何故イタリアは沢山の人々が感染しているのか。

 漫画家のヤマザキマリさんが昨日BSの報道番組に出ていて、イタリアにいる夫と息子から入る情報がかなり深刻で、日本の状況とは比べ物にならないと言っていたのですが、今朝イタリア関係の記事を見ていたら興味深いものがありました。

 2011年に発行された二人のイタリア人ジャーナリストがイタリア全土を駆け巡り、イタリア社会で生きる中国人の姿を克明に綴った本の題名が『“不死身の中国人”――彼らは働いて、カネを稼いで、イタリアを変えている。だから土地の人に怖がられる』だったのですが、鄧小平が断行した対外開放、つまり「中国人の移動」という観点からイタリアを襲っている惨状の背景が明らかになっていくような気がします。中国人のイタリア社会への逞しくもすさまじいばかりの浸透ぶり、イタリア社会における中国人――その大部分は対外開放以後に海外に「走出去」して飛び出して行った新華僑世代――の振る舞いを捉えることで、ヨーロッパ全体を覆いつつあるパンデミック危機の背景を知ることができるはずだし、たとえば西北部の穀倉地帯として知られるイタリアのピエモンテで1980年代末に「紅稲」と呼ばれる雑稲が突然変異のように発生し、増殖をはじめ、稲の生産を急激に低下させたのですが紅稲は除草剤や除草機では駆除できず1本1本を人の手で丁寧に抜き取るしかないのですが、肝心の単純労働力は不足しています。そこへ、農家の苦境をどこで聞きつけたのか、大量の中国人がやって来てイタリアで半世紀以上も昔に忘れ去られてしまった田の草取りの方法のままに、彼らは横一列に並んで前進し、紅稲を抜き取っていきました。<7、8月の灼熱の太陽を受け泥に足をとられながら、手足を虫に咬まれ、腰を曲げ、全神経を紅稲に集中する。想像を超える体力と集中力、それに一定の植物学の知識が必要だ。紅稲は一本残らず抜き取らなければ正常な稲に害が及ぶ。抜くべきか残すべきかを知っておく必要がある>過酷な作業ながら収入は少ないのですが喜んで十時間以上の労働を中国人は請け負うのです。そして中国人がいないとイタリアの米作りは成り立たなくなってしまったのでしょう。

 農業に次いで、大理石の石工、ゴミ処理工場労働者、ソファー・皮革・衣料職人、バー、レストラン、床屋、中国産品の雑貨商などが中国人に依存するようになり、中国人はミラノを「イタリアにおける中国人の首都」にして、ありとあらゆる産業を蚕食していきました。その大部分は浙江省や福建省の出身者で、多くは非合法でイタリア入りしていて教育程度は他国からの移民に比較して低く、それゆえイタリア社会に同化し難いのですが苦労をものともせず、倹約に努めるという「美徳」を備えてはいるものの、それ以外に目立つことといえば博打、脱税、密輸、黒社会との繋がりなど……。どれもこれも、胸を張って誇れるビジネスではないし、文化程度の低さは、勢い生きるためには手段を選ばないことに繋がります。これがイタリアで増加一途の中国人の現実なのです。<中国人って1カ所には留まらないものなの。あっちがよければ、あっちに行くわ。おカネの儲かり次第ってとこね。この地に未練なんてないの。もう14年は暮らしたけど、とどのつまりは行きずりのヒトなのネ……> 1975年の時点で、イタリアでは400人前後の中国系住民(旧華僑世代)が報告されているが、鄧小平が対外開放に踏み切った1978年末から7年ほどが過ぎた1986年には、1824人になっている。以後9880人(1987年)、1万9237人(1990年)、2万2875人(1993年)へと急増していったが、彼らは新華僑世代である。1990年代半ば、新華僑はイタリア在住外国人としては6番目の人口を擁していた。 1986年から1987年の間の1年間に見られた5倍以上の増加の主な要因は、1985年1月にイタリア・中国の両国間で締結(同年3月発効)された条約によって、イタリアへの中国資本の進出が促された点にあります。人民元(カネ)とともにヒトが大量にイタリアに送り込まれ、中国料理、食品(モノ)への嗜好が高まり、カネ、ヒト、モノが中国からイタリアがに向かって流れだしたのです。強力な団結力をテコに新華僑世代は生活空間の拡大をめざし、2010年前後のローマの商業地には衣料品、靴、皮革製品を中心に2000件を超える店舗の半分が中国人で、彼らが扱う商品の発送元、浙江省温州市はコロナウィルスを巡っては二月に武漢市に続いて封鎖措置を受けているのです。イタリアと中国がモノとヒトで日常的に結ばれていたこと、オリーブやトマトを好むイタリア人は健康的な食生活によって、肥満の多い欧州先進国においては長寿国で高齢化が多く核家族でないことが皮肉なことに感染者を多くしている?のでしょうか。

 中国人の「移動」という今日的要因がイタリアの社会的、文化的伝統という”宿主”を得た事で、被害の拡大に繋がったとも考えられます。

 エアビーの体験をしていて、ヨーロッパはじめいろいろな国から中国人は来ていました。何とも言いようがありませんが、アイデンティティというか生活習慣、文化、特徴などなど癖があって驚いたことがたびたびあったし、難しく油断ならなかったのですが、数としてはやはり多いのです。コロナ前、日本も含め中国は経済的にも良いお得意様だったし、収入を得るには最適だったことは事実です。見返りが大きかったのだから、コロナくらいでガタガタ言うなと後になったら言うのかもしれませんが、原因も成り行きもわかった今、さてこれからどうしていったらいいのか。鎖国が一番だ?エアビーをやってみて、日本人の狭い考え方が嫌になったのではないですか。それにほんとにたくさんの中国人が来てくれていたし、きわめつけは振袖男子のお兄さん、大学の先生の憂いを含んだ気品などびっくりするものがあったのですが、あと香港との葛藤、チベットとの確執など気を付けなければならないこともありました。いろんなもののバランスが崩れて、今まで必死に保たれていたものが一気に崩れてこのような事態になったのでしょう。しかし本当にこれからどうしたらよいか、考えていかなければなりません。