檸檬

朝の6時25分から始まるテレビ体操を何十年もやっているのですが、そのあと野村萬斎さん監修の子供番組「にほんごであそぼ」も面白くて見ています。わかりやすく楽しい歌舞伎や狂言のさわりを勘太郎勘九郎親子や萬斎さんの親子が演じていて、本当に豪華で贅沢なのですが、今日は小学生くらいの男の子が紺の絣に茶色の普段袴穿いて、おもむろに朗読を始めたのを聞いていました。

「私はあの檸檬が好きだ。・・あの単純な色も、・・丈の詰まった紡錘形の恰好も。・・私は何度も何度もその果実を鼻に持って行っては嗅いでみた。・・つまりはこの重さなんだな。・・何がさて私は幸福だったのだ。」

 ああと思い、すぐわかりました。梶井基次郎作の檸檬です。でも何でこの男の子が檸檬の抜粋を朗読しているのでしょう。七五三できるようなぴらぴらしたのでなく地味な品の良い袴穿いて、誰がこのシチュエーションをセッティングしたのでしょう。凄い・・高校生の頃から梶井基次郎が好きで、32歳で肺病で死んでしまうのですが、彼の短編は濃密で静謐で一つの宇宙の様で、模試などに檸檬の文章が問題として出た時は答えを書くなんて冒瀆だとすら思ったものでした。うちの子供たちは私のことを根暗だというのですが、子供番組にまで梶井が取り上げられるこの流れは何かがはじまっている予兆のような気がしました。

 「えたいの知れない不吉な魂が私の心を始終厭えつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか。・・何故だかそのころ私はみすぼらしくて美しいものに強くひきつけられていたのを覚えている。・・私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。・・私はあの檸檬が好きだ。・・あの単純な色も、紡錘形の恰好も。・・その檸檬の冷たさは例えようもなく良かった。・・つまりはこの重さなんだな。・・何はさて、私は幸福だったのだ。」   

 丸善の本屋の棚の前に積み上げた畫集の上にカーンと冴え返っておかれた檸檬。私にとってこの本を読んだ時のこのおかれた檸檬の感覚が記憶になり、今も残っているというのは誰にも言えないことだと思っていたら、それを子供に暗記させ朗読させることをしている人がいる、外国ではシェークスピアの戯曲でも詩でも空で言える教育をしているから、体の中にいろんな文化が染みついています。私が好きなものを誰か子供たちに教えているのです。

 今は世界がカオスで経済も流通もストップしている、でも宇宙は意図的にカオスを創り出している側面もあるとしたら、混沌というプロセスを経てからでないと秩序のある美しい世界は創造できないのかもしれない、これまでの世界の枠組みが根こそぎ解体されていくからこそ、これからの時代に合った新しい価値がどんどん生まれてくる。価値を創造する側に立たなければなりません。ひっくり返った視点で世界を認識し、堂々としたまなざしで世界を見る。三月の星の動きを解説したトシさんのブログにはいろいろな示唆が詰まっていました。