ノースフェイスの手袋

 息子の勤めているゴールドウィンというスポーツメーカーの業績が好調で、商標権を持つノースフェイスやラグビーで有名になったカンタベリーの売り上げが良く株価も三年で五倍になったとか、好調の理由はプロを標的にした商品戦略であり、ノースフェイスは厳寒の雪山に耐える防寒性や透湿性を極める,突き詰めるという職人魂で作られているのです。でも売り上げの95%を国内で稼ぐゴールドウィンが成長を続けるには海外に目を向けなければならないのですが、サンフランシスコに出店してもほとんど自社製品の知名度がなく、日本で培った高機能商品に自社ブランド名を付け海外で売り出すにはどうすればよいかが問われています。

 息子曰く、海外に打って出ようという人材がいない、経営陣の考え方が旧態依然としている・・だそうですが、能力のない息子を社員に持つこと自体弱い!と親は自覚しています。でももったいない話です。

 能楽師の梅若猶彦氏と結婚したレバノン人のマドレーヌさんの本を読んでいるのですが(レバノンから来た能楽師の妻)日本文化にしろ着物にしろ、発展性を望むならば外国人の力が必要で、それによって触発され考えを深めえる、コペルニクス的発想の転換が商売を伸ばすと思っています。しかし、マドレーヌさんは頭がいい、優秀だ、凄いと思いながら、故郷のベイルートが絶え間ない内戦で混乱している中で勉強し安全な場所を求めて海外を転々としてコンピューターサイエンスを研究しながら能楽師と恋に落ち、結婚してからは能を広めるためいろいろ外国にルートを求め活躍しているのです。なんでこんな発想が出来るのか。

 岸恵子さんが結婚してパリに住んだ時、日本に居たら決して思い及ばなかったに違いない、人種、民族、出自、宗教などが一人の人間に課する宿命のようなものを考えずにはいられない人間になったと言っていましたが、優秀なマドレーヌさんがその上で日本文化の極みである能の家に嫁ぎ能の本質を理解したうえで世界的に発展させようと努力している姿というのが、今日本の企業に求められていることではないかと思うのです。

 実は母が亡くなった日、橋の上で病院からの電話を受けて手袋を外した時、慌てていて右の手袋をなくしたのですが、それがノースフェイスので、翌日探しに行ったのですがなかった、川に落ちたか誰かが拾ったか。村上春樹の小説だったら、こちらとあちらの存在の裂け目に落ちて居るというのかもしれません。

 いまだその手袋が気になっている時、新聞にゴールドウィンの会社が大きく取り上げられていて、それからいろんなことを今考えていますが、ヒントになるもの、きっかけになるものはすぐ気にして取り掛からなければなりません。今すぐやること。母は見ています。自分に手間かからなくなった分余計動きなさいよ。