あらしの前に

 大きな台風が来ると言うので、昨夜長女が葛飾区は危ないのではないかと心配?して電話をくれました。主人曰く心配なのは長女の将来だといつも言っていますが、昨日色々話していて、彼女にはそれなりに道が見えてきている気がしました。着物業界に携わり、着付け、着物イベント、販売、新しい感性を持った着物を使った作品作りなど多方面に目を向け試行錯誤していますが、歩みとしては遅いけれど今までかかわってきたいろいろなことが少しずつ発酵してきているようです。

  娘の成人式の振袖を作った時、懇意にしていた和裁師さんが生地を選び染め上げ東京友禅の絵師さんに手描きで百花繚乱の絵を描いてもらい縫い上げてくださったのですが、その魂のこもった着物を着たということが娘の着物人生の第一歩だったのかもしれません。

 消費税も上がり景気も良くない中、着物の売れ行きも当然よくなく、このまま普通に着物の販売や着付けだけをやっていても先行きは暗いものになるのでしょう。ゲストに着物着せている時よく聞かれるのは日本人はいつも着物着るの?そしてティーセレモニーをやった後には日本人はみんなこういうことして抹茶を飲むの?です。着物を着ると言う生活が定着しなくなって、ほんの一部の人しか着物を着ない現実の中で、着物や日本文化に意味があることをきちんと考えてこなくなってきています。

 日経新聞に「近未来の組織とは」という特集があって、従来の企業組織そのものに閉塞感や違和感の原因があるので新しい時代の方向を示していこうという考え方が出てきているそうです。これまで望ましいとされてきた考え方、行動様式が急速に時代遅れなものになりつつあり、今まで優秀な社員は勤勉で従順だと考えられてきましたが、これからはある種正反対の考え方、行動様式を持った人が新しい価値を生み出すような社会にアップデートしていかないとだめなのではないかということです。

 20世紀は解決すべき問題が多く、解決策が希少な世界だったので、問題解決のために自動車や家電が次々と発明され大量生産されたし、それには従順で勤勉な人が大量に必要、だから教育現場では正解を導き出す能力で偏差値の高い人を多産することに力が注がれました。でも今は問題解決能力より、問題発掘能力が重要になり、「役に立つ」より「意味がある」事業を考える方が価値を生む時代になりました。

 意味があること、音楽が好きな人はLPレコードを聴き、エアコンよりも薪ストーブ、新車よりも戦前の中古車を選ぶ人も出てきて、文化的な価値、機能価値よりも感性価値の時代に転換してきた可能性があると言います。新しい経済は新しい価値が生まれるところに生まれる、アパレル産業でも、その人らしい人生を表現し、演出する商品やサービスをどこまで提供できるか、人の感性に訴えるから好き嫌いが増え、市場の規模は小さくなるが、刺さった時の市場は深い。そのうち顧客が100人いれば100通りのビジネスが成立する時代がくると。会社が語る存在意義に共感した人を「同じ価値観を持って自分を表現したい」という気持ちにさせ、共感すればお金を払う。鍵を握るのはニュータイプな発想と構想力だと思うと、「日本のエリートはなぜ”美意識”を鍛えるのか?」などの著書がある山口周氏は言います。

 娘が電話で言っていたこともそれに近く、一応女子なのですが男前な着物の良く似合う彼女の普段着ている着物のスタイリングとか、特にデニム着物の着こなしは独特でクールなので、そういうイベントでの着付けスタイリングにオファーがあるようで、確かにこの方面のスペシャリストは稀です。例えばデニム着物という新しい感性の着物の存在意義に共感した人を、同じ価値観を持って自分を表現したいという気持ちにさせ、共感すればお金を払う。ニュータイプな発想と構想力、個性、意味の追求、そして一番大切なのが着物に対する愛、人を愛する温かい心を持っていること。今までやってきたこと、経験はどんなものでも決して無駄にならず、これから出会うであろう人たちにより多くの幸せを与える糧になるのでしょう。

 これから嵐がやってます。その中にもなにか啓示があるのかもしれません。