晴代ちゃんと麗子ちゃんと知子ちゃん

 母が亡くなって15日がたちました。家族葬ということでほとんどどこにも知らせなかったのですが、弟の仕事関係に母の訃報のファックスがまわったそうで、それで知った近しい従妹からお悔やみの電話をもらいました。父の兄の娘さんで小さい頃からよく遊んでもらったのですが、母のことを慕って下さり、施設にも二回来てくれ母はとても喜んでいました。もうみんないい歳なのですが、いまだちゃん付で呼ばせてもらっています。去年の一月旦那様を亡くした晴代ちゃんは母の思い出語りながら、いつしか旦那様がいない寂しさを切々と語り、何をしても思い出すし夢にもよく見るのだけれど、いつもさきへさきへ行ってしまうの、あの見慣れたコートを着ているのは旦那様だと分かっているのに逢えない、この悲しみは味わったことのない人でなければわからないという口調に、本当に心打たれました。母親が亡くなった時は守ってくれる人がいなくなったという喪失感だったそうですが、旦那様の時は同志というか、喧嘩もいさかいもずいぶんしたけれど、54年も一緒に過ごしてきたのだから身を切られるような悲しみを一年たっても感じているのです。もう、晴代ちゃんの心がストレートに私の中に入ってきて、こんなに嘆く魂の悲痛さ、広い家に1人で暮らし、話相手がいないさみしさをひしひし感じていました。電話越しなのに晴代ちゃんの魂の悲しさが押し寄せてきて、絶句していましたが、晴代ちゃんの妹さんの麗子ちゃんも控えめな静かな方ですが母の施設に毎年イラスト入りの年賀はがきを送ってくれて、そして今年も母がいない施設にはがきを送ってくれたのです。

 もし葬儀に来てくれたなら、晴代ちゃんも麗子ちゃんも母に触って泣いてくれたでしょう。最後のお別れの時、斎場の方が「最後のお別れです、触ってあげてください」と声をかけても冷ややかに立ち尽くす視線を感じながら、人が人に対して冷酷無比になれる異次元さがここにあること、でもそんな話はいたるところに転がっているのです。

 母の妹の娘さんの知子ちゃんは私より一つ若いのですが、今は介護に専念するため叔母と二人で暮らしています。亡くなった翌日電話で知らせた時、「ほっとした、ほっとしたの」と告げながら二人で泣きました。知子ちゃんはご主人も亡くしているのですが、音楽やりながら叔母さんに尽くしています。いとこたちは母にどれだけ世話になったか、良くしてもらったかと口々に言うし、施設の方も母の存在がどれだけ自分たちの支えになったかと涙しています。

 光と影。母を愛し、悼むことで自分の心まで話してくれる魂と、存在を憎み排除し語る言葉もなく佇む心、でも影があるから光は輝くのだとしたら、何も考えずただ光の方向を見つめ進んでいけばよいのかと思います。晴代ちゃんの心に触れ、感じたことが大きな力になりました。何物も恨んだり憎んだり、憂いたりする必要はなかったのです。ただひたすら想い悲しみ、感じていればよいと、お釈迦様が言っている気がします。自分が生きている間考えたこと、やってきたこと、それがすべてだ、たゆまず歩みなさい。

 今世の中はいろいろな影が押し寄せ、これからどうなるのか不安に満ち満ちています。遊び惚けて家が燃えていることに気が付かなかった子供たちがおもちゃにつられて家の外まで出て、初めて大変な事態になっていることを知りました。でも、単に外に出ることで助かったわけではない、そこからどうするか。三車火宅の譬えです。影があるから光を見ようとする。光を追い続けようとする。光のある方へ進め。

 晴代ちゃんに抱かれた赤ん坊の私の写真が僅かな母の遺品から出てきました。ありがたいことです。