四人の交差点  Neljantienristeys

 フィンランドからのゲストは今まで八人来ましたが、イタリア人だけれどフィンランド人の奥様と結婚してフィンランドに住み、娘さんと着物体験に来てくれたGaetanoから始まり、個性的で温かい女性が多く、日本語が堪能で文章も読めたり日本舞踊までできたりする女の子までいてびっくりしてしまいます。

 そんなこともあって、新聞にフィンランドの小説の書評が出ていたので気になり、図書館で予約して読んだのが「四人の交差点」というこの本でした。作者はトンミ・キンヌネン、2014年に発表されデビュー作ながらフィンランドでベストセラーになり高い評価を得ているそうですが、「最初の数ページで、非凡な作品を手にしているという感触が得られる。最後まで読み終えた時、その感触は確信に変わっている。これほどまでに力強く揺るぎないデビュー作はめったにない」というヘルシンキの新聞に書かれているように、読みやすく構成も卓越しているし日本人の感覚にマッチするところが多い小説でした。

 物語はおよそ百年前のフィンランド北東部から始まり、一人娘を持つ未婚の母の助産婦マリアは強い女性であり、家を建て家族を増やしみんなの人生を支配していきます。一つの家系の三世代、四人の主人公が家を建て、建て増し、受け継ぎ、何かに縛られ押しつぶされそうになりながらひたすら口を引き結び、秘密はすべて部屋の奥に隠して、鍵をかけて暮らしていきます。人は一人で生きていくものだという前提を真っ直ぐに受け入れ、黙って一人で闘うことを好むフィンランド人の特性が色濃く表れるこの作品は日本人の感性にすんなりと溶け込むのかもしれませんが、深い森に覆われた北の大地の風景、冴え冴えと冷たい空気、どこまでも続く深い雪(フィンランドのゲストがうちへ着くや否や今の自分の家から見た雪の写真を見せてくれたことがありました。)は、やはり底知れないような威圧感があります。

 レベルは違うけれど、私も家というものに縛られ圧迫されて苦しんだ時期がありました。義父が建てた四階建ての店舗付きの頑丈なモスグリーンのこの家、ゲストたちは今ここに高齢者三人しか住んでいないことに驚きますが、子供たちや整骨院をしていた頃の従業員の方含め十人以上生活していた頃の無我夢中の時代を経て、このうちをこれからどうやって生かしていいかを考える時、650人の外国のゲストがこの家を訪れ、着物を着て日本文化を体験し何かを感じてくれ、私も手探りながら彼らと接触している時の感覚とか試行錯誤の中で、何かそこにあるものの絆を一期一会の中に感じて来ています。そういうことが求められる家になっていってほしいのかもしれません。

 ただこの本読んでいて一番ショッキングだったのが、オウルというマリアの娘婿で善き父であり戦地でもよく戦ったナイスガイの男性がバーのピアニストに一瞬にして魅かれる心情の描写で、その気持ちが私にとってリアルに切実にわかることでした。髭もじゃのスペイン人のカップルとか体験に来たあとでゲイだと聞いてどうしてと思ったことも今までありましたが、芸術とかアートとかパフォーマンス見て感動したり感情を動かされるように、一瞬にして相手の心が解り焦がれるという衝動はより純粋でなければわからないし、オウルはそれを病気だと言って悩んでいましたが、この感情を知っている者はそれは生きている上で必要なものなのでしょう。フィンランドでは同性愛行為は男女を問わず刑罰の対象となる犯罪だったため、オウルの苦しみも最後も半端なものではなかったのですが、今の時代オープンに認められるようになったとはいえ、だからある出会いや別れはたぶん想像以上に葛藤のあるものだろうしそれを乗り越えるために表現手段を持つ者はより優れた作品を造り出しています。

 結婚はある程度打算だから、生活を営み家庭を作るために家を作り建て増していけばいいけれど、ぎりぎりの刹那の感情のみで紡ぎだす異端の愛の行く末はやはり厳しい物だろうし、最後が孤独であることも覚悟して、というかそうなっても仕方ないと生きていくのしかないのです。言葉が違う、国が違う、アイデンティティが異なる人たちと接触していて、感情が心の奥底から触れ合うとき、ただの思い込みにすぎないのかもしれないのですが、戦慄が走ることがありました。着物の力、帝釈様の力、参道の方々の温かさ、沢山の着物をくださった方の愛情、そういうものに支えられながら、プラスこれがわかるという気持ち。

 母の病状を知っているわけでもないのに、九月はあと一件しか予約入っていません。人智を超えた御計らいがあるような気がしています。