柴又 万福寺 彼岸会法要

  台風の影響で気温も30度超し風の強い中、お彼岸の法要に柴又の万福寺へ行きました。今年はお墓参りも行けたし、こうやって法要にも来られるし、幸せなことです。今回はゲストがもしここに居たらどんな質問するだろうかと考えながらお経聞いていて、今更ながら天井から下がっているきらびやかな飾り物は何かしら、これは質問するだろうと思ったけれど、私知りません!としか言えない。慌てて調べました。

 これは天蓋(てんがい)といって仏像や住職が座っている上にかざす笠状の装飾具のことで、仏像の上にかざすものを仏天蓋、住職の座る上をかざすものを人天蓋というのだそうです。天蓋はもともとインドで強い日差しを避けるために使用した日傘でしたが、王侯貴族が用いる日傘は特に豪華に作られ、常に従者がこれを差し掛けて従い、権威の象徴でもあって、これが仏教に導入され、帝釈天が常に天蓋を差し掛けて釈迦に従ったという伝説が形作られ、のちには釈迦の姿から作られた仏像に用いる、天井から吊るす装飾具となりました。(インドだ、帝釈天だ、この話はこの前来たインドのククー君に聞ける!)

 天蓋は尊い者を守る蓋(ふた)であると同時に、「仏の徳が自ずから外に現れ出た徳そのものである」ともいわれています。よって天蓋は尊く素晴らしい徳を意味し、貴人、貴尊の象徴であるため、天蓋が豪華で美しい程その下に居る仏は徳が深く、偉大であることを表しています。そしてこの蓋は、蓋を見た者自身が徳を積み、自然と天蓋を差し掛けてもらえるような人物になって欲しいという願いも込められています。あとそのほかに幢幡というものも下がっており、昔儀式または軍隊の指揮などに使っていた旗の一種で布で作り、竿の先につけたり柱に掛けたりしていたものを「幢(どう)」といい、ここから仏教では仏様や菩薩のしるしとして仏堂の装飾とする布をどうと言うのです。同じように仏様の素晴らしさを示すための仏具で、法要や説法のとき、寺院の境内や堂内に立てる飾り布を「幡(ばん)」と言います。お寺で見かける旗のようなものです。
 この「幢(どう)」または「幡(ばん)」を筒状にして天井から吊るしたものを「幢幡」と言います。子供向けに説明するときには「仏様がここに居るとみんなにわかるように用意した旗を集めて作った飾りで仏様の名前が書いてあるし、金色でピカピカしているから遠くからでもよくわかるんだよ」ちなみに、金色には「仏様の教えと同様に変化しない」と言う意味があるため、金は仏具に使用されることが多くありるそうです。さあこれを英文化しておきましょう。
 それにしてもいやはや知らなかったことばかり。帝釈様の本堂でゲストたちと御参りはするものの、たいした説明はしないし出来なかったこと悔やまれます。帝釈様にある蓮華経書かれた屏風の前で漢字読める人は読んだりするし、お経も字の読み方でなく内容を問われたりして、私は蓮華経はきちんと解釈しているつもりですがかなり返事に詰まります。でもこの前来たインドのククー君はこれはたくさんあるうちの一つに過ぎないから、細かくとらわれない方がいいと言っていたしone of them と考えると、宗教でも一つのものに打ち込みすぎると破綻していくケースが結構身近でもあるのであまりまじめすぎない方がいい気はしています。

 法要の後ご住職様がお茶の映画の話(日々是好日を見たそうです)をしてくださり、そこからお茶とは五感をもてなす芸術で、五感が同時に楽しむことが出来る、風の爽やかな音色、柔らかな動き、柄杓から茶碗にお湯が注がれる音、茶杓でお茶を点てる音、その時ふっとかおる抹茶の香り、それらは人が誰でも持っている過去の記憶にある風景を呼び覚ますと言っておられました。

 お茶の稽古している時余計なこと考えたり上手くやろうと思うと、必ず失敗しているので無心にただ点てるということがいかに大切かわかるし、彼岸会でも最後にミニ座禅をするのですがその時の注意が「ただ自分の呼吸の音を聴いていなさい」ということだけなのです。考えず、五感を研ぎ澄まし、いろいろな音や香りや気配をただ感じていること。

 今やっているエアビーの仕事は大変だけれど、楽しい。それを突き詰めてゲストにも楽しんでもらいたい。自分の核を深く掘り下げ、ぎりぎりまで自分を追い詰め、好きで好きでたまらないものを伝えること。日本語で言うのも難しいけれど、ゲストに伝えるには言葉も必要だけど最後は気配なのかもしれないと思います。「己を知って世界に対してどのように自己発信すべきか。世界を知り、自分の特性を見極めることが大事。うちと外からの目線でおのれの座標軸を明確にし、文化的特性をどう打ち出すかを考える。これからの社会ではいかなる状況や関係の中にありながらも、価値観や理想に照らして自らの役割を速やかに決断する自信と強靭な精神力が必要となる。」

 「人を、物事を、社会を動かす原動力、情熱を鍛え、磨き、叱咤し自分だけの形にする。失敗を恐れず、辛苦に立ち向かい、困難なものに向かう姿勢にこそ真理はあるのだから、自分だけのために生きない。それが仕事の品性であり、自分の品格になると。」

 難しいです。

 これからの仕事がどういうふうになるか、これだけいろいろ考えていても結局変わらないのかもしれませんが自分の世界観の確立、感情のひだ、存在すること、見える景色がかわること、井戸を掘り続け、ひたすら集中すること、芯のあること、を考え続けていきます。お彼岸の最中はやはり修行の時です。