やはり寝ても覚めても母のことが思い浮かんできます。この写真をもとに遺影を作ってもらったのですが、最晩年の一番良い笑顔だと思っていて、この後具合が悪くなり、入れ歯も外して容貌も変わってしまったのですが、それでも看護師さんたちが母の顔を見ると癒されると言って会いに来てくださいました。

 この写真をサイドボードの上に置いていると、通るたびに目がいき、この笑顔を見てこっちも微笑んでしまう、このことを施設の方々が言うのです。母を見ると心が和む、微笑みたくなる、菩薩だなあと思いました。本当に何も持っていない、なんにももっていない無一物の母は、だからこそいつも周囲の人を受け入れ、和ませ癒すことができるのでしょう。母からすべてを奪いつくした魑魅魍魎たちは、当たり前ですが棺にも何も入れず、冷ややかに立ち尽くしていましたが、貪瞋痴という三毒から逃れ清々しく旅立った母はもう後を振り向いて思い悩み心配することもないのです。子供のことをいつも心配する、それも欲なのかもしれないし、もう自分にはどうしようもないと感じて施設での生活を思い切り楽しみ、自分は幸せだと言い切り周りの人達を喜ばせていた生き方が極楽へ進む道だったのかもしれません。

 口の悪い次女がこの遺影の写真にクレームを付けた後、棺に入れた富士山の手描きの帯を褒めてくれたのですが、海の彼方という題のついている砂田明生さんの作品で、お世話になった和裁師のおばあちゃまの形見です。多分高価でしょうが、この帯付けて旅立ってほしかった、この帯は今私がやっていることの象徴だし、惜しげもなく高価な着物や帯やお茶道具を下さる方の想いを受け止めて、外国のゲストに着せる、そして最後の母にも着せさせてもらえること、もう神様の御配慮としか言いようがありません。棺の中の母はいつもと違い毅然として、凛として、装束に身を包み、出かけようとしていました。誰の助けも得られず、自分だけの力と気持ちで前に進む、魑魅魍魎たちとはこれでお別れです。また母に会えるよう、孫たちも精進して進んでいってほしいと思っています。

 さあ、これから認知症の義母に昼ご飯を出し、午後は美容院に連れて行って綺麗にしてもらいましょう。まだまだ私の修業は続きます。