青山師は五歳で寺に入門し、尼僧として仏法に人生を捧げてきた方でいろいろなお言葉を読んで、今日という日に万福寺に参詣して御説法を聞き青山師のお名前を知ってお言葉を読むということができたことに感謝しています。

 「因」に何の「縁」を加えるかで「果」は変わる。今私は私のところに来て下さる外国人に着物を着せて柴又を案内し、仏教彫刻を見てもらうということに何を加えたらいいかと考え続けています。キリスト教は「原罪」original sin 仏教は「縁」fate,  karma, linkだと、ご住職がおっしゃって、キリスト教の方が冷厳な感覚なのだなと思いながら、修道尼となって世界中を回っていた方が日本に帰ってきて仏教を学び尼僧となった背景がわかる気がします。

 青山師のお言葉を読んでいます。「過去を心のお荷物として背負い込まず、未来を抱き込まず、前後裁断して今日只今に立ち向かえ」 「その今日只今がわが心にかなうことであろうとなかろうとにかかわらず、姿勢を正し、腰を入れて、前向きに取り組んでいけ。失敗が人間を駄目にするのではなく、失敗にこだわる心が人間を駄目にするのであり、失敗を踏み台として前向きに取り組むところにのみ、過去を生かし、未来を開くカギもある」「いついかなる状態の中に投げ出されても、そこを正念場とし、逃げず追わず、ぐずらず、腰を据えて取り組んでゆきたいものです。結果は問わない。そのことにどれだけの努力を払ったかだけを問うのです。心のこもらない多くのものより、わずかでも真心のこもっている方がはるかに素晴らしい。何故にこの体を大切にせねばならないのか。この体を何に使おうとしているのか、大切なのはこの一点なのです。」「命というのはいま、いま、今の連続です。いまここを、いただいた命に相応しい生き方として選んでいく。そのことで人間が磨かれ、人間としての根が深まっていく。そして深まるほどに、足らない自分というものに気づいていく。生かされた命ということが本当にわかってくれば、自ずからそれに相応しい生き方をしないではおれなくなる」「参学し続ける、参究し続けるという時間を掛けないと”老い”は来ない、”熟する”は来ない。具体的な生活の中でずっと温め続けて行く。悲しみ、苦しみは[アンテナを立てよ]という仏様からのプレゼントだから、アンテナさえ立てていれば、必要とする人や物事に瞬間にでも出会えるし、立てなければ生涯一緒にいたって真に出会うことも、そこから教えを得ることもない。」煩悩のないところ、悩みや苦しみや迷いのない所には、悟りも喜びの世界もないということです。人生のよき師、善き友、良き教えという最高の媒染によって、苦悩という、泥という私の素材を輝かしいものに変えていかなければならない。悲しみの上に、人は輝く。ふと宮城で滑った羽生選手の事を思い出しました。

 

 前に若い俳優がヨーロッパを電車でずっと旅をする番組を見ていて、ハンガリーを巡っていた時、四方を他国に囲まれていて他民族が入り込みやすい土地だったため、自分をしっかり守り、味方の振りをする者を見分けなければならなかった、だから自他の境を明らかにしたりアイデンティティの一つである掟をしっかり持つ気風が残ったったのだろうと彼はいいます。ハンガリー人にとっての人間関係とは、互いの自分らしさを積極的に守りあうことで、「自分を殺さない協調性」という他民族国家の真髄であり、まあまあでもなく、なあなあでもなく、日本の「消極のよさ」とは本当に真逆なのです。ヨーロッパのゲストが来た時冷静さ、自分を見せないクールさをよく感じるのだけれど、ドイツの旦那さんはだから表情をくるくる変える面白いアジアの奥様を選んだと言っていたことがありました。

「自分がいかに知識がないか、知らないことがたくさんあるかを知ること。それしか自分を客観視できる力を鍛える方法はない」ビートたけしが著書にかいていました。日本の中だけにいるのではなく、外国にいたり外国人と交流していると物凄い緊張感があるし、無知だから進んでいっている気もしますが、それに加えて、人生には表裏がありその陰影がわかりその行動が許せると思えるようになるかどうか、人生を正視できる勇気を持てるかどうか、曽野綾子さんの問いかけです。難しい、厳しい問題です。「要するに続けられるというのは、打ち勝っていくということ。満足のいく条件など一度もなかったけれど、その中で相手が満足のいく答えを出していく。」

 ハワイから来たフィリピンの4人のゲストのうち一人は高体重で、暑かったしひで也工房の紫の浴衣を着せて夫が兵児帯を締めてくれたけれど、なかなかうまくいかず直し直し柴又まで行き、彼はみんなの写真をたくさん撮って、桜がちょうど見ごろで女性陣はとても綺麗でした。久しぶりにみんなアイスを食べ、電車を待ちながらいろいろ話をしたら、ふっくらした彼はジブリが大好きで「千と千尋」や「トトロ」の歌を歌ってくれ、ナイーブで優しいゲストだなと感じたし、だから京都のひで也さんの紫が良く似合ったのでしょう。ホノルルでタクシードライバーをしている彼は池袋からレンタカーを借りてここまでやって来て、東京の道路は危険だと笑っていたけれど、日本に来て二日目に私の体験を選んでくれて、これから大阪京都など二週間かけて回るそうです。

 予約のサイトに135㌔と書かれると本当に何を着せていいか悩むのだけれど、今日も何とか最後ティーセレモニーをして、心からの笑顔で別れることができました。明日は雨だというけれど、五十代の夫婦が来てくれます。雨ゴートを着てスリッパを持って、八分咲きの桜を楽しみましょう。

 

イースターのプレゼント

 強い雨の降った昨日とうって変わって、今日はとてもいいお天気です。昨日来たゲストはさぞ大変だっただろうと思うのですが、ルーマニアのゲストはすぐにレビューを書いてくれ、100%良かった体験だったと言ってくれたのが意外で、でも本当に私は頑張った、みんなも頑張った、その証なのでしょう。

 今日のゲストはアメリカのミシガン州からの四人で、同じ病院で働いている同僚だそうですが、私がどうしても名前を覚えられず、アマンダとジェシカを間違えてばかりいて申し訳ないことをしたと反省しています。ゴルフの上手いジェイの婚約者が二つ年上の小柄なアマンダ、彼女は薄紫の上品な訪問着を着てとても素敵で、八月に結婚すると興奮しているジェイと、キスをしながら写真を撮られていました。一番若いボスのケイリーと日本語も話せるジェシカはお土産を買ったり文化について話したり、天気の良い日の柴又を楽しみ、電車の待ち時間は屋台で買ったタコ焼きを食べてお腹を満たし、帰って最後ティーセレモニーをして、帯をそれぞれ選んで体験を終えたのですが、最後の最後に私にメッセージを書いたカードとイースターのチョコレートがいろいろ入った紙袋をプレゼントしてくれ、私はびっくりして泣いてしまいました。前に来たスペインのゲストの女の子が最後に泣いてしまって驚いたのだけれど、私は初めて彼女の気持ちがわかりました。

 いつも本当に満足してもらえる体験ができたのだろうかと不安になる私ですが、結局それも欲なのでしょう。お寺を回り帰ってきてからは、夫がティーセレモニーの前のちょっと一杯の日本酒から仕切ってくれるので、私はひたすらお茶を点て、全部終わって着替えて帰る時にまさか彼らがサプライズを仕組んでくるとは全く予期していなくて、嬉しくて有難くて、涙が出たのです。前に来た日本で働いているゲストが6月にアメリカに帰る前に着物を着て一緒に歌舞伎へ行かないかという誘いのメールが来たり、今までとは違ったゲストの動きがある一方、体調を崩したり精神的に不安定な方が増えていると、お嬢さんの小学校卒業式に着る着物を借りに来た若い知り合いが言っていて、コロナワクチンを体内に入れたことの悪影響がだんだん明らかになっている事実がある、実は私のところに来る方々はワクチン接種をしていないのです。何が良くて何が悪いか、もう何も信じることができない。怖ろしい道を私たちは歩いて居る。桜が咲いて、野球に熱狂して、外国人もたくさん来ているけれど、私も彼女も明日は何が起こるかわからないし、この仕事もいつまでやれるか見当もつかない、でもそれでいい気がします。

 経済も不安定になって、相変わらず紛争は続くし、もう何が起きてもおかしくないのだから、とにかく好きなことをして一日一日を楽しく生きて行くと言って帰って行く彼女を見送った後、戴いた沢山のイースターのチョコレートを開けてみました。相変わらず無知な私はイースターの意味もよくわからないので調べてみると、春分の日以降の最初の満月の日の翌日曜日がイースターで、町中にうさぎや卵をモチーフにした飾り付けがほどこされて、華やかで明るい雰囲気になるのだそうです。イースター(復活祭)は、キリスト教会にとって最も重要なお祝いの一つで、十字架の上で殺されたイエス・キリストが3日目に復活したことを祝うのですが、キリスト教が「イエスが復活した」ことを盛大に祝うのは、イエスの時代エルサレムのユダヤ人は「過越しの祭り」の初日に食事会を行い、でもこれは十字架にかかる前の夜に弟子たちとした食事で、神の裁きはキリストの血で覆われている民を過ぎ越してくださり、イースターの希望は私たちも将来朽ちない体で復活する、既に復活の命を頂いているところにあるのだそうです。罪の奴隷状態である私たちのために十字架にかかり、罪から自由にしたことを感謝すると同時に、キリストが死を打ち破って3日目に復活して、私たちに永遠の命を与えてくださったことを祝うのがイースターです。死を打ち破り復活したキリストに参与し、新しい命の中で今されていく、これこそがキリストの復活を祝う理由なのです。もしも私たちの間に愛がないなら、どんなに長生きをしたとしても、それは無味乾燥とした歩みでしょう。一方で、私たちのうちに愛があったとしても、やがて死んで「無」になるのであれば、それもまたむなしいことです。しかしキリストの死と復活は、永遠の命の約束と、神の愛のメッセージの両方を力強く語っているのです。父なる神が最も大切にされ、愛されていたのが、神の独り子キリスト・イエスでした。しかし父なる神は、その愛する独り子を私たちの罪のために、十字架の犠牲としてくださいました。それこそが私たち一人一人に対する神の愛のメッセージです。その後、神はキリストを死者の中からよみがえらせ、彼を全人類の初穂とされました。これは神の命のメッセージです。

 キリスト・イエスが初穂として復活したということは、単に「すごい奇跡」という以上の意味を持っています。彼が初穂として復活したということは、私たちも彼に続いて復活するということだからです。麦は地に蒔かれなければ、実を結ぶことができないように、人は死ななければ復活することはできません。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

 なんだか何百回と帝釈天の仏教彫刻の前で言葉に詰まっている私は一体何なんだろうと考えつつ、3月21日は一粒の種籾が万倍にも実る黄金色に輝く稲穂のように縁起がよく開運日といわれる「一粒万倍日」と年に数回しかない最上の開運日「天赦日」と「寅の日」そして祝日の「春分の日」が重なる超最強開運日と知ってから、今日は柴又の万福寺へお彼岸の法要にいきます。仏教とキリスト教といろいろな思いが交じる中、ロシアと中国の二人が正々堂々と密談をかわしています。一体このメタファーは何なのでしょうか。

希望

 昨日は彼岸の入りでしたが朝から雨が降っていて、一日降り続くという予報を見ながら、四人来るゲストをどうもてなそうかと私は悩み続けていました。大人数なので車で行けないし、ある程度写真を撮るのなら帝釈様の庭園しかないけれど、雨も吹き込んでいるし回廊は濡れているだろうし、だんだん気持ちも滅入ってきて、疲れも溜まっているし気持ちが淀んできます。でもお彼岸に入って、天が見守ってくださるのだから、それを感じながら仕事をしようと思って、久しぶりに暖房を入れて部屋を暖めていると、先に現れたのがルーマニアからの若いカップルでした。ヨーロッパのゲストが続きますが、静かで落ち着いている二人に桜の模様の付いた湯呑茶碗にお茶を入れて勧め、体格の良い彼には大きいサイズの着物、彼女はピンクの着物に白い鶴の帯を選び、選択がとても速いのに感心しつつ、着つけました。

 ゲストに前もって身長体重をきくのだけど、イレーナは彼がいつの間にか体重が2キロ増えた、と最後のメールで伝えて来て、私には理解できないとあるからユーモアのある子だなと思っていたのですが、そういえば三年前にガールフレンドと来たハンガリーの男の子も、トイレに行きたいから着物を脱がしてくれなどと言われ、笑ってしまったことがありました。東欧はよくわからない国だけれど、ちょっと感覚が違う気がして、あとから現れた香港の50代と30代の夫婦の方がわかりやすく、注文は多いしお煎餅を食べながら着物を見ているし、なかなか選択できないし、夫はちょっと諦めてルーマニアカップルの写真を撮り始めました。全員着付け終わっても雨は止まず、皆しっかりしたスニーカーを履いているので雨の中を歩いても大丈夫と判断して、女性には雨ゴートをきせ着物に靴を履き、回廊を歩くためにスリッパを持って柴又に向いましたが、降りしきる雨では参道も人出が少なく、とにかくお寺の中へ入ったけれど誰もいません。でも写真を撮るいいスポットはたくさんあるので、濡れないように注意しながら二組ともたくさん写真を撮り、特に香港カップルは延々とポージングを続け、スリッパ履いているから足元も大丈夫だし、彫刻エリアも見てもらい、「阿吽」の説明をルーマニアカップルにしたら彼氏がいたく感心してくれ、その言葉を聞いて私はやっとホッとしました。

 夫は刀を持ったり扇子を持ったゲストの写真を撮ったりティーセレモニーを楽しく説明したり、たまには日本酒で乾杯したり和ませ、私ははるばるこんな遠いところまで来てくれて、慣れない着物を着て雨の中歩き回ってお寺へ連れて行った時みせるものや説明する内容で、何で私がこの体験をやっているかを少しでも感じ取ってほしいと思っています。コロナ禍では全く動けず、やっと今旅行にも行けるようになったけれど、新聞を見ると近々中国のトップがロシアを訪問するとあり、危険な火種はいつ暴発するかわからないのです。そんな中でどうしたらいいかと考えると、自分自身が喜びをもって自分を磨き続けてくことが大事で、人間は魂を磨くために生れてきたのだから、自分のやっていることを通して人々にそういうものを感じてもらえるようにするのが私たちの仕事だというバレリーナの森下洋子さんの言葉が身に染みました。大震災も、その出来事をくぐり抜けて生きた場合、その出来事にどういう意味を見出していくかということ、自分で選んで自分で意味を創っていくのが人間のできることだというのです。

 結局、人間は孤独な単独者であり、死を恐れる不安な存在です。世界トップの国を牛耳る支配者であっても同じでしょう。それらを忘れた時、人は付和雷同し、その自らの意志を捨てるというのです。何かを作り出そうと努力することは、作り出すことがその人の性<さが>であり、生きて行くアイデンティティであって、でもその作品を見ることにより救われる人がたくさんいるし、その人の考え方や想いが与える影響力も強いのです。生きづらいこの世の中をいかにして生きて行くか。これからも続くであろう様々な困難の中で生きる希望はどこにあるのか。それは何かを目指して、前に進もうとする原動力を持つか否かだと思う。皆と同じように生きられなくて苦しんでいる時は、先も見えなくて、自分だけ取り残されてしまう恐怖しかなかったけれど、でも今は自分の前の道を開いていけば次の人も進んで行けるとわかります。一番大事なのは自分の中にどれだけの抽斗や積み重ねがあるかということだけれど、でも頭の中に、心の中に、沸々と湧き続ける感情があり、思いがあり、外に出たがっているのだからその方法を考え続け、紡ぎ続ければいいのです。

 香港から来たゲストが柴又で買った草団子を帰り際夫に渡してくれ、お彼岸だし仏壇に供えてお線香を上げながら、香港のゲストのギフトですよと手を合わせて報告した時、私はしみじみ嬉しくて、そしてこういうことが生きていく希望になるのだなと思うのです。希望とは人の想いであり、思いとは希望なのです。

 今日は雨が上がりました。アメリカ人のゲストが来ます。 あの雨の中でも、体験を楽しみ私たちに沢山のギフトを与えてくれたゲスト達に感謝するとともに、私ももっともっと頑張って、引出しの中味を増やし、希望というギフトを届けられるように努力していきます。

加賀友禅とオーストリアのママ

 予約や個人のお客様の着付けが重なっているのだけれど、お彼岸がすぐなので電車に乗って昨日お墓掃除に行ってきました。夫は歯医者さんの予約が入っているので行かないから車が使えず、最近歩き過ぎで夜中に足がつるのが怖いけれど、曇り空の八柱霊園を延々と歩いて居ると、なんだか妙に落ち着いた気持ちになります。向こうにうちのお墓が見えてきて私は急に嬉しくなり「こんにちは」と近寄ると、荒れ放題の隣のお墓に霊園の係の方が来ていて、そこの墓誌を書類に写し取っているので挨拶すると、「そのうちここの草を刈り取ります」と教えて下さいました。

 あとでその墓誌をそっと読んでみると、先に四十代の男性の名前がありそのあとに八十代のご両親が亡くなられたようで、そうなるとお詣りできる方が途絶えてしまうのも仕方がないのかもしれません。春先なのでまだ雑草もそんなに生えていなくて、午後から三人着付けるので手を痛めないように軍手をはめて小さい草を抜いていた時、ふと妙な気持ちになりました。3・11の日に宮城のmorgueだった体育館でスケートをした羽生選手が、氷の下に眠る沢山の魂の存在を感じていたように、お墓の周りに生えている草たちもこの墓所にある、すべての魂の表れなのかもしれない、何十年も百年以上もたっているけれど、魂たちは浮遊してお空を自由に飛んでいて、地面に降りて草や花や木々を茂らせ、そして笑いさざめきながら遊んでいて、なんだかその光が、温かさが感じられるようなきがしてきました。

 帰り道も頑張って歩いて、お昼ご飯を食べてから少し横になっていると、これからゲストを連れてくるとラインが入り、待っているとオーストリアからの家族三人と日本人の民泊ホスト夫婦がいらして、私はオーストラリアとばかり思い込んでいたので日本語が達者で芸大で修復学を学んでいるユリアと両親がドイツ語で会話しているのと、お顔つきがドイツ系なのに驚きつつ、ホームタウンはどこかと聞くと、スイスとオーストリアとドイツの交わる接点のBregensという街で、近くの湖は「湖上オペラ」で有名なのだそうです。

 思ったより大きくないなと感じながらそれでも全員170㎝以上なので私の着物を並べておいた中から、私より二つ若いママが選んだのは、リーマンショックで呉服屋さんが閉店した時8割引きで買った百万円以上する作家物のモダンな訪問着で、これを選んだのがオーストリア人なんだと感慨にふけりつつ、私サイズがぴったりで帯も長襦袢も草履も全部私のものを使ったら、素晴らしい着物姿になりました。若いユリアはピンクと挽茶色の混じった訪問着に紺地に金色の竹が力強く生えている帯を選び、ちょっと肌寒い中五人で柴又ツアーに出かけ、残った私は片付けてから仏壇を掃除し花や果物やお菓子をお供えしてお彼岸の準備を終えました。

 このお彼岸という仏教行事の節目の時に、オーストリアから来たママが私の秘蔵の着物を着てくれたことに何かの意味があるような気がしていたのですが、帰ってきたホストの奥様が言うには参道でも駅でもいたるところで声を掛けられ、「粋に着てますね、あら外国人だったんですか」といわれたというのに私は笑ってしまったのですが、その手描きのモダンな模様は日本人の私にはそぐわなかったと思うのだけど、家族でバイクを乗り回し、家からは湖上オペラの”マダムバタフライ”が聞こえるというヨーロッパのゲストが加賀友禅作家 久恒俊治さんの、花鳥風月ではなくモダニズムに溢れた奇想天外な模様の着物を着こなすという不思議さと、世界がめぐり回って動いていてそしてとても温かい風景が繰り広げられているのを、この街の人々が見て下さったことに深く感謝したのです。

 

 神様の計らい、仏様の思し召し、宇宙の不思議。着物と一体化してしまったママは、着物を脱ぎたがりませんでした。

Robert

 厚木にいるお孫さん達に会いに、初めて日本を訪れているロバートが、一週間日本に居る間に二人の女の子の孫を連れて着物体験をしたいと日にちのリクエストをしてきました。最近予約が増えてきて、連日はきついけれど火曜日に予約日を設定したものの、なかなか予約してくれないので、私は他のゲストが予約する可能性もあるから早くして下さいと催促したり、四人の予約者の情報も直前まで送ってくれずはらはらしていて、おじいちゃんは張り切っていても孫は乗り気でない場合も前にあったし、厚木から1時間半かけてくるのは大変だから、遅れることも想定しながら、12歳と8歳の女の子の着物を用意してシュミレーションをしていました。

 おばあちゃま、お母さん、女の子二人着物を着せて柴又まで行けるかどうかもわからず、外へ出るのを嫌がったらうちで写真だけ撮ればいいと思いつつふと外を見ると、30分早く現れた長身のロバートと華やかなコートを着た若いおばあちゃま、黒い上着を着た小柄なママと二人のお嬢ちゃんがいて、どこかお店で時間をつぶしたいらしかったけれど、あいにくここら辺は洒落たお店はないので、どうぞここでくつろいでくださいと待合室に入ってもらい、子供たちは自動販売機のリンゴジュースを飲み大人たちにはお茶やお菓子を出していろいろ観察しつつ、これからどういう風に進めるか考えていました。

 ロバートは六十代、190㎝くらいあって政府の機関に勤めていて沢山の言葉が話せ、写真を撮るのが大好き、奥様は華やかで細くて小柄、娘さんだと思っていたらお嫁さんだったもっと小柄なママは40歳で5人の子持ち!海軍の長身の旦那様が12か月の末っ子さんと男の子二人の面倒をおうちで見ているそうで、それにしてもよくまあロバートが私の体験を見つけて予約してきたものだと感心してしまいました。12歳の長女さんはピンクが好きで、うちの娘たちの七五三の着物の肩揚げをとったものが良く似合い、金箔の刺繍が入っている正絹の上品な着物がぴったりでした。髪の毛はママがしっかり結い上げ、髪飾りを付けて女の子たちは終了、若いおばあちゃまもママもピンクの訪問着を選び、写真を撮り続けていたロバートも着物が着たくなったというので、特大のアンサンブルを着せて五人着付け終了、思ったより早く終わりました。

 夫が先に着付け終わった孫ちゃんたちととロバートを二階に連れてしばらくして下りて来て、床の間の前に正座した可愛い二人の写真や鎧と一緒のものも見せてくれ、何と夫まで一緒に写っているので私は笑ってしまいました。ジャパニーズカルチャーが詰まった二階の仏間の人形や写真や寄せ書き日の丸や様々なものを、ロバートや孫ちゃんたちはどんな目で見たのかと思いますが、みんな着せて柴又も行けたしお寺も仏教彫刻も見てもらったし、ロバート好みのユニークな写真もたくさんたくさん撮ったし、ティーセレモニーもできたし、よくぞ全部できたと我ながら感心してしまいました。教育関係の仕事をしているママは地味だけれどしっかりしていて、おばあちゃまはこっそり「お菓子は絶対食べさせないのよ」と言っていたから、どこでも嫁姑の微妙な関係はあるのかもしれないけれど、でもお嫁さんの方が強いのかなと私はこっそり思っています。

 ラストに着せたママと話をしていたら、ママはアイルランドの血をひいているそうで、質実剛健、小柄で働き詰めに働く質素なイメージ、おばあちゃまはスウェーデン生まれのお母様をお持ちで、アメリカンファミリーという感じがしないのはそのせいかと感じるし、長女のお姉ちゃんの沈着で静かなたたずまいは着物姿をより引き立たせ、柴又でも随分注目されました。最近は4,5人着付けるとかなり体力を消耗するので話をあまりしないのだけれど、その代わり表情の変化にはとても敏感になり、このお姉ちゃんが着物を心から楽しんでくれていることがよくわかるし、帰る時もずいぶん振り返ってこちらを見ていたよと夫がチェーンを閉めながら言っていました。ロバートに最後お茶を点ててもらってお嫁さんがそれを飲んで「ごちそうさまでした」と言って体験は終了したのですが、あとで片付けていたらママの使った懐紙の下にお札が2枚あって、直接渡されると私は断っているから、そっと置いてくれたんだなと思って感慨深い気持ちがしました。

 最後私はロバートと強引にハグしたのだけれど、本当によくぞここまで来てくれたものだと思います。ママが一生懸命5人子供を抱えて生きているように、私も必死で生きているのだけれど、一期一会の四時間、私はずべてを差し出して、みんながいろいろなものを与えてくれて、それを活かしてまた私は次のゲストに何かを差し出していくことをずっと続けて行けばいいのでしょう。しっかりした長女さんの心の中には、絶対この体験が刻み込まれたと思うのは、最高級の着物を着ているという意識や、積み上げられた文化というものがどんなに自分を幸せにしてくれるかを、はっきり感じている事です。

 私たちはただ与えられる人生を送ってはいけない、自分が何かを与えられる力を持たなければならないのです。次の日に来た賑やかなドイツ人二人とアメリカの美容師さんとオーストラリアの長身の美人さんを仏教彫刻のエリアに連れて行った時、お父さんがトルコ人というハーフのドイツの女の子が、宗教の力がなくても私は強いから大丈夫と言っていて、結城紬に金色の帯を締め、帯揚げと帯締めは赤なので何故と聞くと、パワーをもらえるからだそうで、彼氏はガーナ人、とても優しくて思いやりがあると写メを見せてくれました。初対面同士でも四人はとても仲良くなり、そこへ夫も入って笑いさんざめくのを聞きながら、私は必死で高身長高体重の三人に着物を着せながら、なぜ大きい子は小さい着物を選び小さい子は大きい着物を選ぶのか不思議に思いながら文句を言うと、覚えたての日本語で「頑張って」エールを送ってくれるのです。

 70㌔、85㌔、体重は書きたくないだろうけれどどの長襦袢を使いどの和装下着を使うか瞬時に判断しなければならないし、下のジーンズを脱がなかったり、写真を撮るときも撮られる時もあり得ないような動きやポーズをとるゲスト達を見張りながら、時々完璧な着付けをした日本女性が表情を全く動かさず静かに歩いて居る様を見て、崩れなくていいなと思いつつ、つまんない…とひそかに感じてしまうのです。それにしても結城紬や沖縄紅型模様のちりめんの着物を着ているゲストはやっぱり素敵だし、通りすがりのおじさんに「ぶっといな」とつぶやかれたりするけれど無視してみんなを見ていたら、なんと三人が私の着物や長襦袢を着せているし、草履は全部私のサイズのものです。

 自分のものをひとに着せるなど考えられないと言われたことがあり、自分が美味しいものを食べいろんなところへ行き、自分の着物や洋服は自分だけが着て、それが幸せだと言われればそうですねと答えます。でも私や夫の感覚は違うのです。自分を差し出して人が幸せになる表情を見るのが一番うれしい。天変地異、これからなにがおこるかわからない時、何で私だけが不幸になるのと思うのでなく、不幸な立場にいる人でも幸せだと思えるシチュエーションを作り上げていきたい、本当にゲストは多種多様でいろんな国から来て、色んな血をひいています。

 昨日最後に来たふっくらした美容師の女の子は、一人だったけれどすぐみんなと馴染み、夫と着物の選択をしながら楽しそうに笑って、挽茶色の私の紅型の小紋を選んでくれたのでホッとして着付けていると弟君はとても太っていると言って、そういえばこの前は123㌔の女の子も来たし、結構菜食主義だったりしているのに体重はなかなか落ちない、でもそれでも着物を着て見たいと私のところに来るのです。着物が無理だとわかると、次はお茶を飲んで話をしに来たい、そんなレビューももらうようになりました。

 一人一人のキャラクターがとても色濃くなり、目が輝き、初対面同志仲良くなる、昨日のドイツ組とアメリカの美容師さんは新大久保のコリアンタウンへつるんで行き、オーストラリアの若妻は夫と弟くんが待つ東京ドームへ、オーストラリア対キューバ戦を見に行くというので、柴又で買ったお煎餅を旦那さんにあげてよろしくと伝えてと言ったら、あとで東京ドームでそれを食べている三人の姿の映った写メが送られてきました。着物はツールです。新鮮な体験、お寺を案内し、庭園や仏教彫刻の前で写真を撮り、いろんな話をするというシチュエーションを私はただ提供し、それに応えてくれる若者たちと、そしてロバートのような年配のゲスト。

 これからなにがおこるかわからない世の中で、やはり一瞬一瞬を大切に生きて行かなければならない。夜中に足がつって痛くて痛くて目が覚めました。毎日毎日ゲストが来ているけれど、お彼岸に入るとお墓参りもお寺にも参拝に行くので少しスケジュールが楽になります。最近はたくさんのゲストが仏壇にお線香を上げてくれているのを、ご先祖様は何と思っているのでしょうか。私はひたすら有難いと感謝しています。

ああ、楽しかった!

 本当に温かくなった土曜日、予約してきたのは韓国の女の子二人で、なぜか英語を使わずハングル語でメールが来るので、少し遅れるという彼女たちを待つ間簡単なハングル語を覚えようとスマホで検索していたら、玄関に現れたユナちゃんは英語でなく日本語で挨拶してきました。アニメやアイドルが好きで日本語を覚えたそうですが、友達の小柄な女の子は英語でないとだめで、日本語韓国語英語が入り乱れる会話をしながら、着物の選択を始めたのですが、ピンク好きで大柄で髪の毛も短いユナちゃんはあっさりすべて選んで、ピンクの訪問着着て喜んでいるのだけれど、ちょっと個性的なソヨンちゃんは若いのに老成したタイプで人形や小物やあるものを写真に撮りながら、なかなか選択ができず、沢山の着物を引っぱり出しあれこれ羽織りながらも決定しないで、うずたかく着物の山が積まれるのて行くのを横目で見ていた私は、せめて長い髪を自分で結ってと言って見たけれど、彼女はどこ吹く風でお煎餅を食べ出しました。

 面白いタイプだなと思いながら結局この前オーストラリアの女の子が着たのと同じ紺のあやめ模様の小紋を着て髪の毛も私がアップにして七五三の髪飾りを付けたらとても気に入ってくれました。そこらじゅうで自撮りを続ける彼女たちを帝釈様まで連れて行ったけれど、ライトアップされた浅草寺が綺麗だったと言っていたし、四時近くになっていたので山本亭へ連れて行き、またまた延々と写真を撮り続け、のどが渇いたとアイスコーヒーと抹茶をそれぞれ注文しながら、ユナちゃんは「楽しい、楽しい」を連発しています。歴史も仏教も抹茶の飲み方にも関心がないことがわかったので、今日はこのままうちに帰って終わらせようと夫に連絡しながら、動きのげしいユナちゃんの帯が緩んできたのを心配しつつ、最後の特売セールのお団子セットを買って駅で電車を待ちながら食べてもらい、五時過ぎに家に帰りつきました。これからメイドカフェに行くというのに、ヘアはアップのままでいいというので付けていた髪飾りをプレゼントし、「楽しかった」と相変わらず連発する二人を見送りました。

 これはこれでいいのでしょう。今日半日をとても楽しんでくれたし、山本亭でイランと日本のハーフだという女性に写真を撮ってくれと私が頼まれ、若い子の感性の方が良い写真が撮れるのが身に染みてわかっているので、撮影場所を譲ってもらってユナちゃんが連写して撮ってくれ、イランの女性は「優しい!」と喜んでくれたり、そう、そういうタイプの可愛い女の子たちです。

 

 テレビは毎日WBCの日本の活躍を伝えていて、夫はずっとテレビにくぎ付けです。たいしたものだなと思うし、震災で家族を失った若いピッチャーも素晴らしいピッチングで勝ち、皆の心が一つになって浮き立っている中で、仙台のスケートリンクでは震災の日を挟んで三日間のアイスショーが開かれ、スケーターや異種目の体操の内村航平選手とのコラボが行われていました。「満天の星」という意味のイタリア語の歌の題名が付けられたこのショーの中で、みんなの温かいサポートを受けながら、3月11日、涙を流しながら黙とうした後で、羽生選手はmorgue(遺体安置所)だった体育館で心の叫びと苦しみと慟哭を込めたスケートを滑り、スケートリンクの下の魂たちを天に送り続けたのです。

 誰かがしなければならなかったことを、彼はした。簡単にできることではない、彼の中の暗い資質と光を求め続ける魂がスケートというツールを磨き続けて、できたものなのです。涙に詰まりながらした最後の挨拶で「とにかく未来が何も見えない、なにもわからない、こんな世の中で毎日毎日生き抜いてください。この12年間を毎日一秒ずつ生きてきた、この愛おしい愛おしい12年間をまた今日からまた一秒づつ一日づつ続けて下さい。僕もそうやって生きて行きます」「今日ある命は明日もあるとは限りません。今日の今の幸せは、明日もあるとは限りません。そうやって地震は起きました。だから、みんな真剣に、今ある命を、今の時間を、幸せに生きてください」 心からの表現、それぞれが持っている資質、真剣に悩んで苦しんでそれでも前へ進もうとする努力、深い闇の存在を感じ取れないと表現できない、やむに已まれぬ衝動は、苦しんだ末に出てくるのです。

 心が動く時、空気が動く時、音が動く時、人は生きていることを幸せに思う。何かを表現する手段を持つということは、神が与えたもう祝福であり、自分を甘やかさず追い込んでやるべきことを追求し、自分の世界を表現し続けた時得られるものなのでしょう。

 

 私の着物体験も、だんだん変化してきて、多種多様な人たちがたくさん訪れるようになり、夫が悲鳴を上げてきました。韓国の子たちのようなタイプもいます。もっと根本的に、着物が着れないサイズの子も来ます。どうやってもどうにもならないけれど、どうにかして最高の振袖を羽織らせ、極彩色の打掛をかけ、髪飾りを付け扇子を持った彼女の写真を撮る夫の声は、心からの慈愛に満ちている。他のゲストに着物を着せながら、喜んでポーズをとるゲストの声を聞いていて、私は夫に負けたなと感じていました。レビューで夫を褒める言葉が多いわけです。着物を着せることが前提だけれど、それができない時なんで勝負したらいいか。黒振袖の重厚なもようと、最近お借りした極彩色の色打掛のハーモニーは、写メを撮って見てみると光輝いて見えて、これで良かったとは思えないけれど、あと二人のゲストが普通に着物を着て三人で写真を撮ってみると、一番目立つのは色打掛で、彼女の顔は明るく輝いていて、それが全てです。夜に送られてきた彼女のレビューには、初めから最後まで、私は自分自身でいられたとありました。近くの神社に行く時には、義母の古いモダンな銘仙の生地で作った羽織を着てもらい、通りがかりの方に声を掛けられると私はこの銘仙の素晴らしさをアピールしていました。これを着たゲストは初めてで、サイケデリックな模様は彼女に良く似合いました。

 人の心を動かすことができる着物とはなんでしょう。サイズ的には全く無理だったけれど、私は彼女に最高級の着物の質感、滑らかさ、心地よさで何かしらの感情を呼び起こしてもらいたかった、可視化できるものではないもの、ゲスト皆のいろんな背景、価値観からいろんな風景が見えて、背景に合わせた意味が生まれたら私は嬉しい。そしてそれを支えてくれる夫の優しさに、心から感謝しています。

 

春よ来い

 雛祭りが終わったらだんだん暖かくなって昨日は四月並みの陽気になるというので、毛皮のファーや白いショールを片して新しい足袋ソックスもおろし大人数のゲストを迎える用意をしました。台湾からのカップルは奥様だけが着物を着て旦那様はカメラマンでいいかと問い合わせがあったし、ロンドンから来る若い中国系の女の子はフォトグラファーの勉強をしているというので、今日は私は撮影で苦労する心配はないと安心していました。ただオーストラリアから来るゲストが女性だけれど男物の着物を着たいとあったので、デニム着物にするか袴がいいのかスタイリングに時間がかかりそうな気がして、若い助っ人に来てもらいアレンジをお願いしました。

 英語が話せないとためらう彼女に、夫がフォローするから大丈夫と安心してもらい、台湾の夫婦が定刻前に現れ、そしてロンドンから大柄で賑やかなジャネッタ、ラストにオーストラリアの女性たちが到着、あれっと思ったのはショートカットのボーイッシュなシミンは素敵な男の子の外見なのです。四人とも同じ言語だそうで話が弾み、賑やかに着物を選び始め、初めはデニム着物がいいかと思ったけれど明るいブルーの男物のアンサンブルが気に入りそれがとてもよく似合うので、夫があまりに細いのに苦戦しながら頑張って着せてくれ、清々しい着物姿になりました。シャイで無口なんだけれどパートナーのミカちゃんと仲良く助け合いながら扇子やバッグを選び、助っ人さんに女性陣を着付けてもらいながら私はヘアメイクをして、何とか早めに終了、水曜日の柴又は混んでいないから余裕をもって出発しました。

 華やかで綺麗な訪問着姿の女の子たちは興奮してはしゃぎ、ハネムーンだという台湾夫婦はカメラマンの旦那さんが専属でいたるところで写真を撮っている中で、参道を歩いて居た中年のアメリカ人の男性がシミンの着物姿に魅かれて声を掛け、いろいろ話しているのに私はびっくりしました。これまでたくさんのゲストが男物のアンサンブルの着物を着たのだけれど、正直声を掛けられることはなくて、日本人から見ると古めかしいスタイルだと思うし、だから最近はデニム着物のアレンジを勧めて黒いハットにブーツがカッコいいよというのだけれど、あらためてシミンのたたずまいを見てみると、何とも言えない精神的な波動が感じられるのです。

 数々の体型のゲストに男物の着物を着せてきた夫に後で話を聞くと、着せているときの彼女はこれまで何かにずっと耐えてきた感じがしていたといいます。自分のアイデンティティ、オリジン、気持ちの在り方に悩んでいるゲストはこれまでにほんとうにたくさん来ました。それについて語り合うことはなかったけれど、着物を着せて寺町を散策しているいろいろな場面で、私はゲストの沢山の気持ちや表情をただ黙って見て来ました。食い入るように仏教説明のプレートを読んでいた女の子、ペアで来ているのに彼の気持ちがわからない焦燥、心が虚ろで着物を着ても反応しなかったロングヘアの長身の男の子が酒アイスを食べながら柴又の参道のでふと見せた微笑み、ナーバスな気持ちで現れた二人の女の子が笑いながら男女の着物を着て写真が撮れたこと。その瞬間をcherishしていると書かれたレビュー。

 感受性、感性が鋭い子ほど、生きるのに躓くことが多いし、何かを隠して生きて行くことに何の価値があろうかと考えていると、それだけで疲れ果ててしまいます。だけど、だけど、それでも世界はあったかいのです。あったかい世界が、昨日の帝釈天の回廊にあって、春のような日差しを浴びながら、際限なく写真を撮り続けた彼らの心の中に、春があったことを私はひたすら望んでいます。また寒くなるかもしれない、桜がいつ咲くか、わからないけれど、春よ来いとひたすら望み続け、その春とは希望であり望みであり、そして自分達が作り続けなければならない永遠なのでしょう。

 ロンドンから来たジャネッタは何と東京ドームのアイスショーを見に日本に来ていて、仙台まで行って羽生選手のゆかりの場所をめぐってきたと聞いて、私は興奮しながらスケート雑誌やミニタオルを彼女にプレゼントし、台湾の奥様は最近頂いたローズピンクの道行を選び、ミカちゃんはチェックの黄色い可愛い着物コートを着て帰りました。そして長考していたシミンが選んだのは近所のクリーニング屋の奥さんに戴いた姑さんの形見のカシミアの黒い和装コートで、それに惹かれた彼女の気持ちと働きづめに働いてきたおばあちゃんの山あり谷ありの長い人生や、それをゲストにあげてと下さったお嫁さんの気持ちが全てリンクして、私は何とも言えない気持ちになりました。

 着物があって文化があって、それを着る人の気持ちがあって、シチュエーションがあって、いろいろな人に助けてもらって、声を掛けてもらって、温かい日差しの参道を歩いて、そしてうちへ帰ってきてお腹が空いてお団子を食べて、ティーセレモニーをして、着物を脱いでほっとして、着替えて荷物を持って別れる。私はシモンの目をずっと見ていました。

 来てくれてありがとう。着物を着てくれてありがとう。

 それはすべてのゲストに言いたい事です。

 一番大事なのは 春よ来い と思い続ける心だと、今感じています。

 私の体験は、物語をつくることなのです。

新しい風

 新しい風が吹いてきています。ブラジルからのゲストがインスタグラムに体験のvideoを載せてくれて、どんな様子か皆が見れるようになったし、柴又も外国人が多く来るようになりました。昨日は急に一人ゲストが来ましたが、夜遅くに香港へ帰るとのことで慌ただしいスケジュールになったのだけれど、30分遅れで到着し、着物の選択も着付けてからの化粧にも時間がかかって、土曜日で天気も良かったけれど私は時間を計りながら少しハラハラしていました。

 身長も同じ、同じ午年生まれの32歳のアーリーは活発で賢い子なのだけれどマイペースで、一週間の日本旅行の締めくくりを楽しんでくれ、赤い着物に白地の帯に金と銀の帯締めを締めた彼女の写真を私はたくさん撮りました。最近は写真の撮り方も少し上達?して、一番いい表情を出すまで何回も連写したりアングルもずいぶん考えるようになって、でもアーリーは「私は普通だから、アップにしないで撮って」と注文してくるのでおかしくなりました。

 宗教観もしっかりしていて、阿吽の意味を博物館で知って、帝釈天の彫刻の鶴や龍や獅子を見て説明してくれるし、結構似た価値観を持っている気がして、二人で説明の漢字を読みながら彫刻エリアを出て、受付の靴箱で草履を出していると、小柄な外国人カップルが閉めた受付の前にいて馴染みの係の女性が困った顔で「もう閉めたのだけれど、せっかく海外から来たのだし少しだけ見せてあげたい、でもお金も払っていないしもう帰りたいし、上手く英語で伝えてほしい」と言ってきたので、アーリーに訳を話して彼らに事情を説明してもらいました。ドイツからの旅行者でしたがアーリーの流暢で的確で温かい説明を聞いて納得してくれ、着物姿を褒めてくれて少し話して別れましたが、最近思うのは日本人が伝えるより、日本を理解したいと思っている外国人が語る日本文化の説明の方が説得力があり、そして生き生きしていることです。派手目のジャケットを着たイケメンの外国人二人を、東南アジア系のカメラマンが寺の各場所でいろんな写真を撮影していて、こういう感じのサイトがエアビーにもあって、そのホストのイタリア人の方から一緒にコラボしないかという誘いを私はこの前受けたのです。

 アルバニアからのゲストが来た時も、フランスで写真を学んでいる中国系のカメラマンにモデルを頼まれたこともあり、その時々でいろいろなケースがあるから面白いパターンになっていくと、もっと見方が変わっていくかもしれません。ブラジルのゲストはこのブログのサイトもインスタに載せてくれているので、頑張って英語でも書かなければならないし、帝釈天の見方が変化していくさまを、ゲストの視点で考えて行こうと思います。何百回とここに来ている意味がはっきりするかもしれません。めちゃめちゃ忙しい桜の季節が近づいてきています。

Gift

 きのうは雛祭りでした。その日に雛人形を出すのは遅すぎると思いながら、すべての人形を今まで飾ったことのない場所に置いて見ると、人形たちがそれぞれ今までと違う表情を持ち、その空間も異質なものになっていきます。ガラスのケースも壊れそうなので、人形さんを出してそのままに飾るのですが、本当に生きているようで、仏間の義父の写真の下には次女の人形、着物ルームには長女の人形、待合室にはお内裏様とお雛様、神棚のある部屋には義母の立雛を飾りました。今までは並べて飾ったのだけれど、配置を変えてケースから出して置いて見ると、着物の質感や着方が面白くて、物の見方も変えるとこんなに違うものになるのだなと感じながら、あらためて世界が段々変化していくさまをリアルタイムで見ていること、その中にいて動ける歓びがつのります。

 古い着物をいただいた方が、使い道がないので全部私のところに下さり、それを運んでくださった方ときのう遅くまでいろいろな話をしました。着付けの師範の資格を取り自営の仕事を手伝いながら子供さんも大きくなり自由にゴルフをしたりヤクルトスワローズの応援をしたり公私ともに楽しんで飛び回っているのに、着物の仕事をすることに不安があり、もやもやしていると話す彼女は長女と同じ年で、すべて持っている彼女と何も持っていない娘の差に愕然とするのだけれど、いくら練習しても練習しても不安だという気持ちは私はおかしいと思うのです。着物は文化です。文明と文化の違いを義父が語っていたけれど、残すべきものは、大切にしなければならないものは文化であり、それこそが世界を存続させる方法なのです。

 娘が歌舞伎観劇に行くお客様に早朝着付けをしながら、玉三郎さんの芸術について熱く語り合い、こんな話をしたのは初めてだと言っていただき喜んでくださった話を聞いた時、娘は着物を着せるという仕事の中に文化についての何か真髄を味わっていただいた、それがほんの一瞬の事でも、着物を着て大好きな歌舞伎を見に行き、なぜ自分がそんなに好きかという本質を語り合えることができた、すべてがトータルで喜びや生きる活力につながる、私は多くのゲストに着物を着せて、寺町を歩き人々と触れ合い神や仏について語り合い、最後にティーセレモニーをして抹茶を味わうというそのすべての感覚が一つになることを願ってこの仕事をしています。最後にゲストに着物に関する何かをプレゼントしてきて、もう十分いろいろなものを受け取ったからそれはいいと遠慮されたことがあったのだけれど、物としてのプレゼントではなく、神さまの贈りもの、giftをゲストはとうに受け取ったと言ってくれたのです。私がたくさんの方々の想いをゲストに差し出そうと努力して頑張っていることは、ひとつの才能かもしれない、でもここまで来るのにどれだけいろんな経験をして悩んで苦しんで迷ってきたことか、自分が生きている事すら何にもならないと泣いたことが、最後に色々な方々に届くギフトになる不思議に神様の力を感じるのです。

 ブラジルから来たゲストが私の体験をvideoにとってインスタグラムにあげてくれたのだけれど、良くまとまっていて、私が何をしたいのか、何を彼女達にギフトとして差し出しているのかが、ゲスト側の見方としてわかるのです。この時は旦那様が柔道の黒帯を持つ有段者で、夫と話が盛り上がり本当に嬉しそうで、日本の柔道というものを二人で語り合ったという経験は旦那様の心に一生残るものでしょう。また急に予約が入りました。だんだん暖かくなってきます。

三月に

 気がついたら世界があった。息をしていた。自分は何だろう。でも名前はあった。好きなものもあった。その大好きなものになりたかった。そのたびに世界があったかくなった。その世界が大好きだった。

 

 そんな独白から始まるアイスストーリーを東京ドームで見ました。華麗なステージで素晴らしいテクニックのスケーティングを見せながら一流のアーティストと共演する目も眩むほどのショーなのに、間をつなぐナレーションは闇に沈むように暗いのです。

 気がついたら世界があった。4歳からスケートを始めた羽生選手の小さい時の記憶が何処から始まるかわからないけれど、「好きなものもあった。少しずつできることが増えた。その世界があったかくなった」と続き、その感覚を求めてスケートに励み、頭角を表せば表すほど、彼の人生は特化したものになっていくのです。

 スケートだけ。スイミングにも塾にも遊びにもキャンプにも行かず、ひたすらスケートを続けながら、ひたすら一人だったという。でも大切なものさえあればいい、世界をあったかくする術を求めて、彷徨い続ける心象風景は、ドキュメンタリー映画であり、心理小説のように思えます。苦しくて苦しくてどん底に落ちてばかりいる。普通に遊んだり怠けたり恋をしたり悪さをしたりすることは、彼の頭にはなかった。「タノシイヨネ。タノシイヨネ」テクノポップな歌に合わせてキレ切れのダンスをスケートで踊るのを見て観客は熱狂するのだけれど、それすら物凄い反語だった。

 長いものに巻かれる卑怯者たちが言いふらす嘘の「嵐の中」で、相手を陥れるために事実を曲げて嘘を言う、人が行うべき道理を捻じ曲げて間違ったことをする人たち。権力者の発言とあれば意味を知ろうともせずに「美意識だ」「これが最善だ」と崇めている人たち、自分の事ばかり考えて人間の本質を見ようとしない人たちとの化かし合いに加わるくらいなら、いっそ悪魔の側に堕ちる方が清々しいという世間の在り方に真っ向から勝負しようとするこの歌「阿修羅ちゃん」顔も名前も知らない誰かを気にして生きるのがこの世の常識なら、自分は悪役になってもそのルールに逆らって生きて行きたい。「できなきゃ意味がない、なら今の僕は必要ないのか」「こんな僕のこと、誰がわかる?一生わからない」内面の葛藤を作品に仕上げる術まで会得した彼は、競技者として抱えてきた苦悩を新たに身につけたプロとしての技術により洗練された表現に昇華して、キレキレの「阿修羅ちゃん」を踊ってしまいました。

 

 好きな道を邁進し数々の偉業を成し遂げた中でいつも付きまとわれる不安と孤独感、大切なものを追い求めて気がついたいつも一人きりという感覚、その葛藤 ただ苦しみもがいた自身の過程がある日、光を連れてきた。自分が殻を破る時まで闇の中でもがく事しか次の扉は開かない。痛み、苦しみ、葛藤、そして優しさ、強さ、温かさがある物語を彼は作って、それをたくさんのサポートと後押しで、一夜限りのステージを見せてくれたのです。スケートの事は何もわからないけれどお母様の介護の合間を縫って見に来た方が、最初から最後までずっと泣いていたというエピソードを聞いて、その気持ちが良くわかるし、自分のしていることの意味も解らなくなりひたすら孤独で取り残されて何もしたくなくなる、そして鬱になったり精神的に病んでしまうところまで行ってしまうこともあるのです。家族にも理解されず異端視される哀しみ、でも自分の大事にしているもの、守っているものをどうしてもないがしろにすることはできない、そして行きつく孤独。それを抱えている人はたくさんいて、そしてもがいているのです。

 それを知っているからこそ、華やかで素晴らしい演技をつなぐ独白はモノトーンでだからひたすら暗い、でも、自らの苦悩をさらけ出す作品をたくさんの人達と共有することで皆が抱えている苦しみを和らげようと彼は試みました。暗闇も光も、影も輝きも全部見せてくれる、太陽と月と星々、そして木々や川や風といった命、安心できる場所、帰って来られる場所。自分が何をすることが幸せなのか。どう生きれば良いのか。子供たちにどう育ってほしかったのか。私にはいまだわからない。何が一番大切だったのか、どう選択して生きて行けばよかったのか。自分の気持ちはどこから始まるのでしょう。

 小さい時の記憶、病弱で本が好きで一人で空想に耽り、一生懸命勉強して良い成績をとったけれど、それが何になるのかわからず、何かを表現したいという欲求は強かった。でも何に秀でているわけでもなくでたらめな模索を繰り返し、逃げるように結婚という道を選びました。子供たちにも何を要求していいのかわからず、世間一般のレールに乗れることを考えてしまった。本来の人間は運命に閉じ込められた存在ではなく、運命そのものを作り出せる存在なのに、マテリアルな価値観に囚われたりこれまでの常識にがんじがらめになっていると、自分自身が苦しくなってしまいます。でも、コロナウィルスの洗礼を受け、各地で起きている怖ろしい紛争をみながら気候変動や人心の乱れがマックスに近づきつつあることに気がついた時、数年前の世界と今私たちがいる世界はもう全く別の要素に基づいていて、もう個人がダイレクトに高次元領域と繋がって豊かな価値創造をすることが必要だし、それを能動的に使いこなす資質を持つ人間が求められてきていることがわかりました。時間や空間の”間”の本質を理解して使っていくということは難しいけれど、時と丁寧に向き合う感性が欠かせないし、時間には宝物が織り込まれているように、空間というフィールドにも豊かな価値が隠されているのです。今回東京ドームという空間を駆使して、羽生選手の存在を媒介に優れたアーティストたちが自分の技術を惜しみなく提供して新しい物語を作り出す、それは誰かと繋がっていて、それは自分の味方で、苦しい時や辛い時はいつでもそこに帰ることができるものなのでした。

  クイーンのフレディ・マーキュリーの映画を見た時、何かと戦い、何かに苦しみ、それを観客に痛切に訴えている姿、一律同じようにきれいな見た目や一定の人生を望むことがベストと思わなければいけないなら、規格外の私は生きている価値もないといわれてしまいそうで、そんな中裸になって王冠と長いマントを羽織り、我々はチャンピオンだと絶叫し命がけで自分の生き様をさらけ出しているフレディに観客たちが熱狂し涙している気持ちがよくわかったのです。

 我々は何で戦うべきか。バレリーナのロパートキナのインタビューで、「瀕死の白鳥」を何度も踊っているとき生と死の境目を行ったり来たりしている感覚、壁を通り抜ける感覚が大事で、そこに至るまでの努力は常に怠ってはいけない。突き詰めて、突き抜けて、そして何かから自由にならなければならないというようなことを言っていたのが印象的でした。最後の最後まで、考えること、向上すること、もっともっとできることを考えること。60年以上かかったけれど、今私は自分がやらなければないことがやっと見えてきています。心から大切なこと、大好きなこと、心があったかくなるもの、その世界を作り出すこと。人は一人では生きてはいけないけれど、一人になってしまう時でも、一人がいい時でも、大丈夫だよと言って心の扉を開けることができる。たとえどんなに孤独であっても、彼の物語は皆さんのために絶対にそこに存在する。

 柴又の彫刻みてると、もっと彫り込もう、もっと考えようと際限なしに進んでいく彫刻師さんたちの姿が目に浮かびます。仕事しているとき楽しいんだろうなと思います。あまりに多く彫ってあってどこにお釈迦様いるのかわからないときもあるのですが、それが彼らのやり方だし、日本人の特性なのでしょう。何百回と見ているのに、私にはこの物語を消化することができません。彫り師さんたちの物語、今度はそれを考えて行こうと思います。

 

 村上春樹の新作は「街とその不確かな壁」と発表され、「その街に行かなくてはならない。なにがあろうとーー<古い夢>が奥まった書庫でひもとかれ、呼び覚まされるように、封印された”物語”が深く静かに動きだす。」どうしてもこの物語を語りたいという強い意志がそこに隠しようもなく表れていて、ある強固な物語の方法によってしか語られ得ないもの、実際にはあり得ないものを通してしか喚起され得ない感情がそこにあるということ、そしてそれが自分には語り得るのだという村上の初期衝動にも似た明確な意気込みがそこに密封されているというのです。

 とことん集中して考えること。今それをやっていきます。

チェコとマレーシアとアトランタ

 2月22日と2が続くこの日、またまた慌ただしく突然のゲストが入ったり、義母の酸素濃度の値が低くなって施設から連絡があったり、目まぐるしい一日となりました。この前入院した病院に行くことになって夫は付き添いで出かけ、私は三人のゲストを待っていましたが、電車を間違えたとか乗り越してしまったとか次々入るメールに返事をするのに追われていたら、定刻少し前に静かにマレーシアからの女の子が現れました。静かで知的な彼女は小柄で、好みの着物や帯を選んでいると、そこへ浅草で買った人形や小物の入った袋を下げた小柄な男性が到着、賑やかに挨拶すると早速袋の中のおみやげ品を見せてくれ、足には浅草の模様が沢山ついた足袋ソックスを履いているのです。残念ながら左右が逆なので履き直してもらい、着物の選択の終わった彼女はヘアメイクをして、その間に男性の着付けを始めました。彼の身長は163㎝で、うちにたくさんある一般的日本人の着物がジャストフィットし、いろいろ選んでいるうち大島のアンサンブルが気に入り、ちょっと長めだったけれど着せて、ハットを被ったらナイスガイの着物姿になりました。

 彼はヘアメイクの終わった彼女に写真撮影を頼み表へ出て撮り始め、そこへちょうど夫が帰ってきて、駅を乗り越したアトランタからのゲストも華々しく登場、またまた混乱した現場になりました。南部訛り?かどうかわからないけれど、機関銃のように早口でしゃべるアトランタの英語が聞き取れず、それでもマレーシアの彼女とよどみなく話し始めたのでホッとしながら、夫も加わったのでいつも通りのペースに戻り二人ともピンクの着物を選んで、私は動画を撮られながら着付け、5時には帰らなければならないという、会社を経営し地元でも民泊用の大きな家をもっているスーパーホストのジニのペースに煽られつつ、柴又に出かけました。いたるところで写真を撮りながら三人とも異様にハイで、水曜日で静かな参道でも突拍子もないポーズを取り続け、達磨を買ったり、庭園ではそれぞれ写真を撮りながら、マレーシアの彼女が写真を撮るときも細かくポージングを指示して、私の出る幕はないので、ひたすら時間を計りながら追い立てて、仏教彫刻までたどり着きました。

 マレーシアの彼女は仏教徒、そして透き通った眼をしたスキンヘッドの46歳のミレックはカトリック、チェコスロバキア生まれで今はフロリダに住む多分独り身の男性で、エジプトを旅行している写メを見せてくれました。うちのカウンターに次女がチェコを旅行した時買ってきたお土産の栞があり、ミレックはとても懐かしがって、いろいろ話してくれましたが、チェコは寒いのでフロリダで働いているけれど、家族はチェコに住んでいて、ママへのお土産は日本人形だそうです。チェコからは何人かゲストが来ていましたが、印象的なのがコロナ後に沖縄から生後半年の女の子を連れて車で来た細身の綺麗なベロニカで、赤ちゃんを前抱っこして二時間の体験中外をずっと散歩していたパパは黒人の男性で、あの時は本当にびっくりしました。神社の好きなベロニカのために、赤ちゃんと三人で近くの天祖神社へ行った時「好きな日本の食べ物は?」とパパに聞いたら「鰻」と即答し、たれで茶色くなったご飯が好きと言うので笑った私ですが、何回か「チェコスロバキア」と言ってしまうとそのたびに「チェコ・リパブリック」と訂正されたことをミレックに話しました。1977年生まれのミレックに何か国語話せるか聞くと、チェコ語、ロシア語、英語だそうでロシア語は学ばなければならなかった?でもロシア人は好きではない、と肩をすくめていました。コロナ前にスロバキアのカップルが来て、仕事はIT関係?と聞いたらよくわかるねと驚かれたけれど、夫曰く旅行ができる人達は今はそういう仕事をしているというし、ちょうどハンガリーの大統領が来日していて参道のお店の人たちが旗を持ってならんでいるのを見て、「彼はいい人ではないよ」と言ったことを思い出して、今頃チェコスロバキアの歴史をいろいろ調べて、あらためて納得しています。

 今まではこれまで世界を支配していた国からのゲストが多かったのでしたが、コロナ後はアジアでもヨーロッパでも、植民地化されていて苦難の歴史を経て独立した国々の方が来ています。香港、台湾、マレーシア、フィリピン、インドネシア、ベトナム、チベットなど、今までとは違う感触だし、スイスに住むアルバニア人の女性と共に過ごした時間は不思議なものでした。世界の生きた歴史を学んでいる私は、それでも着物を着せ、いつものコースを辿り、仏教彫刻の説明をして、最後に抹茶を点てています。

 文化とは何か。着物とはなにか。生きた人間が文化を体感して、喜びにあふれ、静寂を感じ、自分が美しいと心底思う、その現場に立ち会える幸せを味わうために、私は今まで努力してきたのでした。文化とは人が幸せになること、人を幸せにすること、それを見て幸せだと思うこと、それに尽きると思います。私たちの生きている意味は、世界は美しいということを認識することでした。自分のテリトリーで、自分のツールを磨いてより美しいものを作り上げる努力をする、そのために日本文化も着物もティーセレモニーも存在していた。人を救えるのは世界の美しさだけなのかもしれない。美しさに近づくために、だから私たちは努力し続けるのです。

 結果だけが全てではなく、結果に向けて諦めずに頑張っている過程が一番大切だとしたら、これまで私がひたすら探してきたのは、何を自分が差し出せるかということでした。 着物という日本の伝統文化をまとった外国人と、日本の歴史や文化に触れるということは、今まで自分が考えてきたこと、やって来たことを振り返り、これからどう生きて行こうかと考える時の支えになり、指針になり、勇気づけられる何かを感じることができたのです。

 帰り際、ミレックはプレゼントした着物を着て帰り、マレーシアの彼女には部屋着用に白い長襦袢をプレゼントし、そしてアトランタのジニはワインレッドの別珍の着物用ハーフコートを着て、喜んで帰りました。コートは外国人も日本人も愛用していたので、私はちょっとためらったのですが、大柄で金髪で明るいジニがこれを羽織って帰ったら目立つだろうし、日本文化の極致、このコートの持ち主だった方も本望だと思うと、ちょっと惜しい気がしている私の気持ちはやっぱり浅ましい欲なのでしょう。

 二月の仕事はこれでおしまい、三月に備えてまた新しく支度をします。わたしのこれからのGIFTは何になるのでしょうか。

 

ブラジル

 朝から今日来る100㌔と140㌔のゲストに何を着せようか悩んでいたら、10時少し前にブラジル人カップルの予約が急に入り、私は完全にパニックに陥り、とにかく男性は何とかなるから100㌔の20才の女の子には一番大きい振袖を着せるしかないなと思っていました。そわそわして一時に外で待っていると、「到着しました」とメールが入り、何と違う町のうちと同じ番地の家の写真が添えられていて、慌てて「No!」と連絡したものの、何でこんな間違いをするのかしらと不思議になり、懇切丁寧なうちまでの道順のメールを出しているのにと悲しくなりました。そこへなんとベビーカーに男の子を乗せたブラジルのカップルが到着、子連れなんて教えてくれてない!、もうなんだかわけがわからなくなりつつ、靴を脱いで歩き回る三歳のアントニオ君と看護師の奥様、十歳年下でブラジルで柔道を習って黒帯の御主人にとにかく着物を選んでもらっていたら、中国人カップルが到着、それが普通体型でスリムなのです。「えーっ、話が違いすぎる!」と寝ぐせの付いた頭の背の高いボーイフレンドにきいたら、アプリの翻訳機能がおかしくて、住所も体重も間違えたそうです。

 もう!翻訳機能に対する怒りと、普通サイズの女の子には好きな振袖を選んでもらえるという安堵感とが一緒になって、複雑な気持ちの私の周りをアントニオ君は走り回り、おもちゃを持ってきて遊ばせながらブラジルのママにピンクの訪問着を着せていたら、子供にも着物を着せたいというので七五三の紫の羽織を出し、ヘアメイクがわからないと言うママには簡単にやってみてもらい、中国の女の子に白地に赤い模様の入った振袖を着せ始めました。一人っ子でシンガポールでファイナンスの勉強をしているそうで、生まれは重慶、長野に来たことがあるとのこと、いろいろ聞きながら着付けていると、振袖を着せかける時長襦袢の袖を持って入れやすくしたり、帯を締める時も長い袖を持って私がやりやすいように補助してくれたり、無口なんだけれど的確に動いてくれるのです。何百人も着付けている私にとってこれは初めてのことで、彼女が着る姿を見ていた彼氏は、中国人のおかあさんが日本語を勉強していたので教えてもらって少し話すことができるし、漢字もしっかり読めるのです。

 はじめ中国人二人のゲストはお寺に行っても関心がないだろうからやめようかと思っていたのですが、彼らは柴又へ行っても仏教彫刻を熱心に見ているし植物や鳥の彫刻の下の難しい漢字も読めるし、いやはや知的なカップルでした。走り回るアントニオ君はパパに叱られオンオン泣きだし、それでもママは我関せず自撮り棒で写真を撮りまくり、複数のゲストの時の悪いパターンになってきたのだけれども、中国人カップルの静かな知性に助けられ、何とかお寺を出たら、ママはリュックからみたらし団子を出してベビーカーのアントニオ君に持たせ、鼻水や涙はパパの手袋で拭いてやっと大人しくなり、私は団子のたれでべたべたしてしまうと心配したけれど、中国人カップルも食べたくなったようで自分達で買って食べ出すし、もう見てみないふりをしながら無法地帯と化した体験になってしまいました。

 ママはおじさんが日蓮宗だそうで、その話をしたり、彫刻についても質問していたけれど、パパは関心がなく、なんだか柔道の事を話している時が一番楽しそうで、ママがこういう話を日本人とするのが嬉しいのだと言っていたけれど、十歳年上のママと結婚して子供が生まれてからは柔道の稽古もしていないから、いろいろストレスもたまるのかもしれません。ティーセレモニーも強行しましたが、アントニオ君は小さい干菓子を食べ続けて大人しいので男性二人にお茶を点ててもらったら中国の彼氏はとても上手で、ブラジルのパパは茶道文化が全く理解できなかったけれどシェイクするのはとてもうまく、さすがイクメンと感心しました。

 帰り際二階の和室も見せて、タンスの引き出しが閉めると飛び出すマジックにアントニオ君は喜んでくれ、めちゃくちゃの感がある今日の体験は終わりました。ブラジルのパパは夫と柔道の話をしたのが本当に嬉しかったようで別れを惜しみ、ママはプレゼントしたヘアオーナメントの箸でざっくりまとめた髪の毛を止め喜んで帰って行ったけれど、今日ほど「アナーキック・エンパシー」を感じたことはなかった。正直に言うと柔道とコーヒーの話以外はパパは会話しにくく、最近私がメインテーマにしている宗教とか文化については口を閉ざし、でも夫と話している時はとても楽しそうだったので、それはそれでとても良かったのです。それこそ夫とは共感をベースとした他者理解だし、私の提示するものは彼の価値観や世界とは違うものです。ここではない世界や価値の尺度が複数あると実感したのは、反対に私の方だったのですが、だから今いる場所でしか生きられないと切羽詰まることもなく、特に今は多種多様な外国人が来ていることもあり、世界は広いし価値観は多様だから、楽観的であればいいのだなあと後で思っていました。ベストではないけれど、十分に良い状態を差し出し、穏当にgood enoughでまあ受け入れられるという方法を見つけていく、異なる伝統や価値観を持った多種多様な人々がエンパシィーを使って話し合い、折り合って解決法を見つけていくことが一番大事だというなら、昨日の体験はまさしくその通りでした。

 前にブラジルの若い女の子三人が振袖を着たとき、あまりに寒くて風が強かったのと、着付けのヘルプの方が来てくれて、私があまり着せなかったためコミュニケ―ションが取れていなかったせいか、個々の記憶がなくてあとでお詫びのメールをしたら、三人がそれぞれ個性的なレビューをポルトガル語で書いてくれたことがとても印象に残っていて、ブラジルには日本人の移民も多いし、どういう民族性を持っているのか気になっていました。そういえば一人旅のブラジルの女の子が草履が嫌でスニーカーで柴又へいき、すべてが入ったハンドバッグをお寺の中で置き忘れて平気でいたこともあったし、独立感が強いような気もして、はっきり自分の意志を主張するタイプが多かったのです。

 世界で一番人種差別が少なくて融和的な国はどこかという問いに、カナダ、シンガポール、ブラジルを挙げた方がいたそうですが、ブラジルはあらゆる血が入っているので自分でも把握しきれず、ブラジル人として自国を誇り愛している国民性だと言います。スペイン語を少し習った私は南米から来るゲストとはコミュニケーションが取れると嬉しいけれど、ブラジルだけはポルトガル語だからわからないし、レビューまでポルトガル語で書いてくるのは何でだろうと思っていました。誇りがある、アイデンティティが揺らがない、スペインに支配されるよりポルトガルの方がよかったのかしら。

 アントニオ君がいるせいもあって、ブラジル夫妻は中国の若者たちとはあまり話さず、静かな知性的な彼らはこの体験をどう感じたのか心配だったし、彼のスマホの翻訳機能の不備も気になって、中国の男の子にバタバタしたものになって申し訳なかったけれど、ガールフレンドの着物を着せた時の仕草やあなたの日本文化への知識に助けられた、ありがとうとメールを送りました。丁寧な文章の返事は、今まで知らなかった素晴らしい文化に触れることができて感激している、私たち夫婦が健康でこれからも過ごせるようにとあって、これが20歳の中国の男の子なのかと感心しつつ、世の中はもう腐敗した大人の住処ではなくなってきているんだな、特にコロナ後は新しい風が吹いていることを感じています。

 ブラジルのファミリーを見ることも、彼らにとっては新しい体験だったのでしょう。でもやはり、彼らに着せた着物の高品質さと、お孫さんのために作ったおばあちゃまの愛情が詰まった唯一無二の振袖をあの女の子に着てもらえたことが、私の誇りです。

アナーキック・エンパシー   

 このところ毎日忙しくて、着物の仕事となると頑張れるけれど、終わった後は早くに寝ないと疲労が取れません。エアビーの仕事と個人的な依頼の仕事と気の使い方が違いますが、やはり最後は同じやり方で締めくくります。夜早くに寝たので朝早く起きてまだ暗いベランダに出ると、三日月が低い空に見えます。月を見るのは久しぶり、このところいろんな国のゲストが来ているけれど、それぞれ色んな所で月を見ているんだなと物思いにふけってしまいます。

 最近英国人の旦那様とイギリスの田舎町に住んでいる50代の日本女性のブログをよく見ているのですが、彼女の名前はMIKAZUKIさんなのです。子供さんたちも独立し、ちびという名のワンちゃんを可愛がりながら料理をしたりお菓子を作ったり、パブでご飯を食べたりする映像を見ながら、こうやってイギリスで静かに暮らす彼女の心象風景を追体験していると、異国の文化の中で暮らすのは大変かもしれないけれど、日本にずっと暮らしている私にとっていろいろ刺激になるし、何よりたくさんのゲスト達が日本の着物を着て日本文化を体験するということの意味もまた違って考えられるのです。

 前にアメリカ人の旦那さんと結婚して子供さんが三人居る方が、みんな日本の文化を知らないので是非体験させたいと問い合わせて来て、結局スケジュールが合わず取りやめになりましたが、四時間の日本文化の体験というものが彼らにとってどんな意味になるのかはとても微妙な問題だと、沢山のゲストと共に過ごした時間を振り返りながら私は痛感しています。日本人は毎日抹茶を飲むの?と聞かれて、Noと答えるけれど、人により時により多くの方が文化を味ってはいます。でもそれができない異国に住む方にとってはマイナスの感覚や渇望感も凄いものがある。イギリスに住むMIKAZUKIさんはイギリス文化をどう味わっているのだろう。

 

 アイルランド出身の御主人と結婚してイギリスに住むブレイディみかこさんの「他者の靴を履く」”アナーキック・エンパシーのすすめ”という本をやっと借りることができました。何十人もの予約があってやっと私の番が回ってきたのですが、今この時に読むべきタイミングだなと不思議な気持ちになります。初めにシンパシーとエンパシーの違いについての考察が続くのですが、シンパシーとは感情とか行為とか友情とか理解とか、どちらかと言えば人から出てくるもの、または内側から沸いてくるもので、かわいそうだと思う相手や共鳴する相手に対する心の動きや理解やそれに基づく行動だとあります。

 夫が同じ年齢の方々とグループラインをしていて、何かトピックをあげた方にみんながメッセージを寄せるのだけれど、これはシンパシーでないと違和感が出てきてしまう、反対にエンパシーは必ずしも同じ意見や考えを持っていない相手に対して、その人の立場だったら自分はどうだろうと想像してみる知的作業で、たった一つでなければならず、たった一つであることが素晴らしいのだという思い込みから外れ、他人が抱いている感情すべてを自分のものと感じること、相手と同じレベルの気持ちになり、感情移入することを表すのです。シンパシー(同情)は相手の感情を上から眺めている状態、エンパシー(共感)は相手の感情を自身も感じ、寄り添っている状態で、他者を学ぶこと、考えること、想うこと、すべては君の自由のためというブレイディさんの本の帯の書かれた推薦のこの言葉が胸に響きます。

 

 英国人の旦那様と文通していて、会ったのはたった二回で結婚したというmikazukiさんはエンパシーの能力に長けた方でしょう。「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」つまり知的作業であり、それができる能力、アビリティは、湧き上がる感情に判断を曇らせることなく、意見や関心の合わない他者であってもその人の感情や経験などを理解しようと、自発的に習得するものなのだそうです。エンパシー能力が高い人は、そうでない人に比べて、世界の見方に広がりや深みが出る、という点が挙げられ、共感をベースとしない他者理解を絶えず行うことで、自分とは違う価値観や世界があることを理解できるのでしょう。「ここではない世界や価値の尺度が複数ある」と実感することができるので、「今いる場所でしか生きられない」と切羽詰まることもない。世界は広いし、価値観は多様だと知っているから、根本的に楽観的になれるのです。自分とは全く違う他者の経験や考えに触れることで、自分との違いを認識し、自分のアイデンティティや感情をより深く理解できることは、個人が自分のために身につけておくべき能力であるとともに、生き延びるためのスキルともいえるのです。

 私は地元に住む日本人の夫と結婚し、古いがんじがらめの家長制の自営業の家で長いこと過ごしてきました。仕事の手伝い、子育て、看護、介護と夢中で過ごしてきて、従業員も多かったしその世話や食事作りなど、日本の中で日本人の感覚でずっと生きて来て、コロナを挟んでエアビーの多くの外国人と接する経験をして、そしてこの混沌とした世界情勢の中で危機が迫っている、何とかしなければとなった時に、互いの言葉の背景を理解した上で話し合って落としどころを見つけるしかない、それは「穏当であれ」(reasonable)ということです。実はこれがエンパシィーの肝で、理にかなった判断力があり、公平で分別がある、ベストではないけれど「十分によい」状態を指す、人間にとって重要なのは「合理性ではなく穏当さ」だというのです。義父がよく「いいかげん」というのは「いい加減」なんだと言っていて、互いにいい所を取ってベスト・ソリューションではないけれど、good enoughで「まあ受け入れられるよね」という方法を見つけていく。異なる伝統や価値観を持った多種多様な人々がエンパシィーを使って話し合い、その時その時で折り合って解決法を見つけていくことが一番大事で、人間の自由を奪うあらゆる制度や思想、同質性を強要する社会システムや集団真理はまさに「亡霊」のように人々を縛り付けています。自分自身を生きることを許さない同質性の強い社会は、マイノリティは勿論マジョリティの側にも息苦しさがたまり、活力がなくなっていくのならば、現状を疑い必要があれば作り直す必要があることを認識したうえで、相手の立場にわが身を置いて考えること、簡単に言えば「疑いながら理解する」ということ、だからアナーキー(疑い)エンパシー(理解)なのでした。

 着物道楽の知人が、七五三の写真撮りにお嫁さんに志ま亀の高級な訪問着を貸して、スタジオで家族で着付けてもらったら、そこの貸衣装を着た旦那さんと五歳の男の子はちゃんと着ているのに、お嫁さんだけぐさぐさに着付けられてひどかったと言って、その写真を見せてくれました。彼女にこれまでも着物を着付けたことがある私は、高級な絹の質感のある着物をボディに着せる練習をしていてなかなかうまくいかず、根をあげた経験があるので、これだけの着物を着せる技量とはすぐできるものではないし、自分がそういうものを着た経験があり、例えば観劇に行くとか食事会に行くとか、それなりの経験をして、着心地や動き方の経験をしていないと厳しいものがあると思っています。

 重厚な立派な帯を細いウェストの女性に締めるのは本当に大変だし、何百人という様々な体型の外国人に着付けをしている私はいまだ発展途上の修行中なのだけれど、それこそこれでいいのかしらと疑いながら相手の身体や性格を理解していくことはアナーキック・エンパシーがないと難しい。でも考えてみると、結婚も子育ても仕事も介護も、何が正解なのか、正解が存在するのかも分からないし、だから私は散々迷いながらここまで生きて来て、それを子供たちに批判されると申し訳ないなと思うのだけれど、そういう風に進まざるを得なかったのでした。それが私のアイデンティティだった。でも今着物を含む日本の伝統文化を外国人に理解してもらうという仕事をするようになって、毎回毎回違った国から違う民族のゲストが来て、まず彼らを理解しようと努力し、どうやって4時間を組み立てて最善を尽くせるかという努力をしてきた意味は、いったい何になるのかと思います。

 イギリスに住むmikazukiさんが愛犬ちびを連れて散歩しているご主人を後ろからずっと撮影していて、時々ご主人が振り返って彼女を見るまなざしの温かさにひどく心打たれます。異国で暮らしても、自分の国で一生暮らしても、どこにいても振り返って自分を見てくれる誰かの存在があれば、そして自分も誰かを見つめ続けていればそれでいいのかもしれません。

 

 夜中に今日の予約が入りました。20歳の中国のカップルみたいです。体重が140㌔と100㌔… いやーどうしよう。ずっと家の前の道路を工事していたので、玄関も埃だらけです。まずは掃除をしないと。 

フィリピンのジョアンナ

 土日に連続してゲストが来たので、「休日まで俺を働かせる気か」と夫は機嫌が悪く、私は(高齢者は毎日が日曜日なのに…)と思うけれど黙っていました。京王線の幡ヶ谷から一時間以上かけてきたフィリピンのファミリー四人は、途中の駅で迷ったようで30分遅れて到着、小柄なパパとお兄ちゃんは伝統的な着物とデニム着物にハットを被せ、会計士でボスのママにはピンクの訪問着、かなりふっくらしている娘さんのジョアンナにはこの前娘に持ってきてもらった身幅のたっぷりした振袖を着てもらいました。

 先に着付けたパパはずっとしゃべり続け、癖のあるフィリピン英語で夫は苦戦しながら相手をして、私はジョアンナの髪の毛もアップにして簪を付けて終了、急いで柴又へ行きましたが女性陣はマスクを忘れ、大きな扇で口元を隠して平安時代の宮中の女性のようで、なんだか優雅です。お寺の境内に入ってびっくりしたのが本堂の前で背の高いごつい感じの沢山の男性外国人たちが記念写真を撮っていて、傍にいた背広姿の日本人の若い男性に聞いたらドイツの国会議員が日本視察に来てここに立ち寄ったとのこと、そういえばコロナ前にハンガリーの大統領が来て、庭園も入れなかったことを思い出しましたが、今回は一室で会議?をするとか、無表情で境内に佇む彼らからは何の感情も読み取れず、話しかけることすらできなくて、普通の訪日外国人とは異質の妙な空気感を感じてしまいました。

 案内する日本人も真面目そうで語学は達者なのでしょうが、目に生気がなく、こんな辺鄙な所に来てしまったと思う暇もないのかもしれませんが、そういえばテレビで根津神社を芸能人が散策する番組があって、エアビーでも根津をテリトリーとする体験が好評なので興味深々で見入ってしまいました。神社が広く、色彩が鮮やかで伏見稲荷のように朱塗りの鳥居が並んでいるところもあり、池も広くて確かにフォトジェニックで、だからたくさんの外国人が喜ぶのでしょう。初めは凄いなあと感心して見ていたのですが、達者な英語力を持ち海外で働き旅行も多くしているようなホストで、うちに来るゲスト達が初めて会っても話が盛り上がるような会話力を持っていないと時間が続かない事に気がつき、私の体験が4時間なのは長いとエアビーの会社で言われているけれど、これでも時間が足りない時すらあるのは何でだろうと考えてしまいました。

 うちに来た時にお菓子を食べてもらうのはランチを食べないできて、あとで空腹だったと言われるケースがあるからで、着物を選び着付け、写真を撮って柴又へいき庭園や仏像彫刻を見て文化や宗教について話し、参道の店の方々と会話しながらお団子を買い、うちに帰ってティーセレモニーをして、最後にギフトをあげるというこの体験を何百回もなぜ続けているのか、それでも新しい気づきが毎回あるのです。

 フィリピンのママはいろいろなことにとても喜んでくれて、帰り際駅の近くのお店で焼きそばをテイクアウトし私と夫の分まで買ってくれ、家へ帰って着物を脱いでみんなが焼きそばを食べている前で私は抹茶を点て、皆に作法通り飲んでもらったのですが、振袖を着て疲れたり寒かったせいかジョアンナが頭が痛くなって長椅子で30分横たわり、その間スマホの写真をみんなが見せてくれて、パパとママの若い時のスナップや兄妹の小さい頃の写真、飼っている猫、住まいや事務所まで説明してくれるのを聞きながら、そういえば今まで来たフィリピンの家族は皆本当に仲が良かったし、来るときもパパとママは手をつないでいましたっけ、そういう国民性だけれど植民地化されていたからカトリックだし英語を話すし、若い頃サウジアラビアへ二人で行ったというので無知な私は感心していたら後で夫がフィリピンは貧しいから多くの人が出稼ぎにいったんだと教えてくれました。ダバオに工場を持っている義母の甥御さんが日本に観光旅行に来られるのは本当に裕福な人たちだと言っているのだけれど、ママがやり手でここまで頑張ってきて、でも子供たちは結婚していないし、なかなかうまくいかないものです。最後に私にビジネス頑張ってねと手を振って別れ、頭痛も治ったジョアンナも笑顔を見せたのだけれど、翌日掃除をしていたら着物のバッグにむき出しのお札が4130円入っていることに気がつき、幡ヶ谷から取りに来てもらうのも大変だから私が新宿辺りまで出て行って渡すと連絡しながら、まあまあ手間のかかる女の子だと苦笑してしまいました。

 結局ジョアンナがうちまで撮りに来ることになったのだけれど、また頭痛がして日にちを伸ばしてくれとあり、最後に”Sweetie mama!"と添えられていました。忍耐力が必要?いや、そうではない、こういうことに慣れて一つずつ対処していくことがこれからもっと必要となる気がしています。やることをやればいいのです。私の生き方が普通でないから、なんとなく普通でない人たちがやって来るのですが、世界は、世の中はもっと普通でなくなっていて、今までと同じことさえしていけば良い人生が送れるという確証がない、最近スーパーで買い物をしているとあらゆるものが値上がりしているし、トルコでは大地震が起きるし、妙なことばかり続いています。危険な空気を感じながら、気を付けて、前に進んで行きます。

 

久留米絣

 このところ予約が増えてきて、土曜日はスイスの女の子とオーストラリアから来たハーフの女性で、会うや否やふたりで留めなく喋り始め、最近こういうケースが増えてきたのを感じています。スイスのイリスは地味好みで、華やかな色に興味を持たず棚の奥にあった変わった模様の小紋をえらび、帯も白がいいようなので私の秘蔵の金糸で菊が縫い取られている白地の名古屋帯を締めました。髪の毛もずいぶん悩みながら結い上げたのですが、オーストラリアのクリスティーヌが簡単にアップにして七五三用の髪飾りを付けたのを見て、真似して同じようにするのが可笑しくて、それから見ているとショールも毛皮から地味なマフラーにしたり、女心はやはり張り合ってしまうのでしょう。スイスのドクターのお嬢さんのイリスは箱入り娘なのかしら、とにかく見るもの聞く物みんな珍しくて、柴又に行ってもあらゆるものに感動していましたが、だんだん写真スポットに近づくと、互いに写真を撮り始め、いつ果てるともなくシャッター音が続きます。刻々とポーズを変え、表情を変えるイリスはモデルのようで、それが全部綺麗で私もたくさん撮り、専属カメラマンと化したクリスティーヌと延々と撮影し続けました。途中でイケメンのロン毛をたらした恰幅のいいイタリアの男性が二人、前身頃にインパクトのある模様の素敵な着物を着ているのに出会い、私は頼んで一緒に写真を撮らせてもらいました。こんな着物を着せるお店があるんだと傍にいた日本語のうまい外国の方に聞くと、根津のお店で借りたとのこと、娘に見せたい図柄でした。

 お土産を買うのに手間取り、五時近くに家に帰り、急いでティーセレモニーをしましたが、グルテンフリーでお菓子が食べられないクリスティーヌは前の電器屋のおじちゃんの差し入れの焼き芋で抹茶をいただき、二人とも上手に点ててくれましたが、スイスで日本の茶道の先生が入れたお茶を飲んだことがあるというイリスには、柄杓から茶碗にお湯を注いだ時の音とか、抹茶を茶杓で茶碗に入れ、湯を注いだ時にふっと香る抹茶の香りとかいろいろ話し、感受性豊かに反応するのは外国人ならではと思うのです。

 帰りのおみやげタイムではイリスは羽織を選び、日本人のお母さんが福岡出身だというのでクリスティーヌには熟考の末、とても変わった柄の久留米絣の単衣を持って行ってもらいました。これは三回私は着たことがあるのですがなかなか難しい柄で、それこそお寺で会ったイタリア人の男性が着こなすかもしれない、クリスティーヌの旦那様はイギリスとイタリアのハーフと言っていたから、この日本の伝統の久留米絣をワールドワイドに広めてくれる可能性があるのです。

 知性と情熱を兼ね備えたイギリス人の着物愛好家のシーラさんが考える、着物の世界は計り知れないものがあって、私たち日本人がこうしなければならないと縛られているものは、高々何十年前の規範に過ぎない、何よりも自由で、何よりも生き生きしていて、何よりも着物を愛し、文化や自然や人間一人一人を大事に愛しているか、その根本を私は時々忘れてしまいます。たくさんの外国人にこれまでうちにある、沢山の着物を着せてきたことの意味は、彼らの心に、感性に何を残せたかということでした。シーラさんが前にやった仕事で、細雪の時代背景や有馬の地域性、自然を考えながら“こいさん”役の現代の可愛い女の子にふさわしい着物を選び、スタイリングしていったことが、着物の世界をいかに広げていくかという命題の解答になっていることに気が付いたのですが、イリスが選んだ小紋も、自分をスタイリングしてできたものなのです。

 クリスティーヌのお母さんが久留米絣を見て驚き、とても喜んでいたと後で送られて来たレビューに書いてあって、おかあさんの旦那さんは外国人で異なった価値観を持つ同志だったでしょうが、その娘のクリスティーヌのアイデンティもむずかしいものなのかもしれないけれど、その多様性を認め時間をかけて理解して独自の文化に取り入れていくことが、日本の文化を発展させる根幹になるのかもしれない、ジェンダー的な固定観念に右往左往する現代人だけれど、洗練された男性性、女性性はエネルギーとなり時代を動かす鍵となる。そして私が今強く実感することは、純粋な日本精神の中に新時代を開くポテンシャルがたくさん宿っている、あらゆる偏見や差別意識は外側から刷り込まれたもので、日本の土地に刻まれている愛の智慧や寛容な精神を呼び覚ますことが大事なのでしょう。帝釈様のお寺の仏教彫刻は、お経の言葉の説明だとずっと思っていてそれに囚われがちでしたが、本当はそうではなくて、彫刻した職人さんたちの生活や生き方が反映されたもので、私たちは今を生きる何かのヒントや支えやきっかけとしてそれを見て行けばいいのでしょう。

 優れた日本の文化である着物を着て、仏教彫刻を見たり、抹茶を点てるゲスト達の喜びにあふれた姿は、ひたすら純粋です。それが全てだとおもっています。

 

 

シンドラーのリスト

 アメリカのコロラドで行われたフィギュアスケートの大会は、高地のため酸素が薄く、選手たちは疲労度が増して演技が終わると氷の上に倒れ込んでしまって、ずいぶん苦しいんだろうなと同情してしまいます。そんな中で日本の若い選手は良い演技を見せてくれて、特に東北高校の17歳の千葉百音さんの「シンドラーのリスト」は曲を本能的に理解し、自分の表現として現わせる力は天性のものなのでしょうが、小さい時から一生懸命練習し、確かで綺麗な技術を学んできた証が表現力となっていきます。海外の試合に出るようになると時差や高地の酸素不足などいろいろクリアしなければならないことも増えてくるし、ピーキングや精神面の統一など、次から次へと問題も出てくるけれど、結局それらすべての事もみな最終的にはその人の人間性を培うものになるのでしょう。

 シンドラーのリストではドイツの実業家シンドラーが戦争中たくさんのユダヤ人を助けるのですが、コロナ前はイスラエルのゲストが多かったし、コロナ後はアメリカやハワイなどから来るゲストがユダヤの方だったりして、それをある時ヨーロッパのゲストに言ったら顔をしかめられて、民族問題は難しいと痛感しています。シンドラーのリストの音楽は素晴らしくて、ロシアを始めいろんな国のスケーターが滑っているけれど、この17歳で東北に育った女の子が作り出す表現風景というものは映画で描かれた悲惨さや悲しみでもなく民族の複雑さでもなく、それは柴又のお寺にある仏教彫刻を十年間真摯に彫り上げた彫刻師が表しているもののようで、その中に8歳の女の子が悟りを開いたという彫刻があり、それを見た二十歳のスイスの医学生の女の子がじっと見ながら感動していたのだけれど、年に関係なく、いる場所や背景に関係なく、真摯に努力を重ねている彼女が醸し出す何かは人の心を導く物になるのかもしれません。

 演技を終えると素顔に戻って人形を可愛がったり良い点数だとガッツポーズをする姿は年相応の可愛い女の子の百音さんが作りだすシンドラーのリストの世界は、ロシアの女の子のように映画の中のユダヤ人の女の子に扮してその悲しみと嘆きを演じたのでもなく、自分の表現として切々と醸し出すのでもなく、日々の生活や学びや感情を積み重ねてできたもので、何が正しいかいつも考え、正しい指導者の下、正しい努力をしないでいると恐ろしいことになるということをいつも考えなければいけないのでした。 

 新聞に中村吉右衛門さんの評伝の書評が載っていて、「表現技術というものは最終的には本人の生き様であり、人間性が出るのだから、歌舞伎にきちんと向き合いなさい」と弟子に言っていたとあって、千葉さんもスケートというものにきちんと向き合って今まで過ごしてきたという証が身体に染みついているのだろうなと思います。今まできちんと生きてきたかどうかが問われるのは恐ろしいことだと思うけれど、それを修正し発展させる場があるかどうか、年を重ねても努力し続けられるかが大事だと感じることが多くなりました。

 コロナ禍の中ではただじっとしていなければならなかったけれど、やっと訪日外国人も増えてきて柴又の山本亭で働いているスペイン語の堪能なみさこさんは、「綺麗なスペイン人が着物を着て来てたわよ」「ここで行われるイベントの紹介をしたの」と嬉しそうに話していて、教養と能力と努力が変わらず彼女を輝かせているなと感じています。

 私たちは間違った方向に行ってはいけない、踏みとどまらなければならない、それは日々の生活も一緒です。気持ちを落ち着かせ、前を向いてなすべきことをしていく。欲を出してはいけない、人を殺めてはいけない、私たちに寄せられたご縁を大事にして、出来る限りのことをして、自分を磨いていかなければならない。私たちは何を持って戦えばいいのか。日々の生活の丁寧な積み重ね、すべての物に対する愛情の積み重ね、思い通りにいかない事や失敗、屈辱にも、正々堂々立ち向かうことが大事なのです。

 今朝5時にテレビを付けたら、クラシック倶楽部という音楽番組でフランスのカントロフという若いピアニストがシューマンのソナタを弾いていて、何気なく聞いていたのにあっという間に彼の世界に引き込まれ、この力は何なのかと考える暇もありませんでした。いろいろな演奏者を聞いているけれど、その作品をどう表現するのか、どう演じるのか、どう解釈するのかに関心を寄せ、その表現や解釈をピアニストを通して聴き手が共感し、その共感の大きさが広ければ広いほど記憶に残るインパクトのある演奏になります。そこには「ピアニスト」がまず存在しているのだけれど、カントロフの場合はどこか新しい世界でピアノを弾いている感があるのです。シューマンもリストもカントロフが弾くと別の本のタイトルのようになり、彼が立って本棚から本を取り開いて読むように、彼の行動や気持ちがスクリーンのように曲に投影されていきます。リスト《巡礼の年第2年「イタリア」から ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」》 モンポウ《歌と踊り op.47-6》など聞いたことのない曲なのに、カントロフの唖然とするほど鮮やかなピアニズムによって、彼が弾く楽曲の世界ー音楽そのものに没入させられ、まるで「永遠」の世界に連なったり、シューマンのソナタでは彼の不安定さによりこれからいったいどこへ進むだろうかという疑問が湧きあがりどことなく落ちつかず、完全にハッピーではなくて彼のパニックに陥りそうな感情が強く現れている、人間が永遠に彷徨うような不安や怖さを感じるのです。人類の後には何があるのだろうか、音楽の向こうに何が待ち受けているのか。プログラムを決める時には本能的な部分に頼っているというけれど、ヴァイオリニストの彼の父も直感を大事にし、いつも感情を前面に押し出す演奏をして、彼のエネルギーそのものが音楽になっている印象があります。ピアノの演奏では到達できないような更なる何かを創作しているとしたら、これはもう天性の才能なのでしょう。

 周りにちやほやされて、練習を突き詰めてやらなくてもスカウトされてしまったイケメンの背の高いロシアのバレエ学校の生徒の男の子が、卒業する時先生に言われた言葉が「君をちやほやする人間たちは、君をいつか滅ぼすんだよ」というのでしたが、高地で酸素が薄くても普段通り素晴らしい演技ができた女の子たちはひたすら努力してきたことを証明しているのだとしたら、大いなる自然というのはいつも私たちを見守っているのかもしれません。素晴らしい芸術は人々の心に寄り添い、慰め、そして救いになる。そのために励んでいる若い魂たちの成長を見続けて行きます。

Cinderella

 アルバニアからのゲストの後に予約してきたのはニューヨーカー三人、全くキャラクターが違いそうでまたまた頭の整理がつかず、183㎝のボーイフレンドと弟君に何を着せようかと悩みながら、きっとイケてる男の子たちだろうからデニムにハットでブーツ履いてもらおう、女の子もレース付けたりできるかなとボディでイメトレしていて、ふと目をあげると玄関に背の高い目の細いアジア系の男性がこちらを見ているのに気がつきました。えー、チャイニーズアメリカンだったんだ、ロングヘアのおねえちゃんと、トム・クルーズの目を大きくしたようなアメリカ人のボーイフレンドと挨拶しながら、意表を突かれて混乱しているところへ早々と夫も現れ、男子二人の着付けを始めました。

 私は初めに目があった弟君がとても落ち着いていて老成して見えるので、お兄ちゃんと勘違いし、夫も彼に一番大きい着物を着せ、トム・クルーズ似のアンドリュー君にはデニム着物を羽織ってもらったら悲しそうな眼をして却下され、どうも伝統的な着物が良いようです。あとの大きめの着物は薄手で寒そうで、義父の着物も持ってきたけれどやはり小さく、それでは袴を付ければ何とかなると頑張って着せました。シャツが出ていても今はカッコいいけれど、なぜかそれは嫌な様で袖もまくりズボンもたくし上げ、清々しい姿なんだけれど袴も短くて、どうしようと思いながら、本人はそう思っていないし今日は水曜日で参道も人通りが少ないだろうから大丈夫?と見切り発車で出かけることにしました。

 お姉ちゃんはドクターで、一緒に暮らしているアンドリューの職業ははっきりせず、でも内気で静かで黙っているので色々話しかけると、アニメが好きで日本語も少し読めるというので棚にあった「鬼滅の刃」のコミック本を渡すと一生懸命読んでいて、時々夫にひらがなの読み方を聞きながら、内容はわかっているのでずっと読んでいます。こうなるとだんだん打ち解けてきて、ずっと前に来たピアニストのゲストと一緒で日本文学が好きといい、大江健三郎、三島由紀夫、川端康成が好みで、村上春樹は「海辺のカフカは読んだけどあんまり…」と話が弾んできたのですが、なぜか中国の姉弟は全く口を出さないでいます。

 可愛い写真を撮るのが趣味の弟君には仏教彫刻もお寺も山本亭もピンと来なくて、雨も降ってきたし酒好きだという彼らのためにつまみにイナゴと小女子を買って早めに帰り、お燗を付けて待っていた夫と乾杯したら、姉弟は顔が赤くなってほろ酔い加減ですが、アンドリューは強くて何でもこいのようです。正式のお茶会では食事をしながらお酒も頂き、その後に抹茶を点てるので、これが正解だと説明しながらティーセレモニーをして、小さいお団子も食べ、アンドリューとお姉さんがお茶を点てて終了、二人とも上手でした。21歳の若い弟君にはちょっと退屈な体験だったかなと思いながら、節分の時豆をいれるのに出した木のマスをプレゼントし、残った佃煮も包んであげましたが、面白かったのが着物を脱いだアンドリューが突然無口になり、来た時と同じように寡黙でおとなしい男の子に戻ってしまったことです。シンデレラではないけれど、12時になり魔法が解けてしまうと、全てがもとの姿に戻ってしまうのかしら、歌はフランク・シナトラ、好きな画家はモネという超クラシックな彼はボスのチャイニーズアメリカンのドクターと一緒に暮らし、静かに時を過ごしているようで、でも鬼滅の刃や川端康成が好きだということは、心の底に深い透明な何かが沈んでいるのかもしれません。

 最近の男女事情というのは複雑で変わっているとつくづく思うけれど、国によって民族によって見える風景がずいぶん違うし、だからなぜ一緒にいるかという理由も様々でしょう。アンドリューは一人でも私の体験に来るタイプかもしれないし、ずっと前来たピアニストの男の子が私はそれぞれのゲストの中の何かを見つめるためにこの仕事をしているとレビューに書いてきて、互いに見据えるものは同じなのだなと思います。あまりはじけない時はどこかで巻き返そうと私は頑張りますが、彼が黙っている時でも何かを見ようとしているのであればそれは私も同じだし、要するに私はいつもゲストと真剣勝負をしているのです。それが続いて息苦しくなった時は、夫が軽い話題で和ませてくれ、そして最近は熱燗を飲むようになって、それからのティーセレモニーの流れはとてもスムーズで、伝統の世界というものの有難さをつくづく感じています。

 12時になって魔法が解ける前に慌てて帰ろうとしてシンデレラはガラスの靴を落としていきますが、私のうちにはゲストが落としていったものがたくさんあります。コロナ後日本に旅行に来て、観光するところはたくさんあるのに、半日つぶして東京のはずれのこの街に来るんだからすごいもんだなあと夫は言うのですが、着物を着る体験はほかでもたくさんあるし、京都や大阪や浅草で着物を着たと写メを見せてくれるゲストもいます。時々ここは村か?と聞かれるこの街へきて、静かなお寺を案内して、いろんな話をする、相手の事を知ろうと色々努力しながら過ごしていると、ゲストは何よりも愛おしい存在になるし、いろんな問題を抱えているのかもしれないけれど、それは私も同じだよということを一番伝えたいのかもしれません。

 「彼女はLGBTにとてもフレンドリーだ」というレビューをもらった時、かなりびっくりしましたが、確かに私はそういうことも言っているし、仏教彫刻の前では宗教も民族も出自についてもいろいろ話合うことを何百回もしているけれど、沢山のゲストと話すたびに私の感情は複雑になっていきます。狭い日本の国で十年余り仏教彫刻をコツコツ彫り続けてきた彫刻師の努力と熱情は、宗教が違えども何かを考えさせてくれる、インド人のククー君に埃だらけで汚いとか中国の模倣だとか散々けなされた時はへこんだけれど、でもやはりこの彫刻たちはこの街に住む人々の誇りであり、一番これを見ている私が一番ゲストに見せたいものなのです。

 アンドリュー君は何を思ったかわからない、でも着物を着て袴を履いて柴又を歩いて居た彼は、シンデレラのように違う世界にいて性格も感情の吐露も違うものになっていたのでしょう。お酒が強い彼は着物を着たまま盃を重ね、袴を付けてそのまま静かに抹茶を点て、全ての体験を終えて着物を脱いだ時、元の自分に戻ってしまった彼ですが、それでも何かを落としていった気がします。みんなで撮った写真の中で、ただ穏やかに笑っているアンドリューにあげた鬼滅の刃の本の題名は「己を鼓舞せよ」でした。

 ここで止まっていてはいけないんだよ、アンドリュー君。

アルバニア

 節分後の日曜日、スイスから女の子が一人来ました。久しぶりに私も着物を着ようと思って、掃除をしてから午前中着物を二回着て見ましたが、おなかのお肉の付き具合にぞっとし、さらしを巻いて締めたり色々試み、半襟にはこの前百均で買ったレースを付け、帯には可愛い花のチュールを飾り、手首にはウェディングドレスのフリルをほどいたのを巻いて、マスクをしてグレーのベレー帽をかぶって見ました。着物は若い時に買ったつる草模様のグレイのちりめんですが、地味だと思っていたけれどとても素敵な品質の良いもので、鏡を見るとなかなかイケています。体の衰えを隠すには、見る人の視線を違うところへ持って行くことは必要だと納得したものの、この格好ではゲストと真剣勝負することはできないから諦めて脱いで、いつもの恰好でタクシーで来るという彼女を待っていると15分早く玄関に現れた私と同じ位のサイズのアルタはにこやかに挨拶した後、いたるところの写メを撮り始めました。

 仕事で短期間来日していて、二日後には帰るという忙しさですが、大きな地図を広げてスイスの何処に住んでいるのか聞くと、アルタはアルバニア生まれで今は家族でスイスにいるとのこと、私が東欧の事をよくわからないと見て、細かく位置関係を教えてくれたのを聞いていると、そばの国がコソボ、セルビア、ボスニアヘルツェゴビナ、ギリシャ、マケドニア、モンテネグロ、そして海を隔ててイタリアがあって、紛争があったところが多く、新聞で悲惨な状況が報じられていたことを思い出し、そして今もこれからもこのようなことばかり続いていること、この綺麗で可愛い女性もその中にいるのだとわかりました。

 宗教はないけどスピリチュアルなものをより感じるという彼女は、明るいブルーの訪問着を選び、ハイネックの黒のヒートテックを着ているので襟にはさっき私が使ったレースを使ったり、裄が短くて黒いインナーが袖から見えるのでそこにも長いレースを巻いたり、少しずつアレンジを加え、彼女は長い髪はダウンにおろして髪飾りを付けたので、衿も詰めて着せて見ましたが、どちらにしろ綺麗で可愛いので女優さんみたいです。アルバニアの女性は綺麗で、人懐っこくて、宗教にもあまりとらわれないとあったけれど、その通りのアルタは柴又のお寺に行っても着物を着ている女性を見ると「可愛い!」とすぐ近寄って行って一緒に写真を撮ったり、遅い七五三をしている家族のところへ行って子供と手をつないで撮るなど、今までのゲストとはかなり違った感覚でした。カメラマン付きの中国の女の子は浅草で着物をレンタルして、日本人のカップルは家にあった古い大島をしっとりと着こなしていたり、ずいぶん最近は着物事情も変わってきた気がしますが、七五三も決められた時期だけではなく着るのも新鮮で、そういえばうちは家族で来たゲストはどんな時期でも七五三の着物を着せています。

 アルタがとても綺麗で目立つので、フランスから来て写真をたくさん撮っていた女の子に申し込まれてしばらくモデルをしたり、私の好きなお寺の片隅にある二体の仏像の前で写真をたくさん撮ったりした後、帰り道家族のためにお箸をたくさん買い、お菓子などはあまり興味を示さずにいて、アルコールも飲まずタバコも吸わず小食で健康的な彼女はお茶のティーバックは買っていました。綺麗な海が売り物だというアルバニアは産業が無くて働くところもないからスイスに移住したと言っていましたが、何か不思議な感覚で体験を終えました。

 前に買った「世界の民族超入門」という本の東欧の項目を読んでみると、民族とは言語、文化、宗教を等しくする人としているけれど、その定義は難しいとあり、民族紛争は世界中で起こっているけれど、争いの火種はときに領土であり、経済的な問題であり、差別や格差であり、そして宗教問題で、これらすべてを内包しているのが旧ユーゴスラビアで起きた紛争なのだとありました。ギリシャと同じくバルカン半島に位置するユーゴスラビア王国ができたのは20世紀初めで「ユーゴスラビア(南スラブ)」と名付けたのは、オーストリア‐ハンガリー帝国から脱し、南スラブ人の国を作ろうという意思の表れであり「ユーゴスラビア王国」に改称する前は「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」でした。長年オスマン帝国やハプスブルク家の支配に苦しんできた南スラブの人々にとって独立は悲願だったのですが、同じスラブ民族であっても中心がセルビア人というのは、クロアチア人にとっては面白くなくて、第二次世界大戦中にクロアチアが独立したのはその為だけれど、戦争後旧ソ連の支配を避けてスラブ人の国としてやって行くためには、力を合わせなければなりません。アメリカの援助のもと、独自の共産主義国家として歩み出したユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、セルビア、クロアチア、スロベニアだけでなく、ボスニアヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロという共和国の連合体となりました。「6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」という複雑さ、さらにセルビアの中にはヴォイヴォディナとコソボ自治州があり、始まりからすでに「問題が起こらない方が不思議」という国だったのかもしれません。ギリシャ、ブルガリア、そしてユーゴスラビアのあるバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる紛争の多い場所で、オスマン帝国とハプスブルク家の支配によって民族や宗教の構成が複雑化したためで、それは現代においても変わりません。

 ユーゴスラビアの中の同じスラブ人でも、クロアチア、スロベニアはカトリックで、文化的・宗教的に西ヨーロッパに近い。セルビアは正教会で、「ザ・スラブ」といったところで、セルビア語とクロアチア語は日本の方言よりも近いくらいであるにもかかわらず、宗教が違うために文字が異なります。こうした事情で1990年代に入るとクロアチア、続いてスロベニアが独立を望み、ユーゴスラビア紛争が始まります。多数派であるセルビアとの対立構造でしたが、あくまで社会主義国家ユーゴスラビアの独自路線を目指すセルビアと、EU加盟を願うクロアチアの対立、クロアチアを支援するドイツの存在がその背後にありました。

 続いてボスニアヘルツェゴビナが独立を求めます。彼らも同じセルビア語、クロアチア語を話しますが、かつてオスマン帝国の支配を受けた際に改宗したイスラム教徒で、従ってクロアチア人でもセルビア人でもない別の民族と認識されています。宗教が民族を形成した一つの典型例ですが、これが悲劇を生み、イスラム教徒であってもキリスト教徒であっても、「ユーゴスラビア人」としてごく普通に生活していたのに、ある日突然宗教が違うだけで、隣人や友人と民族的な敵対関係になり、奪い合い、殺し合う事になる。紛争が泥沼化するなか、セルビア内コソボ自治州に住むアルバニア人が独立を求めて蜂起しました。バルカン半島の紛争は、ヨーロッパ・カトリック(クロアチア人)VSスラブ・正教会(セルビア人)VS中東・イスラム教(ボスニアヘルツェゴビナ、アルバニア)の三つ巴でもあり、世界の紛争の縮図にも思えます。国連、EU、NATOも介入した末、2006年にモンテネグロが独立したことでユーゴスラビアは完全に解体されました。

 オスマン帝国はイスラム教への改宗を強要しなかったため、ヨーロッパ在住者でムスリムとなった人は、ボスニアヘルツェゴビナとアルバニア以外にはあまりいません。それだけに、この二つの国はヨーロッパの異分子として扱われることになります。イスラム教というオスマン帝国の残した大きな影響が「多様性」というプラスに働かず、「民族・宗教紛争」というマイナスにつながり、残虐な殺戮もあったユーゴスラビア紛争は生々しい負の遺産なのです。サラエボで働いていた日本人が現地スタッフを雇用していた時、皆同じような言葉を話すし仲良くやっているけれど、絶対に民族や宗教は聞けないと言いましたが、ヨーロッパの火薬庫はまだ残っていると言います。

 スイスからゲストが来るとわかった時、私はスイスは日本人にとって夢の国であり、素晴らしい自然に満ち溢れ平和で穏やかで羨ましいと思っていたのだけれど、話し始めてすぐそれは違う世界だと感じ、アルタの説明を聞きながらこの混乱した世界はどこから始まっていたのだろうと悩み出しました。今までのゲストとは全く違います。コロナ前にスイスから来た若い医学生の女の子は、仏教彫刻の中にある8歳の女の子でさえ悟りを開けるとあるのに興味を惹かれていたこと、モンゴルの女の子と結婚してやって来た真面目なスイスの男の子の事、世界中色々な所で暮らしている中国人、みんな明るく屈託なく日本を楽しんでいた気がします。でもコロナ後来る子たちは、もはや観光という言葉では語れない何かを見ようとしている、そして私もギブアンドテイクで物凄い大きな世界の感覚を彼らから与えられ、驚き混乱しながらデジタル社会の恩恵を活用して、あらゆることが調べられる状況に居るのです。半世紀前に午後の日差しを浴びながら居眠りしている頭に、高校の世界史の先生の声がエンドレスに聞こえている、それが今よみがえるのです。「オスマン帝国は…」「ハプスブルク家の支配に…」かすかに聞こえるあの声が、今私がしている仕事の大きな指針となり、支えになっている気がします。

 お寺の龍の彫刻や神社の鳥居の前の狛犬(獅子のような見た目をしているが空想上の霊獣)は魔除けや邪気払いをするために設置されていて、私はそこで阿吽の説明をし、宇宙のはじまりと終わりを意味する狛犬の存在は、エンドレスにつながるサークルのようだと締めくくります。手塚治虫のブッダというマンガにも影響されましたが、自分が生涯かけて追及し知り得たことが悟りとなり、それが仏教なのだとしたら、各々の人間が生涯かけて知ろうと思ったことすべてが悟りの本質であり、あなたも私もブッダになるのだと説明した初期の頃の気持ちが今はあまりないのです。

 もう宗教などどうでもいい、自分の気持ちに一番近いものは何か、古今東西の歴史や地理や科学は、コロナ禍で動けなくなった時でも学ぶことができたのです。Z世代の若者の活躍は、もう自分だけの欲とか争いがわが身を滅ぼす元であるとわかって、いかにより優れたものを作り出すか考え続け、そしてそれが皆の救いや支えになることだけを願って精進する、こんなに楽しいことがあろうかという目を見ていると、ただただ嬉しくなります。

 今日は三人のニューヨーカーが来ます。

怪獣の花歌

 去年のNHK紅白をじっくり見ていて、今まで知らなかった歌手の名前をたくさん覚えたのですが、最近よく頭に浮かぶのが金髪ちりちりヘアのちょっとふっくらしたVaundyさんです。作詞・作曲・編曲のみならず、クリエーターと共同してアートワーク制作、映像プロデュースも手掛け、現役で美術系大学に通いながら活動しています。ロック、ヒップホップ、R&B、シンセ・ポップなどが混合したジャンルレスな楽曲が特徴で、音楽制作について「現代のオリジナルは散らばったピースを面白くはめること」といい、日本独自の音楽ジャンルであるアニメソングが好きで、自分の初めてのシングルはトレンドを研究して需要を意識した曲作りをおこなったそうです。大学でデザインを学んでいる経験が音楽活動にも影響を与えており、アートワークやMVなど、音楽もデザイン的であることを意識していて、CDから配信、YouTubeへと、音楽の聴き方、付き合い方が変わり、ミュージシャンを取り巻く環境もずいぶん変わりました。Vaundy さんは楽曲から映像制作まで一人で行い、自分を作り上げ、音楽だけではなくてマルチアーティストとして生きて行きたいから、さまざまな角度から見て欲しいそうです。過去も現実も未来も、全ての自分を悲しませないように、後悔させないように生きて行くそれが彼にとっては「歌」であって、

 

   落ちていく過去は鮮明で 見せたい未来は繊細で すぎていく日々には鈍感な君へ 眠らない夜に手を伸ばして 

   眠れない夜に手を伸ばして 眠らない夜をまた伸ばして 眠くないまだね そんな日々でいたいのにな 懲りずに

   眠れない夜に手を伸ばして 眠らない夜をまた伸ばして 眠くないまだね そんな夜に歌う 怪獣の歌

 という「怪獣の花歌」を歌うのです。 

 

 昔はカセットテープに自分の歌を吹き込んでレコード会社に送ったり、演歌だと流しで飲み屋で歌ったり、昭和の古い時代に育った私は連想するのだけれど、Z世代の若者たちは根本的に違うし、決して恵まれた時代に育っていない彼らは、自分の力で自分の感性で勝負していて、これまで社会を牛耳ってきた年配者は、知らない事にはついていけず、輪をかけてコロナ禍で閉じこもってすっかり体力も落ち、認知症になるケースも多いとか。義父母が元気だったころ、よく私たちは「何で私たちのいうことが聞けないのか」と叱責されたのだけれど、どうしても決まっているレールに乗っかることができず悩み続けていたけれど、それから20年たってやっとその訳がわかってきました。

 

 二月に入って最初のゲストはフランスから二人、アメリカから一人で、フランス人は地味好みだし27歳だけれど振袖は着ないだろうといろいろ迷っていたら、まず初めに静かに現れたのは日本語を独学でマスターしている小柄な女の子で、流暢に話すし東京だけ三回来たことがあり、両親はモロッコ人、フェイスブックで知り合った2歳年下の旦那様はフランスに残し、一人で旅行しています。黒づくめの可愛い恰好の彼女はやはり黒の変わった着物を選び、寒いからヒートテックの黒の上下を着て黒のファーを巻いてとにかくあったかくしました。二番手は黒髪でくっきりした眉毛の中肉中背の女の子で、来るや否やフランス人の彼女とマシンガントークが始まり、私はみんな髪の毛が長いなと思いながらさりげなくヘアメイクは自分でやってねと念を押して、私の菊の模様の紺の着物に金の竹が描かれた青い帯を選んだアメリカに住む彼女に「結婚してる?」と聞くと、イタリア人の背の高い旦那さんの写真を見せてくれて、両親はメキシコ人で、Web関係の仕事をしているそうです。落ち着いていて秘めた情熱があって、やっぱり寒いからジーパンをはいたままであったかく着せて、首にはシルバーフォックスの毛皮を巻きました。

 駅名を間違えてちょっと遅くなって最後に現れた大柄なフランスの女の子は、謝りながらすぐみんなと打解け、日本語の堪能なフランスの女の子とフランス語で話しまくり、気がついて英語に直したり、忙しく混乱した言語世界となりました。彼女はボーイフレンドはいるけど結婚していないので、赤の振袖を着て、髪の毛もそれぞれ結い合い、刀を振り回したり陽気で素っ頓狂な女の子でした。日本人の友達と二日前に柴又に来た子がいるので、お勧めでお寺の中には入らず近くの山本亭へ行き、三人は写真を互いに取りまくり、私はいつ終わるか知れない写真撮影の時間を計りながらティータイムを入れ、アニメや音楽や彼氏の話などをしたのだけれど、結婚していない振袖の女の子は気難しい彼氏の事を語り始め、三人のガールズトークは延々と続くのを聞きながら、コロナ前はたいていカップルや夫婦で来ていたのに、今は結婚していても別々の国を旅していたりしているのです。

  夫からティーセレモニーの支度してあるから早く戻って来いと催促の電話があり、ほっておくと一晩中でも語り合いそうな彼女たちを急き立てて帰ろうとしても、お寺の門前でまた写真を撮りまくり、私たちの帰りを待ってお店を閉めないでいてくれた団子屋さんでお土産を買いながら、放牧している羊たちを家に戻す牧童の心境で、ひたすら家路を急ぎました。すぐティーセレモニーをしてお団子を食べ、抹茶を飲んでから、時間もないけれど頑張って一人ずつ点ててもらったら、みんな初めてなのにうまくて、特にメキシコの女の子は所作が綺麗で圧倒され、リトアニアの背の高いジュリアンのお点前に匹敵する勘の良さでした。南米系はお茶を点てることを楽しむ傾向があると前から思っていましたが、終わってプレゼントに黒やオレンジの道行コートをあげて、激しくハグをしてくれて体験は終了、帰って行く三人は何と肩を組み合いながら帰って行ったとチェーンをかけていた夫が言って、「ほんとにノリが良い子たちだった、面白かった」と珍しく満面の笑みでいるのです。

 

 私の頭の中にはVandhy君の「怪獣の花歌」のメロディーが駆けめぐりました。

「眠れない夜に手を伸ばして 眠らない夜をまた伸ばして 眠くないまだね そんな夜に歌う 怪獣の歌」

 もう違う世界にいるのです。結婚も恋愛も家族も民族も、今までとは違う意味を持つものになっている、自分達の気持ちや心や意志や行動は、切羽詰まった瀬戸際にいることを予期しながら、味方を探し拠り所を求め、そして自分達が何かを発信しなければならないこと、それができる時だということを悟っているのです。

 フランスの女の子たちは翌日フランス語で熱烈なレビューをくれて、必死で翻訳しながらこうやってみんな独学で外国語に接していくんだなと思ったけれど、メキシコの女の子は多分くれない気がします。この前来たメキシコのカメラマンの女性もそうだったけれど、自分の中で何かが確立している南米系は、ホスピタリティよりも何を自分が感じて自分の中に吸収したかを大事にしている、寒い日に振袖を着た三人のブラジルの女の子たちのレビューはそれぞれがかなり個性的なものでした。私が反対の立場だったら何に一番インパクトを受けるだろう。私は自分がかなり特殊な人間だとずっと意識していました。でもコロナ以後一人旅の外国の若者たちと多く接触し、日本の若者たちの音楽やその活動方法が新しくなって即世界につながっていることがわかった時、みんなあるものを探し求めている、何のために、自分を滅ぼさないために。私たちは生き続けたい、感動を味わいたい、全てに意味があることを知りたい。多分うちの着物たちはそれ等を考える手助けになるのでしょう。

 三年前に来たメキシコの女の子が青い着物を着て綺麗で、アマチュアのカメラマンに写真を撮ってもらったりしていたのだけれど、帰り際ハグしながら「あなたを連れて帰りたい」とささやかれて、その時はどうその言葉を解釈していいのかわからなかったのです。でも、今はわかるような気がする。新しい自分の感情を増やせる。この着物を着た時の自分はこれから自分を助けてくれる。

 村上春樹が長編小説を書き上げ、四月に6年ぶりに発売されるそうです。嬉しい、また彼の感情世界に浸れる、彼はいつも私の味方なのだ、そう思って待ち焦がれている人たちが世界中にたくさん、たくさんいます。たった一人の人間の頭の中のことが世界を動かしている。彼はもしかして、怪獣村上春樹だったりして。

 

   

節分

 今帝釈様に行くと、境内に豆まき用の舞台を作っていて、四年前にエアビーの仕事を始めた時は、お寺の近くの山本亭に行く道の途中の電柱に、豆まきの様子が描かれた立体的な紙芝居のようなものがあって、一生懸命それについて説明したり、ちょうど豆まきをしているところで豆を拾ったりしたものですが、コロナ禍の中ではずっと中止で、本当に久しぶりに豆まきを見ることができます。

 節分とは季節の分かれ目という意味であり、この日で冬は終わるというのですが、季節の変わり目は邪気が入りやすいし、まだ寒くて体調を崩しやすいことから、豆をまいて鬼を追い払い福を招き入れるのです。2月6日は娘の誕生日で、今年のこの日は獅子座の満月、世界の常識がひっくり返っていくこの時期、これまでの価値観からいかに自由でいられるかが大事で、過去を脱ぎ捨てて未来へ舵を切っていかないと限界なのだそうです。常識にとらわれない型破りな感性を持つ個人というものの存在が時代を動かすキーパーソンになる、自分自身のコンプレックスに思える部分の闇に光をあてることで創造的なエネルギーが溢れ出す、型破りな感性が育つとオリジナルな価値を表現できるようになり、その独創性は時代を動かすエンジンになるというのは、最近の若者を見ていて思うことです。

 成人式の着付け仕事が終わりちょっと疲れの見えてきた娘と話していて、着物の道で成長してきているけれど本当にやりたいことはもっとあることを周りはよくわかっている、でも今与えられている試練も必要なことであり、逆に言えば普通の事しかしてこなかった人たちは、大きく離されていってしまうのが見えてきているという彼女は、いろいろ努力をして、もまれて失敗して落ち込んできたネガティブな体験や過去の中にこそ「強み」があり、経験しないことは強みにならないというのは私も感じています。「自分が話す」を卒業し、相手に届ける声を作る。場つくりをする。そういうことが出来てきている娘を見ていて、良くここまで成長してきたものだと思います。同じ土俵だったら私はもう完全に娘に追いつけないけれど、外国人着付けというエアビーの仕事は行事の時期が終わってもコンスタントに続く強みがあるのです。

 柴又の参道にはたくさんのダルマが並んでいますが、もともとはインドの生まれで、中国に渡り禅宗を伝え広めた達磨大師は9年間もの間、壁に向かって坐禅を行い、手足が腐ってしまったという伝説をもち、やがてその達磨大師の教えは日本にも伝わり武士を中心に全国に広まり、これをきっかけに、鎌倉時代に手足のない形のダルマの置物が作られるようになったのです。達磨大師の教えとは「二入四行論」と言い、自分の行いの責任をしっかりと取り、忍耐強くいるように。自分ができることから取り組み、毎日の中で誠心誠意を尽くすようにということです。自分の精神を磨き、人格を高めるために唱えられた「二入四行論」の教えに従えば、達成できないことなんてなくて「だるま」はこのような教えを思い出させてくれ、あなたの願い事や目標に近づく助けをしてくれるというものなのです。願い事や目標とはなんでしょう。最近ゲストに境内につるされている絵馬を見せて、あなたの願いとは何かと聞くと「健康で幸せに平和に暮らせるように」というような内容の事をいいます。「良縁に恵まれますように」「受験に成功するように」などという日本語の絵馬も多いのですが、コロナ前に香港から来たゲストが絵馬を読んでいた時急に顔を曇らせて「中国語で”香港人、死ね”」と書いてあるものがあると教えてくれました。それから彼は自分でも絵馬を買って「香港頑張れ!」と書いて彼女と一緒につるしたのですが、異国の仏教の寺の神聖なエリアに恐ろしい呪いの言葉を書く人間が来ていた、私たちはそれが読めないからわからなかったけれど、やって来たゲストに教えてもらって初めて知りました。

 ほんの小さい事からも事態は悪化していることがわかって、そしてそれからコロナウィルスが静かに広がり始め、2年間すべてはストップしました。誰も来ない境内には絵馬を書く人もいない、お寺で働く方が、誰も来ないお寺のお正月の怖ろしい風景を一生忘れないと言っていたけれど、これが私たちに与えられた罰であり、試練だったのです。

 村上春樹が自分のラジオ番組で「どんなことをしているとき、いちばん自分が楽しいか、自分がいちばん生き生きしているか、それをしっかり見定めるのが、人生において大事なことになります。」と言っていて、自分の意志で新しい道を切り開き、次の物語を進むことが大事で、 誰かの意思ではなく、自らの意思で選んだ結果がこうなったという、自分の選択した人生の物語を紡ぎ続けて行かなければならないなら、このコロナによる空白の後に作り出すものは、より新しいものでなければならない。色々な経験をし、色々な感情を積み上げてきた人間でないと、なかなか胆力を持って対峙できない、自分が自分であることに誇りを持ち、だから全てに愛情が持てるということを自覚して、着物体験を創り出していくことを目指すためには、技術も速度も上げなければならないし、コロナ禍の二年余りの空白はやはりハンディになっています。最前線の現場にいる娘が、着せられたお嬢さんたちが綺麗になれなくて悲しい顔になることだけは避けなくてはならないといっていて、着物という物語は着物と着る人間が輝く時初めて始まるということを、いつも考えなくてはならないのでした。

 節分の行事は寒い日に行われるけれど、これからは少しずつ少しずつあったかくなるのです。

 「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」 芭蕉の弟子の服部嵐雪の句です。寒梅が一輪咲いている。それを見ると、一輪ほどのかすかな暖かさが感じられる。そんな気持ちで二月を過ごしましょう。

 毎日着物を着ている娘は、アレンジしたりロック調の帯や着物を着たりしたとき、声を掛けられ褒められると言います。私にも着物を着たほうがいいよと言ってきて、一人旅のゲストの時はこれから着て見ようと考えながら、着物にレースを付けるのも試してみようかと思ったら、急に心がほっこりしてきました。かすかな暖かさというものは、心の救いになりはげましになります。

 梅一輪の努力をしていきます。

 

I’d Rather Die

 夫は義母の弟妹達のためにいろんなことで尽力していたので最近は皆とすっかり仲良くなり、昨日は越谷に住む弟さんのところへ新築祝いに呼ばれて出かけました。義母の容態も落ち着いていてもうすぐ点滴も外れるそうで、ほっとしながら私は、難関の111㌔と119㌔の姉弟さんにどうやって着物体験をしてもらおうか悩んでいて、着物を着て外に出るのはかなり難しいから、羽織るだけか振袖ドレスみたいに着せて写真を撮って、お寺へはカラフルな羽織だけ付けて行こうかと考えていたら、定刻少し前にコンビニで買ったハンバーガーやパンをかじりながら仲良く現れた二人は、着物を着ることができるという嬉しさに満ち溢れ、スリッパまで持参していました。二人とも一月が誕生日で36歳のお姉ちゃんはシカゴで働き、31歳の弟君はカリフォルニアにいて、二人の趣味は旅行で一週間日本で過ごした後はフィジーへ行くそうですが、いろいろ話しながら弟君に特大の着物を着せたら前が合わず、とりあえず帯も締めて刀を持たせたけれど、前が合わないのを気にしていました。

 繊細で真面目な彼は、神社と寺の違いを聞いたり、私の体験に来るために色々考えてきたのがよくわかり、お姉ちゃんと一緒にクラブへ行って踊ったり旅行に行ったり、本当に仲が良いのです。お姉ちゃんに一番大きい振袖を着せるしかないと決心した私は、とりあえず先にヘアメイクをしてもらっていたら、何と座っていた丸椅子が壊れてしまい、弟君が大笑いしながら倒れている彼女を助けてくれました。赤い長襦袢と黒の大振袖を着せてみると何とか前は合うので、襟もとはレースで隠し、帯を結んで仕上げることができ、これでショールをかけて外へ出られる、ほんとうに奇蹟だなと思ってほっとして外へ出ると、家の前の電器屋のおじちゃんが見送ってくれて、二人とも本当に嬉しそうな顔をしてたとあとで教えてくれました。

 娘の成人式ために患者さんだった和裁師さんが最高級の着物を作ってくれて、布地から染めから一番いいものを使い絵師さんが直前まで百花繚乱の絵を描いてくださったこの着物は、娘から始まり何十人の人達が袖を通し、その度にみんな幸せな気持ちになるし、サイズがかなり大きい女性でも包み込んでくれる不思議なもので、陽の光を浴びると途轍もない輝きを放ち、それを見る人達にも驚きと幸せを与えてくれます。

 弟君は今度はデニムの着物に黒いハットをかぶり、こちらの方が着心地がよさそうで、嬉しそうにお姉ちゃんや自分の写メを撮り、柴又でいつものコースを辿ったのですが、お姉ちゃんは歩くと息が切れるようで早めに帰ってきました。夫がいないからティーセレモニーも一人でやって、何とか全工程を終了、でもとにかく仲の良い姉弟で、電車の中でお姉ちゃんに小さい時から仲が良かったのか聞いたら、お母さんは同じだけれどお父さんは違うそうで、いろいろ複雑な家庭のようです。でも大きくなってお互いの存在が救いになっていて、両方シングルでガールフレンドもいないけれど真面目な弟君が、お姉ちゃんと一緒に色々な文化を楽しむための手助けをしてあげられる立場にいることが、とても幸せだと思えるようです。

 結局日本の文化というものは、精魂込めて作り上げたものを、みんなで共有することだし、見た時の感動や戦慄を味わえるシチュエーションをできる限り提示していく努力をすることが人々の心を救い、無駄な争いや悪の誘いを妨げることになる気がします。なぜ権力者は争いをやめないのか、それは心に染み入る感情を味わう機会がなかったからではないか。うちに来て黒振袖を着てお寺を歩き、絹の肌触りや陽に映える色や柄、全てが一流で職人さんの魂が注ぎ込まれた着物を味わう、時々まわりからかけられる賞賛の言葉、見てくれて喜んでいる人々の顔つきが一生の思い出になるのです。日本文化の誇りはそこにある。

 

 藤井風さんの「死ぬのがいいわ」が大晦日にテレビで放映されたことが波紋を呼んでいるという記事を読み、私は戦慄を感じながら画面に見入ったけれど、普通の歌だと思って聞いているとかなり違和感もあるし、拒絶反応があるのも仕方ないのかもしれません。でもこの曲はSNS上でシェアされるとその耳に残る独特なリズムはあっという間に世界中に広がり、12週連続でYou Tubeのグローバルトップ40位入りを果たし、2022年世界で最も聞かれた日本の歌になったのです。「生きて行く上で大切なことや心構え」が曲作りの根源で、12歳で弾き語りをYouTube配信し始めた藤井さんは「最初から日本だけに限定しない届け方をできるだけやっておこう」と取り組み、SNSでも英語縛りで発信して、今ではアルバムの歌詞カードに世界中のリスナーに歌詞の意味をきちんと届けたい思いから、自ら訳した英語の歌詞を付け、英語で歌の解説をする動画も配信していると説明していて、これからは「言葉の壁を超えて喜んでもらえるようなものを出していきたい」と言います。外国で熱烈に支持されている「死ぬのがいいわ」も、自分の中にいる愛しい人、自分の中にいる最強の人にしがみつきたいし守りたい、自分の中の大切な自分ということ、それを忘れてしまっては死んだも同然。だからこの曲は自分との対話になっている。興味深いことに誰もそんな解釈をしていないけれど、自分の理想の形は自分の中で見えていて、それに近づきたくても近づけないこともある、そこからの救いを求めているというか、もがき…そういうことが閉じ込められている。「死ぬのがいいわ」のこの歌詞を見て、いくら変わっている私でも自分の内面に対して語り掛けているなど想像できなかったけれど、日本でより海外で先に理解されたというから、ニュアンスとか雰囲気とかZ世代の伝播ツールというものはもう摩訶不思議なものになっているのかもしれません。自分の中の核、芯、変えられないものが何なのか、わからないで夢中で生きてきたけれど、最近は特にいろいろな国のゲストと話していると、自分の中の内面が浮き彫りにされて、最後に何をやらなければならないのかがやっと見えてきた気がします。

 

 翌日の日曜日シンガポールから来たゲストは普通サイズで、着物を用意しながら昨日の姉弟のインパクトが強かったからなぜかモチベーションがつかめず、この気持ちで柴又へ行けるかと心配していたら、登場したのは明るい話好きの40代と30代のカップルで、彼氏はタバコを吸うので夫と仲良くよもやま話をしながら外でくつろぎ、可愛いお嬢さんは赤い振袖を着て、日本は寒い寒いと言いながら寺町を散策、お煎餅やお菓子を買い込みました。彼は仏教徒で彫刻も熱心に見ていたのですが、突然「タオリズムを知っているか?」と聞かれ、三年前に来た日本で合気道を習ったことのあるアルゼンチンのパパが、ママと仏教彫刻を見ながら真剣に話しあっていて、私にこれはタオリズムに通じるものがあると言ったことがあると話しました。このゲストのエピソードが無ければ私には何も話すことがなかったけれど、合気道を熱心に学び何かを極めた感のある痩身のパパがこの東京のはずれの小さなお寺の素晴らしい仏教彫刻を見ながらママと長いこと真剣に話し合っていた、多分その姿がタオリズムなのでしょう。

 息子に私は自分の事しか考えていないと批判されたことがあったけれど、結局自分の事がわかるために人は一生努力し続けるのだし、それができなかったり逃げ出したりしていたら、他人を不幸にする行動を起こしてしまう、世界中の紛争や戦いを起こす権力者たちは自分の事すら大切にできないのです。

 

 成人式の着付けで、今年は監督する立場になった娘は、年配の方々の振袖着付けを別室でそっと直すことをやって疲れたと言いつつ、着つけ教室で資格を取ってかつ高齢になった方々が、着付けているお嬢さんの好みや雰囲気を想い計らず自分のやってきたことしかできないし、だから不備が多くなり仕上がりが綺麗でなくて直さざるを得なかったというのを聞いていて、物忘れのひどくなった着付けの先生が何度もやり直しをさせられて、それでも謝罪は絶対しなかったという話を私もしました。入念に準備し、あらゆるパターンを想定しながらシュミレーションをしていても予期せぬ出来事が起きるけれど、緊張しているお嬢さんの心を解きほぐしながら一番いい笑顔が生まれるよう努力することも着付けをしている上で大事という娘と、無駄話は一切せずただ黙ってひたすら着せよと注意されてきたという着付け師さんと成人式の後会って話を聞いて、何かが大きくゆがんでいると着物を着たいという気持ちにもなれなくなってしまう、危険だなと思います。

 自分の中の自分といつも対話し、悩みながらもがきながらも自分の一番大切にしているものを提示し、それを広げて相手を大事にすること、私はあなたの味方だよ、心の中でいつも思いながら外国人の着付けをしていると、その時助けてくれるのは一流の着物の質であり、職人さんの魂であり、仏教彫刻の中に沢山刻み込まれている慈愛のようなものだと今気がついています。

 

「指切りげんまん ホラでも吹いたら 針でも何でも飲ませていただき Monday It doesn't matter if it's Sunday
鏡よ鏡よ この世で1番 変わることのない 愛をくれるのは だれ No need to ask cause it's my darling
わたしの最後はあなたがいい あなたとこのままおサラバするより 死ぬのがいいわ 死ぬのがいいわ 
三度の飯よりあんたがいいのよ あんたとこのままおサラバするよか 死ぬのがいいわ 死ぬのがいいわ それでも時々 浮つくMy Heart 死んでも治らな治してみせますbaby  Yeah I ain't nothin but ya baby
失って初めて気がつくなんて そんなダサいこと もうしたないのよ Goodbye Oh Don't you ever say ByeBye Eh」
 
 世界中でヒットしているという「死ぬのがいいわ」、この歌詞、頭が混乱してしまうけれど、異質な感性の吐露が受け入れられる、この感覚は自分の味方になると思える人達がいるという、これはもう文化になるのかもしれません。自分を突き詰めることができないなら、「I'd Rather Die」

 

ワンピース

 エアビーの仕事を始めて一年位したころ、アメリカから大学時代の友達だという男女が四人来て着物を着てお寺の庭園を散策していた時、男の子たちが長い回廊ではしゃぎながら歌舞伎の六方のポーズをとって写メを撮っていて、私がその姿に驚きながら「何でそれを知っているの?」と聞くと、「マンガのワンピースに出ていた!」とひげもじゃの男の子が答えてくれて、私はその時不思議な気持ちになりました。日本文化をいろいろ紹介したいという気持ちがあるので、茶道(ティーセレモニー)華道(フラワーアレンジメント)の説明をしたり、歌舞伎や能を知っているかと聞くこともあるのですが、古い人間の私は歌舞伎座や能楽堂で見るものが全てだと思っていました。だから漫画の中で六方を踏む場面があり、それをアメリカの男の子が着物姿でお寺の回廊で真似をしながら写メを撮っているということが上手く飲みこめないで、そのままスルーして今まできたのです。

 それからもゲストに好きなアニメは何かと聞くと、ワンピースは必ず出てきて、愚かな私は洋服のワンピースが題名で、楽しい明るいファンタジーコミックだと思い込んでいたのですが、ウタの「新時代」を聞き、それが週刊少年ジャンプにて1996年から連載が開始され現在も連載中の少年漫画の新しい映画の主題歌だと知って、はじめてこのアニメが何か重大な意味を持っている気がしてきました。これは壮大な世界観の中で主人公のルフィが仲間たちと冒険を乗り越え世界の大きな謎に迫る海洋冒険ロマンで、この世界では海は一つなぎではなく東西南北4つのエリアに分断されており、行き来は原則として4つの中央を流れる海経由でしか出来なくて、海がこのような形になったのは800年前に世界で何かが起こったからだと考えられているのです。そうした世界観のため、いまだに未確認の国や島、人種、生物も多く、世界に多くの謎が残されていて、この謎が主人公の冒険を通して読者にも少しずつ明かされ、そのほか海以外にも、空、雲、月なども描かれており、こうした地球規模の描写が今後世界の謎とどう関係してくるのか期待がつきなくて、キャラ同士の相関、出来事の時間軸、国や島の歴史、世界の歴史、これらがきちんと主人公の冒険を軸に世界の謎につながっていく感覚があるのだそうです。ワンピースのキャラクタ―たちは「生き生きとして」「生きていて」「生命力を表現しきって」いて、喜怒哀楽を強烈に表し、全身表現で生命力を伝えていて、戦いの後の宴でも、とにかくよく食べよく飲みよく寝るのです。壮大な世界観や感情昂るドラマのなかで描かれるこれらのキャラクターの表情や動きは、一生懸命生きている彼らをを我々の心の中にも生きているものとして根付かせていて、ONE PIECE(ワンピース)では、人種、性別、時代、価値観の全く違う人間にとっても普遍で不変の感情である、友情、愛情、絆、誰かを思いやる気持ち、誰かが傷つくのが辛いと思う気持ち、誰かを慕う気持ち、を必ず物語の根底に織り交ぜています。

 ワンピースの世界における特別なテーマではないところがあるのも大きなポイントで、戦争、水不足、捕鯨、宗教・信仰の軋轢、人体実験、人身売買、人種差別、魔女狩り、薬物依存、毒物使用など、人類にとって過去から今までずっと克服できていないある種永遠の課題でもあるこれらを、作品の世界観にあわせうまく表現しています。特に、地震を起こす、噴火を起こす、凍らせる、雷を起こす、などの自然現象系の能力とその使用描写は、昨今の時勢においてはかなり考えさせられますが、これらの能力は、説明がなくとも読者に一瞬で凄さやどういうものかを理解させることができるという点でも秀逸です。そして「人種問題」「領土問題」「兵器問題」など今直面している問題も含め、800年前に起こった「空白の100年」という「語られることのない歴史」が紐解かれていき、その鍵となるのが「ワンピース」というお宝でこの歴史のお話をストーリーの主軸に置き、主人公のルフィたちが海や島を冒険していきます。その中で歴史というものの大切さや歴史が持っている負の側面を巧みに描いているのですが、100年間起きた出来事は「ポーネグリフ」という「絶対に壊れない石」に刻まれ、その石は現代の世界に散りばめられているけれど、ただしその文字は古代文字であり、現代の一般人は読むことができない、誰も知ることはない隠された歴史は、世界政府の上層部を除いてということなのです。

 世界で4億本以上売れているというワンピースですが、主人公が追い求めているひとつなぎの大秘宝(ワンピース)を手に入れるということは、富・名声・力の全てを手に入れることだというけれど、いつの日かその数百年分の歴史を全て背負ってこの世界に戦いを挑む者が現れ、その宝を誰かが見つけた時、世界はひっくり返るのです。誰かが見つけ出す、その日は必ず来る。世界の真の姿を知り、その世界をとりもどすため一繋ぎの大秘宝(ワンピース)は実在する。

 

 横須賀から来たゲストのアシュレイの、好きな作家ジェイムス・A・ミッチェナーの「センテニアル 遥かなる西部」という古い本を図書館から借りて読んでいるのですが、アメリカの歴史を雄大に語る超大作ロマンで、先史時代より現代までのアメリカの発展の歴史が描かれていて、地球の誕生から始まり、恐竜やバイスンやビーバーの生態が物語のように語られているこの小説はまるで神話のようで、まだ人間が出てくる章まで行きつかないけれど、インディアンの歴史や生き様についても詳しくわかるだろうし、私の心の底に滓のように沈殿している「私はネイティブアメリカンなのです」という女の子のつぶやきについても、もっともっとわかるようになるのかもしれない。この本を今読むことは私にとって[Must]であり、それを教えてくれたのがゲストであるということが、私がエアビーの仕事をしている意味なのでしょう。

 去年の暮れに藤井風さんの「死ぬのがいいわ」という歌をテレビで見た時、これはもう近松門左衛門の世界だと思ったのだけれど、篠田正浩監督の映画「心中天網島」の映像のようで、自分の思いを何のためらいも恥じらいもなく差し出せるオーラは、世界で絶賛される理由なのだろうし、ワンピースにしても自分の芯や核があるからこそ二十年以上書き続けていられるのでしょう。それにしてもコロナウィルスという黙示録が提示されたあとのこの世界の混乱は必然であり、そこから漉されて浮かび上がってきた物語たちに気づけた有難さに感謝しながら、この寒い週末に来てくれる二組のゲスト達が何を持ってきてくれるのか、考えています。土俵は変わったけれど、私がそこに馴染むには時間がかかる。明日は111㌔のお姉さんと119㌔の弟君がアメリカから来ます。想像がつかずちょっとビビッて写真を送ってもらったら、クラブで踊っている楽しそうな二人が写っていて、これは息子が好きな世界だと気がつきました。またどこかで繋がっている。世界は広くて狭くて、複雑で単純です。

新時代

 このところ強い寒気団が日本列島を覆って居て、本当に寒い日が続きます。さすがに予約も三月や四月の分は入るけれど、今週はゲストも来ない状態で、あまりに寒くて布団に入って本を読んで休息しています。義母の容態も落ち着いて回復に向かっているようで、それでも高齢だから油断はできませんが、二月には施設に戻れると聞きほっとしていたら、週末の土曜日に突然予約が入りました。あまりに寒くて、暖かいインドネシアから来ているゲストはつらいだろうと思っていたら、一時ちょっと前に田原町からやって来た150㎝の小柄なGigiちゃんは、はじけるような明るい27歳の女の子で、職業は何とカメラマン、一人旅で東京を楽しみ明日帰るとのことでした。

 入ってきてからずっと歌うようにしゃべりながらすべての物に驚いて写メを撮っていましたが、カウンターに置いてあったキツネの可愛いぬいぐるみを見て歓声をあげ、心を惹かれていました。ジャカルタからちょっと離れた町に住むGigiちゃんは一人っ子で、16歳から独立して暮らしているとのこと、一人旅だしコンビニで食事も済ませているというけれど、並べて置いたお菓子やお煎餅をつまみながら外国人に人気の紺地の小紋を選んで、髪の毛も簡単にアップにして簪と櫛を差して、可愛い着物姿になりました。いつも笑いながらポーズをとりはしゃいでいる彼女の写真を撮るとき、相手はプロカメラマンだからこちらも緊張するのですが、考えて見たらいつもは彼女は撮るばかりで撮られることはないから妙に照れくさい様で、だからすぐ笑ってしまうのです。小ぶりの刀を持ってポージングしてもらってから私はふと気がついて、ぬいぐるみのキツネ君をカウンターから持ってきてGigi ちゃんに渡すと、彼女は何と肩に載せて唇を寄せるのです。これは宮崎アニメの「風の谷のナウシカ」でナウシカの肩にいつも乗っているキツネリスのテトだと思い、その親密感が心に残りました。

 寒いけれど少し日が差してきたのでコートを着て白いショールを巻いて柴又へ出かけましたが、電車に乗っても窓の外の風景を楽しんだりして、今までのゲストとは行動が少し違うのだけれど、一人暮らしをしていて一人旅でいるから、やはり色々話したり写真を撮ってもらうのが嬉しい様で、いろいろなことにストレートに興味を示す彼女は、お寺で買った絵馬に言葉を綴りカトリックだけれど仏像を拝んでいました。帰りにお団子と焼き鳥を買い、うちで日本酒を飲みティーセレモニーをしてから、二階で鎧や神棚仏壇障子を見て、そして箪笥の抽斗などに驚きながら体験を終了、抹茶が好きなようで棗に残ったのを缶に入れて渡し、可愛い羽織のおみやげと一緒に袋に入れて帰るときに、私はふと気がついてキツネ君も持って行ってもらうことにしました。このキツネ君に魅かれた彼女の気持ちは何だったのかわからないけれど、あとで送ってくれたレビューに、うちにいた時ずっとファミリーのように感じたとありました。最近はそれぞれのゲストの肖像を描くような気持ちでブログを書くのですが、明るくてはっちゃけていたGigiちゃんの肩には、私の家にずっとあったキツネ君がこれからもずっと乗っかっているのです。

 ゲストに着物を着せながら「音楽は何が好き?お気に入りの日本の歌手は誰?」と聞くと、このところ「あいみょん」「YOASOBI」と返ってくるようになったのですが、ちゃんと私は知っています。藤井風、Vaundy、millet、Aimer、ウタ…みんな最近覚えた若者たちだけれど、昔の苦節何年という下積みを経て栄光を掴んだ演歌歌手の流れでなく、自分達で作ってユーチューブでヒットしたリ認められたりしているグループなどで、歌詞にしても複雑な内面やどうやって自分の気持ちを鼓舞していくかというものだったりして、限りなく深いのです。コロナ前はフィリピンから来た中年夫婦がカラオケでテレサテンや八代亜紀を歌うという話で帰り道盛り上がっていたのだから、なんだか隔世の感があるのですが、パンデミック後、そしてウクライナ紛争が泥沼化し、あちこちで反政府デモが繰り広げられている今、歌われている歌は違う世界のものだし、世界の若者たちがその内容を分かり合えるということを私はもっと早くに知るべきだったと思うのです。といいつつも、なかなか歌詞が頭に入ってこないし、夫は完全に拒絶反応をしめすのですが、年末のNHK紅白をじっくり見ていて、若い歌手たちが自分の気持ちや心や考えをはっきり歌う時代が来ていること、すぐ世界中に発信できること、言葉や民族や考え方の違いを超えて、彼らの魂が見えていることに驚きました。頭を高く結い上げ華やかな着物姿の演歌歌手の隣で、ジャージにダボダボのズボン履いて楽しそうに歌っている若いひとたちを、うちに来る外国人のゲストは大好きなんだ、そう、いまは新しい時代なのです。

 

カイロス  今に集中すること

 昨日は三年前に来た香港の若くて美しいロイヤーのレイチェルが、ボーイフレンドとまた来てくれました。待っている間なんだかドキドキしてきてちょっとナーバスになりながら、前回は赤い振袖を着せたから今度は訪問着にしようと色々出していたら、義母の施設から電話が掛かり、容態があまり良くないので救急車を呼んで病院へ行くと連絡してきたのです。間際でゲストは断れないので、夫が行くことになったけれど、私は心が全く落ち着かず、お正月に着た着物を返しに来たヤンママとも話ができない状態で、どうしようと思っていたら、10分早くにレイチェルが玄関に現れました。

 172㎝のすらっとしたレイチェルのそばに佇むのは、えーっ黒いキャップを被りレイチェルと同じ位の身長の、目のくりくりした可愛い男の子なのです。予想と違うことに動揺した私は、即仕事モードに入り込み、彼らの関係を探り出すべく質問を重ね、去年の十月に知り合ったばかりで彼のお父さんは73歳の岡山出身の日本人、再婚したお母さんは中国とインドネシアのハーフで、IT関係の仕事をしていて趣味は体操、日本語も結構話すのですが、恥ずかしがり屋のファンキーな男の子で、着物を着せてもキャップを被り続け、渡した刀を離さないのです。レイチェルは三年前は静かでクールビューティーな女の子で、たくさん撮った写真はみな同じ表情でほほ笑んでいるだけだったのですが、今回は笑うし喋るし同い年の彼をかまう姿はまるで仲の良い姉弟だよと私がからかっていたら、夫から義母は酸素濃度の値も良くなって落ち着いてきて、車椅子に乗って診察を待っていると連絡が入ったので、私はほっとして彼らを連れて柴又へ向かいました。

 高砂の静かな町を歩きながら、彼は「岡山はこんな風景の町だ」と言い出し、東京にもこんなローカルな所があるのだと感心しています。お父さんが夫と同じ位の年ということは寅さんも”男はつらいよ”も知っているだろうから、駅前の寅さん像を写真に撮って見せてと私は頼みましたが、参道の団子や佃煮にも心が惹かれるようで、酒が大好き、すき焼き、もつ鍋、お団子饅頭何でも好きな彼は明るく、でも時々シャイに柴又を楽しんでいて、写真を撮るときの良いアングルも教えてもらったのだけれど、いざ彼女とのツーショットを撮ろうとすると妙にぎこちなくて、反対に欄干に腰かけた彼にそばに立った彼女が手を彼の肩に掛けたほうが様になるので、どう考えても姉弟だと私は吹き出してしまいました。

 香港で日本語を教えている両親のもとに育ったレイチェルはひらがなカタカナは読めるし漢字もわかるから、仏教彫刻の下の説明も読んでいて、植物や鳥の彫刻に添えられている「葦、雁、芭蕉、椿」などもふりがなを読みながら私が気がつかなかったことまで教えてくれて、本当に頭の良いロイヤーさんでした。最近の新聞に香港のデモで逮捕された学生の記事が出ていて、もう香港には自由はないと悲観的なニュアンスだったからそうなのか聞いてみると、レイチェルはそんなことはないと言っていて、高い地位の仕事をしていて収入も多いけれどそれだけの努力をずっとしてきたという彼女が、彼と一緒だといつも笑ってばかりいるのに私はとてもほっとしています。それにしても中国のゲストが来た時は仏教彫刻にも興味を示さなかったし、漢字も習っていないから読めないと言われ、まるで民族性が違うのだと改めて思い知らされた気がしました。

 帰り道彼は「イナゴ」と「マグロ」の佃煮を買い、うちのそばで焼き鳥も買って、三人で日本酒を飲みながら乾杯して、初めはイナゴの姿に顔をしかめていたレイチェルもだんだん慣れて二人で飲み続けてからティーセレモニーをして、最後に彼がお茶を点てて向かい側に座った彼女が静かにお茶を飲み干して、体験は終了しました。結局ティーセレモニーとはただお茶を点てて飲むだけのことだけれど、サムライは戦いに行く前にお茶を点てて心を静めたし、私たちも一期一会、二度とないこの時をただお茶を飲んで過ごすのだと言いかけて、私は万感の想いで胸がつまり、泣いてしまいました。レイチェルが泣かないでと慰めてくれたけれど、夫から頻繁にかかる電話も聞いているし、義母の状態も心配してくれていたので、何で泣いているのかも察してくれていました。

 夫はエアビーの仕事は私が勝手にやっていることだといつも冷たくあしらうけれど、こうやっていろんな立場の外国人と気持ちが通じ合い、心が通い合う瞬間をどんな情況でも感じることができるありがたさに、私は感無量の気持ちになるのです。今やらなければならないことを今やること。この困難な世界情勢の中で、大事なのは今やるべきことを今やることなのでしょう。世の中が変です。戦争が当たり前で、人を殺すことが当たり前で、妙なことばかりを論じるテレビ番組が昼に延々と放映されています。少子化だと将来困るから様々な補償をして子供を増やす、そうではないでしょう。今の世の中は正常ではないのに、これは異常だと言って直すことができない、スマホ依存症が増え、認知症のような症状さえ若者に出ている。

 ギリシャ神話の時を司る神「クロノス」と「カイロス」の話を知りました。【クロノスは白髪の老人で、時計の針やスマホが示す時間のように私たちが普段「時間」と呼んでいるものを意味し、カイロスは前髪しかない青年で、私たちが「今だ」と感じるタイミングのようなものを表しています。「チャンスの神には前髪しかない」というのはカイロスのことで、「今だ」と思った瞬間に掴み取らないともうそのチャンスを手にすることはできないという意味です。クロノスが量や客観であるのに対し、カイロスは質や主観を表しています。私たちは時計であるクロノスを基準にして生きていて、「何時までに学校や会社に行かなければいけない」「5年後にはこうなっていたい」「3年前のあの出来事が忘れられない」といった思考なのですが、本来私たちの中にはクロノスはないのです。あるのは「今がその時だ」「まだ違う」といったカイロスだけです。私たちの中にはカイロスしかないということは、私たちは「今を生きることしかできない」ということを意味していて、私たちは未来にも過去にも触れることはできない、行動を起こせるのは「今」だけです。過去や未来を考えることは自分の持っているエネルギーをここではないどこかに分散させているのと同じです。「今」しか持っていない私たちにとって、持っているエネルギーを100%「今」に注げないことは致命的だから、最良の未来のために出来ることは「今この時に集中すること」で、そして最良の過去は、最良の未来の為に今この時に集中した結果自然にできるものなのです。クロノスは便利だし、便利ゆえに世界中に溢れかえり私たちの生活を支配しています。でも外から与えられるクロノスではなく、私たちが本来持っているカイロスに集中することこそが、未来と過去を切り開く力になるのです。】

 「奪うか奪われるかの時に、主導権を握れない弱者は何の権利も選択肢もなく、ことごとく強者にねじ伏せられる」「泣くな、絶望するな。怒れ。許せないという強く純粋な怒りは手足を動かす為の揺るぎない原動力になる」「真っ直ぐ前を向け。己を鼓舞せよ」「極めろ。泣いていい、逃げてもいい、ただ諦めるな、信じるんだ。地獄のような鍛錬に耐えた日々を。お前は必ず報われる、極限までたたき上げ、誰よりも強靭な刃になれ。一つのことを極めろ」「傷ついても、傷ついても、立ち上がるしかない。どんなに打ちのめされても、守るものがある」「失っても失っても 生きていくしかない。どんなに打ちのめされても、守るものがある」

 鬼滅の刃の中のセリフです。こんなにも激しく今を生きるということのエートスを表しているものがあるのです。指針があるのです。何も恐れることはない、ただ進めばいいのでしょう。

 夜中にルーマニアから予約のメールが入りました。ルーマニアのゲストは久しぶりだなあと思いながら返事を送ったら、今度はTさんという方から問い合わせが入り「耳の聞こえない両親に着物体験をさせたいのだけれど、可能だろうか?」と書かれてありました。胸が詰まりました。なんて優しい娘さんなんでしょう。音が聞こえなくても、言葉が通じなくても、絹の着物の肌触り、帯を締める感覚、抹茶の香り、全て心さえあれば味わうことができるのです。ご両親の体調もあるし外国からうまく来られるかもわからないけれど、このメールを読んだだけで、私の気持ちは高鳴ります。着物にまた新たな可能性と使命が与えられてくるのです。

 娘が久しぶりにに浅草へ行ったら、地味な無地っぽい着物にレースの伊達襟を挟んだり、中にブラウスを着て和洋ミックスのような着物姿の外国人がいて、昔と変わったとラインしてきました。柴又で会った台湾グループもそんなコスチュームだったけれどとても可愛かったし、うちにある今まで着てもらえなかった地味目の着物にレースの伊達襟や帯揚げなどしてアレンジしたら喜ばれるのかもしれません。

 明日はインドネシアの女の子が一人来ます。あったかくして暖かいファーを首に巻いて、出かけましょう❣

サザンカ

 ずっと空気がカラカラだった東京に久しぶりに雨が降りました。でも今日は横須賀から50代のゲストが来る日です。170㎝で細身のアメリカの女性はオレンジの着物を着た写メを送ってくれて、裄が短かったと添えてあったので、私はタンスから私のトールサイズの着物をたくさん出して並べておいたのですが、二時間かけてきてくれたアシュレイがじーっと着物を見ていて手に取ったのは、紺の結城紬でした。とても高品質のモダンな模様のこの結城紬は、娘たちの振袖を縫ってくれた和裁師さんの形見で、お弟子さんだった方に私サイズに縫い直してもらって愛用しているものですが、裾切れしてしまったので洗い張りし、裏地も臙脂から薄いブルーに変えてリニューアルしてからはじめてゲストに着てもらえるのです。これまでベトナム、ブラジル、イギリスの女の子たちがこの結城紬を着てくれたのですが、色とりどりの着物が並べられた中でこの結城紬に魅かれる外国人の気持ちに、私はいつも少し驚きます。

 漢字の寿という文字が配置された帯に娘からもらったくすんだ紫の帯締めを締めて、シックな着物姿になったアシュレイは、写真を撮り二階で鎧に驚き仏壇にお線香を上げ、ティーセレモニーをしている最中に雨も上がったので、雨ゴートを着て茶色の小さいファーを首に巻いて柴又に出かけました。発車間際の電車に乗ると座席にファンキーな白い着物や袴を付けた女の子たちがいて、渋谷で振袖の前撮りをしている娘が今どきの若い子はフリルやヘア飾りなど奇想天外の恰好をすると聞いていたので「あら可愛い」と思ったのだけれど、隣に座ったアシュレイは喜んで話しかけ、日本に住んでいる台湾の女の子たちが浅草のレンタル着物を着てこれから柴又で写真を撮りに行くと聞き、私たちも同じだと盛り上がって、自撮りで写真を撮りその場でシェアして別れました。

 こういうことは日本人は絶対しないし、電車で見かけても見て見ぬふりをして、無視されるのに私は慣れているのだけれど、伝統的な着物を着たアメリカ人の女性と、ギャルっぽいっけれどきちんと着物や袴を着てうさぎの耳など付け、日本の文化をミックスして自分達で着こなしている台湾の女の子たちの生き生きとした喜び方に、私はこれからの文化の在り方を見た思いがしました。決まり通りに振袖を着る姿も良いのですが、どうも自主性がなく魂が込められていない気がするのは、成人式の着付けをした後時々感じるものです。私たち日本人は、身の回りに溢れるほどの美しさや価値のあるものに囲まれているのに、見ていないは何故だろうか。感受性の豊かなアシュレイはこれまでもいろいろ各地のお寺や旧跡を回っているようだけれど、帝釈天のすべてを楽しみ感動して、雨上りで誰もいない静かな庭園を見ながらひたすら涙を流していました。

 オハイオ州に生まれた彼女は女の子3人男の子3人の三番目に生れ、両親はもういないけれどノルウェー人の背の高い旦那様とやはり大柄な息子さんと娘さんを持ち、今は一人で横須賀で働いていて、趣味はホースライディング、静かだけれど面白いタイプです。海軍ではなく民間人で横須賀で働いている彼女の使う単語が私にはわからないものが結構あって、質問されると困ったのだのだけれど、これは沖縄で働いているママがイクメンの旦那さんと三人の子供たちと来た時と同じ感覚で、メールの単語から初見だったりして、ひとつ思考が止まると全く分からなくなってしまうのです。これが第二外国語が英語のゲストだと本当に楽で、ネパールの21歳の男の子と際限なく話ができたことを懐かしく思い出しました。

 それにしても私がエアビーのサイトに書いた文化観に共鳴してきてくれたアシュレイと、帝釈天で再会した台湾の着物姿のギャル(女の子の恰好をした大柄な男の子がとても可愛かった!)がまた盛り上がって、私も入れてもらって写真を撮りながら、成人式の振袖と紋付き羽織袴を履いた男女が足早に過ぎ去っていくのを見て、着物を着ることを楽しんでいるオーラが出ていない事を悲しく思ってしまいました。美しいもの、優れたもの、素晴らしいものに取り囲まれていることを、わが身に取り入れることが文化で、静かな庭園の松や池や木々の配置に心を奪われているアシュレイに、片隅に咲いているサザンカの花が綺麗なアクセントになっているよと教えながら、最近よくきいている「サザンカ」という歌の歌詞を思い出しました。

 サザンカはつめたい冬に咲く美しい花で、その花言葉は寒さに負けず咲く花であることから、「困難に打ち克つ」「ひたむきさ」であり、夢を実現させるために努力を続け、それが報われようが報われまいが、失敗して何度もくじけそうになっても本人が立ち上がる限り、物語は続くというのです。「いつだって物語の主人公は笑われる方だ、決して笑う方じゃない」「誰よりも転んで、誰よりも泣いて、誰よりも君は立ち上がってきた。僕は知っているよ 誰よりも君が一番輝いている瞬間を」結果だけが全てではない。結果に向けて諦めずに頑張っている過程が一番大切だよという歌詞は、最近切実に私の心に染みるのです。この年になってもまだもがいている自分が求めているものは一体何だろう、正月に来た次女夫婦に色々なことで冷笑されたとき、私のやっていることはそんなにも奇異なことで呆れられてしまっていたと気づいた時も、笑われる方でいいじゃないかと考えられるようになったけれど、もがき続けていた私の子育ては子供たちにとって不快なものだったのかもしれない。

 「お母さんは料理が上手くないよね」とお正月に次女に言われてしまい、そうはいっても40年間家族や義父母や従業員の食事を作り、一生懸命頑張ってきたし、最後にそういわれて妙に納得したのだけれど、そんな時に涙を流すアシュレイと二人で静かな庭園を眺めながらサザンカの赤い花に励まされた私は、今何を頑張っているのか改めてわかったのです。着物という日本の伝統文化をまとって、日本の歴史や文化に触れるということは、今まで自分が考えてきたこと、やって来たことを振り返り、これからどう生きて行こうかと考える時の支えになり、指針になり、勇気づけられる何かを感じることができるのでしょう。これまで私がひたすら探してきたのは、何を自分が差し出せるかということだったのです。

 私の体験には意味があると後でアシュレイは言ってくれたけれど、外国人に着物を着せて歴史や文化を辿ることこそが、私にとって意味があることだった。文化とは何か。着物とはなにか。しばらく干しておいたゲストの香りの付いた振袖を畳みながら、あの中国の女の子はこの赤い振袖を着て本当に嬉しそうだった、かなりふっくらしているゲストに着せた黒の大振袖はちょっとほつれてしまったけれど、混み合った参道でその模様が浮き出し、「綺麗…」とずいぶんつぶやかれたっけ。生きた人間が文化を体感して、喜びにあふれ、静寂を感じ、自分が美しいと心底思う、その現場に立ち会える幸せを味わうために、私は今まで努力してきたのでした。文化とは人が幸せになること、人を幸せにすること、それを見て幸せだと思うこと、それに尽きると思います。

 800人のゲストに着物を着せて、それを見て本当に綺麗だと思った日々を思い出しています。

Give thanks

 昨日は鏡開きで、床の間の大きい鏡餅と仏壇や神棚に飾って置いた5つの小さい鏡餅を下ろしました。ワサビシートというカビ除けの透明なシールをお餅の間に挟むようになってからカビがほとんど生えなくなり、買ったお店にそのまま持って行くとつき直してのしもちにしてもらえるのです。これまではお餅のカビを削って砕いて日に乾かしてから揚げて食べたこともあったけれど、こうやってまた美味しいお餅が食べられる今が一番有難いと感じています。

 鏡開きの日にフィリピンとテネシーから女の子が一人ずつゲストで来るので、お正月の行事やいわれを話そうといろいろ調べてみたら、知らなかったことが多くてびっくりしてしまいました。神道が日常生活に根付いている日本では、昔から正月になると年神様が各家庭を回り幸福をもたらして下さり、もともとは祖先の霊だったのが、やがて山の神となって正月に年神様として家にやって来ると考えられていました。初日の出と共におこし下さる年神様には五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全などの御利益があるとされています。その年神様が家を見つけやすいようにと松で作った飾りを入り口に立てたのが正月飾りの由来です。魔除けの効果があるとされるしめ縄も、神さまが安心して訪問できる場所であることを示すために門松と一緒に飾られるようになりました。結界の役割があるしめ縄の内側は神様を祀る神聖な場所であり、結界を張って境界を作ることで、悪いものや不浄なものを寄せ付けない効果があり、つまりしめ縄は正月に起こしになる年神様に、その家が安心して過ごせる場所であることを示すための飾りなのです。

 鏡開きとは、お正月に年神様が滞在していた「依り代(居場所)」であるお餅を食べることで霊力を分けてもらい、一年の良運を願う行事です。年神様は穀物の神様であり、毎年正月にやって来て、人々に新年の良運と一年分の年齢を与えると考えられてきました。門松や鏡餅は神様をお迎えするためのもので、年神様が家々に滞在す期間が「松の内」であり、これが過ぎて年神様を見送りしたら鏡餅を食べ、その霊力を分けていただき一年の無病息災を願うのです。直前の年に収穫したコメを使い、その恵みに感謝して、年神様へお供え物として献上するのが鏡餅を飾る意味合いで、鏡餅の丸いフォルムは人間の魂を表したものと言われ、鏡餅の名前は三種の神器の鏡に由来し、神さまのお供え物である丸い餅を、ご神体として扱われることもある神聖な鏡に見立てて、鏡餅と呼ぶようになったといわれています。上下で大きさの異なる2つの鏡餅は、月と太陽、つまり「陰と陽」の象徴ともいわれ、2つ重なった鏡餅には、夫婦和合、円満に年を重ねるなどの願いが込められているのです。

 四十年間お正月をこのうちで過ごしてきた意味が今頃わかったというのも何かの啓示だと思うのだけれど、昨日来た三十歳の二人の女の子は赤い振袖を着て本当に嬉しそうで、道行く人に「おめでとうございます!」と声を掛けられ、帝釈天では二人でひたすら写真を撮りまくり、彫刻も仏教も関係なく二時間近く過ごし、初対面だというのに打ち解け合って翌日は一緒に日光の江戸村へ出かけることになってしまったのです。年齢をある程度重ねたこの二人の振袖姿はとても魅力的で、あらゆるポージングをとり、表情をくるくる変えることが着物姿をより綺麗に見せると思うし、20才の振袖姿ではなかなかそこまで表現できないのは仕方ないのかもしません。20代で自分で作った着物を、職場で久し振りに着たと娘が写メを送ってくれたのだけれど、夫と二人それを見てびっくりしたのは、着物姿が決まっていて、これを見たら振り返る、外国人に感じる賞賛の域に娘が達したことです。長い時間がかかったしいろいろな経験や回り道をしてきたけれど、着物の道をしっかり自分のものに彼女はしてきています。

 

 世界中の駅や空港に置かれたピアノを通りゆく人々が自由に弾くという番組があって、ロンドンでブルーのワイシャツにネクタイを締めたお洒落な80過ぎの男性が訥々とピアノを弾きながら歌う姿がいまだ忘れられないのですが、聞いていた若い男の子が後で「感動しました」と握手を求めてきて、びっくりして「私の歌に感動してくれたんだって…」とつぶやいた彼は花屋さんで何十年も働き、こうやってたまにピアノを弾くのを楽しみにしているのだそうです。長い年月の積み重ね、色んなことがあって、素敵な服を着てピアノを弾きながら彼が歌った曲は「Give thanks」でした。神様に祈る時も仏様に祈る時も、願い事をするのではなく、ひたすら感謝することが大事だということを最近知ったのですが、気持ちをまっさらにしてひたすら感謝する、どんなに自分が弱くて小さくて失敗ばかりしていても、努力して鼓舞して負けないで前に進むこと、どんなに弱くても「私は強いんだ」と頑張り続けて生涯を終えればいいのでしょう。若い、20才の女の子の「私は最強」という歌は、決して強くないけれど自分を奮い立たせより高みに進むために強い言葉を使う。だから、神は守ってくれるのです。

 土曜日に予約してきた横須賀に住む五十代のアメリカの女性が、外国人のお仲間が五人位着物を着て並んで写っている素敵な写真と共に、私の体験に書いてある文化についての考え方に魅かれたとあって、これは初めてのケースだなと思いながら、単に日本の文化として着物を着て喜ぶ段階からステップアップした外国の方がうちへ来てくれる時代になったし、はっきり言わなくても20代前半の男の子が一人で来るのもその辺に共感してくれているのかもしれない。とにかく今の若者の危機意識は年配の人間より研ぎ澄まされているのです。

 ロシアや中国のトップは、クリスマスの礼拝でもひたすら権力の保持を願い、神に感謝することはないのでしょうか。

 ふと思います。文化こそがgive thanksなのだと。

 

 Give thanks with a grateful heart Give thanks to the Holy One…

And now let the weak say, "I am strong. "Let the poor say, "I am rich Because of what the Lord has done for us" Give thanks.

早蕨

 成人式の前の日に来る二人のゲストのために支度をしていて、お茶道具の水指の水をずっと替えていなかったので外のバラの木にその水をあげようと思ったら、手が滑って水指を落として割ってしまいました。大きな声を出してしまったので、新築中の隣の家の大工さんがびっくりして目があって「お騒がせしてすみません」と謝って破片を片付けながらこうやって何回物を壊してきたかと反省しつつ、どなたかから戴いた茶色にわらび?の模様が書いてある水指を出して飾りました。

 新年初めてのお茶を点てながらその水指を見ていて、なぜか早蕨という言葉が頭の中に浮かび、万葉集の「石走る垂水の上のさわらびのもえ出づる春になりにけるかも」という歌を検索してみました。時期としてはまだまだ早いけれど、清冽な感じの和歌だなあと思っていたら男性のゲストからメールが入り、昨日の夜日本に着いたはずなのだけれど病気になったので今日はいけないとあり、インフルエンザかしらと心配しながら「お大事に」と返して、やはり油断できない日々が続くなと感じています。

 18歳の女の子はやはりおととい日本に着いて、川崎からはるばる来るとのこと、電車を間違え道を間違え、ようよう辿りついてほっとしながら、今日は一人だけだと言ったらなぜかラッキーと喜んでいます。お父さんが沖縄の方でお母さんはエチオピアがオリジン、18歳で結婚!して今は36歳でイリノイ州に住み、彼女は世田谷の駒澤大学で4年間ジャーナリズムを勉強するとのこと、初めての海外でとても緊張していましたが、日本語も少ししか話せず、それでも来日してすぐ私のところへ来てくれるのだから縁があるのでしょう。明日は成人式だし振袖を着たいというので、黒づくめのスタイルの彼女に黒の大振袖を着せたのだけれど175㎝の彼女はかなりふっくらしていて苦戦し、しごきを巻いて裾が割れてしまうのを隠したり胸元が全く合わないのをロングヘアを垂らしてカバーしたりして、何とか頑張って着せて柴又へ出かけました。

 着付けに不具合のある時は私は体を張ってゲストの前を歩くのですが、 お天気がいいので混み合っている参道を歩きながら一寸大坂なおみさんに似ている彼女は私の後をついて歩き、見るもの聞くものすべて初めての物ばかりで、あっけにとられているけれど、おうちではごはんやみそ汁も食べているし、仏教についても少し知っているようだし、つつがなくすべてのコースを回り、お団子と太鼓焼きを買って帰ってきました。電車が出るまで時間が少しあったので、このところ日本と外国のハーフが来ることが多いことを話しながら彼女の気持ちを聞いてみると、日本人でもない、アメリカ人でもない、どこへ行っても中途半端で悩むことが多いというけれど、私は今の混乱した世の中を生きて行くには、初めから自分の中に違和感がありそれと共に生きて行かざるを得ないというネガティブな気持ちを、何かを得ることによってポジティブに変えていく選択力とか同化力をいつも考えていられるというシチュエーションが大事だと力説してしまいました。

 翌日は成人式で前から頼まれていた細いお嬢様の着付けをしたのですが、みんな一緒に集うのだから同じように綺麗に可愛くするためいろいろ動画を見ながら研究、直前まであれこれ試行錯誤していました。大手のレンタル会社の着物を着付けるのは初めてで、全てが化繊だけれどよく出来ていて、ただ薄いなと思ったけれど当日は暖かい日で本当に良かったし、この日は私が緊張しまくって細い体にどれだけ補正したらいいか、どれだけ締めたらいいか考えながら、昨日の女の子の記憶や感覚とあまりに違うのに戸惑って意外と時間がかかってしまい、車の中で待っていたお父様には申し訳ないことをしたと反省しています。

 それにもかかわらず、いつもゲストにする会話をお嬢様として、食品科学を勉強し家ではうさぎとハムスターを飼っていて、好きなグループは「ミセス・グリーン・アップル」で、何と午年生まれだそうで、日本の20才の健全な可愛いお嬢さんの振袖を仕上げました。夫が傍にいると、話する暇があったら着付けを急げと言われるのだけれど、外国人の場合は特にこれをしないと後半戦が厳しいのです。でもこの細いお嬢さんにこの締め方でいいのか、綺麗なレンタル着物はどの位寒いかなどわからない事ばかりで、帰った後も猛烈に心配でした。

 テレビではたくさんの振袖のお嬢さんたちがうつり、みんな白いファーをしたままだしマスクしているし、今の子はヘアスタイル命だとよく娘が言っているし、何とか楽しく無事に終わることだけを祈りつつ、コロナ禍ではずっとできなかったのだから、よくここまで盛り返したものだと感慨にふけっていました。途中で写メを送ってくださって素敵なヘアスタイルのお嬢様がマスクしてファーをして写っていてとにかくお日さまが暖かく、それだけで祝福されているようで、そしてその時早蕨の和歌を思い出しました。若い命が萌え出づる春がめぐって来ること、その息吹を感じることができる立場に今いられる有難さ、失敗を繰り返し落ち込みながらなんとか前に進み、また失敗しながら進める、この試行錯誤も語り続けて行けばいいのでしょう。

 お嬢さんが好きだと言っていた若いグループの歌も、やはり試行錯誤を繰り返し、悩みながらそれでも自分を鼓舞して前に進もうとしているものでした。作家の幸田文さんのお孫さんの青木奈緒さんの「幸田家の着物」という本に”蕨の帯”というエッセイがあって、奈緒さんと結婚相手の家に行く時に蕨の帯を締めたお母さんの幸田玉さんは、蕨は宿根で葉は冬枯れしても根は消えずに、毎年春になれば同じところから芽吹くことからお祝い事に使われると教えてくれたと書かれてあり、アメリカの女の子と日本の女の子の成人を祝うために、蕨の水指はそこにあったんだとなんだか不思議な気持ちになりました。

 粗忽な私が高価な水指を落としてしまったことは忘れてはいけない失敗だけれど、それを謝りつつまた前へ進んで行かなくてはなりません。アメリカの女の子がナーバスになりながらうちに来てくれたこと、私が途轍もなく緊張して日本の女の子に振袖を着せたこと、全てが前に進むための財産になっていきます。

花風

 毎日良いお天気が続きますが風が冷たく空気が乾いています。新年は柴又も混み合っているのかと思い、参道のお店の方にメールして聞いてみると「そうでもない」というので、夫と四日の三時過ぎにお詣りに行きましたが、駅を降りると混んでいます。ゲストと一緒では写真が撮れないと思いながら、久しぶりのお正月が出来て皆喜んでいて、お店の方々に挨拶して様子を聞いてみると、密にならないように暮れからお参りに来たりおみやげを買ったりしている方も多く、だからいま品数が減ってしまったと嘆いていました。そちらでお線香を買ったら、おまけに花風という試供品を下さり、「寒風の中、わずかな春の兆しをも敏感に感じ、その花弁いっぱいに芳香が満ちるまで時を待つ白梅そのものの香り」と箱に書いてありました。香りの強いお線香は最近はちょっと苦手で、意外と青雲がナチュラルで好きになったりして、お線香ひとつにしてもいろいろな意味や経歴があるものです。初期に来たインドの家族はお線香を作っていておみやげに長いのをもらったことがありました。

 達磨を買ってお詣りして知り合いの方々にご挨拶していると夫に「お前も顔が広いなあ」感心されたけれど、今までここに何百回と来ていて、2023年はどういう展開にしようかと迷っています。仏教と神道の違いを正月の行事で随分感じているし、神社では狛犬の前で「阿吽」を説明するのだけれど、帝釈天の仏像彫刻のところにある龍の像も口をあいているのとつぐんでいるのがあるのでそこでも話ができるのです。

 「阿」という字は口を開くと最初に出てくる音で、インドの古代語である梵字アルファベットの最初の字であり、いっさいの字、いっさいの音声はaを本源とするから、a字は諸法の本初を表し、「吽」という字は口を閉じた最後の音で、諸法の終極を表す、したがって「阿吽」の二文字をもっていっさいの存在者が生起する根源たる実相(諸法の存在論的根拠たる存在そのもの)と、智慧をもって迷いを破してその本源へ帰滅すべきであるという存在の真実を表現するのです。密教では阿は万物の原因(理)、吽は万物の結果(智)として、寺の門や神社にある仁王や獅子、狛犬などは阿吽を表すということは、仏教神道に関わらず、阿吽というエートスが存在しているのです。仏教に違和感を持つゲストもいれば、仏教彫刻の意味を不審がるゲストもいた、コロナ前はアメイジングと言われることが多かったけれど、最近は中国色が濃いと言われ、これは日本古来のものではなくて借りものに過ぎないなら、断片を切り取って日本古来のものを探して、オリジナルな感覚を作り上げて見ようと思った時、みんなの言葉や願いが書かれた絵馬の存在に気がつきました。短い願いを書いてもらえばそれぞれのゲストの人間性が表れるし、宗教とか民族とか超えて、何かを目指す姿勢をこのお寺に残してほしいと思っています。ここからはじめて見ようと思います。万物の始まりと万物の終わりが見えていれば、こんがらがった今の世界の混乱に囚われず、進むべき方向を見据えていくことができるような気がします。

 家族に言われる通り、私は勝手で変わっていて自分の事しか考えない人間で、ここまで生きてきました。自営業の家で従業員の世話をし、舅姑がいて、子育てして介護して自分も病気して、あっという間し40年たったけれど、もういろいろなことを忘れてしまって、これからやらなければならないことを考えている時に、その根底に流れているのは今まで私がやって来たことなのかもしれない。今まで来たゲスト達、これから来るゲスト達に何をしたらいいのか、ほんの少しの時間でもいいから嬉しいとか喜ぶ気持ちをもってくれればそれで十分だけれど、文明と文化の違いとか、自分の芯をどうやって持ち、どうやって育んで行けばいいか、それがあるとないとではこれからの混乱した世の中を生きて行くことができないということを、言って行きたいと思っています。

 「1人では生きられないんだけど、気がつけば1人だったり、逆に1人になりたい時もある。失敗しても、また失敗しに行くそれを繰り返しているのだけれど、それでもあきらめずにまたトライしていて、報われない努力ばかりだし、努力が実らなければ無駄な日ばかりかもしれなかった、夢がかなうわけでもないし、だったら夢とは何だったのかとも思う。誰にも伝わらない気持ちも、誰にも届かない日々も、ただ同じように過ぎ去っていく日々も、ただ苦しみを味わい続ける日々もある。何で自分はこんな生き方しかできないんだろうと思うけれど、今はそのすべての選択に意味を持たせなければならない、たとえその選択によって失敗したとしても、何かを得ては失うばかりの日々に意味を持たせなければならない、いつか振り返った時に意味があったんだと思いたい。これからの選択もたくさん迷い、悩むけれど、この選択があったからこそ未来があるんだと思えるように今を選び続けます。」

 これは羽生選手の菊池寛賞受賞の時のメッセージです。参道のお店でもらった試供品のお線香の香りにもしっかり意味があり、それを知ればお線香を灯している間、その香りを感じ続けることができるし、イメージも膨らみ続けるのです。私たちが今生きている意味、何を芯にしていけばいいのか、どんな感情を大事にしていけばいいのか、あまりにも混乱した世界の中でどんな風に立ち続けて行けばいいのか。おろそかにできない事ばかりなのです。

 「花風‐白梅の香り‐」ああ、これから来るゲスト達の着物姿に、ひとつづつ題名を付けていきましょう。私の中に埋蔵されているどんな言葉がでてくるでしょう。古典でも和歌でも何でもいい、明日は仕事始め、男女二人のゲストが来ます。

座敷わらし

 子どもたちが帰って来て集合するのは唯一お正月だけになり、ここ数年は金沢料理のお店のおせちをいただいていたのですが、今年はお刺身類が充実している亀有のお店に頼み、31日にテレビを見ながら待っていましたがなかなか来ないで、電話をしても通じず何ということかと思いながら、北海道から海産物を送っていただいたので何とか間に合わせてお正月の食膳を整えました。それにしても送っていただいた蟹を解凍したら傷んで居たり、初めて見る花咲ガニは身があまり入って居なかったり、ロシア問題の影響だかなんだかわからないけれど、賞味期限の切れたものを冷凍して売ってしまうという今までなかった倫理観の欠如が当たり前になっていることが恐ろしくなってきます。おせちが届かないのもそういうことなのかと思いながら、一番先に到着した次女夫婦と先にお酒を飲み始めた夫は今年は歯もないし厄年かなあと嘆いていました。

 妻の実家に行くのは腰が重いと言っていた次女の旦那様は、今年は早くに来るし夫ともよく話すのだけれど、なぜか私の存在が目に入らないようで、長火鉢でお燗を付けている私を見て「座敷童だ」などいい、反ワタシ派の次女と悪口三昧言うのを聞きながら、まあいいかと静かにしていました。仕事が立て込んでいる長女はお昼に到着、大阪へ遊びに行っていた長男はそのあと来て、カニや刺身を食べながらこれだけあれば十分だよと言ってくれました。久しぶりに子供同士話しているのを聞くと、受験や運動部の合宿で小さい頃から家にいなかった次女は、義父との接触もあまりなくて、小学生の時煙草を買いに行かされたことを懐かしそうに話す長女と息子の会話を目を丸くして聞いていました。料理も家事もせず勉強やスポーツに打ち込んできた次女は旦那さんの美味しい手料理を毎日食べ、「お母さんは料理が上手くないから」と平気で言うけれど、息子は高校時代の弁当を絶賛していたし月一で送る無農薬野菜も丁寧に料理して食べているから、子供もそれぞれ違うのでしょう。みんな歳を取ってたくましくなり、自分のすべきことが見えてきたことが有難く、私も私のやるべきことをやっていこうと考えていたら電話がかかり、これからおせち料理を届けるという連絡で、元日の夕方に配達してくれなどと言っていないのに勝手に決めつけてしまうこのお店の倫理観にあきれながら、何かが狂ってきていることをまた感じてしまいました。製造年月日が十年まえのお酒が送られてきたこともあり、何でそういうものを平気で送るのか、地球の磁力は恐ろしく狂っているとしか思えないのです。

 炭の火力が弱かったので、なかなかお燗が付かず、五人揃うとお銚子一本はすぐなくなり、早く温まらないかと私はじっと長火鉢の前に座ってみんなの話を聞きながら、その話の輪に入れないというか、私の話題は彼らから遠く離れたところにあるのをあらためて感じながら、こういう話はゲストと話す時使えるなと思うし、今みんなが抱えている問題は共通なものがあり、それを解く何かはおこがましいけれど私の体験の中にあるような気がしてきました。大晦日に若者たちの歌を聴き、とてもリアルで切実だけれど透徹した感覚は、明らかにこれから生きて行く励みになっている、時代を進める力を皆持っているのです。

 あとで次女の旦那さんの言った「座敷わらし」という言葉が気になり調べて見て驚いたのは、決して陰鬱な妖怪ではなかったのです。「住みついた場所で遊んだり悪戯したりして過ごし、何らかの幸せを呼び込んでくれて、座敷童が住んでいる間はその場所は栄える、逆に座敷わらしが出ていくと、その家が衰退していく」というのです。座敷わらしはその家に財運や出世、子孫の繁栄などをもたらしてくれる存在で、家族が思いやりの心を持ってしっかりと手入れされた家が座敷わらしにとっても住み心地の良い家になり、結果としてその家が代々続いてきているからなのです。

 日本では多くの土地で座敷わらしは神様が現世に降りてこられた際の姿であると言い伝えられています。そのため神様を祀るための仏壇や神棚がある家に座敷わらしは姿を現すことが多く、人と自然が好きな存在であり、自然からのエネルギーにも大きく反応を示します。人からの想いと同様に木造建築物の温かみも座敷わらしが居心地が良いと感じる一因であると知って、座敷童とはもしかして義父の兄弟の武君と源ちゃんではないかと気がつきました。彰義隊の末裔のひいおじいちゃんから義父まで、勿論小さい位牌も全部祥月命日は特別拝んでいるし、お正月の三が日はお雑煮の具の入った木皿を神棚と仏壇と荒神様にお供えすることを義父母に教わり、四十年続けてきたけれど、とうとう武君と源ちゃんは私のそばに現れてくれるようになったのでしょうか。

 アクシデントが続いたお正月だから、彼らはどうしたのかと思って出てきてくれて、私を慰めてくれたのかもしれません。四十年間いろんなお正月があり沢山の人々とおせち料理を食べてきたけれど、質素なお正月になってめげていた私を、武君と源ちゃんは慰めに来てくれて姿を見せたのに次女の旦那さんは気がついたのです。初めて心がつながったいいお正月でした。これからもこの家を大事に守っていきます。

美しい神のきらめき 

 暮れも押し詰まり、夫と家の掃除をしたり墓参りに行ったり慌ただしく過ごしています。義母の施設ではクラスターが起こり、入居者全員コロナ感染してしまい、容態は安定しているものの個室でじっとしているので筋力が落ちるし認知症も悪化していると連絡がはいって、どうすることもできませんが何があるかわからないと覚悟して、義母の弟妹にも連絡しておきました。義母は義父が亡くなった後の正月は弟妹たちの家に泊まりに行って楽しく過ごしていたのだけれど、今妹さんがたまに施設に電話をしても、忙しいからと言って迷惑がっていると告げられ、施設で出来たお友達が一番でもうそれ以外のものは目に入らなくなってしまっていて、それでも義母の心が安定して潤っていれば良いのだと思っています。

 最近はゲストの人数が多いので待ち時間退屈しないように夫が着物を着た順に二階の和室を案内し、鎧や仏壇、神棚、障子、床の間などを見せていろいろ説明していますが、二人で大掃除をしながら「本当によくできた家だなあ」と改めて感心しています。戦争が終わって義父は裸一貫で仕事を始め、ここまで発展させてこの家を建ててきました。でも一緒に暮らしていた私たちはその束縛が苦しくて、この家から逃げることばかり考えていたけれど、沢山の外国人が来るようになり、特にコロナ後は家全体を使って日本の文化というものを見せることをしてきましたが、これから迎えるお正月の意味も行事の意味もおせち料理の意味も、文化の一つとして共に考えることができることに気がつきました。

 疲れて夜早く寝るので三時ごろ目が覚め、テレビを付けたら読売交響楽団の第九の演奏会が放映されていて、合唱団に入っていた頃第九の講習会に行ってドイツ語の発音に苦労したことを思い出しながら、私は久しぶりに最後の合唱を聞いていました。もういかにうまく歌うかなどという欲はとうになくて、音楽を聴きながら字幕のドイツ語をずっと読んでいて、今まで会った50人以上のドイツ人の事、真面目で大きくてあたたかくてちょっと面白かった彼らの事を思い出していました。長い単語は難しいけれど美しいとか短い単語はわかるからずっと字幕を見ていたら、これまで第九を聞いたり歌ったりしていた時と全く違う感覚があって、ベートーベンやシラーは何を考えてこの曲を作り詩を書いたのか考えていた時、”美しい神のきらめき”という言葉が目に飛び込んできました。

 

 今朝の5時からのクラシック倶楽部という番組は、天才ピアニストブーニンの復帰公演の特集で、ケガや病を乗り超え、9年ぶりに挑んだ八ヶ岳高原音楽堂の完全版を放映していました。長身の身体を折り曲げるようにしながらシューマンの小品集を弾く彼の姿を見ながら、勿論譜面などなく、彼の頭の中にある世界を紡ぎ出していく音楽を味わっていました。まだ指も完璧には動かずリハビリの途中だというけれど、シューマンの優しさはリハビリに完璧で、目指すショパンが弾けるようになりたいという彼は、日本人の奥様の強烈なサポートに支えられ、多分日本の穏やかな風土や食事にも助けられているのかもしれません。彼の持つ能力と心と表現は、たくさんの試練を経て、神のきらめきを感じさせてくれ、曲の合間に窓の外の八ヶ岳の緑に目をやりながら、自分の物語を紡ぎ続けるブーニンさんと、プーチンさんの心の隔たりが、透明に描き出されていきます。

 鮮烈なデビューをしたころの彼の演奏は、「絵を見ている感じがする」「たくさんのミスタッチがあるが、魂が伝わってくる!」「ここは聴いていて、天国の音だなって思うの」「ブーニンの精神、ピアノ、力の入れ方、コンディション、あらゆる人間としての一回性の上に、この音が出てきているの!」と絶賛され、「私は空間を支配したい」「魂を表現しろ、生きろ」という彼の言葉を見つけました。クリスマス、お正月、海外旅行と、コロナが終息したと信じ、人の心は久しぶりにざわめいています。皆が同じようにコロナにおびえながらじっと籠って耐えていた日々に、わずかな光と多くの力を必要としていた私たちは、今あらためて芸術や文化の深さに気がつき、自分の心の芯がそれに呼応していることをしみじみ感じています。

 ブーニンさんがケガをしている時、電動車いすに乗って町を散歩し、途中で一服しながら煙草の灰をコーヒーの空き缶に落とし、カメラの方を見てニコッと笑っている映像がありました。日本の、静かな町の片隅の植え込みのある小さな路地、静かで平和で穏やかな空間で、ピアノを弾くこともできない彼は穏やかに日常をくらしていました。日の光、風のささやき、花のかおり、鳥のさえずり、妻の愛、そして神のきらめき。ブーニンさんは美しい音色で美しい音楽を奏でようと努力しています。よく動かない左手だけれど、リハビリのシューマンを経て、愛するショパンを弾いてリサイタルができるようになっていたのです。

 美しいもの、心からの愛、それを感じ取れる自分の芯を持ち続けること。

 

 クリスマスに来たゲストで800人になり、昨日400番目のレビューをもらいました。きりのいい数字で、2022年がおわりました。ひたすら嬉しく、ありがたく、清々しい気持ちです。

 

 本当にありがとうございました。