Small breakthroughs

 今頃、カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞記念講演の英文と日本語訳を収録した対訳版をアマゾンで取り寄せて読んでいますが、イシグロ氏の英文と訳者の土屋政雄氏の日本語文が対訳になっているのを見て、目がくらむ思いがしています。日本人の両親を持ち、日本語も話せるイシグロ氏の優しい穏やかなイギリス英語に土屋氏の日本語訳がピタっと寄り添い、英文を先に読もうが日本文を英語にしてみようが、なんというか柔らかい一致感が物凄く心地よいのです。この優しい丁寧な品のいい作品を書くイシグロ氏は天下のノーベル賞作家なのですからレベルも高いのですが、この本を読んでいて私と同い年の彼の(午年です)人生の節目に現れた社会情勢や世代のカラーがリアルにわかるし、彼が音楽や文学や映画によって突然触発され、ブレイクスルーする過程が何というかとても微笑ましいもので、これを言ってはいけないのですが、日本人の感性だと思うのです。でもイギリス国籍を持ち、英語で生活し英語で小説を書くということが、彼のアイデンティティであろうし、彼の考えている英語の文章のそばに的確な日本語が添えられているふしぎな感覚は初めてのものです。

 1954年生まれの私たち世代は、ともすれば楽観主義に傾きがちだし、6歳年上の夫の世代とは逞しさが違うしなんとなくボーっと生きてきた気がするのですが、五歳で家族とともにイギリスに渡り、日本に戻ることなくなぜか日本語を使わず、英国籍の作家として穏やかな幸せな人生を淡々と送ってきたイシグロ氏のこの記念講演の文章は、例えば波瀾万丈の数奇な人生を送った外国の作家などど比べると、普通な気がしてしまうのですが、ノーベル文学賞を授与したスウェーデン・アカデミーのコメントを読むと「強く感情に訴えかける数々の小説により、世界との結びつきという錯覚の下に口を開ける奈落を描き出して見せた」とあって、外国人が読むイシグロ氏の小説はこうなんだと、意外な感じがするのです。三年前に書かれたこの本では「暴力の連鎖を断ち切り、社会が混乱と戦争のうちに崩壊していくのを阻止するためには、忘れる以外にないという状況がありうるとしても、意図的な健忘症と挫折した正義を地盤として、その上に本当に自由で安定した国家を築くことなどできるのか」といっていますが、今現在人類はコロナで全く新しい歴史的変革を迎えているのに、どさくさに紛れてひどいことをしている国家もあるのです。

 イシグロ氏は物語ることの本質は、感情を伝えることであり、感情こそが境界線や隔壁を乗り越え、同じ人間として分かち合っている何かに訴えかけるものだと言います。ゲーテが「ゲーテとの対話」という本の中で、優れた意志と忍耐力で技を磨き抜くことが肝心で、そして最も偉大な技術とは、自分を限定し、他から隔離するもの、つまりしっかりと自分の活動をうまく限定し、全力をそこに注ぎ込むこと、そうすれば道は開けるということです。職人さんとか芸術家とかアスリートとか、生活の枠を狭めてでも自分のやるべきことのみに集中している姿を見ているとそこまでしなければならないのかと思ったこともあるのですが、ゲーテも言っているんだとわかるとびっくりしつつ納得しています。

 これから厳しい世の中はずっと続いていくと覚悟していますが、この困難な地平を渡って行くためには、本当の自分というものがなくては生きていけないだろうし、自分にとって一番大事なものは何かと思った時、イシグロ氏のいう”感情を他者に伝えていくこと”が必要で、私にとってはこれまでゲストと過ごした日々のことや、皆さんが着た伝統文化の極みである着物のことを何らかの形にして、その感情を伝え残していくことが義務ではないだろうかと思ってきました。私はとても貴重な体験をしてきた、コロナ後はこれまでのような仕事はできないと覚悟していますが、だったら今までの経験を昇華させる何かの技術をつくりあげていけばいいのでしょう。でもきっかけがまだ来ない。ブレイクスルーは思いがけないところから来るのかもしれません。