柳緑花紅

 今日の午後は日本のお客様が続き、昨日お茶道具をたくさんくださった方が今日は着物や帯、浴衣を持ってきてくださり、そのあとお茶の先輩が、お茶道具の使い方を教えに来てくださいました。長年都庁に努めていた先輩は写真撮影が趣味で、写真集を出したこともあり、ユニークな視点の写真を見て夫が感心していました。

 事情があってお茶のお稽古引退してしまったのですが、15年間やってきたことを書いたノートが15冊あるというので、是非見せてくださいとお願いしています。月ごとに掛軸が変わり、初見で読み下しをしなければならないのですが私はこれが苦手で、15年お茶をやってきた先輩のノートには掛軸の語句がいろいろ書かれているのではないかと期待しています。

 図書館で茶席の禅語ハンドブックというのを借りてきて、パッと開いたら「柳は緑花は紅」という有名な言葉がでていました。

 すべてはあるがままにある。そのあるがままのものが、あるがままに見えてくるまでには、苦しい道程を経なければならない。一度徹底的に疑い、否定し、模索して見なければならない。当たり前のことが当たり前でないから、人間界のさまざまな苦しみがある。

 以前福島から中学生のはなちゃんが外国人の接待コミュニケーション体験のため何回か来てくれたのですが、その落ち着いた対応ぶりに15歳にして出来上がっていると感心していました。高校に入り進路などいろいろ模索し悩み多き年頃になってきたようで、久しぶりに会ったら表情の硬さとたまに見せる険しさが今までとは別人の様でビックリしたのですが、柳は緑で花は紅と納得できるまでには彼女はこれから何十年もかかるのでしょう。私が十五の時はそれこそ大変でした。悩みまくり、こもり、突っ走り、めちゃくちゃな青春を送り、26歳で結婚してからは子育て、義父母との同居、家業の手伝い、介護ときて四十年が過ぎましたが、今やっと柳緑花紅が体に入ってきています。これだけ時間がかかりました。

 去年の夏に来て、面白かったからもう一度来たいというリピーターのインドネシアからのアルディに同じ体験をしていいのかどう迷っていました。一年たって、世界情勢も経済も環境も激変している今、変わらないものは変わらないでいいのかもしれない、そんなにうまく話せないけれど、ゲストが求めているのは話し合うことのような気がしています。珍しく四人のゲストが来たとき、みんなで英語で話し合うよりも、何か私に話したいことがあった一人旅の女の子がいて、じっくり話せなかったことが残念でした。それを公開返信で伝えたけれど、ゲストの気持ちを感じることだけはより強くなってきた気がします。