Spirit

 望むのなら、男子に振袖も着せられるようになりました。はじめに彼がデニム着物着て、ベルト締めて、黒い帽子かぶったら普通にかっこよかったのですが、彼はそのカッコよさは求めていない。最後に男物の着物着て羽織着たら、なぜか女の子ぽくて可愛かった。振袖着て電車に間に合うよう全力で走ったり、知り合いのおばさまに手を振られて私の肩をたたいて彼が爆笑したとき、女物きているのに凄く男っぽいのです。黒いシャツを脱がした時引き締まった胸板見てドキッとして直視できず、口紅を塗った化粧した彼の写真を見て綺麗でないと思ったり、私の感情は翻弄されっぱなしでした。彼の本質は何なのでしょう。彼の存在の中心にあるもの。今泊っているという民泊のたたみのへやの布団の上に全裸で背中を見せて座り、腰までの長い髪を垂らして自撮りで撮った写真を見た時、この人はどれだけの姿を持っているのか、どれだけのインパクトを与えようとしているのかと絶句しました。

 山本亭の小さな庭に変わった枝ぶりの梅の古木があって、そこに灯篭やつわぶきや石畳が面白く配置され、写真撮るかなと思って彼の顔見たら鋭い目をしてじっと見つめていてしばらくしてふっと表情をゆるめてそこを離れていったのですが、この人は何かを持っていて何かを表現したくていきているということを改めて思いました。

 江戸川の土手歩きながら子供は持たない、年とるのも怖くない、夕日が好きだ、などいろんな話を取り留めもなくしながら、でも彼は今振袖を着ている、このアンバランスさが彼の本質なのかもしれない。混沌、カオス、アブノーマル、自由であることの責任もあるが、自分だけを頼りに生きていく、ぎりぎりの選択と気構えは今この危機の時代に一番必要とされているものなのかもしれません。甘やかされおだてられて生きるものと、追い詰められ土壇場で苦しみながら自分を造り出す者の穏やかさ、やはりお釈迦様のことを思い出します。一期一会の出会いなのですが、彼のSpiritにがーんと撃ち抜かれた気がしています。