バーチャルリアリティ

 風は強いけれどよく晴れた昨日の午後、私は家から少し離れた場所にあるオリンピックというスーパーに行きました。この前行った時は買いだめパニックの時で、卵もパンもパスタもなかったのですが、今日はすべてがたくさん棚に並び、そしてなんとトイレットペーパーまであり、私は思わず笑ってしまいました。すべてこれらは人間の作り出したフェイクのパニックでした。テレビは際限もなく同じ話を同じメンバーが繰り返し、かと思えば芸人が自分の知能がいかに劣っているかというクイズ番組を延々と放映している、朝見ている子供向け番組では「徒然草」の一節を読んでいるというのに。高飛車にもっともらしいことを言うコメンテーターの一人がもし感染したらその場にいるすべての人々は隔離されてしまうのです。主人が突然「これらはみんなハーメルンの笛吹きの話のようだ」と言い出しネットで調べていましたが、自分で考えないで流れにさえ乗ればいいと行動してきたいろいろなことが今コロナウィルスによって否定されているのでしょう。

 夫と義母に美味しいものを食べてもらおうとスーパーでたくさん買い物して(私はダイエット中なので、あまりたくさん食べません)えっちらおっちら歩いて帰る途中に小学校があり、誰もいない庭に桜が咲き乱れもう葉桜になるところで、桜吹雪とともに美しい景色が続き、少し先には長い桜のトンネルの通りになっているところがあるのですが、ずっとその道を歩きながら私の頭の中にこんな言葉が浮かびました。

  「私は二度とこのような桜を見ることはないでしょう。」

 神の審判なのか裁きなのかわからないけれど、もう堪忍袋の緒が切れた天は、悪を成し、欲にまみれ、考えることもせず、右往左往する私たちにまだ食べ物も暮らしもすべて残しながら思いもかけない方法で責め苦を与えています。地震や津波、放射能の被害は目に見えるものだったけれど、コロナウィルスは人間の魂を試すために現れている。その見えないリアルさはフェイクなのかと思ったとき、バーチャルリアリティという言葉が浮かびました。そうか、みんな現実に対してリアリティを抱けないのかもしれません。現実感を持てない人は思考回路が閉じてしまう、だから毎日おんなじことを言い、ひたすら他人を責めるのです。でも、もうリセットはできない、今までと同じ世界には戻らないのです。

 今いろいろなゲストにメールを送っているのだけれど、私の中でその存在がひっかかっているゲストは、例えば「なんで日本の龍には翼がないか?」と聞いたグルーミーなチャイニーズアメリカンの大柄な女の子の不思議なキャラクターで、何を考えているのかわからないのだけれど自分の核があって、アニメやゲーム、フィギイアにはまり突き進んでいけるタイプです。翼のある龍という話をそれからずっとそのあと来たゲストに話しているのですが、たまたまうちにあったゲド戦記の表紙の絵が翼のある龍だったことに気づき、それからゲド戦記の深いくらい世界を調べていたら、インディアンという言葉にひっかかり、そこからネイティブインディアンの祖先を持つと言ったアメリカの優秀な女の子の暗い表情に行きつきました。700人のゲストの引き出しは数限りないのです。そして苦しんで悩んで、やるせない思いをずっと抱いているものはこういう状態に強いのです。失うものがないし、ふわふわした順境より、はっきりした逆境にはいろいろな取っ掛かりがたくさんあります。そこに足を引っかけてよじ登る、壁を越えて限界の五歩先に行ける人は、これからどこまでも行ける気がします。