父のお墓参り Visiting  father's  grave 

 エアビーの仕事始めてから忙しくなり、二年近く行っていなかった神奈川の鳥屋という所にある父の墓参りを昨日してきました。お彼岸前に、はびこった草を取って綺麗にしてお米撒いてお線香あげることができて、本当に良かったのですが、今まで何十回と来て三時間近く乗り継ぎしながら考えてきたことと、仕事するようになった今思うことがずいぶん違くなってきました。

 近くの湖が一望できる公園によって、山を下って散策していたら猿の団体がゆっくり横切っていくのにびっくりしたのですが、台風や何やかやで食糧不足なのか栗の木の中に入り込み、青い実を落としていましたがその堂々たる振舞見ていてこちらの方がお邪魔してすみませんと言いたくなるほどでした。人造湖のまったりした風景はなんだか作り物の様で、その中で食べるもの探して集団で動いている猿たちは、生半可に物見遊山している暇なんか今のご時世ないということ知らないのか、我々は生きるためには何でもやるぞという不敵な宣戦布告をしているようで圧倒されつつ、この湖しかない観光地に自分たち猿が出てきてパフォーマンスするから食べ物を確保しろくらいの交渉をするのではないかと思ったりしました。

 昨日は行けなかった母の病院へさっき行ってきたら、酸素の吸入を外し昼は流動食も全部食べたそうで、しっかり起きて看護師さんのご好意でカセットデッキの音楽を聴いていました。みんなに迷惑かけているから、生き続けていることがいいのかわからないと施設でも言っていた母ですから、意識がしっかりしてくると微妙な表情を私には見せるのですが、看護師さんや先生方、リハビリの理学療法士さんにまで絶大な人気を持ち、(六回目の入院で、とにかくいつも歌いまくって退院していきましたので)施設からは敬老の日にちなんで感謝状が届いていて、「あなたのソプラノの歌声、人柄は職員、他の利用者様に元気を頂きました。」と書かれていました。そのお礼の電話を施設にして少し良くなったことお知らせしたら、電話口のスタッフさんが声を震わせて喜んでくださり、母が少しでもよくなったことがこんなにも皆さんの喜びにつながる、本当に自分自身の心と気持ちと歌うというスキルだけの母の生き様というのは今透き通っているようだと思います。毒を吐く人間の言葉は耳を塞いでも聞きたくないけれど、何の邪心もない清らかな歌声に人は癒されるし、生きていく勇気をもらえるのでしょう。明日はどうなるか誰もわからないけれど、母は今自分のために生きているのではなく、人のために生きています。