インド

 今までインドのお客様は何人かいらっしゃいましたが、イギリスなどヨーロッパに住んでいたりで、直接インドからいらっしゃる方はいませんでした。今日はインドからの女性と、トリノ工科大学を出てチューリヒ大学で材料工学の研究員をしている背の高いイタリアの女性と、フィンランドで知りあい結婚したチューリヒ大学で化学を教えているインド人の旦那様でした。真面目そうな礼儀正しいこのカップルは、体験の時間がくるまでうちの玄関外に座ってコーヒー飲んでたのにびっくり!入ってすぐ握手されたのにびっくり!ただ時差ボケで眠そうでした。     しかしインドからの一人旅の女性が一時間半も遅れ、几帳面で真面目なカップルは早々と着付け終わり(奥様はおめでたでした)写真撮りティーセレモニー始めたころやっと到着、そのままみんなで茶道体験してインドの旦那様にお点前してもらい(頭がいいのですぐ覚え綺麗にお茶点ててました)それから急いで着付けて柴又に出かけました。

 インドの方々だから同じ言葉で話しやすいかと思ったら北と南で言葉が違うから英語で会話していて、勿論性格も違うし、どちらかというとおとなしめのカップルは後から来た旅行コンサルタントの女性に押され気味で少しやりにくかったのですが、お寺の中に入りお経を読む声が聞こえだしてきてからインドの彼の質問が繰り出され始めました。ヒンズー教の方と真剣に話すのは初めてです。

 ビーガンの話から牛は食べない、インドで敬われているのは牛と象である。

 聞こえてくるお経の言葉は何語か?妙法蓮華経が漢字で書かれた屏風があったのでそれを見ながら、中国僧がインド、チベットから経典を持ち帰り、自国で翻訳作業を行い、中国語に訳していったもので、中国語で書かれてはいるものの、中国語の発音ではなく、日本語の漢字読みだから「日本語」になる。さらにサンスクリット語あるいはパーリ語を耳で聴き、聴いたままの音を、中国人が漢字に当てはめたものもあるので複雑です。(これは後で調べたことで、こんなに詳しくしゃべれません・・・)

 そして彫刻ゾーンでは、彼にこれは中国のだと言われ、感動されなかったのですが、その時思い出したのが、もともと帝釈天はインドでは雷のヒンズー教の神で、偉大な勇気と力の神だと言う事、その後仏教仏法の守護神として仏教に同化されたということでした。

 雷神風神を指さしたり、たくさんある龍を見ながら、インドでは海や川に住む大蛇を蛇神として崇拝していて、インドの神話では人の顔をした蛇として登場し、この蛇の形をした神、つまり龍がお釈迦様の説法を聞いて仏教の守護神になったと言われているそうで、お寺に龍の彫刻が多いのは仏教の守護神である龍に、仏教徒がお寺を守ってもらうという意味が込められているのだからです。そうです、仏教はインドで生まれたのでした。ヒンズー教は最も古い組織化した宗教の一つで何百万という神々を持つ多神教であり、多様で複雑で、無神論でも自然神教でも虚無主義でもあり、仏教もその中の一つなのです。

 You are origin!彼に向ってなんだか馬鹿なことを言っていた気がするのですが、インドの方と直に話した今、初めて納得しました。だからこのようにインド古来の神々を積極的に取り込んで仏教の守護神として来たのです。龍は水神と関係がありますが、それを社寺に彫刻することで火災防止を願った、火事になった時に龍が水を吐いて消し止めるという謂れがあるからだそうです。

 

 しきりに写真を撮ってというインドの女性のリクエストに応えつつ、カップルのラブラブ写真も撮ろうと思って「Kissing!」と言ったら恥ずかし気に頬にキスし合った後で、「日本では人前でしていいのか?」と真面目に聞くから、私の「体験」ではなんでもOK、どんなカップルでもOKと行った頃から、彼は私が変な日本人だと気がついた様でした。トリノの近くで生まれた奥様は日本のアニメが大好き、そういえばテレビのイタリア語講座で、トリノで開かれた日本のアニメのコスプレイベントが大盛況なのを放映していましたっけ。彼も彼女の影響なのかとてもよく知っていて盛り上がったのです。

 おみくじに興味を示した奥様のために「A written oracle」を引き、(Good Luckと喜んでいました)さくらとゆずのお団子を美味しいと言って食べ、寅さんの像のところで同じ格好をして写真を撮り、無事家に帰りつきました。最近私は年のせいか、男の子(と言っていいかどうかわかりませんが)をかまうのが楽しくて、羽織と浴衣をプレゼントしてから強引?にハグして別れましたが、夫はイタリアの奥様が履いていた男物っぽいしゃれたイタリアの靴と黒の革ジャンにいたく感動して、さすが本場と見とれていて、彼氏が夫と握手しようと何回も手を差し出しているのに気がつかない有様で、異文化異民族の交錯するわが家の玄関は、いつも以上に混乱していました。それよりも私は仏教の根源はヒンズー教だったという事実を、これからどう取り入れたらいいか、困惑しています。