引き算すること

 最近野村萬斎さんの活躍が際立っていて、テレビや映画、演劇はもとより雑誌や新聞などでもよく取り上げられています。一年半後に迫った東京オリンピックの総合演出も手掛けていらして「あちらと思えばまたこちら、狂言界の貴公子は今何を思い、何を目指しているのか」「この忙しさは運命か天命か、僕の使命だと受け止めています」などという見出しを見ただけでも、未知なるものがこれから作り上げられていくんだという期待と刺激で私はわくわくしています。

 何かを作り上げるという事は難しいし、考えすぎても気負いすぎてもいけないのでしょうが、能狂言の世界の芯を軸にして一つの揺るぎない精神を持った萬斎さんが最先端技術やさまざまな未知の分野の方々と出会いつつ、本質的な正義を貫いていくであろう過程を心してみていきたいし、通底するキーワードは狂言の「このあたりのものでござる」の精神で、「大統領も首相も、障碍者も健常者も、人種や言語が違っても、世界中が”このあたりのもの”として集まる、どの人間も包括し、肯定する狂言の心は世界平和につながるはず」とおっしゃっているのはすごいなあと思います。

「パレットの絵の具は多彩なほうがいい。そこから引き算する。そぎ落とした表現で最大限の効果を上げるのは、能狂言の専売特許です」という言葉を読んで、引き算という感覚をつかみかねていたら、昨日見た雑誌に出ていたデザイナーのコシノジュンコさんが同じことを言っていたのにびっくりしました。

 彼女は今ファションだけでなく生活の中のデザインにも取り組んでいて、デザインの原点は「整理すること」であり、いろいろなものを足し算することでなく引き算して、いいものを生かしていくことだと考えているのだそうです。22年間パリコレをやって外から日本を見ることができたおかげで、日本の”余白の美”ともいうべき洗練された文化を大事にしなければならないという事を痛感していらして、そうそう萬斎さんも若い時イギリスに留学して外から日本を見る感覚を得たといっていました。

 2016年から「FUKUSHIMA PRIDE by JUNKO KOSHINO」というプロジェクトをスタートさせ、福島の伝統的な産業の技術とコシノさんのデザインをコラボレーションさせて、例えば会津塗の漆粘土でイヤリングを作ったり、絵蝋燭も断面を四角くして周りに幾何学的な模様をいれたり、その他会津木綿、和紙、陶器、会津桐などと様々な試みを始めたそうで、職人さんの中には「こんなに忙しくなったのは、人生で初めてだ」という方もいるそうです。

 彼女は今人生で一番生きがいを感じていて、日本のことをもっと理解し、それを世界に広めたい、自分から発信していくことで社会にどれだけ貢献したか、最終的にそれこそが生きがいだし、生きている価値はそこにあると思うといっています。

 萬斎さんが「”世の中”にお仕えしようという、パブリックな精神が自分の中に生まれました。少しでも皆さんのお役に立つよう、気概を持って、自分の人生をとにかく一生懸命に歩きたい。今はそういう気持ちです。」と言っていて、才能あふれた、どちらかというとシニカルな二人が同じようなトーンの話をしているという事が、やはりこれから生きていく上での指針なのだと思っています。

 昨日フィギュアスケートの特集番組見ていて、羽生選手のフリーの演技がいろいろ詰め込みすぎだなと感じていたのが、ケガしてしまったから引き算して削って、それこそそぎ落とした表現で最大限の効果を上げていかなければならないんだなと思ったとき、萬斎さんの言っている意味が納得できました。私も邪まな欲や気持ちや焦りなどはみんな引き算して、素晴らしい日本の文化や美しさとしっかり向き合い、吸収していきたいものです。