お帰り寅さん   さよなら寅さん

 日経新聞にシリーズ第五十作「男はつらいよ お帰り寅さん」を撮った山田洋次監督のインタビュー記事が載っていました。たまたまゲスト四人連れて半年前位に柴又行った時ちょうどその映画を撮影していて私は興奮してしまったのですが、帰りのホームで監督が椅子に座って線路や駅を見ながら長い時間過ごされていて、それを好奇心の強いスペインの女の子が写真に撮ろうとしてスタッフに注意されてしまったというエピソードもありました。でも監督は結城紬やそれぞれ個性的なうちの着物を着たゲストたちには目もくれず、じっと考え込んでいらしてその姿はいまだ鮮明に覚えています。

 この五十作目のストーリー見てびっくりしたのは、かつてのマドンナたちもみんなひとりぼっちで孤独に生きていて、50年前に比べるとこの国は住みづらく、寂しくなってしまったという監督の慨嘆が色濃くでていることで、駅も自動改札になるし、人間の付き合いも希薄になってしまったと嘆く監督に、私は異論を唱えたい、そんなことはありません。私はこの二年柴又に通いどれだけのドラマや人とのつながりを見てきたことか、参道の方々の温かいサポートはこの地だからこそのものだと思っています。

 最近少数精鋭でユニークなゲストが多いのですが、帝釈天の回廊でプロポーズしたイスラエルの若者とか、彫刻が汚いから綺麗に掃除しようと言ったインドのお兄さんとか、そして金曜日に1人で来たタイの女の子にお寺のお守り売り場にいるおじさまが一目ぼれしてしまったり本当に面白いことが多くて、私は今生きていることが楽しくてたまりません。

 そして昨日、とうとう振袖を着て、32歳の男子が柴又に行きました。チャイニーズアメリカンでクリエイティブコンサルタントの彼はデニム着物や男物の着物、袴も試した後で、真紅の振袖を着て髪は長い三つ編みにして、お寺や山本亭に行き、本当に喜んでいました。私たちは本音でしゃべりまくり、長い時間共に過ごし、江戸川の土手で夕日を見ながらセルフィ―で写真を撮りました。

 今は彼の沢山の写真を見ながらいろいろ頭の中が混乱していますが、この時期にトランスジェンダーの彼が来てうちにある様々な着物を見ていき、試し、そして様々な話が出来たということの意味は何なのだろうと思います。私の何かのリミッターが外れようとしているのかもしれません。いままで寅さんの銅像の前で映画の説明をすることに四苦八苦していましたが、五十作目が出来て監督の気持ちを知って、これからはさよなら寅さんというしかない気がしています。でも私たちは、前に進みます。

 クリエイティブコンサルタントの彼の写真は次回たっぷりとお見せいたします。