朝顔  Morning Glory

 金町の桂さんからたくさん頂いた朝顔のタネをちょっとナイフで傷をつけて水に浸し、それからプランターや鉢に沢山植えておいたのですが、今いろいろな所で咲き続けています。何色が咲くのか楽しみでしたが、ほぼ白でたまに青があり、つつじの古木にからませたり近所の方に差し上げたりしながら、毎日楽しんでいます。着物がご縁で知り合った桂さんにはいろいろなものを頂戴しているのですが、巡り合わなかったら朝顔も咲かなかったわけで、植物一つにしても縁あって広がる不思議さを感じています。

 今朝の日経新聞の日曜版に根岸の子規庵の特集があり、子規が亡くなる少し前に描いた紫の朝顔の絵が載っていました。寝たきりで苦しんでいた子規がモルヒネを飲んで穏やかな気持ちになった時、目に飛び込んできたのはいくつも咲き続ける朝顔で、その平易な逞しさは彼の心を癒すものだったのでしょう。健啖家の子規は病床でも食欲旺盛で、菓子パン十個、スイカ25切れ!鰻7串食べてしまうのです。日経新聞に伊集院静さんが「ミチクサ先生」という夏目漱石と正岡子規の交流を描いた小説を連載していてとても興味深く読んでいたのですが突然病に倒れ休載してしまったり、娘がしばらく前にやはり漱石と子規のドキュメンタリー映画の衣装制作にかかわって、根岸の子規庵で撮影したというのを聞いて、それがきっかけで後で私も子規庵を訪ねたのですが、この映画の製作もなぜか中断してしまいました。

 でも子規庵を訪ねてみて、昔風の小さな庭のある木造の家に病に伏して暮らしていた子規の日常が蘇るようで、35歳という若さで亡くなったのにすさまじいまでのそれまでの仕事量や業績は、子規のエネルギーの圧縮したものなのでしょう。それにしても漱石にしても49歳で亡くなっているし、昔の文豪は短命でした。 

 体調が悪化すると精神状態も乱れ、日記なども書けなくなった子規でしたが、亡くなる四か月前くらいから書いた「病床六尺」にはなぜか内面の安定が感じられるのです。「悟りということは如何なる場合にも平気で死ぬる事と思っていたのは間違いで、悟りということは如何なる場合にも平気で生きていることであった」「病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白味もない」「この頃はモルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽しみとなっている」「草花帖が段々に画き塞がれていくのがうれしい」当時、死に至る感染症だった脊椎カリエスに襲われ、寝たきりになってしまった子規なのに、なぜか物凄い力強さがあるのは、小さい時から漢書の素読で鍛えられた知識や向学心、行動力が原点にあるからだろうし、喀血したときに自分で子規(血を吐くまで歌い続けるホトトギスのこと)という号を付けてしまう胆力でしょう。

 先ほど永平寺の修行のテレビ番組を見ていましたが、コロナウィルス禍の今は、集まって修行するのも難しいのかもしれず、そうなると一人で死の床についていても、自分で自分を鼓舞し喜びや楽しみを見つけそれを感じながら何かを創り続けようという強い意志を持ち続けることが必要なのでしょう。世界の観光地が閑散としていて、大変だと地元の人々は嘆いています。でも、海は、山は、自然は、万物は人間が勝手に楽しむために存在しているのではないのです。死ぬ一か月前に朝顔の美しさを丹念に写生していた子規の平静さを、考えて居ます。