ベラルーシの林檎

 先だって金町の愉快な仲間から殻付きクルミをいただき、堅いので炒ったり蒸したりいろいろトライしたけれどなかなか割れず、ネットで探して燕市の胡桃割り器を注文しました。届いて早速試したらかなりの優れもの、実は間違えて二回注文してしまったので(でもそれでよかったのです!)一つを金町の桂さんに届けに行きました。帰りに図書館寄って本とCD借りて来たのですが、たまたま借りた岸恵子さんの「ベラルーシの林檎」読んで深い感銘を受けました。

 パリにずっと住んでいて綺麗でエレガントで才能があって素敵な岸さんは24歳のころ、芸歴の最高潮で国際結婚してパリに住み続けたおかげで外からの視点を得て、日本にずっと住んでいたのなら決して思い及ばなかったに違いない人種、民族、宗教、出自などが一人の人間に課する宿命のようなものを考えずにはいられない人間になったと言います。

 才能と美貌といろいろな魅力を持った24歳の日本人女性に恋した46歳のシャンピ氏も結婚する前に「パリへ来て少し暮らしてみてほしい。パリだけでなく、ヨーロッパやアフリカやさまざまな国々のさまざまな人間や生活を見せてあげたい。結婚というのは本人同士の問題だけではなく、その人間が連れてくる言葉やエスプリや文化の問題の方が先行き重大になってくる」と言っていたといいますが、フランスの貴族の家に生まれお母様はユダヤの血をひき、サロンにはサルトル、ボーボワールをはじめ様々な文化人が出入りし、フランスの最上級の家庭の環境の中で暮らした岸さんは、目くるめくような日々を送り一人娘も授かりながら彼女が身をもって体験してきたヨーロッパの感情や民族の複雑さに翻弄され結局18年目に離婚し、シャンピ氏はユダヤ人の女性と再婚しそして61歳で亡くなります。離婚するとき、「恵子の中の日本に勝てなかった」と言ったそうですが、日本を含む東洋の良さは削除の美、寡黙の美で、余計なことは言わない、しない、求めない、一を聞いて十を知るけれど、西欧の日常の中では十を聞いてやっと一を納得する。日本人は勘と感性の生き物であり、西欧の人々はより理性の民なのであると聞くと、いろいろなことを感じさらけ出す結婚生活において、あまりに沢山のことが起きると対処するだけでもいっぱいでその上に重なる衝撃や文化の差異など心の中は混乱しきってしまうのでしょう。

 シャンピ氏と結婚しパリで暮らしていた岸さんの人生の節目節目にユダヤの血をひく人々がかかわっていたそうで、その不死鳥のような強さと不屈のしなやかさに心惹かれたと彼女は言います。エアビーの仕事する前に民泊ホストをしていた知人から紹介された東京理科大学の研究員のギルはイスラエル人でユダヤ教、ママのタリアやその友達三人に着物を着せてと頼まれ、それからドイツ人のラウラファミリーも紹介してくれ、本人は人づきあいの得意でないぶっきらぼうなタイプだけど要所要所で適切なアドバイスや手伝いをしてくれて、大事な若者です。あとエアビーが私の体験の紹介ビデオを撮ってくれるというので派遣されてきたアダムスもキプロス生まれでユダヤの血をひく男性でした。私の動きが速いと何度も何度も注意され、大変な思いしてとられた紹介ビデオは今も使われてますが、アダムスのインスタグラムをずっと見ていると、かなり個性的でダークな写真のようです。そのメッセージを理解するには能力がなさすぎる私ですが、被写体としてより写っている娘がもしかしてアダムスのテイストなのかもしれません。そんなこんなで少しユダヤの血が入っているというゲストもたまにいましたが、強いオーラがあったのはギルとアダムスでした。

 

 パリからヨーロッパの今の出来事や文化を衛星放送する仕事などしながら、東欧、イスラエル、バルト三国、など今から三十年前くらいの混乱と危険に満ちた国々も回り 、バルト三国のリトアニアはポーランド系、ラトビアはドイツで、エストニアはフィンランド系だったとか、そういえばラトビアから来た女性はドイツっぽかった、エストニアにはスペイン人で日本人の外務官と結婚したカルメンさんが一時住んでいたっけとか別ルートで来たアラブ系の四人組着付けたときはちょっと怖かったけど、男性のタトゥー誉めたらいろいろ話してくれたとか私の思い出はそんなものです。

 認知症でかなり危なくなってきた義母を一人に出来なくて今日はお茶の稽古土壇場で休み、さっき私の立礼用のお茶場で濃茶点てていた時、エアビーに限らずいろいろな外国人にお茶を飲んで、点ててほしい、一緒にこのひとときを味わってほしいと痛切に思いました。私はこれから何をしたいのか、これまでの経験値、引き出し生かし外国の方々と一緒に過ごすひとときを持ちたい、その思いや背景をより的確にわかるためには、時事問題、風土、歴史の知識、そして言葉が必要です。

 カトリーヌドヌーブが是枝裕和監督の”真実”という映画に出演した時、言葉の壁はあったが表情、仕草への理解とか、彼の作品を見ているということで個人的な内面を知っている、リズムで捉えたり感情で捉えたりするその価値観を共有できたと言っていました。何かをどんどん付け足すのではなく、核へ近づけるように、削いでいく作業をしなくてはいけないとのことだと言っていました。昨日アマゾンで買ってずっと読めないでいた、画家のホッパーの絵から得たインスピレーションを何人かの作家が小説にした本を読みだしたら面白いこと面白いこと、

どこの州に住んでいて何をしていてどんなことがあったのか、どんな家やアパートメントに住んでいるのか、未婚の母や養子や介護や食事、みんなリアルで 、そしてゲストと話すとき役に立つことなのです。(この前日本のこの家はいくら?と聞かれました!)

 この前来たスイスの男の子に今まで来たゲストをみんな覚えているかと聞かれ、"Maybe"と答えたけど、さっき調べたらこれは20~50%だそうでprobably は 100% ではないけどかなり確信度が高く、「十中八九」という感覚だとか。なので後者でした。細かいニュアンスの会話がダイレクトに必要です。

 結局これまで来たゲストとのあれこれは私の引き出しにずらっと入っていて、その一つ一つが作品のような気がします。人と触れ合い文化や宗教、気持ちを語り合う時の静かな情熱、パトス、それらは目に見えないものでしたが明らかに存在しました。何の欲もないけれど、ゲスト一人一人の写真の写真を撮るようにその思いをちりばめた何かが作りたい。想い出でも感傷でもない何か。趣味はと聞くとパソコンで絵を描いているというゲストが多いし、写真撮ってインスタグラムにあげたりフェイスブックにあげたりしています。うーん、私の場合何でしょうね。考えています。