ふっくらシリーズ

 この一週間珍しく忙しく、昨日は久しぶりに女性四人のゲストで、お一人の名前を男性のものと勘違いして女性三人、男性一人なら何とかなるだろうと思ったのが間違いのはじまり、そして皆さん高身長高体重(失礼)で、まず大きい長襦袢の調達に四苦八苦しました。三人までは何とかなるのですが、四人になるとすべて総動員しても間に合わず、一番バストの豊かなジェンは申し訳ないけれど付け襟だけで袖なしで着せました。長襦袢着ると暑いかと思いためらう時もありますが、絹を重ねたさらさら感、それこそ衣擦れの感覚は外国人が欲するものなのかもしれません。(帰りのプレゼントタイム、なんと三人が長襦袢を持っていきました!)

 三姉妹とバージニアで不動産関係の仕事しているジャッキーは賑やかに着物を選び出し(27歳から34歳まで、全員独身 純粋な?アメリカ人 英語のみ話す)主人を巻き込んで、かしましくヘアメイクもしあっているので、私は着物のみの心配をすればいいのですがどの長襦袢を着せるか、小さい着物や短い帯選んだらどうしようと思いながら一番バッター、ブラックビューティーのジャッキーを着付けようとしたらガーン!意表をついてきて結城紬(頂き物ですが、時価35万)にシックな袋帯、帯揚げはオレンジ、扇子もオレンジ、花柄の鼻緒の下駄まで色をそろえてきました。やっぱりヒップの上のくぼみが尋常でなく帯枕が安定しないけれど落ちる心配はなく何とか仕上げ、次は一番大きい長女さん、子供に英語を教えているみたいですが、自分でも「ヒップが・・」と嘆いていて、かなりふっくらした下半身ですが、夏に来たフランスの女の子はもっとだったし、何とか座らなければ大丈夫にはなりました。長い髪を次女のジェンに結ってもらい、OK、次は一番心配だった末っ子ちゃんの番です。お茶の先輩に頂いた個性的な茶色の訪問着でシギでしょうか大きな鳥が大胆に描かれていて、まだ誰も着たことのない着物に渋い上品な帯を選び、この若さでこれなんだと感心しつつ、意外と着物が大きくてほっとしました。

 洋服着てるときは静かでとっつきにくかったけど、着物を着せているとだんだんにこやかになり、饒舌になってくるのが嬉しく、定番のアニメの話を仕掛けたら全く分からない題名の羅列で私はギブアップしてしまいましたが、彼女の笑顔は消えることなくほっとしながら着付け終わり、やっとラストのジェンの番になりました。選んだ菊の青い訪問着は目の大きいはっきりした顔立ちの彼女に良く似合い、この着物は主人と結婚するとき着た着物と説明すると、突然長女さんが反応しだし、幾つで結婚したのとか矢継ぎ早に聞くので私たち老夫婦は羨ましがられるような結婚ではないのにねえと後で夫と笑い合いました。(破れ鍋にとじぶたです)

 四人着付けて時間がかかったので、お茶をする前に柴又行き、お寺の庭園に行って面白かったのがしばらく写真撮り合ってから庭に面したベンチに分かれて座り、四人とも黙って静かに風景を見つめていたことです。ドイツ人ぽいと思いながら、私は離れたところから写メ撮りましたが、着物着ているから写真撮るけど、本来は静かに瞑想しながら心を落ち着かせたいのかもしれません。

 彫刻ゾーンでは彼女らの反応は様々でしたが、この所純粋な?アメリカ人がなぜか多くて、ヨーロッパのお客様とはやはり違う気がします。現実的というか宗教は深く思い煩う位置にはないという感覚で、特に今回の三姉妹は他国に旅行したことないし、話せる言葉は英語だけ、そして彼氏いない・・文化的背景がないから日本のアニメに夢中になるのかしら、きれいに着飾って写真撮りまくれば幸せというのでもないし、ヨーロッパの人々とは違う内面的充足を探しているのかもしれません。

 二回目の着物体験で、わざわざ姉妹を連れてきてくれたジェンは洋服を作りネイルアートをしているのですが写真撮るの好きではないと言い控えめでしたが、帰り道お団子御馳走しようとしたら断ってアイスクリーム食べてたり、今日の夜はお姉ちゃんがラーメン食べると言ったらジェンはしゃぶしゃぶがいいと言ったり、次女らしいと同じ次女の私はおかしくなりました。最近のゲストのレビュー読んで思うのは、アメイジングな体験!という感想から、よその国の親戚の家に行ってきたみたいで楽しかったという風にシフトしてきたことで、私の体験は「日本のおば(あ)さんちおいで!」とした方が良いのかもしれません。

 四人帰った後、また救急車で搬送された母の病院に駆けつけました。柴又にいるとき施設から病院行くと連絡もらったのですがみんな帰るまで行けず、でも心は穏やかでいつもと同じように仕事しているのは冷たいからかしらとも思うのですが、達観というか気持ちが異次元に入っている気がして、なかなか来ないタクシー延々と待ったりうんと歩いたりでかなり疲れたけど気持ちはずっと落ち着いていて、みんなの愛情に包まれて仕事しているということがどんなに自分の芯になっているかを痛感しています。

    そして、今、母も義母も、それぞれの病院で落ち着いています。ありがたいことです。