ダンデライオンから清澄庭園へ(昨年の冬の話ですが)

エアビーのホストさんの紹介で蔵前にある今有名なチョコレートのお店ダンテライオンのオーナーさんに娘とお会いしてから、時間があったので、清澄庭園に久しぶりに行ってきました。小学校の遠足で行って以来、50年ぶりでしたが、寒い冬枯れの日で、夕方だったせいもあり誰もいないで、ただカモたちが池の中でうずくまり丸くなって寒さをしのいでいました。娘に遠景の中に佇むというコンセプトの写真を何枚かとってもらいましたが、被写体はともかく、なかなか面白いものだと思いました。

風景の中に埋没した着物姿、と一般的に考えようとしたとき、あ、そうではなくこれは私の心象風景だったんだと気が付きました。

冬枯れのだれもひとのいない庭園にじっと佇む、何を見ているのか、何にも見ていない、ただ着物に包まれてそこにいるだけ。これこそがわたしの本質だったんだと。小さい時から人と感じ方が違くて、生きにくいことが多かった、変えようにも変えられなかった意識。このかっきりした見事に作られた庭園の中にいるというのは、でも救いでした。

池の中でうずくまり丸くなって点在しているカモを見た時、思い出すものがあると心がうずきました。そうだ、手塚治虫の漫画ブッダのカモの絵と一緒だ。何も夢見ず、何も望まずじっとしてつらい長い冬を耐えていたというか、耐えるという意識もなくじっとしているだけの胆力を持ち合わせていたカモたちの話。

私はこの場所で着物を着ているということ。この写真を撮っているのが、着物で何かを表現したい娘であること、過去も現在も未来もこの写真の中に込められているということ、ここが私の井戸だったという安心感。

わからないことを並べ立てていると思いますが、この写真の中に潜んでいるものすべてをこれから少しづつおこしていける、場所を見つけたという喜びでワクワクしています。