ノアの箱舟

天変地異が相次いでいる。台風、地震この二日間だけでひどい被害だ。

 

 昨日のゲストは三十代のオーストラリアカップルで彼女は八月の誕生日に貰った婚約指輪をはめて、うちのとっておきの京都の浴衣を身に着けました。彼氏は体育会系の心の優しい男性、しかしいつも思うのですがオーストラリア人の英語は早くて聞き取れないし、私の話すことも理解しにくいようで、最近トラウマです。あと二人はシンガポールの20歳の学生の女の子、昨日はディズニーシーにいったっけど 帰りの電車が台風のため立ち往生して難儀したそうです。

芸術肌のオーストラリアのクリスティンは着物の選び方や小物の色の取り合わせにもこだわり、彼氏の着物も選び、マッチョの彼氏と身長もかわらないし仕切ってリードしてました。なんの屈託もなく、あるのかもしれないけど、前のゲストのネイティブアメリカンの血を引く彼女との関わり合いとはずいぶん違った雰囲気でした。

 鉛筆のように細いシンガポールのメイちゃんはゲーマーでスキがあるとゲームしてましたが、驚いたのは初対面のオーストラリアの35歳のアダムと英語で楽しそうに話し込み、日本語も少し読めるし語学が大好きとのこと、こうやって語学の好きな子は苦労せず言葉覚えていくんだなあと感心してました。ただ、彼女が後でシャツを忘れたのでみんなで食事している吉野家へ届けに言ったらお礼を言わないので、もしかしてアダムとの会話もゲームとかのマニアックなことで盛り上がったのかしら、一般的な事柄にはもしかして疎いのかもと勝手な想像してました。最近私が20歳の女の子と息もつかずしゃべりまくったのは大好きなフィギアスケートのことで、これそばで聞いてたらすごい英語しゃべれると思われただろうと思います。言葉って何なのかと不思議です。

 

 毎日葛藤しながら着物着せて柴又連れていき何とかまとめて終了、そして350人になった。これでいいのだろうかと思いつつ、ほんとに裸一貫素手で勝負している。何を目指しているのか、何をしたいのか、何を思ってもらいたいのか。

こうやって政治も経済も環境も気候も人心も目まぐるしく変わっていく世の中、私のやっていることはうちにきてくださる外国人の方々の期待にそえているのか。

 ゲストが帰った後、着物の手入れをし、小物を干し、茶道具をかたして掃除している時、ああ私はこういう仕事が本当に好きだと思う。整骨院として建てた立派な頑丈な作りの建物、二階には神棚も仏壇もそして鎧兜まである。いつも着物着て人のもてなしが好きだった主人の亡き母の想い、敵のうちに来ても茶一杯くらい飲んでいけといつも言っていた柔道八段だった義父、私がやっていることを認めてくれているとは思えないのだが、残してくれたこのライトグリーンの三階建ての家をノアの箱船のように考えていきたいとふと思う。はっきりした意思を持った人々が着物を通じてきてくれる場所。天変地異が起り地が洪水で氾濫しようとも、そこにいれば残れる場所。それは場所なのか、人の心のなのか。

 人は人の愛で生きている。その愛とは己の奥深くにある。太古の昔、神々が集い相談した。最も大切な宝は何処に隠す?山の頂か?海の底か?そうだ、己の中に入れておこう。