心を決める

 今日は、冷たい雨が降っています。明日は七五三の着付けの予約が入っているのですが、午後位ならお天気回復するでしょうか。子供の着付けの練習と、お母さんの長襦袢の半衿付けをしなければなりませんがこんなことをするのも久しぶりです。母と義母の介護認定の申請をして、区役所から職員の方に来ていただいたりケアマネさんとデイサービスに見学に行ったり母の新しい施設を探したり、いままでと違った所を進んでいる感があります。昨日義母の二回目の入浴をしたのですが、介護福祉士の資格を取るときの国家試験や実習が本当に役立っていて、どうしたらもっとスムーズにできるか考えながらやっています。気持ちの負担より、技術の向上を目指す方が面白いし、特に義母は骨折が複雑で外側に金属の支えが出ているので包帯巻くのも特殊だし、医療技術が進んでくると介護のヴァリエーションも変わってくるし、デイサービスの内容にしても団塊の世代のためにひとひねりしたものにしないと、追いつかない気がしています。

 自分もしっかり年とってきて、体力も記憶力も追いつかない時がありますが、エアビーの仕事と日本人の着付けの仕事、介護の仕事を複合的に考えていくことが今私の行くべき道なのかもしれません。介護が忙しくてエアビーの仕事ができないのではなく、(しかし介護が大変なとき、予約が入らないのはなぜなのでしょう?)いろんなことをトータルで考えて、そしてみんな巻き込んで進んでいこうと工夫していきたいのですが、来週三度目の体験に来てくれるメキシコの女の子にアドバイスしてもらおうかと思います。個人でマッサージの仕事をしている彼女は前回は佐渡のたらい舟(千と千尋の神隠しの映画に、千尋が乗るシーンがあったので、トライしたくなったとか)に乗りに来たのですが、今回は韓国に住んでいてビザの関係で日本に二、三日来るのだそうです。私が日本の親戚のおばさんになっているみたいですが、面白いものだなあと思います。

 経済も気候も地球の環境問題も切羽詰まっていて、ここへきてすべてが変化してきている状態を危機と認識して、いろんなことをクリアにシンプルに整理していこうと思います。義母のこと、子供たちのこと、エアビーの着物体験のこと。

 訪日外国人相手の商売とは何なのか、その最先端である京都は清水寺も嵐山も伏見稲荷もテーマパーク化し、舞妓さんを外国人パパラッチが追いかけ、錦市場には食べ歩きの串が散乱しているとか、異次元な異様な混乱ぶりに、日本人観光客が寄り付かなくなってしまっています。単一民族の日本人は異国の人達を見ると舞い上がってしまい異常にもてなしはしゃいでしまいがちで、私たちもエアビー始めた初期はそうでした。良い印象悪い印象、いろんな結果を経てきましたが、予約が途絶えてきている今、どうしようかと思っていたら、香港から一人旅の女の子の予約が入り、この大変な時期にやってくることの意味を考えたりしていますが、これがうちの在り方なんだろうと思います。一人の人のためにこれまでの経験値を生かして全力で対処していけばいいのです。

 池波正太郎の「食卓の情景」の中にこんな文章があるそうです。”このごろ、私は京都へ行くと、町のにぎわいを避け、上京や中京の町家が密集する道を歩き回るのが常となった。こうした町々は、夜になると、ひっそりと暗い闇につつまれてしまう”今も息づく闇が、文化都市をようやく支えているのだとしたら、柴又もライトアップされたりイベント会場と化したり、花魁道中をショー化して参道歩かせたりファションショーを境内でやったりしてもそれは一時のことでしかない、日本の小さな仏教の寺、帝釈天の意味と本当の価値を感じるべく、シンプルにやるべきことをやろうと心に決めていきましょう。