ラストダンスは私に

 義母が何とか落ち着いたので、昨日は三日ぶりに母のところへ行きました。いつも顔を見るまではどうかなと心配するのですが、今日は苦しそうでもなく、尿の管もとれ、ご飯も食べられているようです。良くなると救急なので退院しなければならず、前いた施設はもう受け入れてくれないので、行くところはありません。12月になれば特養ホームに入れそうなのですが、こちらの病院の先生がもう少し母を入院させてくれればいいなと思いながらなかなかお目にかかれずにいました。

 久しぶりにゆっくり母のところにいて、つい疲れが出てベットサイドでうとうとしていたら、「そんなとこで寝ると風邪ひくぞ」と声をかけられ、びっくりしてみると担当の先生でした。私より当然お若いけど50代ぐらいでしょうか、「だいぶ良くなったけど、またガクッと悪くなるかもしれないからね。もう少し様子見ているから、早く特養探しなさい」と言って去っていきました。実は先生とお話ししたいと看護師さんには言っていたのですが、日にちを決めて時間を予約しなければいけないとのこと、忙しくてできないでいた矢先に風のように現れほんの一分間、肝心なこと的確に告げられ、去っていったお姿見て、久しぶりに人間のお医者さんにお会いした感がありました。

 母もたいして話さないのですが、突然ガバッと目を開け私の顔を見たり、いつもの決まり文句「身体大丈夫?」を繰り返しています。手を握ったりさすったり、たいしたことできませんが、もし私が反対の立場で寝ていたとしたら、どんなこと思うかしらといつも思います。自分で食べることはできないし、寝たきりになってしまっているけれど寿命が尽きるまで意識と気持ちは残ります。

 作詞家の岩谷時子さんのノンフィクション「ラストダンスは私に」の書評を読んでいて、おなじみのシャンソンの題名なのですが何か違った意味を持っているような気がして、ふと病床の母の長い人生のラストの今と重なりました。「いつか二人で誰も来ないところへ旅に出るのよ」病気の心臓も歩けない足もすべて消えて、心配もしがらみもなくなって、ただの魂がまどろみながら踊っているようなそんなイメージだけで見守っていればいいんではないかと、思っています。

          わたしがここにいることだけ どうぞ忘れないで。