アッシジの聖フランシスコ

 毎日楽しみに見ているNHKの語学番組のナビゲーターが十月から変わり、イタリア語は若いイケメン俳優さん、ドイツ語はパンが大好きな可愛い女優さん、フランス語は若手のバレエダンサーとそろい踏みした中で、スペイン語はドラマーでボーカリストのシシドカフカさんがアルゼンチンを旅するのです。子供の時に二年間ブエノスアイレスに住んでいたり大人になってからもそこへ音楽留学していたそうで、スペイン語もすごくしゃべる上、ドラムや指揮や音楽セッションなどのコラボを現地人としたりして、さわりだけを見ていてもその才能とコスモポリタンな雰囲気に圧倒されてしまいましたが、彼女の名前のカフカはチェコ語でカラスを意味し、黒っぽいものを好んで着ていてカラスのようだからというのですが、プラハ出身のドイツ語作家のカフカにも影響されているのでしょうか。

 異国語を話すのに大事なのは、文法のマスターとかもあるけれど、その言葉の感覚が無意識に入り込んで無意識に口から出てくるようになって、コミュニケーションが取れることだと思います。今回アラビア語講座もあって、俳優の金子貴俊さんが毎回ピンチに遭うという設定なのですが、過酷な状況の中で必死でアラビア語を話して解決していくというシチュエーションが語学学習に最適だったと語りながら最後涙している予告シーン見て、先ほどのシシドカフカさんにしても子供のころ二年間ブエノスアイレスの学校にいたことがかなり大変だったと言っていたので、よくも悪くも苦難の道はあとで役立つんだなと感じました。

 そのあとBS放送でイタリアのアッシジを旅する番組(三年前の再放送でしたが)があって、アッシジと言えば有名な聖フランチェスコ、リストのピアノ曲「小鳥への説教」が好きでよく聞いていましたが、マザーテレサも聖フランチェスコに深く影響をうけ、「平和の祈り」を必ずミサの最後に唱えていたと言います。俳優の関口知宏さんが旅していたのですが、イタリアは消極的な積極性が特徴だと言っているのが印象的でした。(でも彼も有名な両親を持ったが故の消極的な積極性しか持ててない気もします)

 パソコンで聖フランチェスコのこと調べていて、はっとする言葉に出会いました。

「あなたは世界中の人が、わたしの後を追うわけを知りたいのか。それはどこにおいても善悪をごらんになる、いと高きおん者のめがねによるのである。そのいと聖なるおん目は、罪人の中でもわたしより悪い、わたしより役立たぬ、わたしより罪深い者を見なかった。主はご計画のふしぎなわざを実現するのに、わたしより悪い被造物がないのでわたしを選び、世の貴い人、偉大な人、美しい人、強い人、賢い人を恥ずかしめ、それによっていっさいの力と善とは主から出て被造物からは出ず、また何ものも主のみ前には栄えることのないことを、悟らせてくださるのである。まことに栄えある者は主において栄えるので、すべての栄えと誉れは永遠にただ主ひとりに帰せられる」

 

 ゲストたちと帝釈様で宗教の話をするとき、仏教は彫刻版とか見ながらなので割と具体的になりますが、キリスト教だとカトリックかプロテスタントか聞くぐらいで、(前にメソジスト派と言ったゲストがいました)次女が中高プロテスタントの女子校通っていて讃美歌とかお説教とか聖書とかに触れる機会は多かったのですが、実感として感じられることはあまりありませんでした。でもこのフランチェスコの言葉がずしんと入ってきたのは、仏教にも通じるところがあるし悩んだり自分の生き方に迷ったり苦しんだりしている時、進んでいく方向を示すような気がしたからなのです。

 村上春樹は小説を書きながらたくさんの翻訳もしていますが、その理由を一流の作家が書いた文章を細かく検証したり分析できることで翻訳は究極の熟読であり、その本を隅々まで自分のものに出来、その言霊を取り込むことが出来るといいます。そして村上さんが学んできたのは具体的な文章のテクニックではなく、もっと大きな意味を持つ事柄、世界を見る、世界を切り取る彼らの生きた視線であり、そしてそのビジョンを優れた文章に置き換えていくということなのです。今一番有難いことは、古いことでも新しいことでも、そしてふと思い出した昔学んだ片言隻語でも、パソコンで手繰り寄せられるし、それが新しいことと結びついたり発展していったりできる。AIと言うのはありがたい存在だなあと思うのですが、世界を切り取る生きた視線を次々知るとき、どんどん自分が楽になり広がり人のことを思えるようになっていきます。

 イタリア語講座で見た、北イタリアで両親と三人で牧場を経営し、牛や山羊の乳製品を丁寧に作っている真面目な青年は何を考えて日々過ごしているのだろう、スタッフたちが取材に訪れたとき彼がホームパーティーのような歓待をするのを見てて思っていたら(真面目なお父さんが嫁が来ないと心配してたけど)、新聞の読書欄に「羊飼いの暮らし」という大学出た英湖水地方の牧夫の方の本の書評があり、図書館で借りようと思っています。今は私の中に色々なものをため込んでおく時期で、これらを発酵させて使う日が来るまで、想像しながら何かを紡いでいきましょう。心さえ安定していればどこでもいつでも、何でもできるのです。