独座大雄峰

 神奈川の鳥屋という山奥にある臨済宗の東陽寺が実家の菩提寺なのですが、母の居た施設の片づけをしていたらそのお寺の雑誌が出てきて、管長法話のところに百丈懐海禅師の「独座大雄峰」という言葉が載っていました。

 修行僧が「どういうことが生きている上で一番有難いことでしょうか」とたずねたとき、禅師は「私が大雄山にどっかり座っている、これが何より一番素晴らしいことだ」とお答えになりました。「私はここに、あなた方はそちらに銘々座っている。自分が今現に生きてここに坐っておることが一番有り難い」めいめいが生きて、そこに坐っておるという事実以上の有り難いものはない。すべきことを全部したから命を終えていいのではなく、どんなにやりかけた仕事の前に命を終わったとしても悔いない、今ここに居るということがすべてで、それがただありがたいと思うことだそうなのです。どんな場所にいても、どんな状態にあっても『今、ここ』を住処として自分自身でいられること。つまり、いつでもどこでも本来ありのままの自分でいられることが「独坐大雄峰」となるのですが、「自分らしく」とか「ありのままで」いながら 自制心や報恩心、社会全体の幸福を常に念じ続ける修行が必要なのだそうです。

 昨日来た香港の22歳の女の子は身長173センチの頭のいい育ちの良いお嬢さんでしたが、この所人気の濃い赤の振袖を着ました。一番初めにこれを着たフィリピンの女の子、チャイニーズアメリカンの男の子、そして香港の彼女とそれぞれしっかりしていてクールで、自分をしっかり持ち同じ着物をそれぞれの個性で着こなしていました。残念ながら日本人の女の子に振袖着せてもこんなにいろいろなことを考えることはないのです。

 外国人のゲストたちにはこの禅語の言葉がなぜかふさわしい気がしています。