シャドウ サイド

 病院に行かなくなって三年になりますが、身体の状態に耳を澄ませて、ぎりぎりで生きています。今それに加えて新聞を読まない、テレビをなるべく見ないが付け加わり、研ぎ澄まされた方向へ一直線に進んで行きたいと思っているのかもしれません。スピリチュアルの世界でシャドウサイドという言葉があるそうですが、本当に今世界はダークなサイドに入っている感じがします。もともとシャドウの部分が強い私は順境より逆境の方が動きやすいのですが、それにしても今回のシャドウサイドは予測できない、想像しきれないところに恐ろしさがある気がします。インフルエンザの方がコロナウィルスより強くて危ない病気なのに、コロナは未知であるということが恐怖のもとになっている、本質を知らず正体を知らずただ叩きのめすことに躍起になっているのを見ていると、認知症の姑に火のついた蝋燭を持たせているような怖さしか感じません。(これは毎朝繰り返される現実の光景なのですが)

 いいか悪いかは全く分かりませんが、薬も飲まず予防注射もしないので、体の中に異質物が入っていない、あるのは自分の影だけというシンプルさ、知らないのが怖いなら、知るためのあらゆる努力をする、まがい物でない真実を語る人の話を聞く、よく舅が言っていました、判断することを間違えるな、感性を、嗅覚を研ぎ澄ませと。正しく見、正しく考え、正しく思う。それをひたすら続けていくこと。

 四国の金毘羅さんに行っていた桂さんが、幸福の黄色いお守りと干菓子を郵パックで送ってくださいました。確定申告のことでバタバタしてパニックだったので、頂いて嬉しくて有難くてたまりません。早速バックにつけて、「この紋所が目に入らんのか」状態でいろんなところ行きます。魔除け、災いよけになり、健康と幸せを祈願するお守り、鮮やかな鬱金の色は元気が出ます。

 どうなるかわからないけど、金曜土曜とゲストが来る予定で、どうやって体験を組み立てるか考えています。世界中に広がったこの凄まじい混乱はシャドウ サイドなのかもしれないけれど、コロナ肺炎が発生する前の人智の乱れは酷いものがあって、それを浄化するための手段なのかもしれない、この影の中に私はなぜか光を感じています。人が人を貶め合う、そんな低い次元の話はもう終わり、宮崎アニメの天空の城ラピュタの飛行石の光が指し示す方向にすすんでいけばいいのかもしれません。違和感がない、心が澄んできている感じがあります。でもいろんなことに気を付けて、慎重に大事に仕事をしていきます、黄色のお守りを握りしめながら。