牡蠣フライ   fried oysters

 食べ物シリーズが続くかと思われるかもしれませんが、これはシュールな村上春樹の”牡蠣フライ”の話です。夜早く寝るので、ありえないほど朝早く起き、今朝は三時でしたが静かにいろいろ料理作り、紅茶飲んで夜明けを迎えます。くっきりした太陽が出るときは早くから空の気配が濃厚で、日の出を待つオーラが満ちているのがわかるのですが、この二、三日ははっきりしない夜明けが続いています。ブログを書く前にフェイスブック見ていたら、池袋の着物やさん”ゆめこもん”のオーナー中村篤さんが「本当の敵はコロナでない気がする・・」とつぶやいておられました。

 このところ活字がやけにリアルに頭に飛び込んできていて、棚を片しながらふと手に取るずいぶん前に買った本の内容が、啓示の様でびっくりしています。小川糸の「ツバキ文房具店」はずっと読めないでいたのですが、書き手の息遣いが今のこの状態で読んでいるとよくわかるのです。そして村上春樹の「雑文集」は、結婚式のスピーチから文学賞受賞の言葉まであらゆる雑文がつまっているのですが、まず出だしの「自己とは何か(あるいは美味しい牡蠣の食べ方)」の内容で、一日考え込みました。

 就職試験で「自分自身について原稿用紙四枚で説明せよ」という問題がでたが、村上さんだったらどんなふうに書くか?という読者の問いかけがあり、その答えが「それは不可能だし意味のない質問に思えるので、例えば大好きな牡蠣フライについて自分が詳細に書くことでそれとの相関関係や距離感が自動的に表現されると思う」でした。小説はいろいろな物語を作っていきますが、私は今までそれは苦手でした。自分のことから離れられない、でもそれでは面白くないし閉鎖的だし発展しないものでした。でもエアビーアンドビーでたくさんのゲストを知るようになると、たとえ短い時間であれ密に過ごした時間や、着物や茶道を通すという共通のツールを味わってもらうことで、私の物語が広がっていく感じがしていました。一回一回の体験を終わらせるごとに、着物やお茶の道具を片づけながら、彼女たちが残した香りや言葉、佇まいの意味を考えていました。私にとっての牡蠣フライは、着物であり、ティーセレモニーであり、帝釈天のすべてだったのです。

 「本当の自分とは何か」という問いかけには若い時にはずいぶん囚われたし、自分探しなどと言ってさまよった時期もありましたが、しょせん自分自体がちっぽけでたいした経験も軋轢もないのに、反抗しようとするのが無理な話だったのです。そして今の時代は、あまりにも大量のインフォメーションと選択肢が満ちているし、導いてくれる経験豊かな年長者も見当たりません。現実の推移するスピードがあまりにも早く、先行する世代の積み上げた経験はサンプルとしてはほとんど有効性を持たない場合が多いのです。本当に自分とは何かという問いかけ自体が、その論理的な歪みのゆえに、例えばオウム真理教のようなカルト宗教に多くの若者を引き寄せる要因にもなってしまったと村上氏は言います。

 今一つ実感がわかないでいたコロナウィルスに対する恐怖がやっと芽生えてきた気がして、昨日行ったスーパーの行き帰りの街中の気配が違う気がするし、先が見えない事態が呑み込めてきました。そこで前に進める人と、だんだん脱落していく人が出てくるかもしれない、みんな一律に手をつないで同じことを同じようにしようということではここは乗りきれないと思っています。生態系にまで害を与えてきた事実があるのだから、害を与えたなら罰を受けるのは当然です。無間地獄、蜘蛛の糸。あまり見ないようにしている新聞の日曜欄に出ていたお笑いの髭男爵が引きこもりで苦しんでいたとか、ギリシャ神話の話で、パンドラの匣(箱)を開けたがためにあらゆる苦しみが外に出てしまい世の中は混沌としてしまったけれど、箱の中に残されていた物があって、それは希望だったとブログに書いてくれたゲイのお兄さんとか、今まで多分マイナーで偏見や圧力を受けたことがある人ほどコロナウィルスが今現れている意味を分かっている気がします。人よりも苦しんでいる人はいつも自分が生きる意味を問い続けるし、この世から消えてしまいたい、人と違っていることが苦しいとずっと思っているのです。だけど初めて世界中に同じ苦しみと恐怖があり、平等に同じ立場に置かれている、老いも若きも貧富も権力も美しさも何もかも関係なく一律平等になった時、もうこうなったら生のままの魂の勝負しかない、コロナウィルスの存在に何の意味を持てるか考えられることが、一歩先へ歩み出せるかのキーワードです。

 毎晩読んでいる村上春樹の「1Q84」に、カーストの一番底辺に生まれて北海道の孤児院で育った用心棒のタマルが、サヴァン症候群という普通でない能力を与えられネズミの木彫りだけが出来る黒人のハーフの男の子を守り通したエピソードが綴られてあって、他に何もできない知脳障害のある子が、脇目もふらずネズミを木の塊の中から取り出している光景が、深く心の中に残っていて、それが自分の生きる意味、意味のある光景として何かを教えてくれようとしていると語らせています。

 コロナだってこんなにたくさんの人を殺したくないでしょう。人間が死んでしまえばコロナウィルスだって死んでしまうのですから。宮崎アニメとか、ゴジラとかで、みんなに攻撃され滅んでしまうものがたくさんいますが、そういえば一回死なないと再生できないのでした。厚生労働省次官だった村本さんという女性が冤罪で収監されていた時、しっかり食べてよく寝てそしてすべてをポジティブに持って行くため全知全能かけて正しく努力を続けて見事無罪を勝ち取りましたが、個々の、夫々の努力の積み重ねとその結果を出すため、好きな道で挑み続けるしか、ここを乗り切るすべはないと思っています。

 牡蠣フライ。牡蠣フライのことを書くように、しばらくゲストたちのブログを書いてみます。