君の名は。  Your name.

 大ヒットした映画で、外国のゲストにも評判の良い映画「君の名は。」テレビで放映していて、録画したものをを私は昨日やっと見ました。うーん、今一つぐっと来ない、若い感覚がよくわからないのですが、でも凄い、すごい。夜中見ていて、よくわからないのに随分泣きました。監督のことも知らないので、今調べていたら、アマゾンのカスタマーレヴューの中に驚くような文章がありました。


 物語・映画製作上のお約束や流行とは無縁の、独自の美学へのこだわり・映像表現の追求。それが新海映画。
その一人よがりさゆえに、映像作品業界の異端中の異端ポジションをずっと守ってきた孤高の映像作家。それが新海誠。
孤高を貫き、妥協を良しとせず、人の意見に耳を貸さず、人の評価など気にしない新海誠が“人として”成長したのを感じた。
その成長は孤高の男・新海誠だからこそ、“達しえた”成長だと思う。この映画が見るものに語り掛けることはこういうことと思える。


人には、すべきときにすべきことがある。それは、その人がすべきことであり、ほかの誰かが代れるものではない。
そのすべきときを逃すと、二度とその機会は訪れない。だからこそ、人はそのときに備え、心構えをし、力を蓄え、毎日を真剣に生きなければならない。
そして、その人の人生で、すべきとき・すべきことは、何度もあることではない。いくつもあることではない。人によっては人生に一度しかないかもしれない。
だからこそ、その時を逃してはいけない。その機会をものにしなければならない。すべきときに、すべきことを、成し遂げる勇気と力を備えておかなければならない。

そのためには、生きるということを真剣に考えないといけない。生きることの意味が分からないといけない。
そして、人は生きなければならない。孤高の男、新海誠だからこそ達しえる境地だと思う。

この作品は、原作・脚本・絵コンテ・監督 新海誠だ。
いつだって「今、自分だけができる、自分の最高を」だけにこだわり続けてきた男だからこそ出てきた情熱なんだろうと思う。
そこに“借り物の言葉にありがちな軽さ”ではない“新海監督の内から出た重み”を感じるのだ。

そして今の日本で、“受けるための計算”抜きの“個人の情熱”だけで作られた映画が、これだけ大勢の日本人に認められたことは、単純にうれしい。それだけ、日本にも“情熱的な人たち”が多いということだ。全てを超えて、絶対に混じり合わないはずの2人が、タイトルからも解るように圧倒的にコミュニケーション手段が限られた状況で、それぞれが強い意思を持って行動し、圧倒的な運命に立ち向かっていく。

 

こんな風に思って観客が感動していることに驚いたし、私はこの映画を見てここまで感じ取れないのですが、多分言いたいことは一緒で、「君の名は。」を見ていなくても今私がおもい、やろうとしていることと同じだと思ってます。自分の土俵で、自分の技術で、自分の感覚で心から好きなものをとことん作り上げること。

 前に建築家の伊東豊雄さんが「身体の内側から湧き上がる感情を表現しない限り、建築は人々と共有できない。」と書いていましたが、そう、皆さん体の奥から湧き上がる感情を何とか表現したいと思い、日々努力なさっているのです。果てしない道、Never ending story.

私の悪戦苦闘はずっと続くでしょう。でも外国人日本人問わず、たくさんの方とのめぐり逢いがあり、いろいろな感情があること日々学んでいます。そしておんなじ感覚、感情、考えを持っている人たちと出逢い立ち止まった時、かける言葉は

            「君の名は。Your name?」