納骨

 昨日神奈川の山の中にある東陽寺で母の四十九日の法要があり、本当に四十年ぶりに父と母は一緒になりました。前日は雪で山間部は積もるかもしれず厚着をしていったのですが、何とかお天気も良くほっとしました。七年前自宅で骨折して入院してから家に帰れなくなった母は、亡くなって遺骨になってやっと自分の家に入ることが出来て、たとえお線香をあげてもらえなくても花が枯れてしまっていても、四週間いられて、そして愛すべき孫の運転で一緒に車に乗ってお墓まで連れてきてもらえて、どんなに嬉しかったかと思います。鹿も猪も猿もヒルも出るようなところですがいろいろな花が咲き鶯がなき、雪化粧も桜も紅葉も見事なところで、静かに眠っていられます。

 双子の孫ちゃんはとても良い子たちで、私だけ電車とバス乗り継いできたので、帰りは送ってあげると気遣ってくれたり、納骨終わって食事したときは、仏教の話やお寺の話を色々和尚さんに聞いて座を和ませ、誠実な対応をしているのを見て、孫たちの時代になったらきっと墓参りも仏壇を綺麗にして毎日ご飯やお茶やお線香あげたりもきっとしてくれるだろうと思い、ほっとしました。

 車の窓から手を振ってくれた孫ちゃんたちと別れを告げて私はひいおじいちゃん夫婦や伯父たちの墓参りをし、いとこのお嫁さん宅へ最後寄ったらそこの息子さんがJRの駅まで車で送ってくれて、本当に今日は若者たちに助けてもらって、ほのぼのと幸せでした。先行き不安な世の中、若者たちの悩みも様々ですが、生きていることに誠実で、他人に対して温かい心を持っているということがこれからの人生の武器になるし、本当に嬉しかったのです。

 ふと若者に大人気のコミック「鬼滅の刃」を思い出しました。鬼はそこここに沢山いるのです。鬼と戦うために必死で技を尽くす若い炭治郎と妹の禰豆子、鬼とは人としての対象物ではなく、自分達の中に住むsomething else だから今世の中はこんなにも混乱しているのかもしれません。みんなが鬼滅の刃を持って戦う時、戦うことに気が付かせてくれた魑魅魍魎たち、そして今のこの混乱も鬼たちが跋扈しているのに耐えられず、コロナウィルスが鬼たちをあぶりだすためにあらわれたのかもしれず、それだったら鬼とどうやって戦うかを考えることが今一番必要なのでしょう。

 エアビーから緊急メールが何回も来て、何とかこのあらしを乗りきれ、そして今することは再開できるときに備えて、ひたすら準備せよとサジェスチョンしてきました。さすが!静かに頑張ります。