二つの月

 平成最後の日、朝から寒い雨が降っています。何の雨なのかしら、天皇皇后両陛下への感謝と、寂しさの涙雨なのかもしれません。Human-beingとして最高の存在であり得たことへの畏敬の念とありがたさと誇りと希望はいつまでも心に残ります。

 それにしても世界中を覆う不穏な出来事の多発や人心の乱れ、おかしな事例が続いています。スポーツ界においても、オリンピックが近づいてくるというのに水泳、卓球、体操と今までトップで活躍していた選手たちの最悪の結果やアクシデントの記事が続きます。ジャッジの不可解な判定でトップアスリートが最下位、ありえないと思いつつ、審判とか先生とか呼ばれる人間のレベルの低さを見ていて同次元で反論したり話し合う言葉が通じない、違う世界の人間なのではないかと考えたとき、村上春樹の小説「1Q84」の二つの月のことを思い出しました。 

  主人公の青豆はある異次元ワールドに入り込み、今までと同じ世界なのですがそこでは“リトルピープル”という媒体が蠢き正義を貶め、むしばもうとしている、それをやっつけようという方向ではなく、村上春樹は登場人物に「我々の生きている世界にとって最も重要なのは善と悪の割合が、バランスをとって維持されることである。この世には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない。善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものである。一つの善は次の瞬間には悪に転換するかもしれない。重要なのは、動き回る善と悪とのバランスを維持しておくことだ。均衡そのものが善なのだ。」と語らせるのです。

 二つの月がある世界があるという事を知っている人の数は限られていると彼は言います。私はたぶん知っている、何故なら私の中には、そして私の周りには恐ろしいくらいの悪の存在があるから。なぜなのか、不思議でしたが、どこかに進もうとするなら、激しくそこへ進もうとするなら、恐ろしいくらいの悪がなければならない、拮抗勢力として、それは必要欠くべからざるものでした。光が輝くためには、深い暗黒が必要なのです。悪も受け入れて止揚していくこと、そう思うと気が楽になって、残された自分の時間を使ってやれることを考え、アクシデントもピンチも低迷も全部しっかり受け入れて二つの月のある世界を愛を持って進んでいこうと思います。

 五月の半ばから予約が入っていません。どうしようかと思いながら、変えなきゃいけないことはたくさんあるし、何をみんなが欲しているかを敏感に悟らなければなりません。アニメの世界、ゲストは大好きですが、帝釈天の彫刻見ながら阿吽の話したら、グアテマラのニキが犬夜叉の中に出て来たから知っているというのでびっくり、二つの月も比喩としてどこかのアニメに書かれているのかもしれません。漫画喫茶行ってみようかしら。