江戸職人クラフト手帖

 柴又の方からいただいたたくさんの素晴らしい着物の中に、江戸小紋の重要無形文化財保持者の小宮康助さんの羽織に息子さんの小宮康孝さんの着物が入っていました。青と水色の色違いで水脈のような模様の江戸小紋は私には到底着こなせず、いろいろな方に羽織っていただいたものの難しくてどうしようと思っていましたら、この前いらした金町の桂さんにジャストフィットしました!サイズもカラーリングしたショートヘアーもこの着物にぴったりで、着ていく機会もあるとのこと、いやはやほんとに良かったと、肩の荷が下りました。

 私の手から離れたところで、小宮康孝さんの言葉が記された歌舞伎美人だよりというパンフレットが出て来たので、しっかり江戸小紋を記憶することにします。

 小紋は柄を切り抜いた型紙の上から糊を置き、鮮やかな地色に細密な文様が浮かび上がる伝統工芸で、その中でも裃として発達した細かい柄の一色染の小紋が江戸小紋です。人間国宝の小宮康孝さんは江戸期に作られた型紙を復刻させ、現代の染色技術を用いて「布地が光を放つ」と言われるほどの仕上がりを完成させました。江戸小紋の輝きは型紙の図柄を布の上でいかに堅牢に再現するかを追求して生まれたとのこと、布地を手に取ると「一寸四万に千」とも例えられる細かい粒子が光を反射し、まさに発光するように見えます。「この小さな粒の一つ一つがピリッとしているのが江戸小紋で、酔っ払っているようにぼやけていてはだめ。腕の良い型彫師が彫った型紙は、柄がきりっとしていて乱れがなく、これは職人の気持ちが柄にでるからです」

 型彫師、生地に染料を浸透させないよう糊を置いていく型付け、微細な粒を一つ一つ浮き上がらせる染め、それぞれの技術が三位一体となって浮かび上がる江戸小紋のデザインには、袖を通すとキリリと背筋が伸びる緊張感があります。江戸時代に彫られた型紙のデザインを見て感じるのは、職人と創造物の間にある「厳しさ」だと言います。文様を創り上げる無数の小さな粒は、細かくなればなるほど高い技術が求められ、職人が向き合う厳しさ、それが極(きわみ)という言葉に集約され、小紋三役といわれる「極鮫」「極通し」「極行儀」が極限を追い求める美意識の中で生まれたのです。「極」と名の付く小紋は糊の調合、箆(へら)のもちかた、隅々まで成熟した技がなければ染め上げることが出来ないのですが、研ぎ澄まされた技は格好だけ表面的なことを追い求めていても厳しい美しさというものは出てこないし、どこかに乱れが出てしまうのです。誰の目にも美しい物には「厳しさ」が宿る。美しい花を人に見せるには、どっしりとした太い幹―道を究める覚悟と鍛錬がなければ不可能だと小宮康孝さんは言います。「江戸時代の職人は細かいものを彫って彫って、命を削ってもいいものを作るという信用を得なければならなかったのです。江戸時代に生まれた文様は私に、職人が一生向き合わなければならない厳しさを教えてくれます。」

 伝統技術、蓄積、命がけの鍛錬、うちの着物たちはそういう思いをしょっていたのです。外国人は着物わからないから何でもいいんですということを聞いて、日本人もそういう考え方をするのであれば、極みを尽くす着物なり生き方の話ができるのは、フェイクでないものを知っている外国人なのでしょう。私もいろいろなものをもっともっと研ぎ澄まさなければなりません。