利休忌

 三月最後のお茶のお稽古に行ったら、床に利休居士の掛け軸と古銅の置き花入れに菜種の花がいけられ絵蝋燭も添えられてありました。二月二十八日が命日ですが一般の同門の人たちは三月二十七日に利休忌の会を開くそうで、三月の最後のお稽古に茶カブキという濃茶名をあてる行事をしてから、天目茶碗にお湯を入れてそこに後から抹茶を入れかき回さず(茶湯)そのまま利休居士のお軸の前に献茶しました。

 海老蔵さん主演の「利休にたずねよ」のイメージが強くて、なんとなく生々しい姿の軸の画像の横に

人生七十 力圍希 咄
     吾這宝剣 祖仏共殺
      提ル我得具足の一太刀
      今此時そ天に抛          とあり、自刃に臨んでその切迫した境涯と気迫を込めた遺偈が書かれていました。

やっぱり生々しい、お茶の世界を作った方の最期がなんでこうなのだろう、と思いながら私が正客だったので、茶湯の入った天目茶碗を利休居士にお供えしていたら、不意に胸が詰まってしまいました。古い歴史の出来事ではなく、同じお茶を修行している者にとって、これはある種の感情の追体験かもしれず、侘びとかさびというきれいごとでは終わらないどろどろした何かがお茶の世界にあるような気がしてきました。こういう話は、マニアックなロシアのマトリックスとしてみたい、夏の暑い日、団子屋さんでアイス食べスマホくりながら黒澤明の蜘蛛の巣城の話、私が知らない村上春樹の短編の映画の主題歌の話をしてくれた摩訶不思議な感性の男性でした。いろんな国の血が混じっているといってたけど、利休居士のことも知っているかもしれません。

 良くも悪くもいろいろな文化や出来事やアイデンティティが入り混じった混乱の中でどうやって道筋を見つけていくのか、いやだいやだと思っていたお茶の世界にも底知れない宝ものと複雑な何かが隠されているのでしょう。

 菜の花忌   利休忌   ふたつ続きました。