完全に元の生活には戻らない Never return to there original life

 産経新聞の一面のコラムに、慶大教授の安宅和人氏が非常に的確な論説を書いていて、コロナ以後どういう方向で生きていけばいいのか考えていた私は、納得した思いを持ちました。コロナウィルスは人間が築いてきた都市中心型の問題点を浮き彫りにし、地球との共存を図るためには、技術を使い自然と共に暮らす社会へ転換していかなければならないというのです。これまで人類は密閉された場所に高密度で人が集まることで都市空間を作り価値を創造してきましたが、それが否定された今、密閉から開放、密から疎に向かう「過疎化」という流れが新たに生じてきたということです。満員電車での通勤や通気性の低いオフィスは衛生学的にも間違っていると敬遠されるし、今までの社会は物より人が動いていましたが、これからは物は運ばれますが人はそれほど移動しない社会に向かうだろうし、リモートワークや配達が基本になっていくでしょう。消費の内容も変わり、自己顕示型の需要は下がり、高級ブランドはその人の人生そのものを豊かにするという風に打ち出していかないと、生き残れなくなるといいます。コロナ前に議論されていた環境問題の多くは都市化の急伸によるものだし、もはや人間にとっての善(人間善)だけを考えればいい時代は終わり、地球善と人間善との交点の向こうに未来があるのだから、技術とデザイン力を使って自然と共に豊かに人間らしく暮らすことが出来る空間を生み出す、そんな社会への転換を一気に図るチャンスなのです。日本の強みは漫画やアニメに培われた"妄想力”あふれた人材の豊富さにあるので、この妄想力とそれを形にする力としての技術とデザイン力で未来を仕掛ける底力を発揮し、世界をリードしていくべきだと結んでいます。

 時々ゲストに言われたことは日本人は小さい家に住み、通勤電車に詰め込まれ遠くの会社に通い、学校は制服を着て皆同じことをするのね、でも制服は可愛い!  今まで日本では個人であることが憚られる時代がずっと続いていたのですが、日本人にしては体の大きい私が小さい服を無理やり着て小さい靴に悩むことはなかったのだし、コロナ以後どうしたら仕事ができるかと考えた時、個々の人々を対象にした需要、顔の見える生産者が顔の見える消費者へ届ける、イギリスのLoisが言っていた地元で作った花々を、顔の分かるお客様に届けるシステムとか、きちんと作ったものをきちんと届けることが人間にとっても地球環境にとっても良いことだし、それをしていくことが大事なことなのでしょう。このゲストにこの着物を着せたい、このゲストはこの着物が着たい、考えてみたら私のやってきた体験は本当に個人的なものです。一人一人のゲストをしっかりわかってきたか、どこまで理解できたか、私にとって今はやはりその振り返りをしていく時期なのです。

 ずいぶん前に送ったGメールの返事が来たりしてきます。能力のあるゲストのプロフィールが送られてくると、書いてある内容が理解できなくてオタオタしてしまいます。こんなことを勉強していたゲストだったんだと感心しているのですが、返事が書けなかったら、今「メール読んだ?」と連絡が来てしまいました。さあさあ、何と返事しましょう。こんなつながりは、外国のゲストとしかむすべません。