壁と扉

 母のことより、姑のことより、一番今心に引っかかているのは、グランプリファイナルフィギュアスケート大会の羽生選手のことで、いろいろなアクシデントや不当なジャッジに身を削って対しているのを見ていると、引退して新たな道を歩んでほしいと思うのですが、限界突破、この時代だからこそ見つけられる新たな視界を手に入れることもできるのだろうとまだ期待してしまいます。

 彼にとって今年の言葉は何だったかとインタビューで聞かれて、壁と扉と答えていましたが、壁をしゃにむによじ登って超えるのでなく、スマートに扉を見つけたいというのが彼らしいのです。何か進むべき道がある人だから、壁があり扉があるのでしょう。

 バーネットの「秘密の花園」という小説で、主人公の子供たちが花園の鍵穴を探していた時に、風が吹いて茂っていた蔦の葉が持ち上がった時、偶然隠れていた鍵穴が見つかったというシーンがありました。義母という壁、母という壁、子供たちの行く末という壁、どこを見ても壁だらけの中に私たち夫婦はいて、それに対してできるだけのことをしていますが、今こういうことが私たちの前のあるという意味をどう考えたらいいのか、壁にある扉はどこにあるのか扉とは何なのか考えています。

 生きていくために何が大切なのか、ささやかな私たちの幸せをこれでもかと壊し続ける義母の存在をどう超えて行ったらいいのか。

 ブルガリアの円形劇場で日本の能楽師とブルガリア人の女優がコラボして新作能「オルフェウス」を演じたのですが、オルフェウスは音楽や詩の神といわれ、鳥や獣、植物たちを慈しんだことで知られています。この新作能は古くからの能「玄象」を下敷きに、人間の傲慢さを戒め、森や動植物など自然との共生の大切さを描いたそうです。

 琴弾という名を得た琵琶の名手が山中で不思議な老人と出逢い、合奏を試みるがよい音が出ません。すると老人は「そなたは我慢(仏教でいう煩悩の一つ、おごりから来る慢心)がまさっているからだ」と見抜きます。「感動する音を奏でるには、自らを買いかぶらず、木々や動物たちと心を通わせよ」老人は広い愛と慈悲を説き、去っていきました。

 スケートで言えば、やはり今の羽生選手は我慢がまさっているのかもしれない、たとえ相手がどうであれ、自分の傲慢さを捨て、木々や動物たちと心を通わせていけばいいのかも知れません。そして私は、私は、どうしたらいいのか。

 さきほど郵便受けを何気なく開けたら、金町の桂さんが着物の布地で縫ってくださったワイドパンツが入った小包があって、びっくりしました。手間暇かけて、着物を再生し、わざわざ送って下さったのです。ありがたいことです。そのあと近くのもと呉服屋さんの奥様が反物をかける枠を三つ持ってきてくださり、着物を着る時すぐとれるように紐やだて締めをかけて使って下さいとのこと、夫がお茶を出してくれてお話ししていたら、近所の奥様が、お姑さんの着物や帯、帯締めを使って下さいと沢山自転車で運んできてくれました。その前にも着付けを手伝って下さる柴又のお煎餅屋さんの方が、レンコン持ってきてくださったり、みなさんいろいろ大変な中、わざわざ心を尽くしてくださることが有難くてありがたくて、感謝してもしきれません。この元接骨院のスペースで仕事していると、本当にたくさんの方が気軽にいらしてくださいます。夫曰く、ここは不特定多数の人が訪れるように作ったところだそうです。そうだった、今までは人の痛みをとるための場所だった、そして今は着物や日本文化の交流地点で、日本人も外国人も気軽に来て本当の日本文化を味わい、楽しみ、考えていく場所にしていけばいいのです。そのために一番必要なのは、私が我慢(煩悩)慢心を捨てることでした、義母の壁、母の壁はそのためにあったのです。

 今日は午前中は根津の日医大病院の救命救急科に姑を連れて行きましたが、来月まで固定はつけて骨折を直しましょうとのこと、お髭の若い先生は優秀で、私の目をしっかり見て説明してくださいました。午後は母の病院行きますが、こちらの担当の先生もしっかり目をみて話してくださいます。

 いろいろ学ぶことが多いのです。それを考えて生きていきましょう。