誠実であるということ

 今日ロシア語講座で、ロシアのバレエダンサーと日本舞踏家と日本人でロシアのバレエ団で活躍している日本人ダンサーが、コラボして作った「信長」という作品を見ました。動のバレエと静の日本舞踏が見事にマッチして素晴らしかったのですが、ロシアと日本の文化のつなぎ目である日本人のバレエダンサーが、間に入って何が一番大事だったかと聞かれ、「誠実であること」と答えていたことが印象的でした。ロシアの文化と日本の文化を合わせながら違うものを作っていくという大変な作業の中に、信長の複雑な人間性が絡んでいくなんて、想像しきれないものがあります。表現するとは難しいことですが、今はインターネットであらゆることが検索でき世界ともつながっていけるようになり、私もその恩恵を受けつついろいろなことがやれるようになりました。でも最終的に必要なのは自分の芯でありオリジナリティーで、さきほどの「信長」という作品でもロシアのダンサーのバレエと日本舞踊がしっかり噛み合えるのは、それぞれの芸の力が揺るぎなく確立していて、その上に誠実さという心根が全てをつないでいるから素晴らしいのです。 

 即位の礼の後の安倍首相主催の晩さん会で、能と歌舞伎と文楽がコラボした演目「三番叟」が、野村萬斎、市川海老蔵、吉田玉男さんたちで舞われ、そのあと観世清和、三郎太親子で能「石橋」が演じられたのですが、その時画面に流れていたツイートに「こんなつまらない物やってどうするんだ」みたいなものがあり、一瞬息を呑みました。能になじみがないのもわかるし、主人など歌舞伎は好きだけれど能はダメだと言っていますが、自国の国歌君が代は歌わず最近行われたラグビーの試合でウェールズの国歌はきちんと覚えて歌ったり、ニュージーランドの“ハカ”のパフォーマンスは真似してやってみたり、日本人は相手の文化を取り入れるのは本当に上手だけれど、自分の国の文化はどうなってもいいのだろうかと不安になります。

 九月にブルガリアの古代ローマ時代の劇場の遺跡で、日本の能楽師とブルガリアの劇団や子供たちが「オルフェウス」という新作能を上演し、国や言語、民族、そして時間を超越したパフォーマンスに客席は釘付けになったそうです。

  ”いにしえから、人や文物の行き交った歴史の十字路ブルガリア。その国で、遥か東から訪れた「能」が披露された。登場するのはバルカン由来の神。自然と手を結び、溶け合うことで生まれた伝説は、時と時空を超え、日本の古層とも共振している”

 能「石橋」もブルガリアの街中でゲリラ公演してみんなに驚かれたそうだし、対立や相克、そして服従ではなく自然も含めた周囲との和解、調和こそが人間が新たに手にし、奏でるべき楽器で、持続可能な世界の構築に向け、強いメッセージを発していっているのです。(ユニクロの柳井正氏が持続可能性(サステナビリティ)に積極的に取り組まないと企業の世界展開は不可能になっていると言っています)

 能のあらすじの中に、音楽を奏でようとしたら良い音が出なくて、それは我慢がまさっているいるからだと見抜かれ(我慢とは仏教でいう煩悩の一つ、おごりから来る慢心のことだそうです)、感動する音を奏でるには自らをかいかぶらず木々や動物たちと心を通わせよと言われ、広い愛と慈悲を説かれたというのがありました。ロシアで学ぶ日本人ダンサーの誠実であることとも通じるものがあります。慢心するな謙虚であれ。そしてかつ、学び続けなければなりません。