桜の樹の下で

 またまたハードな着付けが続きます。今日はタイの女医さん二人とイケメンの彼氏、それにワシントンに住むハナちゃんという背の高い韓国の女の子に着付けしました。ハナちゃんはとても気を遣うタイプで日本語はスマップや嵐のファンなので覚えたとのこと、着物もあまりこだわりなく総柄の花模様を選びました。

 少し遅れて来たタイのグループはタイっぽくない方々で、モダンできれい、イケメンでした。男性は5分もしないで着付け終了、女性は選択が大変で、想像もしなかった薄い地色に大きな花がボンボンと咲き誇る着物を選んだのにはびっくり。これを選ぶ方はいなかったので、裄がみじかいとか後で思ったけどもう仕方ありません。襟もあまり出ないのでどうしようかと思ったけど、本人堂々としていてポージングもうまいので、おたおたしないことにしました。

 うちに帰ってきたら、居合刀をそばにおいて彼女が写真撮りたいと言うのでみていたら、この襟の抜き具合、緋牡丹お竜の藤純子のだと気が付きました。外国人の方が選択する場合、特にインドネシアとかタイとか勿論人にもよりますが、えーっつという時があります。でも国籍とわず魅かれ合う着物ってあるのかもしれません。こちらはやれ襟が曲がっているだのしわがよっているの余計な所に目が行ってしまいますが、最近それが何だろうと思う時があります。

 90キロのイギリスの女の子に結城紬を着せた時、前が合わないとかいろいろあったけど、曇天の江戸川の土手で佇む彼女の写真撮った時、荒涼としたイギリスの荒野、ヒースクリフやキャサリン、嵐が丘を思い出しました。結城紬のクオリティの高さと彼女の内面が合致したのでしょうか。

明らかにうちの着物たちは彼女たちに着られることによって、何かを語りだしているのです。私はひたすらそれを聞かなければなりません。