御先祖様の墓参り   

 今日は千葉の八柱霊園にあるお墓参りに行ってきました。夏は草がたくさん生い茂るのでいつもお彼岸前のお墓に来ると呆然としつつ草むしりします。家の中で危険行動をとる義母の監視に夫を残し、一人でお墓掃除しながら秋っぽくなってきた空を眺めトンボDragonflyたとともに幸せな気持ちでした。彰義隊の生き残りという曽祖父夫婦、腕のいい職人さんだった祖父夫婦と四十代で亡くなった主人の母、そして義父が仲良く眠っているここには、完結した平和と安らかさがあり、穏やかな墓所です。最近はなかなかお墓に来ることもできなくなった方々も多いのでしょうか、両隣のお墓のススキが巨大化して侵入してくるので、それらを刈り取りゴミ捨て場まで運ぶのに手間かかり、あっという間にお昼近くになりました。まだまだ細かい枯れ草が取れず心残りはあるものの、次のお楽しみの場所、八柱霊園の隣にある山中ナシ園へいき、大きな梨を買ってえっちらおっちら駅まで歩き、運賃の高い北総線に乗って帰りました。

 平和ということは本当に幸せです。長女に子供のころどこかに行くというといつもお墓参りだったと言われるほどよく来ているのですが、最近の法事では次女の旦那さんと息子が塔婆を出してくれ、今まで縁もゆかりもなかった方の想いまで寄せられるようになったことをありがたいと思います。

 春と秋にあるお彼岸は昼と夜の長さが同じになる「春分の日」と[秋分の日」を挟んだ前後三日の合計7日間をいい、彼岸会の法要は平安時代の中頃に始まり浄土教の教えに強く影響を受けていると言われ、極楽浄土は遥か西のかなたにあって、太陽が真東からのぼって真西に沈んでいく

春分の日と秋分の日は我々の世界である此岸と仏様の世界である彼岸が、最も近く通じやすくなる日であると理解されるようになりました。
 
やがて次第に、春分の日と秋分の日にご先祖様の供養の法要を行えば、ご先祖様だけでなく自分自身も西のかなたの極楽浄土へ到達することができ、またご先祖様への思いも最も通じやすくなるのではないかという思想が生まれ、お彼岸にはご先祖様の供養のためにお墓参りをするという行事が定着していったようです。

 

さらに彼岸には悟りの境地に達するための仏道修行に励むという意味合いもあります。煩悩(心身を悩ませ乱し煩わせ汚す、すなわち悟りの境地を妨げるあらゆる精神作用)や迷いに苦しむ私たちが住んでいる此岸(この世)から、三途の川を挟んで、悟りの境地である彼岸(あの世)へ到達するための修行です。
 つまりお彼岸とは、我々人間の迷いや苦しみの原因となる煩悩のない、悟りの境地に達した世界であり、極楽浄土のことを言います。

お彼岸とお盆はどちらも仏教が深く関係していますが、インドや中国では見られない日本独自の行事です。日本古来の信仰や風習と結びついて生まれたものであると言えます。

 今更ながらいろいろきちんと調べて英文化しておかないと、どんな国の人とこういう話をするかわからない、この前来たインドのお兄さんのように突っ込まれる可能性もあるのですが、こんなこと話し合える日本人の方は少ないし、自分が年取ってきて言うのは何ですが、二十代の若い外国人さんと真剣に話し合うのは若返りの秘訣です

During Ohigan, families visit the graves of relatives and hold memorial services for their ancestors. It is believed that those doing so will be rewarded with happiness in the afterlife. This is one of the reasons why this traditional event is still held in present day Japan.

Higan is a Buddhist word and means the world of enlightenment.

 People make a Japanese sweet called ohagi, which is a sticky rice ball covered by red bean paste.

 Red bean paste is made from azuki, which is believed to be able to shut out unhappiness.

 Ohagi is offered to the Buddha on igan.