忍耐と勤勉さ

 柴又の今昔小路という着物のお店が閉店して、そこのオーナーだったフランス人のトマ君のツイッターに近所のスーパーの空になった棚の写真が載っていて、コメントが「日本人はバカになってしまったのか」でした。日本が好きで着物が好きでお店まで開き、マスコミにもよく登場する彼とはお店を開店する前から会っていて、お店にも何回も行っていました。でも最近の彼の振袖姿はどうしてもきれいだとは思えなかった、話もしなくなってしまいましたが、難しいものです。

 アウシュヴィッツの収容所から奇跡的な生還を果たした精神科医のフランクルさんの「夜と霧」に、運命に毅然とした態度をとり、どんな状況でも一瞬一瞬を大切にすること、それが生きがいを見いだす力になる、幸福を感じ取る力を持てるかどうかは、運命への向き合い方で決まるとありました。地震や津波、洪水など幾多の自然災害には日本人は果敢に立ち向かってきたのに、今回の騒ぎは一体何なのかと思ってしまいます。フランクルさん曰く、世の中にはまともな人間とまともでない人間がいる(収容所での話なのですが)、奪うことばかり考え与えることを知らない人間の多さ、妬み嫉み奸計そんなものが自分の中で蔓延していて心が曇って先が見えない、トイレットペーパーでもなんでも買い占めていなければ気持ちが収まらない。(しかしなぜトイレットペーパーなのか、この暗喩は何を意味するのかしら)

 「人間が自分の世界を再建し、自身の解放に着手することに情熱を覚えます。私を魅了するのは自由なのです。人間は聞いたこともなければ不確かで知りもしないものに直面しながら、それでも何かしら意味を持ったものを作り上げます。島の空間が私の興味をひくのは引きこもりの空間としてではなく、世界の意味を再構築することのメタファーなのです」アラブの作家の言葉をふと思い出しました。バレエダンサーのロシアのロパートキナさんにしても、現役を退いた後も何かを作り上げるための勤勉さと努力はいつも続けなくてはならないと言って居ます。

 このコロナウィルスはある意味ネット社会が生み出したmonkで、能力以上の玩具を持ってしまった人間を試すために、淘汰するために現れているのかもしれません。節目のイベントや行事もあっという間になくなり、それに対して何も言わないのはそれが自分たちの心からやりたいものでなく、踊らされていたものだからなのかしら。

 バトミントンの桃田選手の記者会見が本人の強い意志できのう行われました。マレーシアでの交通事故の影響で視力障害などでて心配されているのですが、事故後の不安な気持ちを払拭するほどの沢山の激励や応援を受けてそれに感謝し、現地のドライバーさんが亡くなってもいるので自分が助かってよかったとは言えないけれども、すごい経験をした自分が伝えなければならないことがたくさんあるし、その責任もある、今まで以上に頑張らなければという思いが沸いてくる、心が強くなったかなと思うと穏やかな表情で言い、あとはこれまでの感覚を取りもどせるかという、自分との戦いだというのを聞いて、水泳の池江選手やフィギイアスケートの羽生選手も同じことをいっていると感じながら、あとは勤勉と忍耐ということなのでしょう。桃田選手は違法カジノで謹慎を余儀なくされ、どんなに屈辱を受けたでしょうがそれも乗り越え、今回のアクシデントも乗り越えようとしています。いついかなる時も求めるものに近づくために努力し続けること。そしてそれが自分にとっても他の人にとっても温かい喜びになるのです。人生において足るを知ること。いかなる困難があっても自分の力で立ち向かい続けること。トイレットペーパーを探し求めている暇などないのです。人を貶め悪口を言い罵る人間の前に深く掘られた深淵、あと一歩で落ちてしまう、ハーメルンの笛の音がネットで流されているのでしょうか。

 外国にいる日本人が隔離されてしまったとか、これまで味わったことのない立場に置かれることもあるようです。やはり数学者のピーターフランクルさんの言葉を思い出します。たとえすべてのものを奪われ逃げ出さなければならなくなったとしても、自分の体と心とどんな時にでも役立つ強力なスキルを身につけておくこと。正念場でしょう。忍耐と勤勉さを持って心して生きていきます。