羊飼いの暮らし

 新聞の書評を見て興味をそそられる本を図書館で予約して取り寄せていますが、今回は四冊一緒に届いてしまって,しかもなかなか読めず、返却の督促メールが届いているので今日中に読んで返さなければいけません。

「帰れない山」イタリアの新進気鋭の作家の国際ベストセラー、これは二回借りて二回読みました。山というテーマのもと、五感のすべてを共に働かせて本当の居場所でいかに生きていくべきかを語っています。

「もうひとつの異邦人ームルソー再捜査」はアルジェリア人の作家が書いた異邦人の別の見方というのに心惹かれ借りたのですが、若い頃カフカとカミュと読んで、私はカフカの方が好きなのですが「私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたようだった」というカミュに対して、殺された名もないアラブ人側からの反論としての文学をこのアルジェの作家が確立したことに新鮮な驚きを感じました。最後の訳者あとがきに出ていた作者カメル・ダーウドのインタビュー記事読んであっと思ったのですが、「もしも文学と出会わなかったら、私は宗教的なものにひどく魅了され、最後はある意味で破滅していたと思います。(イスラム主義でした)本は私が自分自身を救い、開放する助けとなりました。私は絶対を欲し、本がなければ今最も破壊的なもの、即ち宗教的なものを絶対視していたことでしょう。・・ロビンソンクルーソーのような島を描いた作品の孤独な軌跡にではなく、人間が自分の世界を再建し、自身の解放に着手することに情熱を覚えます。私を魅了するのは自由なのです。人間は聞いたこともなければ不確かで知りもしないものに直面しながら、それでも何かしら意味を持ったものを作り上げます。島の空間が私の興味をひくのは引きこもりの空間としてではなく、世界の意味を再構築することのメタファーなのです」宗教とか国とか今はいろんなものが混然一体となっている時代だからこそ、一番大きいのは個人の思想であり感覚であり考え続ける力ではないかと思います。出生も育ちも環境も選べない、ただそれは差し出されただけ。そこからどう進むか。

 新しくテレビでアラビア語講座を勉強し始めたのですが、エアビーでない若い四人のアラブ系のゲストが来たことがあり、正直一寸怖くて警戒しながら着付け、ティーセレモニーまでやりました。ちょっと鋭い目の一人のゲストがドクロや時計のtattooしていて、それは何なの、素敵!と恐る恐る聞いたら、大好きだったおじいちゃんのドクロと亡くなった時間だと教えてくれて、えー、優しい!とびっくりしました。   相手の言葉を知る、書き方を覚える、風習とかを知るというのは最近とても大事だと、日本のことよく知っているゲストたち見ていて感じるのですが、先ほどの作家の言葉を読んでもイスラム教であろうが何であろうが、思考の自由とか感じ方というのは変わらない。ユダヤ教のイスラエルのギルを帝釈様に連れて行って、彫刻ゾーンでいろいろ話して内容は忘れたけれど、決して偏った宗教観で仏教を見ていない、もっともっと自由でいたいその先にあるものは、多分自分を表現することなのでしょう、ギルのインスタグラムの写真はユニークで彼らしく変わっているんだけどフォロワー数が多いと、ママのタリアが誇らしげに言っていたこと思い出します。

 外国人の書いた小説を読んでいて今までと違うのは、いろんな国の生身の彼らを体感している感覚で、特に最後ハグするとき彼らのちょっとびっくりしたぎこちなさを、私は(おばさんだから大丈夫)愛するのですが、なんでこうなのかとかどう考えているかとか、そうだったのかとか知ることが出来たありがたさです。そんなこんなで本を熟読していていろんな発見をし、いろんなことを知り、いろいろ絡まって解きほぐして一つのものが見えてきている気がします。

 湖水地方の羊飼いの家に生まれた青年がたまたまオックスフォード大学で学ぶチャンスを得て学んだ後、また故郷へ戻り羊飼いに戻るという「羊飼いの暮らし」という本で一番驚いたエピソードが、近所で農場経営をしていてよい羊をたくさん生産する女性酪農家がピーターラビットの作者のビアトリス・ポーターだったということです。ヴィクトリア時代の上位中産階級に生まれ、遊び相手もいない孤独な環境で育ち教育は家庭で行われ、生涯学校に通うこともなかった彼女の楽しみは絵を描くことで、様々な動物をペットとして飼育してそれをスケッチすることでした。その後たくさんの絵本を書き有名になってからもそれは公にせず、資金を貯めて念願の農場を手に入れ47歳で結婚し、結婚後は創作活動も少なくなり農場経営と自然保護に努めたというのです。昔ながらの羊飼いの仕事がどんなに大変で複雑なものか、真っ向から自然や動物と向き合うことは生々しく、残酷なこともたくさんあるけれどそれを直視して向かって行く姿勢は、ピーターラビットの中にも含まれている、ほんわかした自然などはほんのわずかにしか過ぎないのでしょう。

 台風の猛威は各地に傷跡を残し、皆さん呆然としています。それでも何とか立ち上がらなくてはなりません。冷蔵庫の中にあふれんばかりの食品が入っているのに、食べるものが何もないと夜に買い物に行った義母が転んで手首を骨折し、救急車呼んで入院手術し、夜通し付き添った主人が明け方帰ってきました。食べるものが何もない・・・食べようとすると火になって燃えてしまい何も食べられないと苦しむ母を何とか救おうとするお釈迦様の弟子の話を読んだことがあります。実家の母もぎりぎりの状態で施設にいますが、来週は珍しく目一杯仕事が入っています。やるべきことを一つ一つ丁寧にこなしていきましょう。