強制終了

 去年転んで救急車で入院し、緊急手術した義母の骨折が、昨日の診察を持って完治しました。いつも夫の車で根津の病院まで通っていたのですが、足が丈夫なので朝電車で行くことにし、お天気も良く暖かかったので帰りは根津神社によって参詣もできました。ちょうど通勤時間で座ることができなかったのですが、デイサービスに行くときも一時間前から玄関の前に立って待っていたりするので(いくら早すぎると言っても聞きません)電車乗り継ぎ駅からも結構歩いて病院まで行き、診察受け、また随分歩いて帰ってきました。私でも疲れたから義母は結構しんどかったと思いましたが、負けず嫌いなので頑張って無事帰宅、ほっとして「うちが一番いいわ」というのを聞いて、今週末からデイサービスだけでなくショートステイも行くことになっているのですが、それを理解できるか不安になりました。

 認知症がひどくなって攻撃的な言動が増えてきたこの二年あまり、丈夫なだけに世話することもなく好きにさせていて、ひどい骨折をしたことで全面介助をしてみて、それこそ母に比べたら楽でしたが、今回普通に電車で通院して見てそのハードさに年を取るとは大変だと実感したようです。私も夫も義母が骨折してから全面的に介護し治療してきましたが、拘縮が残る右手を湯で温めマッサージしてリハビリする、いわゆる後療法で、整骨院していた頃はそのために半年くらい通っていた患者さんもいたしそのことがよくわかっていながら、今日先生にそれをやって下さいねと言われても、私たちはNo!です。気が遠くなるような長い地道な治療には、絶対的な信頼関係がなければなりませんが、一番義母をよく知っている夫は、自分に対して愛情がない、信頼が最後までない義母にそれはできないのです。夫の矜持というか、プライドというか、本当に思わなければできないことなのでしょう。

 明日は春分の日、今までだったらお彼岸はお墓参りをしておはぎを食べる休日だったのですが、時代の、世界の凄まじい変わり目は、この日がどんな意味を持つのかを初めて明かしています。それは昼と夜の長さが同じで我々の世界である此岸と仏様の世界である彼岸が最も通じやすくなる日であり、煩悩や迷いに苦しむ我々がこの世から三途の川を挟んで、あの世へ到達するための修行の日なのだそうです。

 今愛読しているスピリチュアルカウンセラーのトシさんのブログによると、春分の日とは太陽が生まれ変わる日のことで、破壊と再生が世の中の仕組みを根本からひっくり返すようなインパクトの強いエネルギーのもとで行われ、世界は大きな変容へと進んで行くと言います。我々の生活そのものが変容し、これからの時代にふさわしくないものは、愛も誠もないものは、強制終了となる。もうそこが基準となるのでしょう。

 水泳の池江選手が病が癒えて406日ぶりにプールに入って、言葉に言い表せないくらい幸せというコメントを出しました。壮絶な闘病生活を経てこの心境に達し皆を勇気づけることが出来る、もしあのまま元気で練習を続けていたとしたらどうなっていたのか、神様は試練に立ち向かえる人にしか試練を与えないと思いながら、優れた魂を持つ人が試練を経て、他者を救い勇気づけ支えとなりうる、まるでブッダのようです。今のこの混乱した世の中は、己を律し耐え考え続けよと私たちに教えるためにあるのでしょう。世の中がひっくり返ったとしても、愛があれば人間は何度でも立ち上がることが出来る。愛がない人間であれば、この混乱の中で立ち上がることが出来ない。

  心して20日を迎えます。