再びフランス人

 久しぶりに予約が一人だけ、それもフランスの25歳の男の子、どうやって四時間過ごそう?この前来たロシアのマトリックスの彼に相談したら、孫だと思って接したらと言われました。

 時間少し前に現れたフランスのお兄さんは真面目でお酒も甘いものもダメ、英語もあまり得意ではなく割と几帳面、着付けも写真もお茶もあっという間に終わり、私も浴衣着て帝釈様行きました。まつり明けで静かな柴又参道でも食べるものも飲み物も興味なく、好きなのはブラックコーヒーといわれ、レトロな喫茶店に入ったものの、うーん趣味が違う様で、難しい・・・

 近くにフランス人の男の子が着物のお店出しているので、そこなら会話が弾むかと連れていったら、話す話す、30分くらい彼らはフランス語でしゃべりまくっていました。そこのお店を手伝っている着付けの先生と私は打ち明け話していましたが、ここだけの話その先生も店主のフランスの男の子の性格の難しさに手を焼いているとかで、二人で会話しても(日本語ペラペラです)まず否定から入るとか、素直に人の言うこと聞かないとか、こちらはこちらで盛り上がっていました。

 でもフランス人二人、帰り際はあっさりで、何を話していたのか日本語で店主に聞いたら、フランスの工場の話とか経営の悪さの話とか言われ、???望郷の念に駆られて話していたわけではなさそうだし、かといって意見が一致したわけでもなさそうだし、よく分からん!!!

フランス語話し過ぎた彼は英語話すのもかったるそうで、うちへ戻り着替えて握手してあっさり別れました。

 初期にドイツの女の子が一人で来て、着物着てたくさん写真撮ったまでは良かったけど其の後が続かず、一緒にホスティングしてくれたパートナーの健太さんと一人のゲストは難しいと悩んだことありました。あれから300人以上ゲスト来ていますが、やっぱり毎回本当に真剣勝負です。

 私は世界の地理とか歴史をちゃんと勉強していないので、地図を見せてホームタウンがどこにあるかそれぞれのゲストに教えてもらうのですが、フランスの彼はブルターニュ地方の北の方、この前のロシアの彼はモルドバの生まれでおじいさんはベラルーシ出身でした。

最近柴又の説明に第二次世界大戦の時爆撃受けなかった話を入れているのですが、ドイツとかハンガリーのゲストは自分の国の爆撃の後の様子を話してくれます。

 ロシアの彼に好きな音楽を聞いたら、日本の河瀨直美監督の映画「二つ目の窓」のハシケンというミュージシャンの音楽がスピリチュアルで好きというのにびっくり、宮崎ジブリもそうだけど日本の感性はワールドワイドです。

参道でダルマについて聞かれて答えられなかったときドイツのゲストがすらすら答えているので、昨日ダルマを買って、達磨大師のことから家できちんと説明しようと思っていたら、丁度新聞に裏千家家元の千玄室さんが達磨大師のことについて書いてらっしゃいました。

 梁の武帝が達磨大師に「自分は色々なよいことをしたがそれに対しての見返りは」と尋ねたら、「並に無功徳」=「自分がしたよいことを吹聴してしまったらしまいだよ」といったとのこと。でも今回はフランスの彼にいろいろ日本を感じてほしいと試みたけど、達磨さんのように手も足もでなかったというのが実感です。仕事終わり、はじめてお酒飲みたいと思えなかった。いろんな日があります。

 でも今日買った買った達磨さん、私の相棒になってこれから助けてくれるかもしれません。