長襦袢

 暑かった日々が終わりだいぶ涼しくなってきたので、去年はあまり使わなかった長襦袢をゲストに着せています。私のものでも8枚くらいあるので、小さいサイズふっくらサイズ振袖用と20枚以上ボックスにはいっているのですが、最近着物脱がせてひも解いてほっとしたゲストたちが長襦袢姿でヒラヒラ踊りだしたり鏡見てポージングしだしたりし始めました。タンクトップとかの上に絹の長襦袢羽織ると肌触りもよいし地模様もきれいだし、丈もちょうどいいしナイトガウンのようです。そして着物一枚プレゼントしますといったとき、とうとう一人が長襦袢が欲しいと言い出し四人中三人使わない長襦袢を選んで持っていきました。そのあとに来た50代の金髪のママもやはりプレゼントには長襦袢が欲しいとのこと、鏡に向かって羽織った姿見ているママを見て夫が一言「色っぽい!」   おいおい、なんてこと言うのでしょう!

 そう言えばママの旦那さんは日本人の血をひいているのです。ママを見て、なんていうかしら。そういえばシャンソンで「スカーフ」という歌がありました。あなたが残したスカーフよ 二人だけの絹のため息・・・という歌詞をおもいだしました。

 しかし邪魔ものにされがちなタンスの中の長襦袢にこんなに熱い視線を送るアメリカ人たちを見て、こういうのに触れるのが初めてなんだろうし、新しい感覚(素肌に長襦袢?怖ろしくセクシーになってしまう)というか初めて味わう日本文化を喜んでわかってくれることが嬉しいのです。七五三の時期で可愛らしい晴れ着のお子さんたちをたくさんみかけるのですが、化繊の紋付き袴をずり落ちそうに着ている付き添いの若いパパたちを何人か見て、なんでこんな格好しているんだろうと悲しくなりました。衣擦れの音などみじんもしない・・

 うちの着物はフェイクでないと言ってくれたフランスのポールのこと思い出しました。着物の本質とはなにか、もう一度しっかり考え直していきます。