ピーター・フランクルさん

 数学者で大道芸人という肩書をもつピーター・フランクルさんの自伝が産経新聞に載ってました。ユダヤ系ハンガリー人の彼の祖父母は、アジアでは朝鮮戦争が続行し、米ソ冷戦が激しさを増す第二次世界大戦中、ハンガリー政府から守られることなくナチスドイツの強制収容所へ送られて殺され、彼の母だけ戦火をくぐりぬけて生き延びたのです。

 19世紀、オーストリア=ハンガリー二重帝国は移民に広く門戸を開き、多くのユダヤ人が集まって発展に尽くしたのですが迫害も続いて、彼の両親はユダヤ人であるがために差別され親類も殺されてきたので、ソ連の影響が色濃いハンガリーで1953年に生まれたピーターさんにそうした経験をさせたくないと、大戦後はユダヤ教を完全にやめ、ヘブライ語は一言も教えずシナゴーク(会堂)にも通わず、普通のハンガリー人として彼を育ててきました。それなのに突然彼は差別されはじめ、国家が敵だということの恐怖心は消えることがなく、人は安易に信用してはいけない、出身は明かさないと戒められて成長してきました。すべてを失い命さえ残ればいいという極限の体験をしてきた両親は、子供たちに折にふれてこう言っていました。「人間が本当に持っているものは、頭と心の中にある。他は奪われても残るのは、自分が覚えた知識や技能、心温まる人間関係・・そうしたことを大切に生きなさい。」

 

 成長したピーターさんは国際数学オリンピックで金メダルを取り数学者となりましたが、その後日本に来て初めて心から安心して生活ができ、平気でユダヤ人であると言え、解放された気分になり心から重荷が下りたといいます。日本を愛し日本人を愛し心穏やかに暮らしているフランクルさんなのですが、ただ今彼が思うことが一つ、日本は豊かな国だけれど、親の子供に対する態度には違和感を感じるし、少子化の流れの中でいじめや虐待、自殺、不登校、不就労といろいろ問題があるのは、子供たちが多くの大人ときちんと関わってきていないからではないかということです。子供に豊かな人生を生きて欲しかったら、親が心豊かな人生を送ること、自分の生き方をきちんと貫くことが子供を幸せにするとだと、ピーターさんは思うのです。

  しかし私も含めて、大人といえる人間たちが子供のころからきちんと他の人びとと関わって生きてきていたか、特にこの島国日本では難しかった気がします。人と同じことをし、同じ考えをし、余計なことは思わず同じレールの上を歩んでいれば幸せが待っているという流れの中で、これまで何も疑問に思わずにきました。でも今いろんな国々の方に着物を着せ、お寺の仏教彫刻を見ながらみんなと語り合っていると、今まで日本の中で平和に暮らしてきたことが、表面的なことに過ぎなかったような気がしています。見ないふりをしているというか、知らないですましてきたこと、考えないできたことがあまりに多すぎ、あちこち危険だらけではがしてみたらシロアリに食われ切った橋の上を無防備に歩いていたことに、愕然としています。

 海外に出ればいいということではなく、フランクルさんのように国家が敵であるというような緊迫した状況で他人と関わってきたことを追体験しようということでもなく、ただ、やるべきことを見つけ、ぎりぎりまで自分の感性を研ぎ澄ますことが一番必要な気がしています。