炭鉱のカナリア

 高校時代の同級生に井上達夫東大教授がいますが、リベラリズムの第一人者で本もたくさん出しています。若い時東大の駒場でマックスウェーバーの公開授業を受けていたことがあり(その時井上氏は駒場で助手をしていたのでしょうか)鳥取大学で教授をしている家中茂さんとも偶然そこで会ったことがあり、懐かしい思い出です。

  小林よしのりさんと井上氏(高校時代から陰でそう呼んでいました)との対談集「ザ・議論」を読んでいたらこんな文章がありました。「リベラリズムは異端の個人の自由や人権を守る思想である。とりわけ宗教的、文化的、民族的な少数者のように、多数者から差別される人々の人権を守りたい」こんなことを井上氏は言っているのでした。高校時代も雲の上の存在で常にトップ、でも割と孤高の人で卒業文集の一言が凄かった、でも今の私には先ほどの言葉が実感としてわかるのがうれしいのです。様々なゲストの悩みや焦燥をなんとなく感じ受け入れてはいてもそれからどうしようと思っている矢先だからです。

 なんで人が人を苦しめるのか。世界の各地で多数決による誤った選択が相次ぎ、混乱が続いている中で、日本電産会長の永守重信氏の未踏に挑むというインタビュー記事を新聞で読みました。貧しい農家に生まれ苦学したのち会社を設立して世界的なモーター会社に育て上げた永守氏は独特の嗅覚を持ち「炭鉱のカナリア」と呼ばれ、危機を察知し予見する力をお持ちなのです。十年ほど前からソフト至上主義が叫ばれハードの生産技術者は減ってデジタル革命がもてはやされる昨今ですが、皆が同じ考え方をするのはおかしいしハードを無視した主張はありえない、コストの低減と汎用化は進んでも、同時に複雑に制御するための基幹部品がますます必要になる。でもいつも経営者はリスクを分散しないといけないし、こうなればこうすると選択肢をいくつも持っていなければならないと言います。

 今後必要な人材はソフトとハードの融合が必要であるから、複合的でかつ経営力のある技術者がもとめられ、ペーパーテストのできる人間ではなく、若い時は遊んで放し飼いも経験して育ったほうがより嗅覚も敏感になる。一人一人が一歩先の危険を察知できなければ崖っぷちから転げ落ちる、いじめられっ子はいじめられて強くなるし、危機の時ほど新規参入組が入る余地が生まれる。そして今一番の危機は、最大のライバル中国企業の脅威だと言います。優れたものを作る前に競争で勝てるものを作れ、多角化ではなく技術を深掘りしないと中国には負ける、百年生き残る技術を持っているドイツ企業を買収し、職人技術を自動化しながら機械を作り上げていく。日本企業が生き残るためには自らの良さを重視し、深掘し温存して人材を育成していかなければならない。いろいろな変化が起きる中で絶対になくならないものを嗅ぎ分けること。

 中国の脅威というものは、エアビーのサミットに出席したとき中国スタッフの話(もちろん英語でわからなかったにもかかわらず、内容に良い印象を持たなかったのです)とか、うちに来た50人以上の中国のゲストの国民性とかアイデンティティみたり感じたり、着物の選択、お茶を点てるときの心の構え方とかがほかの国の方と違う気がしてなりません。でも確かにすごい脅威は感じるし、初期の中国のゲストに一緒に着物の仕事やろうと持ち掛けられたことがあり、進出力や語学力など日本のひ弱な若者はかないません。

 「なんで二番じゃいけないんですか?」と詰め寄った国会議員がいたし、競争はよくないからなくそうとか手をつないで一緒にゴールしようとかゆとり教育をされた世代もありました。きな臭い匂いが漂う中で、危険を察知して鳴く籠の中のカナリアとは自分の中のとんがった感性かもしれず、それを飼いならすためには人と違うということでいろいろ辛酸をなめつつ這いつくばってきた経験が結局役立ってきているのです。それにしても切羽詰まってきています。次の手次の手かんがえつつ、進んでいかなければなりませんが、その前に井上氏の難しい本を頑張って読んでいかなければならないのです。少しでもわかること、あるといいのですが。