母の死

 紫式部は源氏物語を書いた時、主人公の光源氏が亡くなったということがどうしても書けず、雲隠れという題名だけの帖を作ったので、私もそれに倣い昨日は何も書かないブログを母に捧げました。 

 

 昨日九時過ぎ、一日苦しんでいた母の心臓は動きを止めました。ずっとモニターの数字を見ていて脈拍や酸素の値など基準値に達するとほっとし、135だ、109だ、90だと気にし続けていた数字が、0になっています。酸素マスクは先生が来るまで外されなかったのですが、一連の動作を経て、正式に「ご臨終です」と告げられ母は死にました。天下晴れて苦しまなくてよくなりました。

 この日は午前中から呼吸が苦しそうだと病院から呼ばれ、ずっと付き添っていたのですが、とにかく苦しくて苦しくて身の置き所がなく、酸素マスクの下から助けてください助けて下さいという母の点滴のし過ぎで紫になった手を握り、頭をなでながら「大丈夫、大丈夫」と繰り返していました。点滴も漏れてしまうので外し、鼻からチューブを入れて水や白湯を入れ、酸素マスクをつけるだけの処置で母は最期の踏ん張りをしていました。夕方になるとだんだん目が座ってきて余り苦しまなくなり、静かに静かに息をしているだけなので看護師さんや先生に伺って一度うちに帰ることにし、風の強い中バスに乗り橋を渡って歩いてる最中、心臓が止まりそうだという連絡を受け、また病院に引き返しましたが、その時はもう母はあちらに行っていました。

 あんなに苦しんでいたのが嘘のように母は静まっています。助けて下さい。その答えは心臓が止まることでした。

 ほっとしました。心からほっとしました。もう苦しくないのです。もう苦しまなくていいのです。究極の救いは死でした。まだ温かい頭をなで、紫の手を握り、少し空いた眼をつむらせ、動かない身体を抱きながら最後の母を感じていました。59で死んだ父も看病しました。94で死んだ母も看病できました。ありがたいことです。一期一会の看護師さんたちが母を見ると癒されると言って病室を訪れてくれたし、長いことお世話になった施設の方が、母にどんなに助けられたかと電話口で泣いていました。

 肩の荷が下りるということはこういうことなのかと空を見て思います。母が最期に身をもって教えてくれたのは、究極の安らぎということの意味だったと思っています。