沈壽官窯

 夏休みが終わって、またお茶のお稽古が始まりました。一応いろいろなお点前の復習をしてきましたが、大体予想はいつも外れて思いもかけないお稽古をやります。まずお部屋に入りましたら風炉先が竹の筒十個くらいにそれぞれ活けられた花々でびっくり、桐の素焼きの長板の上には雲龍釜と芋頭の形をした白薩摩があり作は沈壽官、繊細でとてもきれいな花が咲き乱れた水指でした。司馬遼太郎の小説にも出てくる沈壽官窯、相変わらず私は知らなかったので、急遽searching on the line!

 「慶長三年、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征の帰国の際に連行された多くの朝鮮人技術者の中に、名門沈家の初代当吉がいて、薩摩の勇将島津義弘によって連行された朝鮮技術者たち(製陶、樟脳製造、用法、土木測量、医学、刺繍、瓦製造、木綿栽培等)は見知らぬ薩摩の地で祖国を偲びながらその技術を活きる糧として生きていかねばならなかった。陶工たちは陶器の原料を薩摩の山野に求め、やがて薩摩の国名を冠した美しい焼き物「薩摩焼」を造り出したのである。それらの焼き物は、薩摩産出の土を用い、薩摩土着の人々の暮らしのために作られた地産地消のものであり、それらを国焼と呼ぶ。

 江戸時代、薩摩藩主であった島津家は朝鮮人技術者達を手厚くもてなし、士分を与え、門を構え、塀をめぐらす事を許すかわりに、その姓を変えることを禁じ、また言葉や習俗も朝鮮のそれを維持する様に命じる独特の統治システムを創った。沈家は代々、薩摩藩焼物製造細工人としての家系をたどり三代 陶一は藩主より陶一の名を賜わり、幕末期には天才 十二代 壽官を輩出した。」

あいかわらず知らないことばかりですが、お茶をやっていて、唐物(中国)とか朝鮮の焼き物とか扱うことが多く、今朝鮮アレルギーの私は何で日本のお茶の世界で朝鮮のお道具使わなければならないのかと不思議でした。でもお茶のはじまりは中国だし、そして先ほどの様々な歴史を経て、このお茶室で今日そのお道具を使っているのです。

 94歳の実母が入院中でかなり具合が悪く、その話を先生にしていたら思わず胸が詰まり涙してしまいましたが、お稽古始まったら無心に懸命にお点前をします。お炭点前、お薄のお点前、大変高価なお道具類をいつも使わせていただいていますが、歴史ある由緒ある水指もお茶碗も薄器も茶入れも黙ってそこにいてくれ、すべてを忘れさせてお点前をさせてくれます。伝統文化の厚みというものは、何も考えずただそこにあるものなのかもしれません。本当にありがたいものだとしみじみ思った今日のお稽古でした。