三車火宅の譬え

 今なすべき所は ただ物事をありのままに把握し真理を見極める仏の認識力を得ることである

 また、舎利弗よ 高慢で怠惰で

 自分だけの偏った見方や狭い考えを信じている者には この経を説いてはいけない

 仏の教えを理解せず知識が浅く 深く財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の五欲に執着している者は

 聞いても理解することは出来ない また、そのために説いてはいけない

 もし人が信じないで この経を非難すれば

 全ての世間のすべての生き物が生まれながらにもっている 仏となることのできる種子を断ち切るだろう

 

 12月はほんとに暇なのですが、昨日は久しぶりにカリフォルニアから四人ゲストがきました。二組とも四回目の来日、そしてその中の一人は何とエアビーで働いている男性でした。三十代と二十代のカップルで、両方とも長いこと付き合っているけどお友達?だそうで、でも互いに気ごころ知れているから、着物や小物のコーディネートは結構彼氏たちがアドバイスしてくれていました。

 メキシコがオリジンのピンク好きの看護師の彼女はグラマーで陽気で、彼氏は大きくて髭はやしたアニメ好きのお兄さんでしたが、帝釈様の彫刻ゾーンに入っていろんな宗教の話したとき、十枚のお経版の解説読みながら、一番重要なのはこれだと「三車火宅の譬え」を指してくれました。相変わらず英語も、しゃべっている内容も理解できていないのですが、私が百回以上ここにきてこの彫刻見て思うことと彼が初めてこれを見て思うことは一緒だったんじゃないかと感じました。

 欲に満ちた現世、今屋敷は火に包まれ燃え盛っている、その奥で何も知らず遊んでいる子供たちを救うため、用意された三台の車。その車は子供たちを救うための方便だと思っていました。でも今回わかったのは、一番大事なもっと大きな車が用意されていたということ、それを言いたいがためにこのお経はあるということです。

 いろんなとらえ方や感覚があると思いますが、私はこのお経のことを様々な国のゲストとずっとずっと話したりしてきて、やっといま腑に落ちたところがありとても気持ちが楽になっています。

 エアビーの仕事をする縁をいただき、外国人に着物を着てもらって帝釈天へ行き、百回以上法華経の壁画を眺め拙い英語で考え語り合い、そしてわかったことは、今わかったことがすべてであり、これをわかるために今までがあったのだということです。

 

 いろいろな方から今も着物がたくさん送られてきます。今日も台湾の六歳の男の子が紬地で作った七五三の衣装着て柴又へ行きました。袴が短かったし少し寒かったので、おとなの結城紬の羽織を着せたらなかなか素敵で、山本亭へ行ったり江戸川の土手に行ったり、臨時で手伝いに来てくれた15歳と10歳の女の子と仲良くなって遊んだり、そして最後まで着物を嫌がらず脱ぎませんでした。驚いたことに馴染んでくると彼は日本語でしゃべりだし、両親が教えたわけでなくユーチューブで覚えたそうです。外国人と接したいと福島の喜多方から冬休み利用してきてくれたはなちゃんとこころちゃんはアニメなどの話題に強く、英語が聞き取れないと言いながらゲストのヘアメイクしてくれたり、着付けしてるときアシスタントしてくれたり、本当に助かったし、何よりも今日は笑い声が絶えませんでした。オーストラリアから来た中国人のゲストが、こういう経験は若い時に必要だと言ってはなちゃんの英語をほめていましたが(彼はなぜか無敵と書かれた鉢巻をずっとしていました)このごちゃまぜ感のある私の着物体験は無私無欲な目の輝きをして外国人のゲストと接触してくれたはなちゃんやこころちゃん、自分で日本語覚えて着物着て走り回って遊んでいた台湾の六歳のマックウィーン君の無邪気な姿に象徴されるもののような気がします。別に英語しゃべることにシャカリキにならなくても日本語で話したいゲストもいるし、心を許せば六歳の子供が親から離れて遊びまわってくれる、それも彼は日本語を話したいのですから。

 日本文化が好きで、日本が好きで、味わいたくてやってきた彼等へのはなちゃんとこころちゃんのおもてなしは、素晴らしかった。帰り際いつまでも別れを惜しんで手を振っていた彼らの姿を見ていて、無欲なもてなしとはこういうものかとあらためて思わされました。

 難しい世の中です。いつ何が起きてもおかしくない、そんな中で必要なのは、自分の中にしっかりとしたスキルと気持ちと温かい心を持ち続けること、そしてグローバルな出会いを小さい時から持つこと、今日はたくさん彼らから学びました。