インカの少女

 最近のテレビの語学番組は素晴らしく面白く、ナビゲーターも優秀で個性的な若者たちで、知らない世界がたくさん見られます。スペイン語圏のアルゼンチンを旅するのは、ドラマーでモデル、俳優のシシド・カフカさんです。ブエノスアイレスでいろいろな体験をした後、彼女はアンデス山脈北部のサルタという街に行き、そこの高地考古学博物館で500年前の少女のミイラの展示を見て少なからず衝撃を受けていました。海外旅行へ行って博物館観光に行って、何気に見るというものではないほど少女のミイラはリアルで生々しく、カパコチャというインカの儀式で人身供養の生贄となった子供でしたが、その姿はまるでついさっき眠りについたようで、ユヤイヤコ山頂の寒冷で乾燥した気候条件、酸素の薄さといった条件の下、彼らは腐敗することなく、大自然の中で眠り続けてきたのです。15歳の少女が、命を削るような苦しい登山をしてこんな標高まで自分の足で登り、なぜ生け贄にならなければならなかったのかという疑問、そして少女に対する思い。15歳の少女は、儀式の時、コカの葉や多量のアルコールを摂取し、意識がもうろうとした状態で亡くなったそうです。恐怖を鎮めるために摂取していたのかもしれません。微笑んでいるように見えるのはそのせいかもしれませんが、カフカさんのみならず私もいたく衝撃を受けたのは、少女が生け贄になり死んでミイラになったことが観光という名のもとにさらされていることです。現地の博物館側にはある覚悟があって展示しているのかもしれませんが、観光客の対し方がどんなものか、ヒロシマ原爆資料館でも衝撃を受ける外国人たちは多いのでしょうが、それとこれとは又違う話だし、自分の意志かそれとも命令かわからないけれどインカ帝国という大きな文化と宗教の重みというか文明というか、そういうものをしょった生々しい人間のリアルな姿がそこにあるということは衝撃でした。あまりにもふわふわと生きすぎている我々は、コロナ肺炎でも気候変動でも身近に危機が迫っていてもまだ気が付かず、のうのうと暮らしています。さっき三月半ばに予約していたゲストからキャンセルの連絡が入りました。桜が咲いても終息しないかもしれません。

 厳しい事態に陥ることも予測していますが、このインバウンドブームも一過性のものだったのかもしれず、語学習得ももちろん大事ですが、言語を超えて人類に普遍的なことを取り上げることが世界に通じる条件と、演出家の奈良橋陽子さんが言っていたことを思い出し、納得しています。「聴く力とは単に言葉を聞き取ることだけでなく、感覚を研ぎ澄まし、心を開き相手の立場を察して理解すること」私はこの体験で何を目指してきたのか。税理士さんに渡す出金伝票を一枚一枚書きながら、これまでを思い出していきます。