お茶のお稽古

月三回小岩にお茶のお稽古に行くようになって、二年が過ぎた。お道具も沢山ありいろいろなお稽古ができるし、懐石もご自分で作って下さるという素晴らしい先生なのだが、とても厳しくて私ができないとじれて強い言葉を吐かれるのが頻繁になってきて、行くのが辛くなってきている。

覚えが悪く器用でないことが原因なのだから仕方ないが、他の方より叱りやすいのかもしれないと昨日のお稽古していてふと思った。

十一月に炉開きをして、今は炭点前を習っているが、炭の挟み方、羽の扱い、初見だらけでできないというと先輩のお点前見てたでしょ、口答えはしないのとまた怒られる。

分厚いお茶の教本をアマゾンで買い、ユーチューブで繰り返し炭点前の動画を何回も見て、十二月初めのお稽古に臨んだが、見るのとやるのは大違いで、濡れ灰を撒くのがうまくいかず、どうしたらこんなに汚く撒けるのといわれてしまった。

ただ今どき炭点前までしてくれるお茶の先生はめったにいないとの事、お茶会に行ってもちゃんとお稽古積んでいないお弟子さんが多くて嘆かわしいと言ってらしたが、前に厳しく叱責した後に私はお点前が上手くなると言われたことがあり、短期間で習得させるため敢えて厳しく教えてくださっているのかもしれない。いやだいやだと思いながら、ここが正念場なのだろう、伝統芸能?をきちんと習得するためには努力と覚悟が必要なのだと改めて知った。

 戦国時代、戦いの前に一服のお茶を点てる。そうだ、お茶は戦いの前の精神統一と心の平静さを保つためのものなのだ。やはり今は戦いの時なのである。とにかく体に作法を叩きこもう。考えてみたら、あそこまで叱責される体験などこの年ではなかなかないのだ。敢えて、あえて、うけとめて、進んで行かなければならない。